第12話 古い井戸の謎
水路の修理は、思ったより順調に進んだ。
乾いていた畑に水が戻り、村人たちの顔も少し明るくなっている。
だが、まだ安心はできない。
水路だけでは足りない。
村には、飲み水の問題もあった。
「井戸ですか?」
村長が首をかしげる。
「ああ。村の井戸を見たい」
「使っている井戸なら、こちらにございます」
「全部だ。使っていない井戸も含めて」
俺がそう言うと、村長は少し驚いた顔をした。
「古い井戸も、でございますか?」
「あるのか?」
「はい。ただ、もう何十年も使っておりませぬ。水も枯れているはずです」
枯れた井戸。
普通なら放っておくだろう。
だが、今の俺は普通では済ませられない。
この領地は、見えないところに問題が多すぎる。
見ていない場所ほど危ない。
前世でもそうだった。
誰も触らない古い資料。
誰も確認しない倉庫。
昔からそうだからと放置された手順。
そういう場所に、だいたい爆弾がある。
「案内してくれ」
「かしこまりました」
俺たちは村の奥へ向かった。
セシリアも隣についてくる。
「レオン様は、本当に細かいところまで見られるのですね」
「細かいところを放っておくと、あとで大きな問題になるからな」
「それは、王都でも同じです」
セシリアは小さく言った。
王都。
その言葉だけで胃が重くなる。
考えたくない。
だが、考えないと死ぬ。
俺はため息をこらえ、古い井戸へ向かった。
古い井戸は、村の外れにあった。
石は黒ずみ、周りには草が伸びている。
井戸のふたは半分割れていた。
見るからに放置されている。
「これは危ないな」
「申し訳ございません。子どもが近づかぬようにはしておりますが……」
「責めていない。落ちたら危ない。まず周りを片づけよう」
俺が言うと、村人たちがすぐに動き出した。
草を刈り、割れたふたをどかす。
井戸の中をのぞくと、底は暗かった。
水は見えない。
「やはり枯れているようですな」
村長が言う。
俺もそう思った。
だが、その瞬間。
視界が少しだけ揺れた。
《最悪予測》だ。
見えたのは、夜の村。
燃える家。
逃げる村人。
そして、井戸のそばで倒れている子ども。
【二十日後、水不足により村で病が広がります】
俺は息をのんだ。
病。
またか。
食料、魔物、税、水路。
今度は水不足で病気。
本当に休む暇がない。
「若様?」
村長が不安そうに俺を見る。
俺は井戸の中をもう一度のぞいた。
「この井戸、調べる」
「ですが、水は……」
「底に泥が詰まっているかもしれない。掘り直せば使える可能性がある」
根拠は薄い。
だが、未来が見えた以上、放っておけない。
「すぐに職人を呼べ。村人だけで中へ入るな。崩れたら危ない」
「かしこまりました」
「それと、今使っている井戸の水も調べる。濁りがないか、病人が増えていないか確認しろ」
村長の顔が変わった。
「病でございますか?」
「あくまで念のためだ」
念のため。
最近、この言葉ばかり使っている気がする。
だが、この念のためで人が助かるなら、それでいい。
翌日。
屋敷から呼んだ職人たちが、古い井戸の修理を始めた。
村人たちは遠巻きに見守っている。
井戸の中からは、泥と崩れた石が何度も引き上げられた。
「かなり詰まっておりますな」
職人が汗をぬぐう。
「でも、奥に湿り気があります。完全に枯れてはいないかもしれません」
「続けてくれ。ただし無理はするな。交代で作業するんだ」
「はい、若様」
作業は半日続いた。
やがて、井戸の底から声が上がる。
「水です! 水が出ました!」
村人たちがざわつく。
しばらくすると、桶に入った水が上がってきた。
まだ少し濁っている。
だが、確かに水だった。
「出た……!」
「本当に水が戻ったぞ!」
村人たちが歓声を上げる。
村長はその場にひざまずいた。
「若様……この井戸まで救ってくださるとは……!」
「まだ飲むな。水質を確認してからだ」
「はい!」
俺は慌てて止めた。
せっかく水が出ても、腹を壊したら意味がない。
職人たちに追加の確認を命じる。
そこで、井戸の底から別の声がした。
「若様。底に妙な石があります」
「妙な石?」
「紋章のようなものが刻まれております」
俺は身を乗り出した。
職人が泥を落とした石板を上げてくる。
そこには、古い紋章が刻まれていた。
剣と盾。
その周りを囲む麦の穂。
グランヴェル家の紋章だ。
「なぜ、こんなところに……」
俺は思わずつぶやいた。
村長も首をかしげる。
「その井戸は、私が生まれる前からありました。誰が作ったのかも分かりませぬ」
古い井戸。
底に刻まれたグランヴェル家の紋章。
普通に考えれば、昔の領主が作った井戸というだけかもしれない。
だが、妙に引っかかった。
なぜ井戸の底に紋章を刻む?
人に見せるためなら、外側でいいはずだ。
底に刻んでも、普段は見えない。
まるで、何かを封じるための印みたいだ。
いや、考えすぎか。
今は水の方が大事だ。
「石板は傷つけるな。そのまま残せ」
「よろしいのですか?」
「ああ。古いものなら、無理に動かさない方がいい」
そう言うと、セシリアがじっと石板を見ていた。
「セシリア嬢?」
「いえ……その紋章、少し変わっていますね」
「変わっている?」
「今のグランヴェル家の紋章より、古い形に見えます」
そうなのか。
俺には違いが分からない。
だが、セシリアは公爵家の令嬢だ。
紋章にも詳しいのだろう。
「昔のものか」
「おそらくは」
セシリアは小さく首をかしげる。
「ですが、井戸の底に刻む理由は、私にも分かりません」
やはり変だ。
でも今は、深く追う時間がない。
王都行きも近い。
俺は石板から目を離した。
「水が使えるようになれば、村の負担は減る。まずはそれを優先する」
「はい」
セシリアはうなずいた。
だが、その目には少しだけ疑問が残っていた。
数日後。
井戸の水は、煮沸すれば使えることが分かった。
村人たちは大喜びした。
「若様のおかげで、水の心配まで減りました!」
「これで病人も少なくなります!」
「本当にありがとうございます!」
また感謝された。
もう何度目だろう。
いまだに慣れない。
「礼はいい。水は必ず煮てから飲め。井戸の周りも清潔に保て」
「はい、若様!」
村人たちは元気に返事をする。
その顔には、少しずつ余裕が戻っていた。
食料。
水。
畑。
一つずつ、領地の問題が減っていく。
俺はただ、破滅したくなくて動いているだけだ。
でも、そのたびに誰かが助かっている。
それを見ていると、もう「自分のためだけ」とは言い切れなくなってきた。
セシリアが隣で微笑む。
「また一つ、村が救われましたね」
「大げさだ。井戸を直しただけだ」
「その“だけ”が、皆さんには大切なのです」
俺は返事に困った。
その時、井戸の底から冷たい風が吹いた気がした。
ほんの一瞬。
俺は井戸を見下ろす。
暗い底には、水面が小さく揺れていた。
そこに沈む、古いグランヴェル家の紋章。
なぜか、その紋章が俺を見ているような気がした。
考えすぎだ。
そう思うことにした。
今はまだ。
この井戸の意味を、俺は知らない。




