☆③─36話 Revolution my World ~君から、俺へ~
もう何度目か。慧から俺にパスが来る。やはり求めている。俺からのパスを。
ちょっとだけ待ってろ。すげぇのをやるよ。
俺をマークしていた奴が、これも何度目かディフェンスにやってくる。
こいつもこのゲームだけで散々抜かれまくって精神的にしんどいだろう。
お前も、あともうちょっとだけ我慢してくれ。
俺は足のアウトサイドでボールを外側に軽く押す。それと同時に急速にインサイドでボールを逆側に切り返した。エラシコというドリブルテクニックだ。
「あぁっ!! くそ!」
為すすべもなくあっさりと抜かれてしまう。こいつはボールを見すぎてる時点で相手にはならない。いくらでも一個のフェイントで抜くプランがあるぞ。
問題はここからだ。
間髪いれず二人目が突進してくる。本来ならこんなのありえんが、このファウル上等タックルも見慣れてしまった。父さんの暴力性を表したシーンだよまったく。
だが、俺も体が温まってきた。昔の調子が戻ってきたぞ。
「!」
楓は目線をチラリと他方に移し、体を少しだけ相手から傾ける。
サッカー選手であるならば、この楓の仕草に否が応でも反応してしまう。
それはパスの動作だからだ。
(こいつ、パス、を──)
その次の瞬間、自分の真横を疾風が過ぎ去った。
「なっ!?」
パスを出すと体が反応し、楓にぶつかりに行く速度がほんのわずかだが緩んだ。
たったそれだけ。油断ともならない、隙。
楓はその「隙」を決して見逃さない。彼の前で集中を1%でも減らせば、それは抜かれる理由になるのだから。
「楓……」
慧はそれを見ると、ほぅ……と息を吐く。
あれだ。あれが、桜庭楓だ。
フェイントを一度に多様するような派手な選手ではない。むしろ、それが必要ないのだ彼には。
彼の魅力は足技だけではない。
フェイントを体全体で行っている。目線を、手を、体の向きを、緩急を、仲間の位置を、
この世界のありとあらゆる全てを使って彼は相手にフェイントをかける。隙を作らせる。決してボールを上手く操れる者が一流ではない。真の一流とは、その一挙手一投足をもって相手を揺さぶる。
そして隙さえ作れば必勝。絶対に負けない。それが、かつて日本中を震撼させた桜庭楓という選手なのだ。
そして楓にまたも間髪いれず3人目が来る。
もうこの3人目にはさっきのようなフェイントは効かない。パスが絶対出せないとわかっているからだ。目線を他に投げようが、今のようにどうせハッタリだろうと思っている。
だから……
「なっ!?」
楓に向かっていった選手は驚き、今から彼にラフプレーを仕掛けようとしたその足を止めた。
なぜなら、
敵陣へドリブルしていくはずの楓が、自陣へ下がっていくからだ。要は、逆側にドリブルして進んでいる!
「おいおい! 逃げてるぞあいつ!」
「やっぱもう精神的におかしくなってんじゃねぇ?」
この楓の奇行に、周りは溜息をつくばかり。
仲間である慧でさえもどうしたのかと、前線から楓のところへ下がろうとする。
が、
下がろうとする慧を楓は手を前に出して制止させる。
「そこにいろ」、と。
それを見た瞬間、慧は悟った。楓は何かやろうとしている。自分はここで待つべきだと。
(やっぱ周りから見たらおかしく見えるよな、これ)
楓は何も頭がおかしくなったとか、ましてや逃げ出したわけでもない。
とあるタイミングを狙っているのだ。
闇雲に前へ進もうとすると3人によるラフプレーの集中砲火をくらう。今の自分では2人どうにかできても間髪入れず3人目がくればボールをロストしてしまう。
だから、あえて3人目には飛び込まない。
ずっと1対2を続ける。とあるタイミングが来るまで。
そのため楓は先ほど抜いたはずのディフェンスの前に戻るという奇行を見せていた。
「お、お前……一体何がしたいんだ?」
「つべこべ言わず、来たらどうだ?」
楓はクイ、クイ、とまるで「来いよ」と言わんばかりに手で挑発的に誘う。
それにはさすがに相手もイラつき、
「じゃあ遠慮なく!!」
「!!」
肩を使って無茶なチャージを仕掛けてくる。俺の体に痛烈な衝撃が広がる。なんとかボールを失わずに済むが、ここまでするならもう肩じゃなくて良くないか? どうせファウルにならないんだから何を申し訳程度に肩で突進してくるのか。
俺は横目でチラリとさっきの3人目の様子を伺う。
ただ呆然と立ち尽くしてこちらを傍観するだけ。まだ自分は動かなくていいと思っているわけだ。
(まだ……か)
俺は肩でファウルチャージを延々と続けている鬱陶しいディフェンスを振り払う。
「おっと。逃さねぇぞ」
「ッ!」
すると2人目が。こいつはなり振り構わないのか手をこちらに突き出してくる。服を引っ張って引き倒すってことか。ラフプレーのオンパレードじゃねーか。
だが、体を後ろに動かしてその手を避け、それと同時に股抜き。下がお留守だ!
