第24話 セシリアの宣言
王都の孤児院で火事を防いだ翌日。
その噂は、思ったより早く広がっていた。
悪役貴族と呼ばれていたレオン・グランヴェルが、孤児院の火事を防いだ。
子どもたちは無事だった。
教会の職員が、泣いて感謝した。
そんな話が、王都のあちこちで囁かれているらしい。
ありがたい。
ありがたいのだが、少し怖い。
王都で目立つと、王子や貴族たちにさらに警戒される。
かといって、孤児院を見捨てる選択肢はなかった。
子どもが焼け死ぬ未来を見て、何もしないなど無理だ。
俺は迎賓館の部屋で、古い石板を見ていた。
そこには、グランヴェル家の古い紋章が刻まれている。
井戸。
森。
王都の孤児院。
いくらなんでも、続きすぎだ。
「やっぱり、何かあるよな……」
つぶやいた時、扉が叩かれた。
入ってきたのはバルトだった。
「若様。王宮より使者が参りました」
「またか」
嫌な予感しかしない。
「王子殿下が、セシリア様にお会いしたいとのことです」
俺は石板から顔を上げた。
「セシリア嬢に?」
「はい」
胃が重くなる。
王子がセシリアに会いたい。
原作なら、セシリアは王子側につく。
今は違う。
そう信じたい。
だが、王子が何を言うかは分からない。
俺はすぐに立ち上がった。
「俺も行く」
「いえ」
後ろから声がした。
振り向くと、セシリアが立っていた。
いつの間に来ていたのか。
「セシリア嬢」
「私一人で参ります」
「いや、それは危ない」
「王宮内です。危険なことはないでしょう」
「そういう意味じゃない」
王子は、たぶん俺を悪役として見ている。
そして、セシリアは俺に利用されていると思っている。
そんな相手と二人で話すのは、正直かなり嫌だ。
だが、セシリアの目は落ち着いていた。
「レオン様。これは私の問題でもあります」
「君の問題?」
「はい。私が誰を信じ、誰の隣に立つか。その意思を、私自身の口で伝える必要があります」
強い。
本当に、この婚約者は強い。
俺は何も言えなくなった。
「……分かった。ただし、何かあればすぐ知らせてくれ」
「はい」
セシリアは小さく微笑んだ。
「私は大丈夫です。レオン様が信じてくださるなら」
その言葉は、かなり反則だった。
王宮の小さな応接室。
そこに、王子アルベルトは待っていた。
セシリアは礼をする。
「お呼びとうかがいました、殿下」
「来てくれて嬉しいよ、セシリア嬢」
アルベルトは柔らかく笑った。
見た目だけなら、完璧な王子だ。
だが、その目は少し焦っていた。
「最近、君はレオンと行動を共にしているそうだね」
「はい。私はレオン様の婚約者ですから」
「婚約者だからといって、すべてに従う必要はない」
アルベルトは一歩近づく。
「君は聡明な令嬢だ。あのような悪評高い男に利用されるべきではない」
セシリアは表情を変えなかった。
「利用、ですか」
「ああ。税を下げ、孤児院を助け、善人のように振る舞う。だが、それはすべて民の人気を集めるためかもしれない」
「かもしれない、というお話ですね」
セシリアの声は静かだった。
アルベルトは少し眉を寄せる。
「君は疑わないのか?」
「私は、自分の目で見たものを信じています」
「またそれか」
アルベルトの声に、少し苛立ちが混じった。
「セシリア嬢。君は優しい。だから、レオンの一時の善行に心を動かされているだけだ」
「殿下」
セシリアは、まっすぐ王子を見た。
「私は、子どもではありません」
部屋の空気が止まる。
「レオン様が何をなさったか。どのように領民と向き合ったか。王都でどのように挑発を受け止めたか。私はすべて見て、自分で判断しました」
アルベルトは黙った。
「私は、誰かに流されてレオン様の隣にいるのではありません」
セシリアの声は、さらに強くなる。
「私の意思で、レオン様の隣におります」
アルベルトの顔がこわばった。
