私立オルディス学園
――オルディス学園。
その名を、この国で知らない者はいない。
王都から馬車で三十分。
緑豊かな丘陵地に広大な敷地を持つ、王国最高峰の教育機関。
白亜の校舎。
春には色とりどりの花が咲き誇る庭園。
王都を一望できる小高い丘。
大理石を敷き詰めた玄関ホールには、百年以上前から時を刻み続ける大時計。
歴代の卒業生には、宰相、大臣、将軍、学者、芸術家。
この国の歴史に名を残した人々が、数え切れないほどいる。
王侯貴族だけが通う場所ではない。
身分も。
家柄も。
生まれも。
ここでは関係ない。
才能ある者。
努力する者。
そして、この場所で学びたいと願う者。
オルディス学園は、すべての者に門戸を開いている。
――もっとも、その門をくぐることを許されるのは、ほんの一握りだけれど。
私は、ずっとこの学園に憧れていた。
初めてその名前を知ったのは、まだ幼い頃。
図書館で偶然手に取った本に、オルディス学園の写真が載っていた。
青空に映える白亜の校舎。
噴水の向こうに続く並木道。
胸元に銀色の紋章をつけ、笑い合う生徒たち。
いつか、ここへ行きたい。
この門をくぐりたい。
あの景色の中に立ってみたい。
ずっと、そう思っていた。
そして今日。
私は、その場所に立っている。
「……本当に、来たんだ」
目の前にそびえる、黒い鉄の門。
その中央には、蔦と百合を象った銀色の紋章が輝いている。
門の向こうには、写真で何度も見た並木道。
朝露に濡れた芝生。
風に揺れる花々。
その遥か先には、憧れ続けた白亜の校舎。
夢みたいだった。
新品の鞄を握る手に、少しだけ力が入る。
大丈夫。
今日から始まるんだ。
私の、新しい生活が。
そのときだった。
「危ない!」
「え?」
強い風が吹いた。
手にしていた書類が、一枚、空へ舞い上がる。
「あっ!」
慌てて追いかけようとした私より先に、一つの影が動いた。
舞い上がった紙を、掴む手。
「これ、君の?」
朝日に透ける、柔らかな金色の髪。
空を映したような青い瞳。
整った顔立ちに、優しげな微笑み。
胸元には、オルディス学園の銀色の徽章。
「は、はい。ありがとうございます」
「どういたしまして」
彼はにっこり笑った。
その笑顔に、思わず見惚れてしまう。
――綺麗な人。
「レオン!」
遠くから声が飛んできた。
「遅れるぞ」
振り向けば、木陰に一人の少年が立っている。
艶やかな黒髪。
眼鏡の奥には、夜空を思わせる深い紫色の瞳。
本を片手に、こちらを静かに見つめていた。
「今行くよ、アルベルト」
「まったく。朝から何をしている」
「困っている人がいたんだから仕方ないだろ?」
「君はいつもそうだ」
呆れたように言いながら、アルベルトと呼ばれた少年は私を見る。
視線が合った。
ほんの一瞬。
彼の紫色の瞳が細くなる。
「……見ない顔だな」
「え?」
「アルベルト!」
「事実を言っただけだ」
そう言って、彼は興味を失ったように本へ視線を戻した。
――なんなの、あの人。
第一印象、最悪。
「ごめんね。悪いやつじゃないんだ」
金髪の少年――レオンが困ったように笑う。
そのとき。
「どけぇぇぇぇ!」
「えっ!?」
今度は反対側から声がした。
ものすごい勢いで誰かが走ってくる。
赤い髪。
日に焼けた肌。
燃えるような琥珀色の瞳。
こちらへ一直線に突っ込んで――
「うわっ!」
私の目の前で急停止した。
「セーフ!」
「どこがセーフだ!」
アルベルトの冷静な声が飛ぶ。
「ぶつかってないだろ!」
「結果論だ」
「うるせーな!」
赤髪の少年はアルベルトを睨み、それから私に気づいた。
「ん?」
じっと顔を見られる。
「……誰?」
「え?」
「見たことない」
あまりにも遠慮のない視線に、思わず一歩下がる。
「カイル。女性をじろじろ見るものじゃないよ」
「なんで?」
「失礼だから」
「ふーん」
カイルと呼ばれた少年は、まだ私を見ている。
やがて、ニッと笑った。
「まあいいや。よろしくな!」
「え、ええ……」
なんなの、この人たち。
優しくて、誰にでも手を差し伸べるレオン。
冷静で、少し意地悪なアルベルト。
自由奔放で、真っ直ぐなカイル。
全然違う三人なのに。
なぜだろう。
どこか目を離せない。
「……あ」
さらにその向こう。
大きな樫の木の下に、もう一人いる。
銀色の髪。
白い肌。
長い睫毛。
まるで精巧な人形のような少年。
誰とも話さず。