「くそ。チョロチョロと!」
「おいおいそっち行くんじゃねぇよ!」
股を抜かれたこいつも、肩でタックルしてくるあいつも、今度は2人がかりで来た。
それでも俺は巧みにボールと体を動かし、ヒラリヒラリと避け続ける。
「こ、い……つ!」
「ボールが足にくっついてんのか!? 全然ボールが足から離れねぇ! つか、体に触れもしねぇ!」
(早く……早く来い! そろそろ限界が近い。早く……!)
楓は2人を避け続けながら、とあるタイミングを乞い願う。
「クソが! らちがあかねぇ! お前も来い! 3人がかりで潰すぞ!!」
(来た……!!!!)
ラフプレーを仕掛ける自分達を嘲笑うかのように前へ進まずドリブルで避け続ける楓にとうとう痺れを切らし、3人目を呼んだ。
これだ。これを待っていたんだ。
2人ならどうにかなる。だが3人目がどっしりと待ち構えている状態だと、2人目を抜いた瞬間にどうしても狩られてしまう。
だったら、3人目を釣りだす。
そして……!
「あっ!」
「おい! そっちが呼んだくせに邪魔すんなよ!」
俺は向かってくる3人目の進行方向へ、自分についているディフェンスが邪魔になるようにドリブルで相手を動かした。
今だ!! ここしかない!
俺はその重なった2人をまとめて一度に股抜きした!!
「は!?……マジ、か!?」
「嘘だろ!?」
「じゃあな。もうちょっと手を動かすよりも足下を意識した方がいいぞ」
2人まとめて一気に抜き去ると、残る1人が俺を横から追ってくる。
当然後ろからもつい今しがた抜かれた2人も追い縋ってくる。
ここだ。ここなのだ。
パスを出す、瞬間は。
「いくぞ……慧!!」
必死の形相で追い縋ってくる3人には目もくれず、楓は前方の慧しか見ていなかった。
慧は、パスを出せないという楓であるにも関わらず、走り出す。もちろん、パスが来ると信じて。
だが……
(……ッ!!)
慧へとパスを出そうとする寸前、楓の脳裏に映像がフラッシュバックする。
自分のパスが無視されたあの光景。仲間たちから切り捨てられたあの日。革命により地に落ちた悪王。
そんな、情けなく醜い自分。
また、あんなことになってしまうんじゃないかと。
楓の体はビキリと固まって動かない。ダメだ。やはり無理なのか。
俺は……もう、サッカーできないのか……!!
