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第48話 王子、揺らぐ

 断罪舞踏会の翌朝。


 王宮の一室で、王子アルベルトは一人で書類を見ていた。


 昨夜の報告書。


 偽造された帳簿。

 リリアに渡された証言台本。

 学園での濡れ衣事件。

 王都貴族による物資停止。

 グランヴェル家の古い記録。


 どれも、彼にとって受け入れがたいものだった。


 レオン・グランヴェルは悪だ。


 そう教えられてきた。


 グランヴェル家は危険な家だ。


 そう聞かされてきた。


 だから、自分は正しいことをしていると思っていた。


 悪を暴く。


 民を守る。


 セシリアを救う。


 そのはずだった。


 だが、昨夜の舞踏会で見たものは違った。


 レオンは怒鳴らなかった。


 証拠で反論した。


 セシリアは、自分の意思でレオンの隣に立った。


 リリアは、偽証を拒んだ。


 そして、エドガーは証拠を作っていた。


「……私は、何を見ていた」


 アルベルトは小さくつぶやいた。


 その声には、初めて迷いがあった。


 扉が叩かれた。


「入れ」


 入ってきたのは、宰相クラウス・ヴァーレンだった。


 いつも通り、落ち着いた表情をしている。


「殿下。昨夜はお疲れ様でございました」


「宰相」


 アルベルトは書類から顔を上げる。


「昨夜の件、どう見る」


「グランヴェル家は、やはり危険です」


 即答だった。


 あまりにも迷いがない。


 以前なら、その言葉を当然のように受け入れていただろう。


 だが、今は違った。


「証拠は崩れた」


「今回用意した者たちが未熟だっただけです」


「偽の証言まであった」


「正義のために、焦った者がいたのでしょう」


 アルベルトの眉が動く。


「正義のためなら、偽証も許されるのか」


 宰相は一瞬だけ黙った。


 ほんの一瞬。


 だが、アルベルトはそれを見逃さなかった。


「もちろん、許されません」


「では、なぜエドガーたちはあそこまでした」


「グランヴェル家を危険視していたからでしょう」


「誰が、そう思わせた」


 部屋の空気が変わった。


 宰相は穏やかな顔のまま、目だけを少し細めた。


「殿下。それは、王国の歴史が示しております」


「その歴史に疑いが出た」


「古文書の一つや二つで、揺らぐものではありません」


「だが、調べる価値はある」


 アルベルトは立ち上がった。


「私は、グランヴェル家を裁くつもりだった。だが、偽の証拠で裁くつもりはない」


 宰相は深く頭を下げた。


「殿下はお優しい。ですが、悪は時に、善人の顔をいたします」


「その言葉は、昨夜も聞いた」


 アルベルトの声が低くなる。


「そして、その言葉でリリアは偽証を迫られた」


 宰相は答えなかった。


 静かな沈黙。


 それが、逆に答えのように感じられた。


 一方そのころ。


 俺は王宮の控え室で、帰領の準備を進めていた。


 断罪舞踏会の後始末など、本当なら山ほどある。


 だが、それどころではない。


 北の封石が崩れる。


 《最悪予測》は、はっきりそう見せた。


 領地へ戻る必要がある。


 できるだけ早く。


「若様。馬車の手配は整いました」


 バルトが報告する。


「早馬は?」


「昨夜のうちに出しております。森の石碑、古井戸、村の教会を見張るよう伝えました」


「祈堂の手がかりは?」


「古老に確認するよう命じております」


 さすがバルト。


 動きが早い。


 俺はうなずいた。


「王宮には、正式な帰領願いを出す」


「許可が下りるでしょうか」


「下りなくても戻る」


 そう言うと、セシリアが少し目を丸くした。


「レオン様。それは少し危険です」


「分かっている。だが、封石が崩れたらもっと危険だ」


 王都の許可を待って、領地が壊れては意味がない。


 俺はもう、そこだけは譲れなかった。


 セシリアは静かにうなずく。


「では、許可が下りるよう私も動きます。父にも連絡を」


「助かる」


「私は、あなたの隣にいると決めましたから」


 その言葉は、何度聞いても心強い。


