第30話 悪役貴族の名は誰が作った
公爵家から届いた古文書を、俺たちは何度も読み返した。
北方の大侵攻。
王都軍は間に合わなかった。
グランヴェル家が領民を逃がし、封石を守った。
井戸。
孤児舎。
祈堂。
三つの印が、魔の流れを抑えた。
そこまでは分かった。
だが、王都の公式記録では違う。
王家が軍を率いて、魔物を退けたことになっている。
グランヴェル家の名前は消されている。
それだけなら、まだ分かる。
功績を奪った。
そういうことだ。
だが、問題はその先だった。
「どうして、悪評まで残したんだ……」
俺は机の上に広げた資料を見つめながらつぶやいた。
公式記録には、グランヴェル家を悪く書く言葉が多い。
気性が荒い。
王家に従わない。
領民に重税を課す。
辺境で力を持ちすぎた。
まるで、悪役貴族として読ませるために並べたような言葉だ。
セシリアが静かに言った。
「功績を消すだけなら、名前を削ればよいはずです」
「ああ」
「ですが、悪評を残せば、グランヴェル家の言葉そのものが信じられなくなります」
俺はうなずいた。
それが一番しっくりくる。
ただ忘れさせるだけでは足りなかった。
信じさせないようにしたのだ。
グランヴェル家が何を言っても、どうせ悪徳貴族の言い訳だと思わせる。
そのために、悪評を作った。
「つまり、これは自然に広まった噂じゃない」
俺は言った。
「誰かが、意図的にグランヴェル家を悪役にした」
口にした瞬間、背中が冷えた。
悪役貴族。
俺はその役に転生したと思っていた。
だが、そもそもその役自体が、誰かに作られたものかもしれない。
原作ゲームの中でレオンが悪役だったのも、歪んだ歴史の上に作られた設定だったとしたら。
考えすぎだろうか。
いや、もう偶然では片づけられない。
バルトが低い声で言った。
「若様。もしこの記録が真実なら、歴代のグランヴェル家は、長く濡れ衣を着せられていたことになります」
「まだ断定はしない」
「はい。ですが……」
バルトは悔しそうに唇を結ぶ。
長く仕えてきた家が、悪徳貴族として扱われてきた。
その悔しさは、俺よりずっと強いのだろう。
俺は資料を一枚取った。
王都図書館で写した公式記録。
ところどころに空白がある。
名前だけが削られたような跡。
そして、公爵家の古文書に残る記録。
同じ時代。
同じ事件。
だが、内容が違う。
「王家そのものがやったのか?」
俺はつぶやいた。
セシリアは少し考える。
「王家全体というより、当時の記録を管理していた者かもしれません」
「記録を管理していた者……」
「宰相府です」
その言葉に、部屋が静かになった。
宰相府。
王国の文書と政務を扱う場所。
王家の発表も、貴族家の記録も、そこを通る。
「今の宰相は?」
「クラウス・ヴァーレン宰相です」
セシリアの声が少し低くなる。
「王子殿下の教育にも関わっている方です」
なるほど。
王子がグランヴェル家を強く疑う理由。
王都の記録が不自然に歪んでいる理由。
そこに宰相府が関わっているなら、つながる。
もちろん、まだ証拠はない。
だが、調べるべき相手は見えた。
「宰相か……」
厄介すぎる。
王子だけでも面倒なのに、その背後に宰相。
どう考えても、十五歳の悪役貴族が相手にするには重すぎる。
俺は頭を抱えたくなった。
だが、逃げられない。
このまま放っておけば、原作通り断罪される。
いや、原作以上に危険かもしれない。
グランヴェル家の真実に近づけば、向こうも本気で潰しに来る可能性がある。
「レオン様」
セシリアが俺を呼んだ。
「無理に今すぐ暴く必要はありません」
「分かっている」
「まずは、こちらが潰されないことが大切です」
「ああ。証拠を増やす。味方も増やす。感情で動かない」
自分に言い聞かせるように言った。
前世でもそうだった。
大きな不正を見つけても、証拠がなければ潰される。
正しさだけで勝てるほど、組織は優しくない。
この世界なら、なおさらだ。
「まずは学園だな」
「はい。王都での立場を固める必要があります」
セシリアはうなずく。
「王都貴族の中にも、王子殿下のやり方に疑問を持つ方はいるはずです」
「俺が悪役らしくしなければ、少しずつ変わるかもしれない」
「もう変わり始めています」
セシリアはまっすぐ言った。
「孤児院の件も、模擬戦の件も、皆が見ています」
そうだ。
王都でも、少しずつ空気は変わっている。
俺を偽善者だと笑う者はいる。
だが、助けられた者もいる。
見直す者もいる。
王子の言葉に疑問を持つ者も出始めた。
まだ小さい。
だが、ゼロではない。
「分かった」
俺は資料をまとめる。
「今は、悪評を増やさない。王都で味方を増やす。グランヴェル家の記録を集める」
「はい」
「そして、断罪イベントを起こさせない」
これが一番大事だ。
王家の歴史よりも、まず俺の命。
いや、領地の未来もかかっている。
断罪されれば、グランヴェル領は王都に接収される。
そうなれば、領民たちも危ない。
もう、俺一人の問題ではない。
「悪役貴族の名が作られたものなら」
俺は静かに言った。
「その名を使って俺を断罪しようとする相手にも、理由があるはずだ」
セシリアがうなずく。
「その理由を探しましょう」
「ああ」
俺は古文書を閉じた。
「悪役にされたなら、悪役のまま終わる気はない」
それは、自分でも驚くほど自然に出た言葉だった。
同じ頃。
王宮の奥にある執務室で、一人の男が報告書を読んでいた。
白髪交じりの髪。
細い目。
整ったひげ。
王国宰相、クラウス・ヴァーレン。
彼の机には、いくつもの報告書が並んでいた。
グランヴェル領の税制改革。
不正役人の処分。
王都孤児院の火災未然防止。
模擬戦での王子との引き分け。
そして、アルディス公爵家の古文書に関する動き。
宰相は静かに目を閉じた。
「やはり、グランヴェルの血は厄介だな」
そばに控えていた部下が頭を下げる。
「いかがいたしますか」
「王子殿下は、レオンを危険視しておられる」
「はい」
「ならば、その正義感を利用すればよい」
宰相は報告書を机に置いた。
「グランヴェル家は、王国にとって危険な家だ。そう信じさせれば、殿下は自ら動かれる」
「では、断罪の準備を?」
「急ぐ必要はない」
宰相は薄く笑った。
「学園でよい。若者たちの前で、悪役は悪役らしく振る舞わせればいい」
「レオンが、その通りに動かなければ?」
「動かすのだ」
部屋の空気が冷える。
「人は、噂に合わせて相手を見る。悪役と呼ばれ続ければ、何をしても疑われる。疑いが積もれば、いずれ断罪の場は整う」
宰相は窓の外を見た。
王都の明かりが広がっている。
「グランヴェル家に、再び本当の名を取り戻させてはならない」
その声は、静かだった。
だが、はっきりとした敵意があった。
「王国の歴史は、王家のものでなければならぬ」
宰相は最後に、レオンの名が書かれた報告書を指で押さえた。
「レオン・グランヴェル。お前がどれほど善政を行おうと、悪役の席はすでに用意されている」
そして、静かに命じた。
「学園で、火種を作れ」