目から涙が滲み、そう諦めかけた時。
脳裏に新たなフラッシュバックが発生する。
『僕は絶対に君のパスを逸らさない』
それは、慧の顔だった。
慧……会ったばかりの俺をここまで信じてくれたのに。こんな不甲斐ない奴で悪い……
それだけでなく。
脳裏のフラッシュバックは続く。
それは、こんな時に変だが、あの子たちの顔だった。
『桜庭さん。ゴレイロはまだ難しいですけど。少しだけ、以前の自分よりも勇気が出た気がします』
それは、愛実の顔だった。
愛実。来栖谷の試合で見たお前は凄かった。始めたばっかなのに、あんな全国レベルのシュートに負けじと立ち向かった。きっとチームの中で一番勇気がある選手だよ、お前は。
俺にも、愛実みたいな恐怖と立ち向かえる勇気が欲しいよ。
『にーたん。なゆね、みんなとするフットサル楽しいよ? にーたんとも遊べて毎日楽しい』
それは、奈夕葉の顔だった。
なゆちゃん。君はいつもフットサルでチャレンジを見せてくれる。俺が予想もしないような成長を見せて、色んなことに果敢に挑んでくれる。フットサルが、好きなんだな。皆のことが好きなんだな。
俺にも、なゆちゃんみたいな何でもやってみようとする力が欲しいよ。
『かんとくー! ぜんっぜんシュート決まんないけどさ! シュートすんのすっごい面白いよ! スカッとするし、気持ちいいし! きっと決めた時はすっごい楽しんだろうなー!』
それは、亜子の顔だった。
いっつもシュートがど真ん中に飛ぶから単独でゴールはまだだよな。それでも諦めずに楽しそうに前へ前へ進む亜子はすごいよ。俺なんかすぐ諦めるくせに一丁前に言うことは偉そうだもんな。お前の底抜けに明るいところに正直チームは助かってる。
俺にも、亜子みたいにどんな時でも諦めない心が欲しいよ。
『おにぃ! せっかくこの可愛い妹が復帰してあげたんだからもっと私に構ってよ!……おにぃのベストパートナーは私しかいないんだから! しょ、将来のパートナーもね!!』
それは、凪の顔だった。
お前はいつも機嫌ががわからないところがあるよな。怖い時があったり、かと思えば優しい時もあったり。目の前では口が裂けても言えないが、そんなところは……ちょっとだけ可愛いとは思うよ。妹としてな。ちょっとだけ。本当にちょっとだけ。1割くらい。あとの9割は怖い。
でも、そんなお前は俺にずっと寄り添ってくれた。こんな情けない兄の俺のことを考えてくれてずっと想ってくれていた。デートはもう勘弁だが、実はすっげー嬉しかったんだぜ。
俺にも、凪みたいな誰かを想える力が欲しいよ。
『楓。司令塔としてまだまだあんたの足元には及ばないかもしれないけど、いつか絶対あんたと同じレベルに立ってやるわ。そしてその時は……。な。何でもないわよ! こっち見るな!!』
それは、詩織の顔だった。
あの騒動は大変だったよな。お前は急に辞めるとか言い出すし、俺はめっちゃ殴られるし。今も思い出すとしんどい気持ちになるよ。
でも、お前がまた笑える日があると思えば、まったく苦とは思わない。お前、絶対俺よりも上手くなるよ。俺なんか追い抜いて、きっと将来は世界なんかに行くんだろうな。
それでいて俺みたいに自分勝手じゃない。誰よりもチームのことを考えている。きっとキャプテンには一番向いてるよ。
俺にも、詩織みたいに自分よりも相手を大事にできる力が欲しいよ。
『楓さん。サッカーしたいと思えば、すればいいじゃないですか』
それは舞依の顔だった。
『楓さん。私、サッカーも好きですけど、みんなとやるフットサルが大好きです』
『楓さん。まだまだ私下手っぴですけど、こんな私でもいつかは上手くなれますか?』
『楓さん。これから大変な時たくさんあると思います。でも、チームの皆となら、きっと乗り越えられると思うんです」
舞依。お前と出会って始まったんだよな。俺たちは。
桜の花びらが舞い踊るあの坂で、ボールと一緒にいたお前と俺が。出会って。
お前はたくさんの物を俺にくれた気がする。
才能に苦しんでも、それでも負けない心。
フットサルが好きって気持ち。
勝つだけじゃない。楽しもうって想い。
俺にも、舞依みたいに「勝つよりも楽しみたい」って心が欲しいよ。
……。
…………。
ははっ。何だよ俺。さっきから欲しい欲しいってばっかり。日本や世界でチヤホヤされてた選手のくせに。今更欲しがるものがあるのか。
いや。
そっか……俺
(まだまだ全然、完璧なんかじゃなかったんだな)
こんなに足りないところがある。何が完璧な選手だ。不完全も不完全。何にも持ってねぇじゃねーか。
『楓さん』
舞依。
『楓さんは、サッカーが好きですか?』
俺か? 俺は……
『私は好きですよ』
え?
