今日は園歌です!
スミレ組の教室は、園舎の一番奥にある。
レオンは馬車から降りた後は、園内に変化はないか確認するようにゆっくりと歩く。
「レオンさまよ!」
「今日も麗しいわ」
「レオンさま、おはようございます!」
「みんな、おはよう」
にこやかに笑い、手を振ると女子園児の歓声があがる。
レオンは教室に入る。
幼稚舎手帳に今日の登園シールを貼り、自分のロッカーに鞄をしまうまでが、オルディス学園幼稚舎の朝のルーティンだった。
先に登園していたアルベルトが軽く手を挙げる。
レオンはそちらに向かう。
「おはよう」
「おはようございます」
アルベルトの膝には、分厚い本が開かれていた。
「何を読んでるんだ?」
「『北方戦役史』です」
アルベルトの眼鏡の奥が、きらりと光った。
「百二十年前に起きた北方諸侯戦争についてまとめられたものなのですが、一般には第三次北方戦役まであったとされています。しかし第一次と第二次を同一の戦役として扱うべきだという説もありまして、僕は当時の兵站記録と各諸侯の動員記録を照らし合わせる限り、それぞれ独立した戦役として考えるべきだと思うんです。そもそも第一次北方戦役の発端となったのは――」
「アル」
「はい」
「長い」
アルベルトは口を閉じた。
「……まだ最初のところです」
アルベルトに本の話を振ってはいけない。
レオンはこの三年で知っていた。
「それ、面白い?」
「非常に」
アルベルトは満足そうに本へ視線を戻した。
「ユリウス殿下は?」
「まもなく到着でしょう。今月は遅馬車さんです」
「そうか。今日の年少さんの予定は……」
「汽車ごっこをしながらの行進の練習です」
「……あー、あれか」
「ええ、午前中は監督に行かねば」
「そうだな……」
「我々は……せんせぃ!今日はナニするの?」
レオンは登園を見守っていたアンナに声をかける。
「レオン、さん。おはようございます」
「おはようございます」
レオンはペコリと頭を下げる。
「で?せんせぃ、今日の午前中はナニするの?」
「今日は、お歌です」
「うた?なんの??」
「園歌です」
「あー。……じゃあパスで」
「は?」
「僕達、じゅうようあんけんにむかわないといけないから」
「重要案件?」
「はい」
いつの間にか本を閉じたアルベルトが、レオンの隣に立っていた。
「年少組の汽車行進です」
「…………」
「今年度、初回です」
「…………」
「ですので、監督が必要です」
アンナは二人を交互に見た。
「あなたたちは、年長さんですよね?」
「はい」
「年少さんの先生ではありませんよね?」
「はい」
「では、お歌の時間はスミレ組で園歌を歌います」
レオンとアルベルトは顔を見合わせた。
「でも、せんせぃ」
「なんですか?」
「ボク、園歌うたえるよ?」
「僕も歌えます」
「……そういう問題ではありません」
レオンは首を傾げた。
「じゃあ、なんのためにうたうの?」
「…………」
ハッと思いついた顔をしたアンナが言う。
「先生は、あなた達のお歌を知りません。ぜひ聞きたいなぁー」
「……。うーん、それは今日じゃなくてもいいね」
「うん、それは理由にならない。それよりも汽車の方が重要」
「……。いやいやいや、お遊戯の時間よ?あなた達も」
「アーロンとカイルは、絶対きしゃにさんかするから、せんせぃよろしくね」
レオンが天使のような笑顔を振りまく。
「……はい」
「おい、レオン!おはよう!聞いたか?今日はきしゃごっこ初日って!」
「アーロン、おはよう!さっき聞いたよ」
「チビどもに、りっぱなこうしんを、たたきこまないとな!さいしょがかんじんだ!!」
「ちょっと、アーロン、さん?今日はスミレ組は園歌の練習ですよ?汽車ごっこじゃありません!」
「……!せんせぇ、せんせぇ『は』れんしゅうしろよ?オレはもうかんぺきの、ぺきだし!きょうは、だいじなしょにちなんだから、たちあいにいかないと!!」
「なんだ?なんだ?きょうはなんかあんのか?」
そこへカイルが加わった。
アルベルトが説明する。
「今日は、年少さんの汽車デビューだ。ちなみに、僕たちは園歌だ」
