第10話 悪役貴族、領地を守ると決める
王都へ行く準備は、すぐに始まった。
持っていく書類。
護衛の人数。
馬車の手配。
留守の間の領地運営。
決めることが多すぎる。
俺は執務室で、また帳簿と書類に囲まれていた。
「王都へ持っていく資料は、税制改革、不正役人の処分記録、食料配布、魔物討伐の報告書。この四つでいいな」
「はい。加えて、商人ギルドとの契約書もあるとよいかと」
セシリアが隣で答える。
もはや完全に手伝ってくれていた。
ありがたい。
かなりありがたい。
だが、少しだけ申し訳ない。
「セシリア嬢。本当にここまで手伝ってもらっていいのか?」
「もちろんです」
即答だった。
「私はレオン様の婚約者ですから」
その言葉に、少しだけ胸が詰まる。
原作では、彼女は俺を見限る。
王子側につく。
それが当然なくらい、原作のレオンはひどかった。
けれど今、彼女は隣にいる。
俺の書類を見て、王都向けの言い方を直し、足りない証拠を教えてくれる。
かなり大きな変化だ。
破滅フラグを一つ折った。
そう思っていいのかもしれない。
「レオン様?」
「いや。助かっている。ありがとう」
そう言うと、セシリアは少しだけ嬉しそうに笑った。
「はい」
やめてくれ。
その笑顔は、本当に心臓に悪い。
昼過ぎ。
俺は領地の見回りに出た。
王都へ行く前に、自分の目で確認しておきたかった。
最初に向かったのは、税を減らした村だ。
村人たちは、畑で作業をしていた。
まだ豊かとは言えない。
水路も直し始めたばかりだ。
それでも、前より表情は明るい。
「若様!」
村長が俺に気づき、駆け寄ってきた。
「王都へ行かれると聞きました」
「ああ。少し説明を求められている」
「まさか、若様が責められるのですか?」
村長の顔が曇る。
周りの村人たちも手を止めた。
まずい。
不安にさせた。
俺はできるだけ軽く言う。
「心配するな。説明するだけだ」
「ですが、若様は何も悪いことをしておりません!」
村長が声を強めた。
「税を下げてくださった。食料も分けてくださった。魔物からも守ってくださった。これで責められるなど、おかしな話です」
周囲の村人たちもうなずく。
「そうです!」
「若様は俺たちを救ってくれました!」
「王都の方々にも、私たちが証言します!」
俺は言葉に詰まった。
やめてくれ。
そんなふうに言われると、困る。
俺はただ、自分が断罪されたくなくて動いただけだ。
でも、村人たちの目は本気だった。
俺を守ろうとしている。
領民から恨まれるはずだった悪役貴族が、領民に心配されている。
変な気分だった。
悪くない。
少しだけ、そう思った。
「気持ちはありがたい。だが、今は畑と水路を優先してくれ。お前たちの暮らしが安定することが、一番の証拠になる」
「若様……!」
村長の目が潤む。
だから泣くな。
俺は本当に、泣かれるのに弱い。
次に、北の村へ向かった。
魔物に襲われるはずだった村だ。
森側には、仮の柵が作られていた。
騎士たちも見回りをしている。
子どもたちが、俺を見るなり手を振った。
「若様!」
「魔物をやっつけた若様だ!」
やめろ。
その呼び方は恥ずかしい。
子どもたちは俺の周りに集まってくる。
「また来てくれたの?」
「ああ。村の様子を見に来た」
「もう魔物は来ない?」
その質問に、俺は少しだけ迷った。
絶対に来ないとは言えない。
だが、不安にさせたくもない。
「来ないように、騎士たちが見張っている。水路も直す。だから、勝手に森には入るな」
「うん!」
子どもは元気にうなずいた。
その母親が、深く頭を下げる。
「若様。この子が生きているのは、若様のおかげです」
「大げさだ」
「大げさではありません」
母親は首を振った。
「若様が来てくださらなければ、私たちは何も知らずに襲われていました」
返す言葉がなかった。