『楽しそうにサッカーしてる、楓さんが……大好きです』
そうか。そうだな。
俺も、楽しそうにフットサルしてる舞依が大好きだよ。
(俺は!!!!! もう1人じゃない!!!!!!)
楓は目を見開く。涙を振り切り、前を向く。
たくさんの言葉が、俺に力をくれる。
たくさんの笑顔が、俺を闇から救ってくれる。
たくさんの愛くるしい天使たちが、俺の背を押してくれる。
(俺は1人で勝ちたいんじゃない。俺はお前たちと勝ちたいんだ!!!!!!)
今、俺の世界が再び開闢する時。
(見えろ……!!!!!!!!!!)
それは一秒以下のコンマの世界。
すべてがスローモーションで動く緩慢な世界の中で。
キィン──
楓の瞳に不思議な光が灯り、一筋の光の線が描かれた!
(見えたッ!! 俺の──)
「『勝利のルート』!!!!!!!!」
「受け、取、れぇぇ!!!!! 慧!!!!!!!!!!!」
自分の背中を今も引っ張る汚泥のような闇の過去を。
妹に泣いて心配されるほどに醜かった自分を。
もう桜庭楓は終わったと落胆してきたこの世界を。
その全て一切合切をも、消え去るほどに。
ドッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!
──0.3秒という極小時間の能力使用の中で見えた光の道筋を信じて、楓は強く足を振りぬいたッ!!
「「「なぁっ!?」」」
追い縋るラフプレー3人衆は素っ頓狂な声を上げて、飛んでいくボールを見送った。お前パス出せたのかよ! と。
ボールはすごい速度で弧を描きながらドライブ回転で慧へと向かっていく。
(ぐっ……! なん、て、パスだ!!)
慧は驚愕した。その速度と要求に。自分が全速力で走って、それでもなお間に合うかどうかというパス。こんなの、来ると予告されていたとしても取れずにボールはラインを割ってしまいそうだ。
しかし、何もめちゃくちゃなパスではない。これは楓が取れれば確実に点が奪えるというところに出したパス。つまりここしかないベストな位置に出しているのだ。プロでさえもこんな絶妙な場所、絶妙な速度で出せないだろう。
これが一流の世界。前線に送るのなら、ゴールに結びつかなければ意味がない。そう言っているようにも見える。
慧の体は震えていた。恐怖ではない。喜びに。
これを受けられるのは代表レベルだ。楓は世代別代表にも選ばれていた。日本代表として世界を相手に戦っていたのを見たことがある。
その信じられない精密技巧な勝利確実であるパスを、自分に向けてくれている。
そうまでされて、
(取れないなんて言うわけない!!!!!!!)
「──ッ!」
慧は自分の限界を超えて走り、足を伸ばす。それでもギリギリ。ということは、楓が求めているのはトラップしてのシュートではない。パスに直接蹴りこむことで圧倒的速度を生み出す攻撃──ダイレクトプレーだ。
一流の選手は、蹴ったボールに意味を込める。しっかりと楓の意図を汲み取っていた慧は、迷わずにそのボールを、
直接蹴りこんだ!!
その数秒で襲い掛かってきた流星のような攻撃に、GKは目で追うことすらできずに、
ゴールを許してしまった!!
