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第29話 公爵家の秘密文書

 王子との模擬戦から戻った夜。


 迎賓館に、一通の手紙が届いた。


 差出人は、アルディス公爵。


 セシリアの父親だ。


「父からです」


 セシリアは封を開け、すぐに表情を引き締めた。


「どうした?」


「頼んでいた資料について、返事が来ました」


 グランヴェル家の古い記録。


 王都の図書館では、不自然に消されていたものだ。


 セシリアは手紙を読み進める。


「公爵家の古い蔵書に、北方の大侵攻についての記録が残っているそうです」


「王家の記録とは別のものか?」


「はい。しかも、写しを送ってくださったようです」


 バルトが木箱を運んできた。


 中には、古い紙束が入っている。


 紙は黄ばんでいて、文字もかすれていた。


 だが、読める。


 俺は息をのんだ。


 そこには、こう書かれていた。


『北方より魔物の群れ押し寄せる。王都軍、到着遅れ、辺境は孤立す』


 王都の公式記録では、王家がすぐに軍を動かして魔物を退けたことになっていた。


 だが、この記録は違う。


 王都軍は間に合っていない。


 辺境を守ったのは、別の誰かだ。


 俺は次の行を読んだ。


『グランヴェル辺境伯家、領民を避難させ、森の封石を守る』


「封石……?」


 思わず声が出た。


 セシリアも目を細める。


「森の石碑のことでしょうか」


 北の森で見つけた、古い石碑。


 そこには、古いグランヴェル家の紋章が刻まれていた。


 あれが封石。


 ただの石碑ではなかったのか。


 俺はさらに読む。


『井戸、祈堂、孤児舎、三つの印を保ち、魔の流れを抑える』


 背筋が冷たくなった。


 井戸。

 祈堂。

 孤児舎。


 井戸は、村で見つけた古い井戸。

 孤児舎は、たぶん王都の孤児院だ。


 なら、祈堂はまだ見つかっていない何かか。


「偶然じゃなかったのか……」


 小さくつぶやく。


 古いグランヴェル家の紋章が、あちこちに残っていた理由。


 それは、魔物を抑えるための印だったのかもしれない。


 セシリアは、別の紙を手に取った。


「こちらは、当時の公爵家当主の日記の写しです」


「日記?」


「はい。王家の公式記録ではありません。だから残ったのだと思います」


 俺たちは、その日記を読んだ。


『王都にて、北方の勝利は王家の采配によるものと発表される』


『しかし、実際に民を逃がし、魔の流れを止めたのはグランヴェル家である』


『彼らは功を誇らず、辺境へ戻った』


『王家は、その沈黙を利用した』


 胸の奥が重くなる。


 王家が功績を奪った。


 そう読めた。


 セシリアの顔も硬い。


「父が、公式には扱えない記録だと書いています」


「だろうな」


 こんなものが表に出れば、王家の歴史に傷がつく。


 だから隠された。


 そして、グランヴェル家の記録だけが消された。


 俺は、王都図書館で見た空白を思い出す。


 あれは、ただの欠落ではない。


 消したのだ。


 誰かが。


「でも、なぜ悪評まで?」


 俺はつぶやいた。


「功績を奪うだけなら、記録を消せばいい。わざわざ悪役にする必要はあるのか?」


 セシリアは少し考えてから言った。


「功績を知る者がいたからではないでしょうか」


「どういうことだ?」


「ただ記録を消しただけでは、語り継ぐ者が残ります。ですが、グランヴェル家そのものを悪く言えば、その証言も信じられなくなります」


 俺は黙った。


 なるほど。


 悪人の言葉は信じられにくい。


 悪徳貴族の功績など、誰も本気にしない。


 だから、グランヴェル家を悪役にした。


 そう考えると筋が通る。


 通ってしまう。


「つまり、俺の家は……」


 言いかけて、止まる。


 まだ断定はできない。


 だが、もう見えてきている。


 グランヴェル家は、ただの悪役貴族ではない。


 少なくとも、昔は王国を守った家だった。


 俺は古文書を机に置いた。


 手が少し震えていた。


 怒りなのか、不安なのか、自分でも分からない。


 俺は悪役貴族に転生した。


 そう思っていた。


 原作でも、王都でも、記録でも、そう扱われていた。


 だが、もしそれ自体が作られたものなら。


 俺は悪役に生まれたのではない。


 悪役にされた家に生まれたことになる。


「レオン様」


 セシリアが静かに呼んだ。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫ではないな」


 正直に答えた。


「でも、少し分かった気がする」


「何がでしょう」


「王子が俺を疑う理由だ」


 王子アルベルトは、自分が正義だと思っている。


 だから、悪役貴族である俺を裁こうとしている。


 だが、その悪役という前提が間違っているかもしれない。


 王子は、歪んだ歴史を信じている。


 そして、その歴史を守る側にいる。


 厄介だ。


 かなり厄介だ。


「この文書は、すぐには出せないな」


「はい。出し方を間違えれば、公爵家にも迷惑がかかります」


「王家の功績を疑う内容だからな」


「だからこそ、証拠を増やす必要があります」


 セシリアははっきり言った。


「井戸、森の石碑、孤児院の石板。ほかにも印があるなら、それを調べましょう」


「祈堂、か」


 まだ見つかっていない三つ目。


 いや、井戸と孤児院を数えるなら、森の封石は別かもしれない。


 整理が必要だ。


 また仕事が増えた。


 だが、これは無視できない。


 その時、バルトが控えめに口を開いた。


「若様」


「何だ?」


「もし、グランヴェル家が本当に王国を救った家であったなら……」


 バルトは言葉を詰まらせた。


 長くグランヴェル家に仕えてきた男だ。


 思うところがあるのだろう。


「歴代の当主方は、どれほど悔しかったことでしょう」


 その声は震えていた。


 俺は何も言えなかった。


 前世の俺には、グランヴェル家への深い愛着はなかった。


 転生したばかりだからだ。


 だが今は違う。


 領民がいる。

 騎士団がいる。

 バルトがいる。

 セシリアがいる。


 この家が悪役として踏みにじられてきたのだとしたら。


 それは、少し腹が立つ。


 かなり腹が立つ。


「まだ決めつけるな」


 俺は言った。


「証拠を集める。感情で動いたら、王都に潰される」


「はい」


 バルトは深く頭を下げた。


「ですが、私は信じます。グランヴェル家は、悪徳の家などではないと」


 重い。


 その信頼は、とても重い。


 でも、今は逃げる気にならなかった。


 俺は古文書を見つめる。


 王家に消されたかもしれない記録。


 悪役にされたかもしれない家。


 そして、俺を待つ断罪イベント。


 すべてが、少しずつつながり始めている。


 セシリアが隣に立つ。


「レオン様。一緒に調べましょう」


「ああ」


 俺はうなずいた。


「ただし、まずは目の前の王都貴族を何とかする」


 王子。

 エドガー。

 ローレン伯爵家。

 そして、まだ見えない誰か。


 この記録が本当なら、敵は思ったより深い。


 だが、進むしかない。


 悪役貴族として破滅しないために。


 そして、グランヴェル家の本当の姿を知るために。


 俺は公爵家の秘密文書を、そっと閉じた。

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