第71話 母セレスティア、初めて帳簿を見る
セレスティア・ヴァレンシュタインは、帳簿が嫌いだった。
嫌い、という言葉すら少し違うかもしれない。
怖かったのだ。
数字は、言い訳を聞いてくれない。
この支出は娘のためだった。
この髪飾りは誕生日の贈り物だった。
このドレスは王太子妃候補として必要だった。
この茶会は公爵家の体面のためだった。
この謝礼は夫人会との関係を保つためだった。
そうした言葉を、数字はひとまず横へ置く。
金貨何枚。
銀貨何枚。
支払い元。
承認者。
名目。
不足した費目。
延期された修繕。
そこに、涙は書かれない。
母の愛情も、娘の笑顔も、社交界の視線も、王太子妃候補としての焦りも、帳簿の数字には直接は載らない。
だから、セレスティアは帳簿を見ないできた。
見なかったのではない。
自分では、そう思っていた。
家政は家令が整えるもの。
当主が最終承認するもの。
公爵夫人は、家の顔と娘の装いを整えるもの。
細かな数字は専門の者が見るもの。
そう言い聞かせていた。
けれど王家監督下に置かれた今、その言い訳はもう通じなかった。
監督官ヘルマンは、王都屋敷の南側応接室を臨時の確認室に変えていた。
かつては夫人たちを招いて茶を飲んだ部屋だ。
薄い香りの茶、季節の菓子、花瓶、柔らかな会話。
今、机の上にあるのは茶器ではなく、帳簿だった。
リリアナのドレス帳。
装飾品記録。
教育費名目支出表。
社交費再分類案。
使用人宿舎暖房修繕延期記録。
そして、リリアナ本人が付けた青、黄、赤、白の札。
青。必要教育費。
黄。社交体裁費。
赤。過剰装飾または名目不適切。
白。保留。
その四色の札を見た瞬間、セレスティアは胸が締めつけられた。
リリアナの字だった。
少し丸くて、以前より丁寧になった字。
赤札の端に、小さく書かれている。
――刺繍追加。嬉しかった記憶あり。ただし教育費ではない。
白札には、こうあった。
――髪飾り。既存品の有無を確認。記憶曖昧。
黄札には。
――春茶会ドレス本体。社交体裁として必要だった可能性。ただし金額は再確認。
セレスティアは、その文字から目を離せなかった。
娘が、自分のドレスを数字として見ている。
可愛いと褒められた日の記憶を、ただ捨てるのではなく、帳簿の上に置いて見ている。
それが、たまらなく痛かった。
「奥様」
ヘルマンの声がした。
かつてなら、公爵夫人に対してこのような硬い呼び方をする者は少なかった。
だが今の彼は王家監督官であり、セレスティアは監督対象だった。
「本日は、リリアナ様関連支出の再分類について、ご本人の記憶と監督官側の帳簿を照合します。奥様には、当時の承認理由を確認いたします」
「……はい」
セレスティアは椅子に座った。
向かいにはヘルマン。
横には女官長マルタ。
そして少し離れた席に、エレノアがいた。
エレノアは証人でも、裁く者でもない。
王妃基金臨時長としてではなく、公爵家監督に関わる当事者として同席している。
リリアナはいない。
今日は母娘対面の場ではない、と決められた。
リリアナ本人が、今は同席しないと選んだのだ。
――お母様が帳簿を見るなら、私は別の日に報告だけ聞きます。私がいると、お母様が私を見て泣くかもしれないから。
その伝言を聞いた時、セレスティアは泣いた。
図星だった。
娘が目の前にいれば、きっとリリアナを見て泣いてしまう。
こんなものを見せてごめんなさい。
あなたを苦しめてごめんなさい。
でも、可愛かったのよ。
あなたに似合うと思ったのよ。
お母様は、ただあなたを幸せにしたかったのよ。
そう言って、また娘に慰めさせたかもしれない。
だから、リリアナは同席しなかった。
それは拒絶ではない。
母を待つための距離だった。
セレスティアには、それが分かった。
分かったから、余計に痛かった。
ヘルマンが最初の帳面を開いた。
「十三歳春、夫人会親善茶会用ドレス。薄桃色。仕立て代銀貨八十枚、刺繍追加銀貨二十枚、髪飾り銀貨十二枚。支払い元は教育支度費。承認者は奥様、最終承認はグレゴール公爵」
セレスティアは、布見本を見た。
ああ、と心の中で声が出た。
覚えている。
あの春。
リリアナは鏡の前でくるりと回った。
薄桃色が頬の色に合って、袖口の白い花刺繍が揺れて、本当に可愛かった。
セレスティアは、思わず拍手した。
リリアナが笑った。
それが嬉しかった。
ただ、それだけだった。
「刺繍追加について、教育上必要と判断した理由はありますか」
ヘルマンが問う。
セレスティアは、布見本を見つめたまま答えられなかった。
教育上必要。
そんなことを、当時考えただろうか。
考えていない。
可愛かったから。
リリアナに似合うと思ったから。
王太子殿下の目に留まればいいと思ったから。
他家の令嬢たちに見劣りさせたくなかったから。
それを、教育上必要という名目に入れた。
「ありません」
セレスティアは、ようやく言った。
声がかすれていた。
「刺繍追加は、私の好みと体面です。教育上の必要ではありません」
ヘルマンは、淡々と記録する。
「では、赤分類に異議なし」
「はい」
赤札が正式になる。
リリアナの嬉しかった記憶に、赤札が貼られる。
いや、そうではない。
エレノアの言葉を思い出す。
数字は数字。記憶は記憶。
赤札が貼られるのは、記憶ではない。