「やっ……た…………」
慧は放心する。本当に自分が間に合ったのか。頭がそれを理解してくれなかった。実は楓がボールに回転をかけてロングシュートを決めたんじゃないかと疑ってしまう。それほどにギリギリだったのだ。
そんな慧に後ろから強く抱き着いてくる者が一人。
ビックリして後ろを振り向くと。
「やったな慧!! 俺たちのゴールだ!」
「か、えで?」
満面の笑みで、喜びを表現する楓。
教室や普段では暗黒そのものである暗い表情をしているのに。
まるで昔のように、太陽みたいに笑っていた。
そうだ。これも桜庭楓だった。まだ世界的に有名になる前。全国的に少し上手いくらいの選手だった頃。
本当に楽しんでプレーをしていた、見る人に元気を与える選手。
これも、桜庭楓だったのだ。
「うん。ありがとう楓。すごいパスだったよ」
「あ、そうか。俺……パス、出せたのか」
「何を今更。あんなエグいパス出しといて」
楓も、自分が信じられなかった。あれほど昔を引きずっていたのに。足が固まったように動いていなかったのに。
まるで、重い枷が外れたようだ。足が軽い。不思議と、気持ちまでも。
「慧。俺こそ、ありがとうな。お前のおかげだ」
『絶対にパスを逸らさない』。お前がそう言ってくれたから、なんだぜ。
そうか。一人じゃ無理だったんだ。この過去と向き合うのは。
仲間を蔑ろにして俺は孤立してしまったんだ。
だったらそれを払拭するには、仲間の助力しかない。
だってそうだろ?
パスは、仲間に向けてやるものなんだからな。
楓と慧は、笑顔で握手を交わした。
「よぅよぅお二方ナイスゴールだ」
ニヤニヤと笑い、桜庭遼は楓と慧のもとへ近づく。
「父さん」
「もうわかっただろ。俺はお前の力を直視させたかった。諦めず、向き合ってほしかったんだ」
「やっぱり……そうだったのか」
「ああ。ったりめぇだろ。じゃねーと息子にこんな無茶させるかよ」
「父さん……」
父さんは握手を求めてくる。まったく。あんたという奴は……
「ふんっ!」
「ぐぼぉ!! な、なんで……!」
俺の手は奴の手をスルーし、そのまま容赦なく腹へと伸びていき一発!!
見事なボディーブローに桜庭遼は倒れ伏す。
「あんたの狙いはともかく、なーにが『息子に無茶させるかよ』だ。俺がファウルでぶっ飛ばされてた間にチラッと見えたが腹抱えて大爆笑してただろうが。周りの生徒それ見てドン引きしてたぞ」
「……………………ちっ」
「あ! 今舌打ちしたよなぁ!? おい!!」
「うっせぇバーカ! 足もげろ!」
「ガキかよ……」
父さんはこれが大人かと思えないようなみっともない言葉を残してサッカー部の練習に戻っていった。なんてめちゃくちゃな野郎だ。やるだけやって去っていきやがったよ。
「パス、できたじゃん」
俺が父さんの醜い姿に苦笑いしていると、白戸までやってきた。
「まぁな。これもお前のおかげだよ」
「別にあたし何もしてないけど」
「ビンタしただろうが。さすがにあれは無かったことにならんぞ」
「あー。スッキリしすぎて忘れてた」
おっそろしい奴だなぁお前は。どんだけ鬱憤溜まってたんだよ。まさか日頃から殴りたいと思われてたのか俺は。
でも、なんだ。あれがなければ俺はまた過ちを犯していた。「勝利のルート」に呑まれ、サッカー部を壊していたことだろう。それを無理やり引き戻してくれたのはこいつなんだ。
「ありがとな……夏月」
「どさくさまぎれて名前呼ぶな。ほんとキモいから」
「ごめんて白戸さん」
今そういう仲が深まった的な空気じゃなかったかなー……。違う? え、ダメだった?
白戸はプッと笑うと、
「じゃーね楓」
いっつも笑いもしないくせに、ほんの少し。本当に少しだけ笑みを浮かべて。それだけ言って帰って行った。
名前、呼ばれたの初めて…………か?
「……んだよ。ちょっと可愛かったし」
不覚にも、今の不意打ちだけは、ドキッとしてしまった。……白戸のくせに。
俺はふーっと息を吐くと、空を見上げる。
自分の中で、ようやく何かが始まる予感がした。




