園馬車
きょうから、ようちしゃ。
入園式とはちがう。
きょうは、おとうさまとおかあさまはいっしょに来ない。
せーふく。
せーぼー。
みんなとおそろいの、こん色のおんぶするカバン。
おくつは、きのうのピカピカじゃない。
あたらしい、走れるおくつ。
わたしひとりで、オルディスへ行くのだ。
「ハンカチは持った?」
「はい!」
「連絡帳は?」
「あります!」
「お着替えは? 替えのパンツは?」
「あります!」
おかあさまは、さっきから何度も同じことを聞いている。
「……おかあさま、わたしはもうあかちゃんじゃありません!」
わたしは、ちょっぴり胸を張った。
もう三さい。
おねえさんパンツだって、はいている。
ひとりでようちしゃくらい、行ける。
――カラカラカラ。
「あら。来たわよ」
「!」
道の向こうを見る。
おうま。
おうま。
おうま。
おうま。
まだいる。
「いち、にい、さん……?」
まだいる。
「…………いっぱい!」
その後ろには、とっても大きな馬車。
おとうさまの馬車より、ずっとずっと長い。
「あれが園馬車よ」
「わたしの?」
「そうよ。あなたをお迎えに来てくださったの」
「わぁ……!」
わたしをお迎えに来た、大きな馬車。
おうまも、いっぱい。
なんだか、おひめさまになったみたい。
園馬車が停留所の前でゆっくり止まった。
扉が開く。
しらないおじちゃまがおりてきた。
おおきい。
おとうさまみたい。
でも、ちょっとこわい。
お顔は……たかくて、よく見えない。
おなかのところが、お兄さまのずかんで見た、ナントカってムシみたい。
おじちゃまは、あたりをきょろきょろ見ている。
わたしとも目があった。
「……!」
おかあさまのうしろに、ちょっとだけかくれる。
すると、おじちゃまは何も言わずに馬車のそばへ立った。
「おはようございます」
女の人が降りてきた。
よかった。
せんせいだ。
おかあさまが、わたしの背中をそっと押す。
「ほら、ご挨拶」
「お、おはようございます!」
「はい。おはようございます」
せんせいが笑った。
「では、お預かりします」
「よろしくお願いいたします」
おかあさまの手を離す。
ちょっとだけ。
本当に、ちょっとだけ。
さみしい。
でも。
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
園馬車へ乗る。
中には、小さな椅子がたくさん並んでいた。
もう何人かのおともだちが座っている。
みんな、おそろいのふく。
おなまえのところについているバッヂだけ、みんなちがう。
「おはよう」
「おはよう!」
先生に教えてもらった席へ座る。
窓の外では、おかあさまが手を振っていた。
わたしも振る。
園馬車が動き出す。
おかあさまが小さくなる。
少しだけ胸がきゅっとした。
でも――。
ようちしゃには、レオンさまがいる。
「……えへへ」
今日も会える。
そう思ったら、さみしい気持ちはどこかへ飛んでいった。
園馬車は、次のおともだちを迎えに向かった。
※※※
八頭立ての大型園馬車。
オルディス学園幼稚舎が運行するこの馬車には、送迎を担当する教師とは別に、必ず一級冒険者が同乗している。
男も、その一人だった。
仕事は単純だ。
園児を、無事に学園まで送り届ける。
帰りは、保護者のもとへ無事に返す。
――ただ、それだけ。
だが。
その「ただそれだけ」のために、オルディスは徹底した備えをしている。
まずは、園馬車そのもの。
車体の側面に大きく刻まれた、オルディス学園の紋章。
あれは単なる学園章ではない。
オルディス神の加護を元に作られた、保護魔法陣である。
外部からの攻撃。
事故による衝撃。
火災。
客室内の急激な温度変化。
園児の生命に関わる異常。
それらを感知し、園児を守るための複数の術式が、園馬車全体に組み込まれている。
だが、魔法陣があるから安全なのではない。
御者は、大型馬車の運行経験を持つ学園専属の者。
送迎担当の教師は、園児の乗降、点呼、保護者への引き渡しを担当する。
さらに学園の敷地外で万が一の事態が起きた場合に備え、防御魔法を扱えることも送迎担当になる条件の一つだ。
そして、外部からの脅威に対処するのが、自分たち一級冒険者。
一級の資格を持っていれば、誰でもこの仕事に就けるわけではない。
身元。
経歴。
過去に受けた依頼。
犯罪歴。
金銭問題。
交友関係。
素行。
推薦人。
学園は徹底的に調べる。
腕が立つだけでは足りない。
幼い子どもの命を預けられる人物か。
そこまで認められて、ようやく園馬車の警護を任される。
そして。
備えは、人間と馬車だけではない。
園馬車を牽く八頭の馬。
体格。
脚力。
持久力。
気性。
すべて厳しい基準を満たした馬だけが選ばれる。
人混み。
大きな音。
突然の飛び出し。
魔物の気配。
不測の事態が起きても容易に怯えず、御者の指示に従えるよう十分な訓練を受けている。
その能力は、軍馬にも匹敵する。
ただし。
この馬たちに求められているのは、敵へ向かって駆ける勇猛さではない。
何が起きても暴走しないこと。
園児を乗せた馬車を、安全に目的地まで運ぶこと。
それが最優先される。
そこまで徹底する理由は、園馬車に乗る子どもたちにある。
オルディスは、身分によって園児を分けない。
商人の子。
職人の子。
貴族の子。
そして、ときには王族の子もいる。
誰が乗っていようと関係ない。
園馬車へ乗った時点で、全員が同じオルディスの園児だ。
