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第23話 王都の孤児院

 茶会の翌日。


 俺は迎賓館で書類を確認していた。


 王子に預けた資料の写し。

 王都貴族の発言記録。

 物資停止に関わった商人の名前。


 やることは多い。


 王都に来ても、結局書類仕事だ。


 前世と変わらない。


 いや、失敗した時の危険度は前世より高い。


 会社なら怒鳴られるだけだった。


 今は、下手をすれば断罪される。


 そう考えると、胃が痛くなる。


「レオン様。少し休まれては?」


 セシリアが心配そうに言う。


「休みたいのは山々だが、王都は油断できない」


「それは分かりますが、お顔が疲れています」


「そんなにか?」


「はい」


 即答だった。


 そこまではっきり言わなくてもいい。


 しかし、たしかに頭が重い。


 少し外の空気を吸うくらいならいいかもしれない。


「では、少しだけ歩く」


「私も参ります」


「危なくない場所だけだぞ」


「はい」


 こうして俺たちは、迎賓館の近くを歩くことになった。


 王都の表通りは華やかだった。


 貴族の馬車。

 高そうな店。

 きれいな服を着た人々。


 だが、道を一本外れると空気が変わった。


 建物は古くなり、人の服も質素になる。


 子どもたちが路地の端で遊んでいた。


 その奥に、古い建物がある。


「あれは?」


「孤児院です」


 セシリアが答えた。


「王都の教会が管理しているはずですが、あまり余裕はないと聞いています」


 孤児院。


 その言葉を聞いた瞬間、視界が揺れた。


 来た。


 《最悪予測》。


 見えたのは、夜。


 燃える建物。


 煙。

 泣き叫ぶ子どもたち。

 閉じ込められた小さな影。


 火元は、孤児院の台所。


 古い油の壺が倒れ、火が広がる。


【今夜、王都東区の孤児院で火災が発生します】


「……最悪だ」


 俺は思わずつぶやいた。


「レオン様?」


「セシリア嬢。あの孤児院、今すぐ確認する」


「何か見えたのですね?」


 俺は彼女を見る。


 詳しく言ったことはない。


 だが、セシリアはもう俺が何かを察知して動いていると分かっている。


「火事になるかもしれない」


 小声で言った。


 セシリアの表情が変わる。


「分かりました」


 彼女はそれ以上聞かなかった。


 ありがたい。


 俺たちは孤児院へ向かった。


 孤児院の扉を開けたのは、年配の女性だった。


「どちら様でしょうか」


「レオン・グランヴェルです。急な訪問で申し訳ない」


 女性は驚いたように目を見開いた。


 悪役貴族の名は、王都でも知られているのだろう。


 警戒されている。


 当然だ。


 俺はできるだけ穏やかに言った。


「台所と倉庫を確認させてほしい」


「え?」


「火の気が危ない。古い油や薪の置き方を見たい」


 女性は困惑した。


 当たり前だ。


 急に来た貴族が、台所を見せろと言っている。


 怪しすぎる。


 そこへ、セシリアが前に出た。


「私からもお願いいたします。子どもたちの安全に関わることです」


「セシリア様……!」


 女性はセシリアを知っていたらしい。


 すぐに態度が変わった。


「分かりました。こちらへ」


 やはり、公爵令嬢は強い。


 俺だけなら追い返されていたかもしれない。


 台所は、かなり危なかった。


 古い油壺。

 乾いた薪。

 焦げた布。

 傾いた棚。


 予測で見た通りだ。


 これで夜に火を使えば、簡単に燃える。


「この油壺を動かす。薪は壁から離せ。布は捨てる。棚は今日中に直す」


 俺が次々に言うと、孤児院の職員たちは戸惑った。


「し、しかし、人手が……」


「迎賓館から人を出す。費用はこちらで持つ」


「そ、そこまでしていただくわけには」


「子どもが焼け死ぬよりましだ」


 思わず強い言い方になった。


 女性の顔が青くなる。


 まずい。


 怖がらせたか。


 俺は少し声を落とす。