誰とも目を合わせず。
ただ一人、木陰に座っている。
「あの人は……?」
私が尋ねると、三人の空気が変わった。
「……あいつには」
レオンが珍しく真剣な顔をする。
「近づかない方がいいよ」
「え?」
銀髪の少年が、ゆっくり顔を上げた。
目が合う。
淡い翡翠色の瞳。
瞬間。
なぜか、胸がざわめいた。
春の風が吹き抜ける。
花びらが舞う。
鐘の音が、白亜の校舎から響いてくる。
知らない場所。
知らない人たち。
何かが始まる。
そんな予感がした。
私はまだ知らない。
優しく微笑むレオンが、公爵家の嫡男であることも。
冷たい瞳のアルベルトが、宰相を祖父に持つことも。
自由奔放なカイルが、王国騎士団長の息子であることも。
謎めいた銀髪の少年が、誰にも言えない秘密を抱えていることも。
そして――
彼らとの出会いが。
私の人生を、大きく変えることになるなんて……。
大講堂に集められた在校生たちは、これから発表されるクラス分けに心をときめかせていた。
これから一年、共に歩む仲間たち。
そして、特別クラスの発表。
一人ずつ名前を呼ばれ、学園長みずからクラス章をつけていく。
「レオン・フォン・エルグランド」
「はい」
「アルベルト・フォン・クロイツ」
「はい」
「カイル・フォン・バルガス」
「はい」
「ルシアン・フォン・ノルディン」
「はい」
すごい。
さっき会った人たち、みんな特別クラスだなんて……。
次々と名前が呼ばれていく。
総勢二十名。
全員の名前が呼ばれた。
在校生たちの最前列に、クラス章をつけた面々が一列に並ぶ。
「それから、もう一人……」
学園長の声に、ざわめきが大きくなる。
「アンナ」
「はい」
私は椅子から立ち上がり、学園長の前に立つ。
「よろしく、頼みましたよ」
「頑張ります!」
大講堂に、自分の声が響いた。
緊張する。
でも、それ以上に嬉しかった。
私も最前列に並ぶ。
壇上から、副園長の大きな声が響いた。
「全員、起立。傾聴!」
ザッと立ち上がる音と、カッと踵を鳴らす音が聞こえる。
すごいところに来たんだ……。
「皆さん、新学期が始まりました」
学園長の穏やかな声が、大講堂に響く。
「今日から新しい一年が始まります。新しい仲間、新しい学び、そして新しい経験。皆さんには、これからたくさんの出会いが待っていることでしょう」
しん、と静まり返った大講堂。
誰一人、私語をする者はいない。
学園長の言葉に耳を傾けている。
「オルディス学園が大切にしているもの。それは、知識だけではありません」
学園長がゆっくりと在校生たちを見渡した。
「自ら考えること」
「自ら選ぶこと」
「他者と関わること」
「そして、自分の選択に責任を持つこと」
私は思わず背筋を伸ばした。
知っている。
何度も本で読んだ。
百年以上前、初代学園長が掲げた教育理念。
――子どもに、自由を。
「私たちは、皆さんに答えを与えるためにここにいるのではありません。皆さん自身が答えを見つけられるよう、その手助けをするためにいます」
胸が熱くなる。
これだ。
私が憧れていたオルディス学園だ。
「そして本年度も、二十名が特別クラスに選ばれました」
最前列に並んだ面々へ、視線が集まる。
「彼らは皆さんと同じ生徒であり、この学園の導き手です。困った時は彼らを頼り、共に問題を解決してください。お互いに敬いの心を忘れずに、共に切磋琢磨し、成長していく事を願っています」
「全員、礼」
最前列の二十名は、誰一人遅れることなく、一糸乱れぬ礼を見せた。
「では最後に、学園歌を斉唱し、新年度の式典を終えます」
副園長が前へ出た。
「全員、姿勢を正して!」
ザッ。
靴音が大講堂に揃って響く。
伴奏が始まる。
歴史ある学園歌が、大講堂いっぱいに響き渡った。
高い天井。
色鮮やかなステンドグラス。
そこから差し込む春の光。
胸に銀色の徽章を輝かせ、誇らしげに歌う在校生たち。
ああ、本当に……。
夢みたい。
歌が終わる。
学園長が一礼する。
「それでは皆さん。それぞれの教室へ移動してください」
「はい!」
大講堂に、元気な声が響いた。
式典が終わった。
私は大きく息を吐く。
振り返ると、レオンたちがいた。
今日から一年。
私は、この人たちと一緒に過ごす。
レオンが微笑んだ。
「ぼくたちの教室、こっちだよ」
「ありがとう。案内してくれるの?」
「もちろん!」
レオンが私の手を取った。




