第38話 悪役貴族ではなく救済者
濡れ衣事件の翌日。
学園の空気は、明らかに変わっていた。
廊下を歩くと、以前より視線を感じる。
ただし、冷たい視線だけではない。
「グランヴェル卿だ」
「実技試験で最高評価だったらしいぞ」
「濡れ衣を着せられかけたのに、騒がなかったんだって」
「平民の特待生も助けていたよな」
聞こえている。
かなり聞こえている。
だが、悪い噂だけではない。
俺は内心で少し戸惑っていた。
悪役貴族として見られていたはずなのに、今は違う。
警戒はある。
だが、興味もある。
そして少しの好意もある。
どう反応すればいいか分からない。
「レオン様」
隣を歩くセシリアが微笑んだ。
「少しずつ、皆さんがあなたを見直していますね」
「落ち着かない」
「なぜですか?」
「見られるのに慣れていない」
「以前から目立ってはおられましたよ」
「悪い意味でだろう」
そう言うと、セシリアは困ったように笑った。
否定しないのか。
いや、否定できないのだろう。
原作のレオンの悪評は、それほど強い。
教室へ入ると、トーマスが駆け寄ってきた。
「グランヴェル様!」
「走るな」
「あっ、すみません!」
トーマスは慌てて足を止めた。
以前なら、俺の前に出るだけで青ざめていた。
今は違う。
かなり緊張しているが、それでも自分から話しかけてくる。
「昨日のこと、聞きました。不正の濡れ衣をかけられたって」
「ああ。先生が調べてくれた」
「でも、グランヴェル様は怒らなかったんですよね」
「怒っても、証拠が増えるわけじゃないからな」
そう答えると、トーマスは目を輝かせた。
「すごいです……!」
やめろ。
そんな目で見るな。
俺はただ、怒ったら悪役になるから我慢しているだけだ。
だが、トーマスは本気で感心している。
「僕、グランヴェル様みたいになりたいです」
「それはやめた方がいい」
「えっ?」
「心配性になるぞ」
トーマスは一瞬きょとんとして、それから笑った。
周囲の生徒も少し笑う。
悪い笑いではなかった。
教室の空気が、ほんの少し柔らかくなる。
不思議だ。
俺が少し前まで恐れていた場所とは、少し違って見えた。
授業のあと、オルド先生に呼ばれた。
何かまた問題かと思ったが、違った。
「グランヴェル」
「はい」
「昨日の対応は冷静だった」
「ありがとうございます」
「濡れ衣を着せられれば、普通は怒る。だが、お前は証拠を先にそろえた」
「怒っても不利になると思いましたので」
「それを分かっていても、実行できる生徒は少ない」
オルド先生は、珍しく少しだけ表情をやわらげた。
「実技試験の判断も含め、私はお前を評価している」
教師からの評価。
これは大きい。
学園での悪評を変えるには、生徒の噂だけでは足りない。
教師が認めてくれれば、かなり助かる。
「ありがとうございます。今後も問題を起こさないようにします」
「問題を起こすな。だが、問題を防ぐことは続けろ」
「はい」
その言葉は、少し嬉しかった。
問題を防ぐ。
俺がずっとやってきたことだ。
破滅したくないから始めたこと。
だが、教師にはそれが評価されている。
俺は少しだけ肩の力が抜けた。
昼休み。
食堂に入ると、平民や下級貴族の生徒たちが軽く頭を下げてきた。
以前は避けられていた。
今は、少し違う。
「グランヴェル卿、こちら空いています」
下級貴族の生徒が声をかけてきた。
俺は少し迷った。
上級貴族の席に座れば、いつもの流れだ。
だが、今声をかけてくれた相手を無視するのも違う。
俺はセシリアを見る。
彼女は微笑んでうなずいた。
「では、そこに座らせてもらう」
俺がそう言うと、その生徒は驚いた顔をした。
まさか本当に来るとは思っていなかったのだろう。
席に着くと、周囲がざわついた。
王子派の上級貴族たちは、面白くなさそうにこちらを見ている。
エドガーなど、露骨に顔をしかめていた。
だが、俺は気にしないことにした。
昼食くらい、落ち着いて食べたい。
「レオン様」
セシリアが隣で小さく言う。
「また少し、味方が増えましたね」
「敵も増えた気がする」
「それでも、悪いことではありません」
そうかもしれない。
全員に好かれる必要はない。
ただ、俺を悪役と決めつける空気を壊せればいい。
それだけで、断罪イベントは起こしにくくなる。
俺はスープを飲みながら、食堂を見回した。
悪役貴族として孤立するはずだった学園。
だが今は、少しずつ味方が増えている。
そのころ。
食堂の反対側で、エドガーが低くつぶやいた。
「なぜだ」
隣の取り巻きは黙っている。
昨日の濡れ衣事件で、王子派の信用は落ちた。
無理に動けば、また失敗する。
その空気が広がっている。
「平民まで、あいつを慕っている」
エドガーの声には苛立ちがあった。
「悪役貴族のくせに」
そこへ、リリアが近づいてきた。
「エドガー様」
「何だ?」
「グランヴェル様は、本当に悪い方なのでしょうか」
エドガーは顔をしかめる。
「君まで、あいつに騙されるのか」
「騙されているわけでは……ただ、助けられた人が多いので」
「だからこそ危険なんだ」
エドガーは低く言った。
「悪人ほど、善人の顔を作る」
リリアは黙った。
その表情は、完全には納得していない。
だが、迷いはあった。
その迷いを、食堂の入口から王子アルベルトが見ていた。
彼の顔は険しい。
レオンへの疑い。
王子派への不信。
周囲の空気の変化。
すべてが、彼の中で重なっているようだった。
食事を終えたあと、俺は食堂を出た。
廊下に出た瞬間、視界が揺れる。
《最悪予測》。
見えたのは、夜の大広間。
きらびやかな舞踏会。
王子アルベルトが俺を指さす。
『レオン・グランヴェル! 貴様の罪をここに暴く!』
周囲の貴族たち。
泣きそうな誰か。
そして、床に散らばる偽の証拠。
【断罪舞踏会の準備が進んでいます】
俺は息をのんだ。
来た。
ついに来た。
原作最大の破滅イベント。
断罪舞踏会。
まだ先だと思っていた。
だが、準備はもう始まっている。
「レオン様?」
セシリアが心配そうに俺を見る。
俺はゆっくり息を吐いた。
「大きな破滅フラグが見えた」
「……何ですか?」
「断罪舞踏会だ」
セシリアの表情が変わる。
俺は拳を握った。
学園で味方は増え始めた。
王子派の罠もいくつか潰した。
だが、敵はまだ諦めていない。
むしろ、最後の舞台を用意し始めている。
「セシリア嬢」
「はい」
「証拠を集める。今度は、こっちから先に動く」
もう、ただ破滅イベントを避けるだけでは足りない。
断罪の場そのものを、反転させる。
俺はそう決めた。




