入園戦争ー当落ー
整理券と引き換えに渡された、オルディス学園幼稚舎の募集要項。
分厚い封筒の中には、何枚もの書類が入っていた。
入園願書。
家庭状況申告書。
保護者記入票。
志望理由書。
そして、応募に関する注意事項。
書類一式には、それぞれ同じ受付番号が振られている。
まず、読む。
最初から最後まで読む。
もう一度読む。
記入する。
確認する。
また読む。
子どもの名前。
生年月日。
住所。
保護者氏名。
署名。
必要事項。
指定された欄に、指定された内容が書かれているか。
記載漏れはないか。
必要な書類はすべて揃っているか。
受付番号は一致しているか。
書き損じはないか。
募集要項には、太い文字で書かれていた。
『提出前に、今一度ご確認ください』
『応募締切後の訂正、追加提出は一切受け付けません』
『提出期限必着』
不備があれば、受理されない。
たった一つの記載漏れで。
あの真冬の夜が。
あの待機列が。
開門と同時に押し寄せた人波が。
何度も何度も浴びせられた、
「走らないでくださーい!」
が。
すべて無駄になる。
だから保護者は確認する。
一度。
二度。
三度。
封筒へ入れる。
不安になる。
もう一度出す。
確認する。
また入れる。
封をしようとして――やめる。
もう一度確認する。
やがて何を確認したのか分からなくなって、最初からやり直す。
入園への試練は、整理券を手に入れたくらいでは終わらなかった。
応募期間。
今度は、先着順ではない。
期間内に応募書類を提出すればいい。
だから、走る必要もない。
「入園応募書類の受付はこちらでーす!」
「提出前の最終確認は、あちらの確認場所でお願いしまーす!」
「必要書類がすべて揃っていることをご確認くださーい!」
「受付後の書類の差し替えはできませーん!」
最後の一言を聞いて、列から離れる者がいる。
確認場所へ戻る。
もう一度見る。
戻ってくる。
そして、また不安になって戻る。
古参であっても、こればかりは慣れない。
上の子が合格していても。
前回と同じように書いたとしても。
今回も通る保証など、どこにもないからだ。
「次の方」
封筒を差し出す。
職員が受け取る。
受付番号を確認する。
「受理しました」
「……はい」
「選考結果をお待ちください」
「……これで、終わりですか?」
「はい」
それだけだった。
あれほど確認した書類が、職員の手へ渡っていく。
もう戻ってこない。
訂正もできない。
追加もできない。
ここから先。
保護者にできることは――何もない。
オルディス学園幼稚舎の選考基準は、公開されていない。
だから毎年、様々な噂が流れる。
兄姉が在園していれば有利。
両親が卒園生なら有利。
貴族は有利。
王都在住が有利。
志望理由は長い方がいい。
いや、簡潔な方がいい。
寄付をしている家は強い。
三歳で落ちた子は、四歳で優先される。
どれも、それらしい。
そして。
どれ一つとして、学園が認めたことはない。
ただ、ひとつ。
毎年必ず起きることがある。
――誰もが通ると思っていた子が、落ちる。
父親もオルディス卒。
母親もオルディス卒。
上の兄二人も在園している。
書類に不備はない。
家柄も申し分ない。
それでも。
不合格。
「……どうして?」
理由は分からない。
問い合わせても答えは同じ。
『選考結果に関する個別のお問い合わせには、お答えいたしかねます』
以上。
一方。
オルディスと何の縁もない家庭に、合格通知が届くこともある。
初めて応募した庶民の子。
卒園生の親族もいない。
特別な後ろ盾もない。
それでも――合格する。
だから余計に分からない。
何を見ているのか。
何が違ったのか。
どうすれば受かるのか。
誰にも分からない。
ただ。
オルディスには『選別の魔法』がある。
それだけが、まことしやかに語られていた。
応募締切から数週間。
王都のあちらこちらで、郵便が届くたびに誰かが玄関へ走った。
まだ。
今日も違う。
まだ来ない。
そして――。
ある日。
オルディス学園の紋章が刻まれた封書が届く。
選考結果通知。
合格者も。
不合格者も。
補欠者も。
同じ封筒。
同じ大きさ。
外から結果を知る術はない。
厚みを確かめる。
光に透かしてみる。
振ってみる。
何も分からない。
開けるしかない。
夫の帰宅を待つ家がある。
家族全員を呼び集める家がある。
誰にも見られず、一人で開ける家がある。
