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第32話 食堂イベントを回避する

 入学初日の昼。


 俺は学園の食堂にいた。


 広い食堂には、貴族の生徒たちが集まっている。


 席は身分ごとに、なんとなく分かれていた。


 上級貴族は窓際。

 下級貴族は中央。

 平民出身の特待生は、入口に近い席。


 分かりやすい。


 そして、とても嫌な配置だ。


「レオン様。大丈夫ですか?」


 隣に座るセシリアが聞いてくる。


「大丈夫ではない」


「またですか」


「この食堂、原作イベントの匂いがする」


「原作……?」


「あ、いや。嫌な予感がする」


 危ない。


 つい言いそうになった。


 ここは乙女ゲームの舞台。


 食堂イベントも、当然ある。


 原作のレオンは、ここで平民生徒に料理をこぼされる。


 そして怒鳴る。


 弁償しろ。

 平民のくせに。

 俺の前から消えろ。


 最悪の三連発だ。


 その結果、周囲の好感度が下がる。


 断罪への道がまた太くなる。


 絶対に避ける。


 俺は食堂全体を見回した。


 平民生徒。

 料理を運ぶ使用人。

 王子派の生徒。

 エドガー。


 そして、端の席で緊張した顔をしている昨日の少年、トーマス。


 嫌な予感が強くなる。


 その瞬間、視界が歪んだ。


 来た。


 《最悪予測》。


 見えたのは、食堂の中央。


 トーマスが料理を運ぶ。


 誰かが足を出す。


 トーマスが転ぶ。


 スープが俺の服にかかる。


 原作のレオンが怒鳴る。


【本日、食堂で平民生徒を怒鳴り、悪評を得ます】


 やっぱりか。


 しかも、誰かが足を出している。


 事故ではない。


 罠だ。


 俺はすぐに立ち上がった。


「レオン様?」


「少し行ってくる」


「私も」


 セシリアも立ち上がる。


 頼もしい。


 かなり頼もしい。


 トーマスは盆を持って歩いていた。


 かなり緊張している。


 その進む先に、エドガーの取り巻きらしい生徒が座っていた。


 足が少しだけ通路に出ている。


 わざとだ。


 俺は早足で近づいた。


「トーマス」


「は、はい! グランヴェル様!」


 トーマスが驚いてこちらを見る。


 その瞬間、盆が傾いた。


 危ない。


 俺は盆の端を押さえた。


 スープの皿が揺れる。


 だが、こぼれなかった。


「走るなと言っただろう」


「す、すみません!」


「いや、今回は走っていないな。悪かった」


 俺は通路に出ている足を見た。


 その生徒が気まずそうに引っ込める。


「通路に足を出すと危ない。次から気をつけろ」


 怒鳴らない。


 責めすぎない。


 ただし、見逃さない。


 その生徒は顔を赤くした。


「は、はい……」


 周囲がざわつく。


「グランヴェル卿が平民を助けた?」


「またか?」


「しかも、怒らない……」


 また普通のことをしただけで驚かれている。


 原作のレオン、本当にひどすぎる。


 トーマスは青ざめながら頭を下げた。


「ありがとうございます。もしこぼしていたら……」


「こぼれても、皿と服が汚れるだけだ。命まで取られない」


 そう言うと、トーマスは目を丸くした。


 周囲も静かになる。


 しまった。


 少し変なことを言ったか。


 だが、本音だ。


 食事をこぼしただけで人生が終わるような空気の方がおかしい。


 セシリアが横で微笑む。


「レオン様らしいお言葉です」


「そうか?」


「はい」


 なら、たぶん大丈夫だ。


 だが、そこでエドガーが口を挟んだ。


「ずいぶん寛大ですな、グランヴェル卿」


 嫌な声だ。


「平民にまで優しくして、また評判稼ぎですか?」


 周囲がまた静かになる。


 俺は内心でため息をついた。


 またそれか。


 偽善者。

 評判稼ぎ。

 民に媚びる。


 王都貴族の攻撃は、種類が少ない。


「評判のためではない」


「では、何のために?」


「食堂で騒ぎを起こすと、全員の昼食がまずくなる」


 エドガーが固まった。


 セシリアも少し目を丸くした。


 いや、これは本音だ。


 せっかく昼食の時間なのに、怒鳴り声を聞きながら食べるのは嫌だ。


 前世でもそうだった。


 職場で誰かが怒鳴られている横で食べる昼飯は、本当にまずかった。


「食事くらい、落ち着いて食べたいだろう」


 周囲の数人が、思わずうなずいた。


 エドガーの顔が引きつる。


「そ、そういう問題では……」


「そういう問題だ」


 俺はトーマスを見る。


「席に戻れ。盆は両手で持て。あと、通路の端を歩け」


「はい!」


 トーマスは今度こそ慎重に歩いていった。


 周囲の空気が少し緩む。


 笑っている者もいた。


 嘲笑ではない。


 少し気の抜けた笑いだ。


 エドガーは悔しそうに唇を噛んだ。


 また失敗したな。


 俺は何も攻撃していない。


 ただ昼食を守っただけだ。


 席に戻ると、セシリアが小さく笑っていた。


「何だ?」


「いえ。レオン様は、本当に不思議な方です」


「褒めているのか?」


「もちろんです」


「食堂を静かにしただけだぞ」


「それができない方も多いのです」


 そういうものか。


 貴族社会は面倒だ。


 だが、食堂の空気は明らかに変わっていた。


 平民生徒たちは少し安心した顔をしている。


 下級貴族たちも、こちらを見る目が前より柔らかい。


 上級貴族の一部は面白くなさそうだが、構わない。


 全員に好かれる必要はない。


 破滅しなければいい。


 その時、食堂の入口に王子アルベルトが現れた。


 彼は一瞬だけ、こちらを見る。


 俺と、トーマスと、エドガーを見た。


 そして、何も言わずに席へ向かう。


 何を考えているのか分からない。


 だが、少なくとも今の事件は見られた。


 俺は小さく息を吐く。


 今日の破滅イベントは、たぶん回避した。


 原作では、食堂で悪評を得る場面。


 今は違う。


 平民生徒を怒鳴るどころか、食堂の空気を悪くしないで済んだ。


 それだけでも十分だ。


「レオン様」


「何だ?」


「スープが冷めます」


「それは大問題だな」


 俺は席に座り直した。


 王子もエドガーも、宰相の火種も気になる。


 だが、今は食べる。


 セシリアに言われた通り、食事を後回しにするとろくなことにならない。


 俺はスープを口に運んだ。


 温かい。


 少しだけ、気が楽になった。


 学園生活二つ目の破滅フラグ。


 これも、なんとか折れたらしい。

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