☆③─48話 ギフトシード
もう22敗目となった舞依との勝負。
これ以上は誰の目にも無意味に思えた。
「立花さん。まだやりますか?」
「……あと、一回だけ」
舞依は深呼吸する。そうまだ終わりじゃない。
「ゾーン」が残っている。あれを使った状態での勝負だ。
ここまでの勝負で決して勿体ぶっていたわけではない。実は今日の試合でゾーンを一度解放していたので、また解放できるまで回復するのに時間がかかっていたのだ。
でも、もう大丈夫。
今度こそ、本気の本気。全力の全力。
「いきます……」
「……!」
(先程までと空気が違う……何か来る!?)
雪姫は油断なく、全神経を守備に集中させる。『銀世界』の準備を完了させる。
舞依は。
手を叩いた。
ゴッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!
夜の寒風を切り裂く一筋の星が地上で瞬いた。
凄まじい速度を以って雪姫の真横を突き進む!
「──ッ っく、……ぁ!!!!!」
一拍遅れ、反応。舞依の体は一瞬にして自分の体の横に入り込んでいたが、自身の体を無理やりスライドさせて舞依の進行方向に割り込む。
『銀世界』は発動しなかった。いや、出来なかった。
まさか目の前の相手が視界から消え去るほどの速度で移動するとは思わなかった。脱力した瞬間にこちらが動こうとした次には相手の体が消えていた。経験という名の脳への危険信号が自分をすぐさま対応へと移らせた。
かくして舞依の進行を阻むことには成功。
だが、ここからだ。ゾーンを解放した舞依の恐ろしさは。
一波で終わらないのだ。この神速の攻撃は。
そこから神業の如きドリブルが始まる。超スピードの連続フェイントによる揺さぶり。これに少しでも体勢を崩してしまえば、そこを再びの神速で貫かれる。
今までがそうだった。
「今まで」通りのレベルならば。
雪姫は舞依のドリブルに食らいついていた。それも朱堂瑠夏の時とは違い、一切の隙を見せることなく。
超スピードのフェイントにも追いついている。いいや、それどころか舞依に隙があれば奪おうとさえ思っている。
一瞬一瞬の命の取り合い。どちらかがコンマ一秒の隙さえ見せれば殺れる。
まさに互いに必殺を突き付け合う「真剣勝負」だった。
ここで有利なのは攻める側の舞依……となるはずなのだ。
守る側は相手がどう来るかを予測しながら、それでも変化する全てに基本的に後手で対応していかなければならない。
精神的にもしんどいのは雪姫である。
だが、ことこの勝負に関していえば舞依が不利であった。
雪姫が隙あらば奪いに来る攻撃的な守備を得意とするのもそうであるが、一番はやはり「制限時間」である。
制限時間を超えれば負けの時点で舞依はいつまでも攻められるわけではない。耐えきれば雪姫の勝ちだ。
しかし、制限時間とはいえ「40秒」。まさか40秒フルで攻防を続けるなんてそんなシーンは競技ではありえない。時間のかかりすぎだ。必ずどちらかがそれまでに決着をつけるだろう。杞憂に過ぎない。
しかし、それは突然に。
残酷にも、起きる。
「あ…………ぇ?」
そんな情けない声は、舞依の口から漏れ出た。
おかしい。本来ならばゾーン状態となって全ての身体機能を勝利することに捧げている舞依が、そんな呆けた声を出すはずない。
──舞依のゾーンは、もう解けていた。
まだ「20秒」しか経っていない。これはおかしすぎる。
──いや、何もおかしくはなかった。一日に二回目のゾーン解放。これは舞依にとっては初だった。しかも試合後で、雪姫との連戦で、疲労も溜まった状態での解放は舞依に半分ほどの力しか与えてはくれなかった。
(そ…………ん、な………!!)
舞依の変化を機敏にとらえた雪姫は今が好機と『銀世界』の発動に踏み切る。舞依が次のアクションに移る瞬間を殺す。
このままでは、舞依は負ける。
(また、負ける……!? 『ゾーン』を使っても……!?)
不安はあった。龍泉の朱堂瑠夏とゾーン状態の自分は互角だった。
自分はそれでも驚いたものだが、正直に言うと互角以上にもっとやれるんじゃないかとも半分思っていた。
楓の見立てではおそらく自分自身のフットサルへの理解や上達、そのための体がまだ出来上がっていないことで陸上競技と違いゾーン状態の力もまだまだ万全に機能していないんじゃないかとのこと。
と、いうことは。今の自分では朱堂瑠夏以上の相手には勝てないんじゃないかという不安が、あった。
案の定、柊雪姫にゾーンの力は通じなかった。20秒やっても抜けなかったのだ。しかも下手をすればボールを奪われていたかもしれない。
くやしい。時間が欲しい。今のフットサルを始めたばかりの自分では勝てない。どうやっても勝てない。
勝たなきゃ、いけないのに……!
自分だけ今から何年も時間が経ってしまえばいいのに。でも、そんなバカなこと起こるわけがない。
勝ちたい。勝てない。勝ちたい。勝てない。勝ちたい。勝てない。勝ちたい。勝てない。
走馬灯のように凝縮された緩やかな時間の中で、殺到する雪姫を見て、舞依は唇を噛む。
もう、あれしかない。
来栖谷戦で見えた、『星の線』──
あれの全能感は凄かった。誰にも負けないという自信があった。あれが出れば、きっと柊雪姫にも……!