実際、その通りだ。
《最悪予測》がなければ、俺も気づかなかった。
未来を見たから動けた。
でも、動いたのは俺だ。
その結果、この子どもは今、笑っている。
そう考えると、胸の奥がまた少し熱くなった。
夕方。
屋敷へ戻ると、バルトが待っていた。
「若様。王都行きの準備は整っております」
「分かった」
「留守中の領地運営につきましても、ご指示通り進めます」
バルトは書類を手にしていた。
水路修理。
食料配布の継続。
森の見回り。
不正役人の調査。
騎士団装備費の確認。
俺が出発しても、領地改革は止めない。
「何かあれば、すぐ手紙を送れ。小さな問題でもだ」
「かしこまりました」
「あと、村人に無理をさせるな。水路修理は急ぐが、倒れたら意味がない」
「はい」
バルトは少しだけ笑った。
「若様は、本当に変わられましたな」
「そうか?」
「以前の若様であれば、領民の体調まで気にされることはありませんでした」
以前のレオンを思うと、胃が痛い。
どれだけひどかったんだ。
「これからは気にする」
「はい」
バルトは深く頭を下げた。
「このバルト、若様のため、そして領地のため、全力を尽くします」
重い。
信頼が重い。
でも、不思議と嫌ではなかった。
俺はうなずいた。
「頼む」
夜。
俺は一人、屋敷のバルコニーに出た。
遠くに村の明かりが見える。
最初に目覚めた時、俺は自分のことしか考えていなかった。
断罪されたくない。
国外追放されたくない。
死にたくない。
今も、それは変わらない。
俺は死にたくない。
悪役貴族として破滅するなんて絶対に嫌だ。
だが、少しだけ変わったことがある。
あの村人たちを見捨てたくない。
子どもが笑っている村を、魔物に壊されたくない。
俺を信じると言ったセシリアを、王都の悪意に巻き込みたくない。
バルトや使用人たちの期待を、無駄にしたくない。
「面倒だな……」
思わずつぶやく。
守りたいものが増えると、面倒も増える。
前世では、そういうものから逃げたかった。
だが、今は逃げられない。
逃げたら、全部原作通りになる。
領民は苦しむ。
セシリアは俺を見限る。
王子に断罪される。
そんな未来は、もう嫌だ。
背後で足音がした。
振り向くと、セシリアが立っていた。
「お邪魔でしたか?」
「いや。眠れなかっただけだ」
「王都が不安ですか?」
「かなり」
正直に言った。
取り繕う余裕はなかった。
セシリアは隣に立つ。
「大丈夫です」
「何が?」
「あなたは、悪いことをしていません」
彼女は遠くの村の明かりを見た。
「それに、あなたが守ったものは、もうあなたを守ってくれます」
俺は何も言えなかった。
領民。
使用人。
騎士団。
そしてセシリア。
少し前まで、俺を断罪する側になるはずだったものが、今は俺の周りにある。
そう思うと、少しだけ怖さが薄れた。
「セシリア嬢」
「はい」
「俺は、王都でうまくやれるか分からない」
「はい」
「でも、この領地だけは守る」
言葉にした瞬間、不思議と腹が決まった。
「破滅を避けるためでもいい。自分のためでもいい。結果として領民が助かるなら、それでいい」
セシリアは静かに微笑んだ。
「それは、立派な領主の考え方だと思います」
「買いかぶりすぎだ」
「いいえ。私はそう思います」
まっすぐ言われると、逃げ場がない。
俺は視線をそらした。
「明日、王都へ向かう」
「はい。私もご一緒します」
「……本当に来るのか?」
「当然です。私はあなたの婚約者ですから」
その言葉に、また胸がむずがゆくなる。
俺は遠くの村明かりを見た。
悪役貴族として破滅する未来。
それはまだ消えていない。
だが、もう原作通りには進ませない。
俺はこの領地を守る。
そのために、王都へ行く。
たとえ王子が何を言ってきても。
俺はもう、何もしない悪役貴族ではない。
そう決めた。




