三歳、春
きょうは、わたしにとって特別ないちにち。
カーテンを開けたら、窓から朝のおひさまがきらきら差し込んできた。
まるで、おひさままでわたしをお祝いしてくれているみたい。
そう。
今日は――入園式。
いつもお忙しい、おとーさまとおかーさまも、今日だけはお仕事をお休みしてくれた。
ふたりに手を引かれて、おとーさまの特別な馬車に乗り込む。
どこへ行くのかって?
それは――。
わたしの学園。
オルディス学園、幼稚舎。
今日から、わたしも学園に通う。
つまり――もう、子どもじゃない。
三歳だもの。
この日のためにお姉さんパンツを履く練習だってした。
だいじょうぶ。
今日からわたしも、立派な学生。
おとーさまとおかーさまみたいな大人になるための、最初のいっぽ。
昨日までのわたしとは、もう違うの。
今日から始まる。
新しい学園。
新しい先生。
新しいおともだち。
そして――。
もしかしたら、とっても素敵な出会いだって……。
「楽しみね」
おかーさまの声で、はっとする。
「うん。とっても」
おかーさまが微笑んで、わたしの頭を撫でようとした。
だけど、その手が触れる前に、わたしはそっと頭をよける。
「おかーさま」
「あら?」
「髪がくずれちゃう」
今日はいつもと違うの。
侍女のマリーが朝早くから、わたしの髪をとってもきれいに結ってくれた。
お気に入りのリボンもつけてもらった。
千鳥格子の、襟のないジャケットに、おそろいのスカート。
ジャケットの上には、真っ白なブラウスのフリルが幾重にも重なって、ふわふわと広がっている。
鏡の前で見たとき、ちょっぴり大人のお姉さまみたいだと思った。
だから今日は、絶対に汚さない。
お靴だって、ぴかぴか。
頭のてっぺんから、つま先まで完璧。
「……ごめんなさい」
おかーさまが手を引っ込める。
もう。
今日は入園式なのよ?
初めて会う人には、最初がだいじ。
おとーさまだって、いつもそう言ってる。
だから、ちゃんとしなくちゃ。
背筋を伸ばして。
お膝をそろえて。
ジャケットの裾をきれいに整えて。
お話するときは、相手のお顔を見る。
ごあいさつは、笑顔で。
だって今日から、わたしは――オルディス学園の学生なんだから。
「ずいぶん、お姉さんになったな」
向かいに座るおとーさまが言った。
胸の奥が、ぽっとあたたかくなる。
でも、ここで喜んじゃだめ。
大人の女の人は、こういうときに大騒ぎしたりしない。
「そう?」
わたしは、ちょっぴり首を傾げた。
それから窓の外へ顔を向ける。
完璧。
たぶん今のわたし、とっても大人っぽかった。
窓の向こうでは、見たことのない景色が流れていた。
王都の大きな建物が少しずつ減っていく。
緑が増えて。
空が広くなって。
春の光が、馬車の窓からきらきらと降り注ぐ。
なんだか、世界まで昨日とは違って見える。
これから、どんな毎日が始まるんだろう。
どんなおともだちができるんだろう。
どんな人たちと、出会うんだろう。
わたしの知らない世界が、この先で待っている。
胸が、どきどきする。
きっと今日から――。
わたしの新しい物語が始まるの。
……そういえば。
オルディス学園って、どこにあるんだろう。
…………。
まあ、いいわ。
大人の女は、細かいことを気にしないもの。
「見えてきたよ」
おとーさまの声に、窓の外を見る。
「わぁ……!」
思わず、声が出た。
緑いっぱいの丘の上。
春のおひさまの下に、真っ白な建物が見える。
高い塔。
大きな窓。
色とりどりのお花が咲く庭園。
絵本に出てくるお城みたい。
「あれが、オルディス学園だ」
「あれが……」
わたしの、学園。
胸が、どきどきする。
馬車は長い坂道を上って、大きな門をくぐった。
その先には、もっとすごい景色が広がっていた。
何台もの馬車。
きれいに着飾った、おとーさまとおかーさまたち。
そして――わたしと同じ制服を着た子が、いっぱい。
今日から、みんな同じ学生。
そう思ったら、なんだか急に緊張してきた。
だいじょうぶ。
わたしは三歳。
お姉さんパンツだって履いてる。
立派な学生なんだから。
馬車が止まる。
先に降りたおとーさまが、わたしへ手を差し出した。
その手を取って、ゆっくり馬車から降りる。
走らない。
飛び降りない。
大人の女は、馬車から降りるときだって優雅なの。
お靴が地面につく。
よし。
完璧。
「行こうか」
「うん」
おとーさまとおかーさまの間を歩いて、大きな校舎へ向かう。
その途中――。
「きゃあ!」
少し離れたところから、女の子の声が聞こえた。
「レオンさま!」
レオンさま?
誰だろう。
声のした方を見る。
わたしより少し大きなお姉さまたちが、何人も同じ方を見ていた。
「今日、レオンさまがお迎えなの?」
「スミレ組ですもの!」
「わたしもレオンさまにつけてもらいたかった……」
つけてもらう?
何を?
よくわからない。
でも――。
みんな、とっても嬉しそう。
「まあ」
隣で、おかーさままで足を止めた。
「あちら、エルグランド公爵家のご子息じゃない?」
「そうだな」
おとーさまも知ってるの?
そんなに有名な人なの?
わたしは、お姉さまたちの視線の先を追った。
そして――。
見つけた。
きらきら。
最初に目に入ったのは、おひさまの光を受けて輝く金色の髪。
わたしより、ずっと背が高い。
同じ千鳥格子のジャケットなのに、なんだか全然違って見える。
胸には、紫色のお花。
スミレ組の組章。
その人の周りだけ、春のおひさまがいっぱい集まっているみたい。
風が吹いた。
金色の髪が、さらりと揺れる。
花びらが一枚、目の前を横切った。
その向こうで――。
レオンさまが、笑った。
……。
…………。
すてき。
絵本の王子さまみたい。
ううん。
王子さまより、すてきかも。
ぼんやり見つめていると、レオンさまがこちらを向いた。
目が、合った。
「――っ」
慌てて背筋を伸ばす。
髪、大丈夫?
フリル、曲がってない?
お靴、汚れてない?
だいじょうぶ。
さっき確認したもの。
頭のてっぺんから、つま先まで完璧。
なのに……。
レオンさまが――こっちへ歩いてくる。
え?
なんで?
後ろ?
わたしは、そっと振り返った。
誰もいない。
じゃあ。
もしかして――。
わたし?
一歩。
また一歩。
近づいてくる。
どうしよう。
ちゃんと、ごきげんようって言わなくちゃ。
笑顔で。
大人の女らしく。
昨日、おかーさまと練習したもの。
なのに。
レオンさまが目の前まで来ると、全部どこかへ飛んでいった。
「入園、おめでとう」
「……ぁ」
声が出ない。
わたし、どうしちゃったの?
レオンさまは、そんなわたしの前ですっと膝をついた。
目の高さが同じになる。
近い。
近い、近い。
金色の髪。
きれいな目。
長いまつげ。
笑ったお顔。
こんなに近くで男の人のお顔を見るなんて、初めて。
おとーさま以外。
レオンさまは、隣に置かれた籠から白いお花をひとつ取った。
それから、わたしを見つめて微笑む。
「胸元にコサージュをつけてもいいかな?」
――トゥンク。
わたしの小さな胸が、音を立てた。
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