第31話 学園入学
王都での滞在を終え、ついに学園への入学日が来た。
王立セントラル学園。
貴族の子息や令嬢が通う、王国でもっとも有名な学園だ。
そして、乙女ゲーム『聖女と王国の花冠』の主な舞台でもある。
つまり、破滅イベントの巣である。
俺は校門の前で、深く息を吐いた。
帰りたい。
ものすごく帰りたい。
グランヴェル領に戻って、帳簿を見ていた方がまだ気が楽だ。
だが、逃げられない。
原作のレオンは、この学園で悪評を積み重ねる。
平民生徒を怒鳴る。
婚約者を冷遇する。
王子に反発する。
周囲に威張る。
その結果、最後の断罪舞踏会へ一直線だ。
つまり、ここでの行動一つ一つが命に関わる。
「レオン様」
隣に立つセシリアが、静かに声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ではない」
「正直ですね」
「ここでは正直に言っておかないと、胃が死ぬ」
セシリアは少しだけ笑った。
彼女も今日から同じ学園に通う。
原作では、ここで少しずつ俺を見限っていくはずだった。
だが今は、俺の隣にいる。
それだけで、かなり心強かった。
「学園でも、私はレオン様の隣におります」
「助かる」
「ですから、あまり一人で抱え込まないでください」
「努力する」
「そこは、はい、と言ってください」
「はい」
なぜか、すでに負けた気分だった。
校舎へ入ると、周囲の視線が一斉に向いた。
「あれがグランヴェル卿か」
「王子殿下と模擬戦をしたという」
「孤児院の火事を防いだらしいぞ」
「でも、悪役貴族って噂も……」
聞こえている。
かなり聞こえている。
ただ、以前とは少し違う。
完全な嘲笑だけではない。
警戒。
好奇心。
少しの期待。
王都で積み上げたものが、少しだけ効いているらしい。
悪くない。
そう思った瞬間、視界が歪んだ。
来た。
《最悪予測》だ。
見えたのは、学園の廊下。
平民らしい少年が、書類を落とす。
そこへ原作の俺、レオンが通りかかる。
『邪魔だ、平民』
怒鳴る。
少年は青ざめる。
周囲の生徒たちが怯え、噂が広がる。
【本日、平民生徒を怒鳴り、悪評を得ます】
俺は思わず足を止めた。
いきなりか。
入学初日から破滅イベントか。
この学園、殺意が高すぎる。
「レオン様?」
「セシリア嬢。廊下で書類を持った平民生徒を見かけたら、止める」
「分かりました」
理由を聞かずにうなずいてくれる。
本当に助かる。
しばらく歩くと、予測通りの場面が来た。
廊下の角から、書類を抱えた少年が走ってくる。
制服は俺たちと同じだが、質素だ。
おそらく特待生か、平民出身の生徒。
少年は焦っていた。
そして、足元の段差に気づいていない。
このままだと転ぶ。
「危ない」
俺はすぐに前へ出た。
少年がつまずく。
書類が宙に舞う。
俺は反射的に少年の腕をつかみ、転ぶのを止めた。
書類は床に散らばった。
廊下が静まり返る。
周囲の生徒たちが、息をのんでいた。
たぶん、原作通りならここで俺が怒鳴るはずだったからだ。
邪魔だ。
平民のくせに。
俺の前を歩くな。
そんなことを言えば、一発で悪評が広がる。
もちろん、言わない。
「怪我はないか?」
俺が聞くと、少年は目を丸くした。
「え……?」
「足をひねっていないか?」
「は、はい! 大丈夫です!」
「そうか。ならよかった」
俺は床に落ちた書類を拾い始めた。
すると、さらに廊下がざわついた。
「グランヴェル卿が書類を拾っている……」
「怒らないのか?」
「噂と違う……」
まただ。
普通のことをしただけなのに、評価が上がっている。
原作のレオン、どれだけひどかったんだ。
セシリアも隣で書類を拾ってくれる。
少年は慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ありません! 貴族の方に、このようなことを……!」
「転んだだけだ。謝るほどのことじゃない」
「ですが……」
「次からは走るな。書類より、自分の足を守れ」
そう言うと、少年は一瞬固まった。
そして、深く頭を下げる。
「ありがとうございます、グランヴェル様!」
名前を知られていた。
まあ、悪評込みで有名なのだろう。
「名前は?」
「トーマスです。平民出身の特待生で……」
「そうか。トーマス、書類はどこへ運ぶ?」
「職員室です」
「なら急げ。ただし走るな」
「はい!」
トーマスは何度も頭を下げて、今度は歩いて廊下を進んでいった。
周囲の生徒たちは、まだこちらを見ていた。
その視線は、最初よりかなり柔らかい。
少なくとも、悪役貴族が平民を怒鳴る場面にはならなかった。
破滅フラグは折れた。
たぶん。
「レオン様」
セシリアが小さく言った。
「また一つ、噂が変わりましたね」
「書類を拾っただけだぞ」
「その“だけ”をしない貴族も多いのです」
そういうものか。
嫌な世界だ。
だが、俺にとっては好都合でもある。
普通のことをするだけで、悪評が薄まる。
なら、やる。
徹底的にやる。
悪役らしい行動を全部避ける。
破滅イベントを、評価アップイベントに変える。
それが、この学園で生き残る方法だ。
そう思った時、廊下の奥から冷たい視線を感じた。
王子アルベルトだった。
その隣には、エドガーもいる。
二人とも、今の場面を見ていたらしい。
エドガーは不満そうに顔を歪めている。
王子は、何を考えているのか分からない表情だった。
「……また見られていたか」
「はい」
セシリアの声も少し硬い。
王子はこちらへ歩いてきた。
「レオン。入学初日から、ずいぶん目立つな」
「たまたまです」
「君のたまたまは、本当に都合がいい」
まだ疑っている。
当然か。
だが、ここで怯むわけにはいかない。
「困っている生徒がいたので、手を貸しただけです」
王子は俺をじっと見た。
「そうか」
短く言って、通り過ぎる。
エドガーだけが、小さく舌打ちした。
またそれか。
口には出さない。
セシリアがそっと言う。
「レオン様、よく我慢なさいました」
「入学初日から疲れた」
「まだ始まったばかりです」
「知りたくなかった」
俺は天井を見上げた。
学園編初日。
最初の破滅イベントは、なんとか回避した。
だが、王子はまだ俺を見ている。
宰相も、どこかで火種を作ろうとしている。
ここからが本番だ。
俺は小さく息を吐いた。
悪役貴族としての学園生活。
絶対に、原作通りには進ませない。