「おぅ!チビたちに、しゅうだんこうどうをたたきこまないとな!りっぱなきしになれないからな!さいしょがかんじんだ!」
「もういくか?」
「そうだな!」
アーロンとカイルがそわそわし始める。
「待ちなさい!出欠がまだでしょ?それにスミレさんは、今日はお歌ですよ?」
アンナは執念深く確認する。
そこへ女子園児たちが話に入ってきた。
「あら?せんせい、わがこうは、じゆうがモットーよ?まだごぞんじないのかしら?」
「それは、そういう意味じゃありません!」
「でも、せんせい。きょうは、殿下がしもじもの者におてをふるれんしゅうもふくまれていますのよ?」
「え?そうなの?殿下もするの?」
「……ハァー。あたりまえでしょ?こうしんはきほんのキだもの」
「じゃあ、あなたたち女の子は、園歌の練習を――」
「まあ!むりですわ!」
「なぜ!?」
「でんかが、おてをふるのに、えんどうにだれもいなかったら、れんしゅうにならないでしょう?」
「とにかく! まだ出欠を取っていません! 全員、自分の席に――」
「じゃあ、しゅっせきとったらいっていい?」
「そういう意味ではありません!」
「でも、せんせぇ、いま『まだ』っていったよ?」
「出欠確認が終了すれば、その問題は解消されますね」
うんうんと子どもたちが頷く。
「おそばしゃさん、もうすぐとうちゃくよ?みんなじゅんびしましょう」
「そうだな。みほんように、なわ、なわ……。なわとびのなわをくくろう!」
「わたしのをつかっていいわよ?」
「じゃあ、おれも……」
「ごほんぐらいでいいかしら?そっちむすべた?」
「……むすべない、とれちゃうぞ!」
「……ぶきっちょ!かして!」
「ありがとう」
縄を次々と結び一本の長い紐を作る。
そこから半分におりかえして端同士を結ぶ。
「5人入れる?」
「うん、ちょうどいい」
子どもたちは勝手にどんどん用意を続ける。
ちょうどその時、遅馬車に乗車していたルシアンが教室に入ってきた。
「……。あっ、きょう?」
「うん、殿下はいかがだった?」
「うん、はつとうえんに、すこしだけ泣いていたけど、園につく前に泣きやんだよ」
「そっか。じゃあ、いこうか!」
レオンが号令をかける。
「待ちなさい!出欠よ!全員座りなさい!」
「はーい」
「では、出欠を取ります。レオン・フォン・エルグランドさん」
「はい!」
「アルベルト・フォン・クロイツさん」
「はい」
「アーロン――」
「はいっ!!」
返事だけは、やたらといい。
アンナは名簿から顔を上げた。
なんなの。
どうしてこういうところだけ完璧なの。
そして全員の出欠が終わった瞬間、
「以上、全員出席――」
ガタッ。
一斉に立ち上がった。
「まだ何も言ってません!!」
「問題は解消されました」
アルベルトがそう言って、アーロンとカイルが縄を持って部屋を出ようとする。
「あっ!いいこと、おーもった!きしゃしながら、えんかうたえばいいんだよ!そしたら、せんせぃのかおもたつってもんよ!」
「あったまいー!!」
「それなら、せんせいもおこまりにならないわね」
誰もが教室から出て行こうとする。
アンナは言葉を失った。
子どもたちが、自分たちで考えている。
話し合い、役割を決め、問題が起これば解決策を出す。
昨日読み返した教育学の教科書なら、教師はここで子どもたちの自主性を尊重すべきだと書いてある。
書いてある。
確かに書いてある。
「……でも、なんか違う!!」
「歌は! みんなでちゃんと並んで歌うものです!」
「きしゃもならぶよ?」
「そういう意味じゃありません!!」
「早くいこう! ジョアンナ先生、去年は年中だったから、年少さんの基本のキを知らないよ!」
「それは、たいへんだ!いそげ!いそげ!」
「待ちなさいってば!」
「アンナ先生も一緒に来たらいいでしょ?いつか年少さんの担任になるかもしれないから一緒に教えます」
アンナにはアルベルトの顔に凄く面倒くさいと書いてあるのがみえた。
「……はい。よろしくお願いします」
何故か負けた気がする。