「すまない。だが、危険なのは本当だ」


 セシリアがそっと言った。


「レオン様は、子どもたちを心配しているだけです」


 その言葉で、職員たちの表情が少し和らいだ。


 俺はすぐに指示を出す。


 油壺を外へ。

 薪を別の場所へ。

 台所の棚を修理。

 夜間の火の番を増やす。


 迎賓館へ使いを出し、ガルドたちにも手伝わせた。


 騎士団長を台所修理に使うのは申し訳ないが、人命優先だ。


 ガルドは何も言わずに動いてくれた。


「若様が必要とおっしゃるなら」


 重い。


 信頼が重い。


 でも助かる。


 夕方までに、危険な場所はほとんど片づいた。


 孤児院の子どもたちは、何が起きているのか分からず不思議そうにしている。


 その中の一人が、俺の服を引いた。


「お兄ちゃん、悪い貴族なの?」


 直球だ。


 子どもは遠慮がない。


 周りの職員が青ざめる。


「こ、こら!」


「いい」


 俺はしゃがんだ。


「たぶん、悪い貴族だと思われている」


「じゃあ、なんで助けてくれるの?」


 答えに困った。


 破滅したくないから。


 火事で子どもが死んだら、後味が悪すぎるから。


 セシリアに嫌われたくないから。


 理由はいくつもある。


 だが、どれも子どもに言うことではない。


「火事になったら困るだろう」


「うん」


「だから、火事にならないようにした」


「変なの」


「俺もそう思う」


 子どもは笑った。


 俺も少しだけ笑った。


 その時、孤児院の職員が奥から慌てて出てきた。


「レオン様! 古い棚の裏から、こんなものが……」


 差し出されたのは、小さな石板だった。


 泥と煤に汚れている。


 だが、そこに刻まれた紋章を見た瞬間、俺は息を止めた。


 剣と盾。

 麦の穂。


 古いグランヴェル家の紋章。


 まただ。


 井戸。

 森の石碑。

 そして、王都の孤児院。


 なぜ、ここにもある。


「これは……」


 セシリアも石板を見て、表情を引き締めた。


「レオン様。やはり、この紋章は古い形です」


「孤児院に、なぜグランヴェル家の紋章があるんだ」


 誰も答えられない。


 職員も首を振る。


「私どもにも分かりません。建物は古く、昔は別の施設だったと聞いておりますが……」


 昔は別の施設。


 その言葉が引っかかった。


 だが、今は調べている時間がない。


 まずは火事を防ぐ。


「石板は預からせてほしい」


「はい」


 俺は石板を布に包ませた。


 また一つ、分からないものが増えた。


 その夜。


 孤児院で火事は起きなかった。


 ただし、もし片づけていなければ危なかった。


 台所の近くに置かれていた古い灯りが倒れ、床に油が少しこぼれたからだ。


 だが、油壺はすでに外へ出していた。


 薪も離していた。


 火はすぐに消された。


 翌朝、孤児院の職員たちが迎賓館へ来て、深く頭を下げた。


「レオン様のおかげで、子どもたちは無事でした」


「本当にありがとうございました」


 王都の人々も、その話を聞き始めた。


 悪役貴族と噂された辺境伯家の若様が、孤児院の火事を防いだ。


 そんな噂が、静かに広がっていく。


 俺は迎賓館の部屋で、石板を見つめていた。


 子どもたちは助かった。


 それはいい。


 王都での評価も少し変わるかもしれない。


 それも助かる。


 だが、それ以上に気になることがある。


 古いグランヴェル家の紋章。


 なぜ、領地だけでなく王都にもある。


 セシリアが隣に立つ。


「レオン様」


「分からないことが増えたな」


「はい」


 彼女は石板を見つめる。


「ですが、偶然ではないと思います」


 俺もそう思う。


 でも、今はまだ答えがない。


 俺は石板を布で包み直した。


 悪役貴族として破滅を避ける。


 ただそれだけのつもりだった。


 だが、どうやらグランヴェル家には、俺の知らない何かがある。


 そんな気がしてならなかった。

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