しかし、凪との一戦では見ることが出来なかった。そのせいで、あの時の体験は幻だったのではという疑いがある。もう、見えることはないと。
もし、あれが嘘じゃないのなら。
(お願い……! 見えて……!)
舞依は願う。
しかし、変化は起きない。
(見えて……! 見えてよ……!!)
舞依はもう一度願う。
変化は起きない。
(見えて! 見えて!! 見えて…………!!)
舞依は強く願った。
変化は、起きない。
(……………………)
変化は起きない。
(『見えろッッ!!!!!!!!!!!!!!!!』)
自分の中の奥底からどす黒い感情が溢れ出る。
瞬間。
舞依の瞳に、光が灯った。
「──え」
雪姫の口から零れ出る声を置き去りに、舞依は一陣の風となって彼女を抜き去った。
「な……!?」
雪姫は驚愕した。今の動きに。
『銀世界』を発動しようとしたら、その瞬間に舞依は後ろにほんの少しだけ下がった。
その僅か数センチの動きで、自分がボールを奪える射程範囲の外に出た。
そして、そこから一気に信じられない速度で、かつ最も自分が警戒していなかったルートをあたかも知っていたかのように、一直線の最短距離で、ぶち抜いた!!!!
「勝っ………た……!」
舞依は抜いた後に力尽きて地面に倒れながらも、勝利に喜ぶ。
ゾーンの時と疲労とはまた違い、全身から力が抜けるような感覚があるが、そんなことは今は気にならなかった。勝ったことがそれ以上に嬉しかったのだ。
「い、今のは……一体……」
気のせいではないはずだ。舞依のさっきまでの別人のようなオーラは無くなっていた。だから自分は好機と感じたのだ。現に、その時の舞依の瞳には敗北が映っていた。
なのに、結果は違った。勝てるはずだったのに。予想外のルートを、予想外の速度で、予想外のタイミングで、予想外の動きで、抜かれた。
まるで、そうすれば勝てるとわかっていたかのように。
(まさか……)
雪姫の脳裏には一つだけあった。過去の忘れたい記憶の中に。類似したものが。
まったく『銀世界』が通用しなかった相手。自分が勝利することをあたかも最初からわかっているようにプレーする不思議な選手。
『柊雪姫。銀世界だかなんだか知らんが、お前も結局は弱いフットサルしか出来ない雑魚だ。一度すらも私を止められん、その他大勢の一人なんだからな』
『ッ……!』
あの記憶の相手──天下原乃蒼と、今の舞依の雰囲気は、
似ていた。
(理屈はわかりませんが……。もし、立花さんがあの選手と同じなら……)
勝てるかもしれない? 龍泉に?
全国上位の力を持ちながら、全国優勝など諦めていた。そんな己の胸に灯が宿る。
宿って、しまう。
もう一度、やりたいと。もしかしたら、全国優勝を狙えるかもしれないと。あの龍泉に、勝てなかったあの選手に、勝てるかもしれないと。
どうせ全国優勝など出来ない。だから、目も見えなくなるなら、フットサルをもうやめてしまおうと思っていたのに。
希望を抱いてしまう。凍りついた、必死に封印していたフットサルへの熱が、また。
(ダメ……自分はもうフットサルを辞める。希望を持っちゃダメ……!)
必死に、必死に、熱を抑える。また凍りつかせ、奥底に。
「舞依、大丈夫か!?」
楓は倒れた舞依の元へ駆けつける。
「は、はい……! なんとか……」
手を借りながら、よろよろと起き上がる。勢いよく倒れたわけではないので怪我はしていない。そこは安心だ。
「それよりも。舞依すごいな! ギリギリとはいえ、雪姫に勝っちまうなんて!」
「え、い、いやぁ~その、あれは……」
最後の最後。自分の目には『星の線』が見えた。そして、この通りに動いて。言うことを聞いて。そうしたら勝てるから。と、訴えてきているような気がした。
その通りにやれば、絶対に勝てるという確信と全能感もあった。まさに、来栖谷の時と同じ体験だ。
また見えた。あれは幻なんかじゃなかった。私の中にある『力』だ……!
──あの時、なぜか自分の中から良くない何かが……。どす黒い、怖い、知らない自分が出てきた気がしたけど……気のせいかな?
舞依は思い出せない。何かがきっかけで『星の線』発動した。けど、薄っすらとで、思い出せない。
「なぁ舞依。俺はゾーンの時間が終わったのかな、って思ったんだけど……ゾーンの時間ギリギリで雪姫を抜いたってことだよな? 頑張ったな!」
楓は分析する。さっきの勝負を。
舞依は、
「あ………………………」
「『はい。そうです』」
──楓さんに『星の線』のことを言うのは、まだいいよね。だって、また使えるかわからないもん。
──もっとこの『力』を使いこなせるようになって。強くなって。楓さんをいっぱい驚かせよう。
──もっともっと。もっともっと強くなって。
楓さん。それまで待っててくださいね?
私、強くなりますから。
それは種である。人を変える悪辣なる才能の種だ。