 俺は少しだけ息を吐いた。


「断罪が止まったと思ったら、今度は北の封石か」


「休む暇がありませんね」


「本当にない」


 だが、不思議と逃げたいとは思わなかった。


 怖い。


 かなり怖い。


 でも、戻らなければならない。


 そこに、俺の領地がある。


 守りたい人たちがいる。


 その時、扉が叩かれた。


 入ってきたのは、王子アルベルトだった。


 バルトが警戒する。


 セシリアも表情を引き締めた。


 俺は立ち上がる。


「殿下」


「レオン。少し話がある」


「ここでよろしければ」


 王子は部屋に入り、しばらく黙っていた。


 昨日までのような強い敵意はない。


 だが、迷いと警戒はある。


「君は、領地へ戻るつもりか」


「はい」


「北の封石が危ないと聞いた」


 もう耳に入ったのか。


 王宮の情報網は早い。


「最悪の可能性です」


「また最悪か」


「はい」


 王子は苦い顔をした。


 だが、今回は笑わなかった。


「君のその最悪は、何度も当たっている」


「……偶然です」


「本当に偶然か?」


 俺は答えられなかった。


 《最悪予測》のすべてを話すには、まだ危険が大きい。


 だが、王子は追及しなかった。


「私は、君を疑っていた」


「知っています」


「君の行いを、すべて悪く見ていた」


「それも知っています」


「……腹が立つ言い方だな」


「すみません」


 王子は少しだけ苦笑した。


 初めて見る表情だった。


 敵意だけではない。


 迷っている人間の顔。


「昨夜の証拠については、再調査する」


「ありがとうございます」


「エドガーにも処分が下るだろう」


「当然だと思います」


「容赦ないな」


「偽証を強要したなら、中途半端に許すべきではありません」


 そこは譲れない。


 悪者をなあなあで済ませれば、また同じことが起きる。


 王子はうなずいた。


「分かった」


 そして、少し間を置いて言った。


「北へ戻るなら、王宮騎士を少数つける」


 俺は驚いた。


「監視ですか?」


「半分はな」


 正直だ。


「もう半分は、もし君の言う最悪が本当なら、王国の問題だからだ」


 王子は俺を見た。


「私はまだ、君を完全に信じたわけではない」


「承知しています」


「だが、偽の証拠で君を裁つつもりもない」


 その言葉は、たぶん王子にとって大きな一歩だった。


 俺は一礼する。


「感謝します」


「感謝されることではない。私は、間違えたかもしれないだけだ」


 王子は苦しそうに言った。


「それを確かめる」


 そう言って、彼は部屋を出ていった。


 扉が閉まると、バルトが低く言った。


「殿下が、揺らいでおられますな」


「ああ」


 セシリアも静かにうなずく。


「宰相閣下との間に、亀裂が入ったのかもしれません」


「なら、利用できる」


 そう言ってから、少しだけ自分で嫌になった。


 だが、今は綺麗ごとだけでは生き残れない。


 王子が宰相の言葉を疑い始めたなら、それは大きい。


 敵を減らす機会だ。


 いや、味方にまではならなくてもいい。


 少なくとも、 blindly こちらを断罪しようとする王子ではなくなれば、それで十分だ。


「若様」


 バルトが首をかしげる。


「今、何か妙な言葉を」


「気のせいだ」


 前世の言葉が混じった。


 危ない。


 セシリアが少し笑っている。


 見逃してほしい。


 俺は机の上の地図を広げた。


 グランヴェル領。


 北の森。


 古井戸。


 まだ見つかっていない祈堂。


 そして、封石。


「まずは戻る」


 俺は言った。


「王子が迷っている間に、北の最悪を止める」


 セシリアが隣に立つ。


 バルトが深く頭を下げる。


 断罪舞踏会は終わった。


 王子は揺らいだ。


 宰相の影はまだ濃い。


 だが、次の舞台は王都ではない。


 俺の領地だ。


 俺は地図の北を指で押さえた。


「今度は、グランヴェル家が守ってきたものを確かめる」

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