☆③─39話 ろんりー少女
「な、なゆちゃ~ん」
「…………」
練習終わり。
放課後に俺と一緒にいた時とは打って変わってなゆちゃんはぷくーっと頬を膨らませた不機嫌モードで颯爽と帰って行った。
うぅぅ…………
「慧! 何があったんだ……!」
「ごめん楓……」
俺はなゆちゃんに無視されるというこの世の地獄を見てしまい、血の涙を流しながら慧に詰め寄る。
さすがの慧も申し訳なさそうにしゅん、とする。
とりあえず事情を聞いてみると、
慧は、今までやっていた練習メニューをメンバーにやらせていたようだ。そして気になったところを指摘して教える。
そこは別に構わない。俺自身がそうやってくれと頼んでいたしな。
だが、事件はその練習中に起きたらしい。
『なゆ。どうして今のところ、守備に行かなかったの』
『……行っていいかわかんなかった』
詩織が、マークがついていないフリーの状態でドリブルを行いゴールへと進んでいくところ、なゆちゃんは前線で亜子のマークに入っていた。
当然そこで取るべき行動と言えば、いくつかあるが、効果的なのは「攻撃を遅らせる」ことだ。
亜子を気にしつつも、詩織の方へ守備に行く。
そこではガッツリとボールを奪いに行くわけではなく、詩織から少し離れた状態でシュートを打たせない、かつ亜子へパスを出させないような状態を作る。
そうやって詩織がドリブルで抜くか、シュートを打つか、パスをするのか、どれも決断するには曖昧な状態を作り出すことで味方が守備加勢しに来てくれる「時間を作る」わけだ。
相手との距離感や、それを行動に移す瞬間を間違えれば一気に失点まで持っていかれる。まさにクレバーな判断が求められる難しい局面だ。
当然、なゆちゃんにそれを求めるのは苦だろう。
なゆちゃんは結局、亜子のマークを続けて詩織のドリブルを許し、そのままフリーでシュートをさせてしまった。
まぁ、仕方ないといったところだ。
しかし、
『そんなことないよ。なゆなら頭に浮かんでたはず。どうすればいいか。どうしてわかっているのにやらないの?』
『……』
『わざと、だよね』
そうして売り言葉に買い言葉。2人は喧嘩してしまったようだ。
「なゆが怒んの初めてみたなー。びっくりだー」
亜子は口をあんぐりと開けた間抜けな顔で驚きを表現する。もうちょっとマシな顔なかったんか。
まぁ亜子の言うこともわかる。なゆちゃんのいつもの無表情でマイペースなところを見ていると怒るところなんて想像もできない。
「しかしだな。慧、いくらなんでもそこまで言うことないだろ。誰だってそこは迷う場面だ。なゆちゃんだって本当にわからなかっただけだろ」
「楓。それは違うよ。なゆに限ってそんなことはありえない」
やけに自信ありげだな。一応、なゆちゃんもフットサルを初めて1ヶ月ってところなんだぞ?
「なゆはとてもIQが高いんだ」
「IQ?」
「うん。もう今の時点で高校レベルの勉学なら全部理解できてる。たまに大学の論文とかも読んでるしね」
えぇ……なゆちゃん俺より頭良かったの……? どれだけ彼女は上位存在となっていくのか。頭良い上に天使とは。神か……?
「けど、それとこれとは話が別じゃないか? 勉強できるのと、スポーツの判断が優れているのはいくらなんでも一緒じゃ……」
「なゆは勉強だけじゃない。スポーツIQもかなりのものなんだ。その場の判断だけなら僕よりもずっとすごいよ」
そうなの……。いっつもふわふわしてるからそんな風には思えなかったけど。
いや、待て。片鱗はあっただろ。
俺がなゆちゃんをいつも評価していた来栖谷との試合。まさに自分に課された仕事をきっちりとこなしていたのもその理解度があったからじゃないのか?
それにあの試合の最後を決めたシュート。当然、俺が彼女に仕込んだことだ。
けれども、普通の初心者が1回仕込まれた程度で……はい、わかりましたとやれるか? あれだって、的確なタイミングで飛び出さないと来栖谷の選手に読まれて止められたり、シュートも止められたりしたはずだ。
つまり、なゆちゃんがしっかりと周りの様子を伺い、そのタイミングを理解して行ったということ。言われたことを傀儡のように行動したわけじゃなく、自身の理論と常に動く場を読み取り、最適な瞬間を導き出した何よりの答えだ。
けど、……それなら。
「どうしてそこをもっとアピールしないんだ? 色んな場面でやることがわかってるならプレーに出るはずだ」
そう。そこがおかしいのだ。なゆちゃんからはそんな積極的なプレーが見えたことは少ない。それどころか、俺の中では「あれがわからない」「これがわからない」と困惑していたケースの方がよほど多い気がする。過去を振り返っても、ボールを遠くへ飛ばす方法や、守備の付き方、たくさん「わからない」があった。
「なゆは昔、それでイジメられたことがあったんだ」
「え?」
なゆちゃんが!? あんなに天使なのに!? 誰だそれは! そんな奴俺がぶっこ──
「3年生の頃」
「あ、はい」
真面目な話だ。俺も真面目モードにならねば。
「もうその頃からなゆは何でもできた。スポーツだって周りの子より動けたし、特に勉強に関しては先生よりもその学問を理解してた」
「ひぇぇ……」
その時点で先生より頭良かったの? 俺なんてもうその頃から、先生の言うことなーんも理解してなかったぞ。改めて自分のバカさ加減が悲しくなってくる。
「初めはなゆも人気者だった。テストは100点しか取らない、スポーツは男子よりも活躍する、先生よりも色んなことができる、子供の目からはヒーローみたいに見えたんだろうね」
うーん。それは、そうかもな。小さいころなんて足が速いだけで人気だ。人より優れてるってことが羨ましいんだ。ましてや自分達を先導してくれる役割である先生よりもってなると、その輝き具合は尋常じゃない。
「でも、出来すぎた。次第になゆは他の女子から反感を買うようになってしまった」
先生よりも出来るところをわざと見せて偉ぶっている。
スポーツが出来るところを見せて目立ちたがろうとしている。
自分の好きなあの子がなゆちゃんのことばかり話している。
……なんかさぁ、奈夕葉ってウザくない?
