第35話 セシリア、静かに嫉妬する
図書室で古い地図を見つけた翌日。
俺は、学園の中庭で地図の写しを確認していた。
北門。
古いグランヴェル家の紋章。
王都より大きく描かれた辺境。
何度見ても、今の王国地図とは違う。
昔の王国では、グランヴェル領がかなり重要な場所だった。
それだけは間違いない。
「レオン様」
隣に座るセシリアが、静かに声をかけてきた。
「少し休まれては?」
「休んでいるつもりだ」
「地図を見ながらですか?」
「座っているから休憩だ」
「それは休憩とは言いません」
セシリアに正論で刺された。
言い返せない。
前世でも、休憩中に仕事のメールを見ていた。
そして上司に追加の仕事を投げられた。
今もあまり変わっていない。
悪役貴族になっても、仕事癖は抜けないらしい。
「分かった。少し地図から離れる」
俺は地図をたたんだ。
すると、セシリアは満足そうにうなずく。
その仕草が少し可愛かった。
いや、可愛いとか思っている場合ではない。
ここは学園だ。
油断すると、すぐ破滅イベントが生える。
そう思った直後だった。
「グランヴェル様」
聞き覚えのある声がした。
振り向くと、リリア・ノートンが立っていた。
栗色の髪を揺らし、手には本を抱えている。
また来た。
なぜ来る。
いや、中庭にいるだけなら偶然かもしれない。
だが、俺に声をかけてきた時点で偶然ではない。
「リリア嬢。何か用か?」
「昨日の図書室では失礼しました。少し、お礼を言いたくて」
「礼?」
「トーマスさんのことです。食堂でも、廊下でも、助けてくださいましたよね」
「あれは大したことじゃない」
「でも、彼はとても感謝していました」
リリアはにこりと笑った。
「グランヴェル様は、噂と違ってお優しい方なんですね」
またその言い方だ。
褒めている。
だが、周囲に聞かせているようにも聞こえる。
中庭には、他の生徒もいる。
俺は短く答えた。
「困っている生徒がいたから手を貸しただけだ」
「それが素敵だと思います」
やめてくれ。
その言葉は、火種になりそうだ。
俺はすぐに距離を取ろうとした。
「用がそれだけなら――」
「レオン様」
セシリアが、俺の言葉を遮った。
声は穏やかだった。
だが、いつもより少しだけ低い。
「そろそろ、次の授業の準備をいたしましょう」
「あ、ああ」
俺はすぐにうなずいた。
助かった。
いや、助かったのか?
セシリアの表情は笑っている。
だが、目が少しだけ笑っていない。
これは、もしかして。
嫉妬か。
いや、決めつけるな。
俺にそんな都合のいいことがあるわけがない。
リリアはセシリアを見て、少しだけ首をかしげた。
「セシリア様は、本当にレオン様と仲がよろしいのですね」
「はい」
即答だった。
「私はレオン様の婚約者ですから」
また強い。
かなり強い。
リリアは一瞬だけ黙り、それから笑った。
「素敵です。私も、そういう関係に憧れます」
「そうですか」
セシリアは微笑んだまま答える。
会話は丁寧だ。
だが、空気は少し冷たい。
俺の胃が痛くなる。
リリアは軽く礼をした。
「お邪魔してすみません。それでは」
そう言って、去っていった。
リリアが離れると、セシリアは静かに息を吐いた。
「レオン様」
「はい」
なぜ敬語で返した、俺。
「リリア様には、お気をつけください」
「ああ。俺も警戒している」
「そういう意味だけではありません」
「そういう意味だけではない?」
聞き返すと、セシリアは少し目を伏せた。
「レオン様は、困っている方を放っておけません」
「そうか?」
「はい。トーマス様も、村の方々も、孤児院の子どもたちも。皆、あなたが助けました」
「成り行きだ」
「その成り行きで、皆さんがあなたを慕うのです」
セシリアは小さく言った。
「そこが、少し困ります」
心臓が跳ねた。
やはり嫉妬なのか。
いや、まだ分からない。
でも、彼女の頬は少し赤い。
「セシリア嬢」
「はい」
「俺が一番信頼しているのは君だ」
また言ってしまった。
だが、今回は前より自然に出た。
セシリアが顔を上げる。
「本当ですか?」
「本当だ。王都でも、学園でも、俺の隣にいてくれたのは君だ」
「……はい」
「リリア嬢がどういう人物かは、まだ分からない。だから警戒する。でも、俺が頼る相手は変わらない」
言いながら、自分でも少し恥ずかしくなってきた。
何を真面目に言っているんだ。
だが、セシリアは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、レオン様」
その笑顔を見て、胸の奥が熱くなる。
これはまずい。
かなりまずい。
破滅フラグより、こっちの方が心臓に悪い。
その時、校舎の方から鐘が鳴った。
次の授業の合図だ。
俺は地図の写しを鞄にしまう。
「行こう」
「はい」
セシリアはいつものように隣に並ぶ。
その距離が、少しだけ近い気がした。
気のせいではないと思いたい。
廊下へ向かう途中、掲示板の前に人だかりができていた。
「何だ?」
俺が近づくと、そこには告知が貼られていた。
『来週、実技試験を実施する』
実技試験。
原作にもあったイベントだ。
王子派の生徒がレオンを妨害し、レオンが怒って暴走する。
そして、また悪評を得る。
俺は額を押さえた。
「次は実技試験か……」
セシリアが隣で言う。
「また嫌な予感ですか?」
「ああ。かなり嫌な予感だ」
だが、もう分かっている。
破滅イベントは、先に備えれば変えられる。
廊下。
食堂。
王都。
孤児院。
模擬戦。
何度も折ってきた。
なら、今回も折るだけだ。
俺は掲示板を見上げた。
「実技試験でも、原作通りにはさせない」
「はい。私もお手伝いします」
セシリアは迷わずそう言った。
その言葉だけで、少し気が楽になる。
リリアのことも、王子のことも、宰相のことも気になる。
だが、今は目の前の試験だ。
次の破滅フラグは、もう貼り出されている。
俺は小さく息を吐いた。
学園は本当に、休ませてくれない。