封筒を握ったまま、なかなか封を切れない者もいる。
そして。
開く。
「受かった!」
歓声が上がった。
母親が泣く。
父親が何度も読み返す。
家中の者が集まってくる。
合格。
あの真冬の夜から続いたすべてが、報われた。
同じ頃。
別の家でも封が切られていた。
静かだった。
何度読んでも。
文字は変わらない。
不合格。
「……そう」
それしか言えなかった。
三歳なら。
まだ来年がある。
もう一度、真冬の列へ並べる。
もう一度、整理券を取れる。
もう一度、応募できる。
あと一度だけ。
四歳なら――もう、ない。
オルディス学園幼稚舎が募集するのは、三歳と四歳。
五歳児の募集は行われない。
整理券を取った。
寒い夜を越えた。
書類も何度も確認した。
期限にも間に合った。
不備もなかった。
それでも。
落ちるときは、落ちる。
理由は知らされない。
翌年もない。
封書一枚でオルディス学園幼稚舎への道は、そこで終わる。
そして。
そのどちらでもない封書を手にした家庭もあった。
『補欠』
不合格ではない。
だが。
合格でもない。
『入園辞退等により欠員が生じた場合、順次入園をご案内いたします』
それだけ。
順位は書かれていない。
補欠が何人いるのかも分からない。
自分の前に何人いるのか。
そもそも欠員が出るのか。
何も分からない。
できることは――。
待つことだけだった。
数日後。
合格した家庭へ、再びオルディス学園から書類が届く。
今度は分厚い。
入園手続きの案内。
入園説明会の日程。
制服採寸。
学用品一覧。
入園式の案内。
そして。
請求書。
入園料。
授業料。
指定された期日までに、全額納付。
先払いである。
「…………」
請求書を見たまま、動かなくなる父親がいる。
「これ……払うんだよな?」
「……そうね」
「今?」
「そう書いてあるわね」
二人とも知っていた。
募集要項にも書いてあった。
授業料は、世帯収入のおよそ一割。
入園料は別。
制服も。
学用品も。
すべて知っていた。
ただ。
人気の幼稚舎だから、一度くらい挑戦してみよう。
受かるかどうかも分からないのだから。
そう思って応募した家庭もある。
そして――。
本当に受かってしまった。
「払えないわけじゃないのよね」
「ああ」
払える。
だが、安くはない。
これから毎年続く。
家族で出かける回数を減らせば。
外食を減らせば。
貯蓄を少し減らせば。
行かせることはできる。
だからこそ迷う。
「……どうする?」
合格通知を受け取った時には、あれほど嬉しかった。
それでも。
憧れと。
現実の生活は。
同じではない。
数日後。
一枚の紙に署名する家庭があった。
入園辞退届。
「……もったいないわね」
「ああ」
「受かったのにね」
「…………」
それでも。
封をした。
そして。
その一つの空席を待ち続けている家庭がある。
補欠。
朝、郵便が来る。
違う。
昼。
何も来ない。
翌日。
また待つ。
何日経っても、何も届かない。
四歳児の親ならこれが最後だった。
誰かが辞退すれば。
席が空けば。
もしかしたら。
そんなことを考えてしまう。
そして、考えた自分が嫌になる。
どこかの子どもが入園を諦めることを願っているのだから。
それでも――。
一人でいい。
あと、一人。
そう願わずにはいられなかった。
ある日。
オルディス学園の紋章が刻まれた封書が届いた。
「……オルディス」
震える手で封を切る。
『欠員発生に伴う入園許可のお知らせ』
何度も読む。
もう一度読む。
「……受かった」
声にならない。
「受かった……!」
母親は封書を胸に抱いた。
一つの家庭が手放した春が。
別の家庭へ届いた。
やがて、入園手続きを終えた家庭では。
制服が仕立てられる。
小さな靴が用意される。
学園紋が入った鞄。
そして春。
子どもたちは、憧れのオルディス学園幼稚舎の門をくぐる。
真冬の夜から始まった長い戦い。
整理券を手にした者。
手にできなかった者。
合格した者。
不合格だった者。
辞退した者。
そして。
最後の最後に、補欠から席を掴んだ者。
保護者たちは、それぞれの春を迎える。
ただ。
あの日。
それぞれの家庭に届いた一通の封書が。
幸せを運ぶ封書だったのか。
それとも。
不幸の始まりを告げる封書だったのか。
この時は、まだ誰にも分からない。
それを知るのは――。
ただ。
神のみぞ知る。