「それからなゆは色んな子から嫌がらせを受けるようになった。教科書や体操着を隠されたり、根も葉もないこと噂されたり」
「そんな……」
「幸いにも怪我させられたりなんてのは無かったけどね。それもあるとなると、僕も怖かったよ」
なゆちゃんにそんな過去が。普段のあのフワフワした雰囲気からはまったく感じられない。いや、むしろそれだけこのフットサル部の仲間たちとの関係が心地いいとも考えられるのか? そうなら安心なんだが……
「なゆはさ、表情があんまり変わらないから皆嫌がらせしても応えてないって思ってたけどさ、違うんだ」
「なゆは、自分が嫌われている理由を、理解してたんだ。それでいて我慢してたんだ。自分は周りからはそういう存在なんだって。全部、理解して」
「…………」
子供は無垢だ。好きなものは好きと言う。その真っ白な心に従って、この世界を自由に生きてる。
でも、裏返しとして無垢とは残酷でもある。嫌いなものをちゃんと嫌いと言う。その真っ白な心のまま、誰かを傷つける時もある。
なゆちゃんは自分が嫌われていると頭でわかって、受け入れたんだ。自分は教室の仲間から嫌われている存在なんだって。
そんなの、悲しすぎるだろ。普通、泣いたっていいじゃないか。なんでこんなことするんだよって。自分が何か悪いことしたかよって。みっともなくわめいて、足掻いたっていいじゃねーか。
それを、小学3年生の時点で受け入れるなんて。
「それからなゆは、勉強もわざとわからない振りをして、テストもわざと悪い点を取った。スポーツも前に出なくなって誰かをアシストするわけでもなく下手で何もできない振りをした。誰かより、劣ろうとしたんだ」
勉強ができる。でも、やらない。
スポーツができる。でも、やらない。
皆と仲良くなりたい。そのために、やらない。
「たまにタロットカードで占いをしてるのも、占いが好きな女の子の機嫌を取るためだったんだ。ほんとは、なゆは占いなんて好きじゃないし、信じてもないのに」
今のなゆちゃんは虚像。
嘘で塗り固めて、違う自分をこの世界に現出している。
だって、真実を出せば嫌われるかもしれないから。本当の自分は嫌われると理解しているから。
皆が好きな自分にならないといけないから。
「楓。あの子は、なゆは、本当はもっともっと何でもできる子なんだ。今のなゆは色んな事に手を抜いてる。今日の練習を見てそれが確信に変わった。あれは、本当のなゆじゃない」
本当の、なゆちゃんじゃない……か。
全力を出さないことが正しいと思っている、そんな間違いで固められた存在を。
「慧。俺は何をすればいい。力になる」
俺だって気持ちよく全力でなゆちゃんとフットサルしたいに決まってる。
それに、あの子の本気を見てみたい。
できないように見せてることを、全て「できる」ようにしたらあの子はどうなるのか。
それを見てみたい。
俺はそれなら何でもやってやるぞ。どんな無茶なことでも。
「いや……せっかくだけどこっちのことは僕に任せてほしい」
「慧に?」
「そもそも揉めたのも僕のせいだしね。時間はかかるかもしれないけど、責任をもって僕が解決させる」
けど、大丈夫か? 確かに慧はなゆちゃんの兄ということで相談に乗りやすいかもしれないし、彼女の事情を深くわかってあげられる存在かもしれないが、一人で挑むとなると大変なんじゃ……
「それに白戸さんから聞いたよ」
「え?」
「今はすごい選手をスカウトしようとしてるんでしょ? だったら、楓はそっちに集中していてほしい」
あいつ……また父さんから聞かされてたな。しかもこのベストなタイミングで慧が知っているのを見ると、またもや父さんが色々と裏で計算してやがる。
どうせ、俺がサッカー部に顔を出して慧と仲良くなると、慧にコーチの打診をして、なゆちゃんと揉めることになる。そしたら俺が首を突っ込もうとして雪姫のスカウトに支障が出る。この未来を予知して先手を打ってやがったな。
いいや、もっと考えるなら、こういう事態を引き起こしてなゆちゃんを覚醒させるために俺をサッカー部に呼んだまであるぞ。
でも。それなら、この問題はきっと慧なら解決できるってことか。あいつは出来ないことはやらせないからな。
「わかった。でも、どうしても話がこじれそうならいつでも手を貸す。あの子だってこのチームの一員なんだ。監督である俺が黙ったままは嫌だからな」
「了解」
そうだ。俺にも仕事がある。雪姫のスカウト。
なゆちゃんにも本気を出さない理由があるように。
雪姫もフットサルをしない理由がある。俺はまだそれを知らない。
知らないのに、スカウトしようっていっても無理だ。まずはそこからだ。
本人は一向に語ろうとしない。けど、それをなんとかして聞き出すのが俺の仕事だ。
あの子の監督になりたいんだろ? だったら、本音の隠して打算ばかりであの子と接しても平行線のままだ。
「裸のまま、あいつ(の心)に飛び込むしかない!!」
そう宣言する楓の横で、
慧は、「犯罪の宣言じゃないよね……?」とドン引きした顔で心配していた。