だから警護の水準も変えない。
王族が乗る日だけ護衛を増やすこともない。
庶民の子だけの日だから減らすこともない。
毎日。
すべての園馬車を同じ基準で守る。
それがオルディスのやり方だった。
過去には、園馬車を狙った誘拐未遂もあった。
金になると考えたのだろう。
だが、事情を知る者ならまず狙わない。
保護魔法陣を突破する。
防御魔法を扱う教師を突破する。
一級冒険者を突破する。
軍馬にも匹敵する八頭の馬が牽く大型園馬車を、止める。
そこまで成功したとしても、攫った園児次第では単なる誘拐では済まない。
王族が一人でも含まれていれば、国家に弓引いたと判断される可能性すらある。
あまりにも割に合わない。
あの学園紋を見た時点で引き返す程度の判断力は持つべきだ。
もっとも。
それでも来る者はいる。
だから、自分たちがいる。
男は窓の外へ視線を向けた。
前方。
異常なし。
後方。
追跡する者なし。
屋根。
路地。
建物の陰。
通行人。
魔力の不自然な動きもない。
異常なし。
保護魔法陣があるから。
教師がいるから。
一級冒険者がいるから。
だから絶対に安全なのではない。
一つが破られたなら、次の一つが守る。
それも破られたなら、その次が守る。
何重にも備える。
この世界に、絶対の安全など存在しない。
オルディスは、それを知っている。
だからこそ、子どもの命に関わるところだけは徹底する。
それもまた、この学園が多くの保護者から支持される理由の一つだった。
園馬車が速度を落とす。
次の停留所だ。
男は先に降りた。
前方。
後方。
周囲の建物。
不審な人物はいない。
魔物の気配なし。
停留所には、母親と一人の男児。
異常なし。
送迎担当の教師が降りてくる。
「おはようござい――」
「い゛や゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
男は振り返った。
「マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
――異常発生。
「ほら、先生がお迎えに来てくださったわよ」
「い゛か゛な゛い゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛!!」
男児は母親の腰に両腕を回し、全身でしがみついている。
対する母親は、困ったように笑っていた。
「昨日まで、あんなに楽しみにしていたじゃない」
「き゛ょ゛う゛は゛い゛か゛な゛い゛ぃ゛ぃ゛!!」
「…………」
昨日と今日の間に、何があったのだろう。
男には分からない。
しかし、教師はまったく動じなかった。
母親と教師は、なぜか笑っている。
「お預かりしますね」
「すみません。よろしくお願いいたします」
「はい。大丈夫ですよ」
教師が男児の脇へ両手を入れた。
「マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
持ち上げる。
「マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
高い。
母親よりも高い位置まで、一気に上がった。
男児の両腕は、なおも母親へ伸びている。
両脚は後方へ。
ぴん。
身体が、ほぼ水平になった。
「…………」
屈強な教師の腕の上で。
男児が泳いでいる。
園馬車の窓から、小さな声がした。
「……にんぎょ?」
続いて。
「捕まったにんぎょ、だねぇ」
「おっきい」
「マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
確かに。
人魚に見えた。
「それでは、お預かりします」
「よろしくお願いします」
母親が手を振る。
「いってらっしゃい」
「マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
男児も母親へ手を伸ばしたまま、ぶんぶんと振った。
「…………」
別れの挨拶はするらしい。
母親がとうとう噴き出した。
教師は人魚を抱えたまま園馬車へ戻ってきた。
「こちらへ座りましょうね」
「マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
座席へ座らせる。
「マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
扉が閉まる。
「マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
園馬車が動き出す。
八頭の馬の耳が、ぴくりと動いた。
だが、歩調は乱れない。
先頭の一頭など、一度だけちらりと後方を見ただけだった。
――ああ。今年も始まったか。
男には、そんな顔をしているように見えた。
「マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
馬は前を向いた。
園馬車は進む。
次の停留所へ着く。
「マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
さらに次。
「マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
男は周囲の警戒を続けた。
不審者なし。
魔物の気配なし。
追跡者なし。
保護魔法陣、正常。
八頭の馬、異常なし。
園児一名。
大号泣。
――異常なし。




