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第5話 村に魔物が来る

 森の奥で、黒い影が揺れた。


 俺はすぐに叫んだ。


「全員、広場へ下がれ!」


 村人たちがざわつく。


「ま、魔物ですか?」


「いいから下がれ! 子どもと病人を先に!」


 怒鳴りそうになって、慌てて声を抑えた。


 駄目だ。

 悪役貴族みたいに怒鳴るな。


 でも、今は急がないといけない。


 セシリアがすぐに動いた。


「皆さん、落ち着いてください。レオン様の指示に従えば大丈夫です」


 その一言で、村人たちの動きが少し整った。


 さすが公爵令嬢。

 俺より説得力がある。


「騎士団長!」


「はっ!」


「森側に盾を並べろ。槍はその後ろだ。絶対に村の中へ入れるな」


「承知しました!」


「弓を使える者は屋根に上がれ。狙うのは足だ。倒すより、止めることを優先しろ」


 騎士たちが走る。


 前世で戦闘経験などない。

 剣も魔法も、まだ少ししか扱えない。


 だが、分かることはある。


 相手を村に入れたら終わり。

 守る場所を決める。

 逃げ道を作る。

 無理に格好つけない。


 それだけだ。


 森の木々が大きく揺れた。


 次の瞬間、黒い獣が飛び出してくる。


 狼に似ていた。

 ただし、普通の狼より大きい。

 背中から黒い煙のようなものが出ている。


「黒牙狼だ!」


 騎士の一人が叫ぶ。


 黒牙狼。


 原作にも出てきた魔物だ。

 素早いが、足を止められると弱い。


 確か、そういう設定だった。


 助かった。

 覚えている。


「足を狙え! 胴体は狙うな!」


 俺が叫ぶと、屋根の上から矢が飛んだ。


 一本目は外れる。

 二本目が黒牙狼の前足に刺さった。


 魔物の動きが鈍る。


「今だ! 盾で押さえろ!」


 騎士たちが一斉に前へ出る。


 黒牙狼が牙をむき、盾にぶつかった。


 重い音がした。


 騎士が一人、後ろへ下がる。


 まずい。


 そう思った瞬間、視界が少しだけ歪んだ。


 黒牙狼が左へ跳び、盾の隙間から村へ抜ける未来が見えた。


「左をふさげ!」


 俺は反射的に叫んだ。


 騎士団長が即座に動く。


「左だ! 詰めろ!」


 騎士たちが盾を寄せた。


 直後、黒牙狼が左へ跳ぶ。


 だが、そこにはもう盾があった。


 黒牙狼が弾かれる。


「槍!」


 三本の槍が突き出された。


 黒牙狼の体が止まる。


 騎士団長が剣を振り下ろした。


 黒い魔物は、地面に倒れた。


 静かになった。


 村人たちは息をのんでいる。


 俺も息を止めていたことに気づいた。


 倒した。


 村には入れていない。

 怪我人もいない。


 よし。


 破滅フラグ、一本折れた。


 そう思った時、森の奥からまた音がした。


 もう一匹か。


 いや、違う。


 音が多い。


「若様、まだ来ます!」


 騎士団長が叫ぶ。


 黒牙狼が三匹、森から姿を現した。


 俺は喉が乾くのを感じた。


 多い。


 だが、村に入れるわけにはいかない。


「同じだ! 足を止めろ! 一匹ずつ倒す!」


 騎士たちが構え直す。


 セシリアが村人たちをさらに奥へ誘導している。


「皆さん、広場の中央へ。子どもたちを囲んでください」


 落ち着いた声だった。


 村人たちがその声に従う。


 助かる。


 俺だけでは、絶対に混乱していた。


 黒牙狼が同時に走り出した。


 速い。


 でも、来る方向は分かっている。


 《最悪予測》が、ほんの少し先の失敗を見せる。


 一匹目は正面。

 二匹目は右の柵を飛び越える。

 三匹目は、屋根の上の弓兵を狙う。


「右の柵! 弓兵は伏せろ!」


 俺が叫ぶ。


 騎士たちが反応する。


 右へ向かった黒牙狼は、待ち構えていた槍に足を止められた。


 屋根へ跳んだ一匹は、伏せた弓兵を見失い、体勢を崩す。


「今だ!」


 騎士団長たちが一匹ずつ仕留めていく。


 最後の一匹が、俺の方へ走ってきた。


「若様!」


 バルトの声が聞こえた。


 逃げたい。


 ものすごく逃げたい。


 だが、ここで逃げたら、後ろには村人がいる。


 俺は腰の剣を抜いた。


 手が震える。


 格好つけている場合ではない。


 倒せなくてもいい。

 止めればいい。


 黒牙狼が飛びかかってくる。


 その瞬間、横から白い光が走った。


 魔物の足元に光の壁が生まれる。


 黒牙狼が弾かれて転ぶ。


「レオン様!」


 セシリアだった。


 彼女の手には、小さな魔法陣が浮かんでいる。


 そうだ。


 セシリアは防御魔法が得意だった。


 原作でも、王子を守る役だった。


 今は、俺を守ってくれた。


「助かった!」


 俺はすぐに叫ぶ。


「騎士団長、今だ!」


「はっ!」


 騎士団長の剣が、最後の黒牙狼を倒した。


 今度こそ、森は静かになった。


 しばらくして、安全が確認された。


 怪我人はいない。


 村人は全員無事。


 騎士も軽い打ち身だけだった。


 俺はその報告を聞いて、心底ほっとした。


 よかった。


 本当に、よかった。


 すると、村人たちが一斉にひざまずいた。


「若様……!」


「若様がいなければ、村は終わっていました!」


「ありがとうございます!」


 やめろ。


 そんな大げさにしないでくれ。


 俺は未来を見たから動いただけだ。


 しかも、自分が断罪されたくないからだ。


 でも、村人たちの顔には涙があった。


 子どもを抱えた母親が、何度も頭を下げている。


 その姿を見ると、胸の奥がまた熱くなった。


 俺は咳払いする。


「無事でよかった。だが、まだ安心はできない。森の見回りを増やす。水路の修理も進める」


「はい、若様!」


 村人たちの返事は明るかった。


 俺はセシリアの方を見る。


「君も助かった。さっきの魔法がなければ危なかった」


「いいえ」


 セシリアは首を横に振った。


「私は少し手を貸しただけです。村を救ったのは、レオン様です」


「いや、俺は……」


「何も起こっていない時から危険に気づき、村人を集め、騎士を配置し、魔物を村に入れなかった」


 セシリアはまっすぐ俺を見た。


「あなたは、本当に領民を守る方なのですね」


 その言葉に、俺は何も言えなくなった。


 違う。


 俺はただ、破滅したくないだけだ。


 でも。


 村人たちが無事だったことに、心から安心している自分もいた。


 その時、村の奥で小さな子どもが叫んだ。


「若様、ありがとう!」


 周りの大人たちも笑った。


 セシリアも、少しだけ微笑んでいた。


 俺は視線をそらしながら、ぼそりと言う。


「……次からは、もっと早く備える」


 これが精一杯だった。


 悪役貴族らしくない言葉だと思う。


 でも、もういい。


 悪役らしくしていたら、俺は死ぬ。


 なら、悪役らしいことは全部やめる。


 その方が、きっと生き残れる。


 たぶん。


 たぶんだが。


 俺はそう信じることにした。

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