「セシリア嬢……君は本気で、あの男を信じるのか」
「はい」
即答だった。
「信じています」
「彼は悪役貴族と呼ばれている男だ」
「噂では、そうなのでしょう」
「噂だけではない。グランヴェル家には昔から悪評がある」
その言葉に、セシリアの目がわずかに細くなった。
「その悪評が、すべて真実だと確認なさいましたか?」
「何?」
「私は最近、グランヴェル家の古い紋章を何度か見ました。領地の井戸、森の石碑、そして王都の孤児院です」
アルベルトの表情が一瞬変わった。
本当に一瞬。
だが、セシリアは見逃さなかった。
「殿下は、何かご存じなのですか?」
「……知らない」
アルベルトはすぐに答えた。
「そんなものは、辺境貴族の古い名残だろう」
「そうですか」
セシリアはそれ以上、追わなかった。
だが、心の中では確信していた。
王子は何かを知っている。
少なくとも、完全に知らない反応ではなかった。
アルベルトは話を戻した。
「とにかく、私は君を心配している」
「ありがとうございます」
「なら、レオンから少し距離を置くべきだ。王都にいる間だけでも、私の近くに――」
「お断りいたします」
今度は、完全な即答だった。
アルベルトが固まる。
「……何?」
「私はレオン様の婚約者です。王都にいる間も、レオン様の隣におります」
「セシリア嬢、よく考え――」
「考えた上で申し上げています」
セシリアは一歩も引かない。
「私は、レオン様を信じています。殿下のご厚意はありがたく思いますが、そのようなお誘いは今後お控えください」
はっきりした拒絶だった。
応接室に沈黙が落ちる。
アルベルトの顔には、理解できないという色が浮かんでいた。
自分が正しいと思っている人間は、拒まれることに慣れていないのかもしれない。
「……後悔するかもしれないぞ」
「後悔するかどうかは、私が決めます」
セシリアは静かに礼をした。
「失礼いたします」
そして、部屋を出た。
迎賓館へ戻ると、俺は扉の前で待っていた。
落ち着かなかった。
書類を読んでも文字が頭に入らなかった。
廊下を何度も歩き回り、バルトに苦笑された。
セシリアの姿が見えた瞬間、俺は思わず近づいた。
「大丈夫だったか?」
「はい」
「王子に何か言われたか?」
「いろいろと」
「いろいろ」
嫌な言葉だ。
だが、セシリアは落ち着いていた。
「私は、レオン様の隣にいると伝えてきました」
俺は固まった。
「……王子に?」
「はい」
「はっきりと?」
「はっきりと」
心臓に悪い。
だが、同時に胸の奥が熱くなった。
「よかったのか?」
「もちろんです」
セシリアはまっすぐ俺を見る。
「私は、あなたを信じていますから」
まただ。
何度聞いても慣れない。
けれど、その言葉に助けられている。
「ありがとう」
ようやく、それだけ言えた。
セシリアは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「はい」
その横で、バルトが目元を押さえている。
泣くな。
今はまだ泣く場面ではない。
だが、安心したのも束の間だった。
セシリアの表情が少し真剣になる。
「レオン様。王子殿下は、グランヴェル家の古い紋章の話に反応されました」
「紋章に?」
「はい。一瞬だけですが、何かをご存じのように見えました」
俺は息をのんだ。
井戸。
森。
孤児院。
古いグランヴェル家の紋章。
そして、王子の反応。
やはり、何かある。
「王都にいる間に、調べる必要があるな」
「はい」
セシリアはうなずいた。
「私もお手伝いします」
王子との対立は深まった。
だが、セシリアは完全に俺の隣に立ってくれた。
それだけで、俺は少しだけ強くなれた気がした。
原作の断罪イベントでは、彼女は俺を見限る。
だが今は違う。
彼女は、俺を信じると宣言した。
なら、俺もその信頼を裏切るわけにはいかない。




