第15話 婚約者の手作り弁当
セシリアから弁当を渡された。
それだけのことなのに、俺はなぜか固まっていた。
執務室の机の上に、小さな弁当箱がある。
包みは白い布。
結び目は少しだけ曲がっている。
そこが妙に手作りらしかった。
「その……お口に合うかは分かりませんが」
セシリアは少し目をそらしている。
いつも落ち着いている彼女にしては珍しい。
頬も少し赤い。
やめてくれ。
そんな顔をされると、こっちまで落ち着かない。
「ありがとう。助かる」
俺はできるだけ普通に言った。
本当はかなり動揺している。
前世でも、誰かに弁当を作ってもらった記憶などほとんどない。
会社では、冷めたコンビニ弁当か、机の上の栄養ゼリーだった。
それに比べれば、婚約者の手作り弁当など、イベントとして重すぎる。
俺は包みを開いた。
中には、丸いパンと焼いた肉、卵、少し焦げた野菜が入っていた。
見た目は整っている。
だが、野菜の端が黒い。
少し焦げている。
セシリアが小さく言った。
「……野菜は、少し失敗しました」
正直だ。
俺は思わず笑いそうになった。
いや、笑うな。
ここで笑ったら悪役貴族だ。
「いや、うまそうだ」
「本当ですか?」
「ああ」
俺は焼いた野菜を一つ口に入れた。
少し苦い。
焦げているからだ。
だが、食べられないほどではない。
むしろ、温かい味がした。
「うまい」
そう言うと、セシリアが目を見開いた。
「無理をしていませんか?」
「していない」
「でも、少し焦げて……」
「焦げているが、うまい」
これは本音だった。
完璧な料理ではない。
だが、俺のために作ってくれたものだ。
それだけで、かなりうまい。
セシリアは安心したように息を吐いた。
「よかった……」
その顔を見て、胸の奥がまた変にむずがゆくなる。
まずい。
これはまずい。
セシリアは原作では、俺を見限る婚約者だった。
だから俺は、彼女に嫌われないようにしているだけだ。
そのはずだ。
それなのに、最近は少しおかしい。
彼女が笑うと安心する。
彼女が褒めてくれると落ち着かない。
彼女が味方だと言ってくれると、王都に行くのも少しだけ怖くなくなる。
これは危険だ。
俺は悪役貴族だ。
油断すると、すぐに破滅する。
そう自分に言い聞かせながら、弁当を食べる。
うまい。
やはり、うまい。
「レオン様は、いつも食事を後回しにされます」
セシリアが言った。
「そうか?」
「はい。バルト様も心配しておられました」
バルトめ。
余計なことを。
「やることが多いだけだ」
「だからこそ、食べてください。倒れてしまっては、領地を守れません」
正論だった。
言い返せない。
前世では、こういう正論を無視して働いていた。
その結果、会社の机で倒れた。
たぶん死んだ。
同じことを繰り返すのは、さすがにまずい。
「分かった。気をつける」
「約束です」
セシリアはまっすぐ俺を見る。
「レオン様は、ご自分のことを後回しにしすぎます」
「そんな立派なものじゃない。俺はただ、問題が怖いだけだ」
「問題が怖いから、先に動くのでしょう?」
「そうだな」
「それで救われる人がいます」
セシリアの声はやわらかかった。
「だから、そのレオン様自身も、大切にしてください」
俺は言葉に詰まった。
自分を大切に。
前世では、誰にもそんなことを言われなかった。
いや、言われていたのかもしれない。
でも、聞く余裕がなかった。
「……善処する」
「そこは、はい、と言ってください」
「はい」
反射的に答えると、セシリアが小さく笑った。
負けた気がする。
だが、悪い気はしない。
食事が終わるころ、バルトが執務室に入ってきた。
顔が少し険しい。
「若様。よろしいでしょうか」
「どうした?」
「王都方面からの物資が、一部止められております」
俺は弁当箱を置いた。
「物資?」
「はい。金具、薬草、紙、油。どれも領地改革や騎士団の整備に必要なものです」
嫌な予感がした。
「理由は?」
「商人たちは、王都貴族から圧力を受けているようです」
来た。
王都の嫌がらせだ。
王子に目をつけられた。
税制改革もした。
商人の不正も潰した。
当然、面白くない連中がいる。
そいつらが、物資を止めてきた。
俺は額を押さえた。
「食料は?」
「今のところ問題ございません。ですが、このまま長引けば、修理や訓練に支障が出ます」
最悪だ。
いや、まだ最悪ではない。
でも放置すれば、確実に悪くなる。
セシリアの表情も引き締まった。
「王都貴族が動いたのですね」
「心当たりがあるのか?」
「グランヴェル領が力を取り戻すことを、面白く思わない方々はいます」
「面倒な連中だな」
「はい。とても」
セシリアが真顔で言った。
少しだけ笑いそうになったが、今は笑っている場合ではない。
物資が止まれば、水路修理が遅れる。
騎士団の装備も整わない。
薬が足りなくなれば、村で病人が増える。
結局、領民が苦しむ。
それは困る。
俺の破滅にもつながる。
「バルト。地元商人に確認しろ。王都を通さないルートがあるはずだ」
「かしこまりました」
「セシリア嬢。王都貴族の中で、今回動きそうな家を教えてくれ」
「はい」
セシリアはすぐにうなずいた。
「それと、アルディス公爵家の名で手紙を出せます。表立って圧力はかけず、相手の動きを見る形にしましょう」
頼もしすぎる。
本当に、彼女が味方でよかった。
「助かる」
「私は、レオン様を守ると申し上げましたから」
セシリアは少しだけ胸を張った。
その仕草が、妙に可愛かった。
いや、見とれている場合ではない。
俺は立ち上がる。
せっかく弁当で少し平和な気分になったのに、すぐ次の問題だ。
だが、不思議とさっきより気力はあった。
腹に食べ物が入ったからか。
それとも、セシリアが隣にいるからか。
たぶん、両方だ。
「物資を止められたなら、別の道を探す。王都貴族の思い通りにはさせない」
悪役貴族として破滅する気はない。
そして、領地を飢えさせる気もない。
俺は弁当箱をそっと包み直した。
「まずは、止められた物資を全部洗い出す」
次の破滅フラグを折る時間だ。