支出名目だ。
そう自分に言い聞かせても、胸は痛む。
次は、誕生日の真珠髪飾りだった。
セレスティアの手が、思わず震えた。
「これは……」
「十四歳誕生日、真珠髪飾り。支払い元、教育支度費。用途欄には“王宮挨拶予備装飾”とあります」
ヘルマンの声は変わらない。
セレスティアは目を閉じた。
あの日、リリアナは寝起きの髪を侍女に整えられながら、まだ少し眠そうな顔をしていた。
箱を開けた瞬間、目がぱっと輝いた。
母の手から髪飾りを受け取り、何度も鏡を見た。
お母様、大好き。
そう言って抱きついてきた。
セレスティアは、その温かさを覚えている。
忘れられるわけがない。
「これは、贈り物でした」
セレスティアは言った。
「王宮挨拶のためではなく、私がリリアナに贈りたかったものです」
「では、教育支度費ではなく私的贈答費として分類すべきでしたか」
「はい」
「当時、私的贈答費の枠はありましたか」
セレスティアは口を閉じた。
あった。
ただし、その時期にはすでに上限に近かった。
社交費も、贈答費も、夫人会謝礼も膨らんでいた。
だから、教育支度費に入れた。
入れられると思った。
誰も困らないと思った。
帳簿上は。
「ありましたが、余裕がありませんでした」
「では、教育支度費へ混入した」
「はい」
言葉にすると、ひどく冷たい。
混入。
自分の贈り物が、不適切な支出になる。
それでも、言わなければならない。
「リリアナ様の札には、白分類とされています」
ヘルマンが言った。
「既存品の有無を確認、と」
セレスティアは、涙が出そうになるのをこらえた。
娘は、母からの贈り物にすぐ赤札を貼らなかった。
保留にした。
記憶を守ろうとしたのかもしれない。
それとも、判断できなかったのかもしれない。
どちらにしても、リリアナらしい。
「既存の髪飾りは、ありました」
セレスティアは言った。
「ただ、あの真珠は……私が、贈りたかった」
言ってから、自分で息を呑んだ。
それは理由ではない。
少なくとも帳簿の理由にはならない。
ヘルマンは、しばらく黙っていた。
そして淡々と問う。
「分類は、私的贈答費。ただし教育費混入として修正。過剰装飾に該当するかは、財務官判断。よろしいですか」
セレスティアは、小さく頷いた。
「はい」
涙が一粒落ちた。
マルタが黙って布を差し出した。
セレスティアは礼を言い、涙を拭いた。
エレノアは何も言わなかった。
その沈黙が、今はありがたかった。
慰められたら、崩れていたかもしれない。
次に、王宮挨拶用の水色ドレス。
セレスティアは、それも覚えていた。
王太子ユリウスが、リリアナを褒めた日。
エレノアはその場にいた。
控えめな濃紺のドレスで、王太子府の書類を手にしていた。
リリアナは水色で、光の中にいた。
その時、自分は何を見ていたのだろう。
王太子の笑顔。
リリアナの頬の赤み。
周囲の夫人たちの視線。
公爵家の未来。
では、エレノアの顔は?
覚えていない。
そのことが、何よりも痛かった。
「この水色ドレスは、王宮挨拶用としては必要でしたか」
ヘルマンが問う。
「本体は、必要だったと思います」
セレスティアは答えた。
「ただし、追加の銀糸飾りと靴飾りは過剰でした」
「理由は?」
「王太子殿下に、リリアナを見ていただきたかったからです」
言った瞬間、部屋の空気が少し重くなった。
エレノアは表情を変えなかった。
けれど、セレスティアの胸には刃のように刺さった。
リリアナを見てほしかった。
その隣で、エレノアは見られなくなっていた。
「エレノア」
思わず名前を呼びかけて、セレスティアは止まった。
謝りそうになった。
許しを求めそうになった。
それは、今日の場ですることではない。
エレノアは静かに言った。
「今は帳簿を見てください」
その一言は厳しかった。
だが、正しかった。
セレスティアは唇を噛み、頷いた。
「はい」
ヘルマンは記録する。
――水色ドレス本体、社交体裁費。追加銀糸飾り、過剰装飾。靴飾り、過剰装飾。承認理由、王太子殿下への印象強化。教育費名目としては不適切。
美しい言い方ではない。
けれど、それが事実だった。
帳簿の確認は、昼前まで続いた。
セレスティアは何度も言葉に詰まった。
泣きそうになった。
言い訳をしたくなった。
それでも、ヘルマンは待った。
急かさず、慰めず、問いを置き続けた。
「教育上必要でしたか」
「既存品はありましたか」
「支払い元を把握していましたか」
「使用人宿舎修繕延期と同時期であることを知っていましたか」
その最後の問いで、セレスティアは完全に黙った。
使用人宿舎修繕延期。
薄桃色の刺繍追加。
真珠髪飾り。
水色ドレスの銀糸。
同じ年度の帳簿に並んでいる。
知らなかった、と言いたかった。
でも、報告は上がっていた。
家政担当から、暖房修理の見積もりが来ていた。
セレスティアは、それをグレゴールへ回した。
そして、夫人会謝礼とリリアナの支度費を優先した。
寒い部屋で眠る下級使用人の顔を、見に行かなかった。
「知っていました」
セレスティアは言った。
声は震えていた。
「正確な金額は見ていません。でも、修繕が必要だという報告は知っていました」
「なぜ優先しなかったのですか」
「……使用人たちは、今までも我慢していたから」
言った瞬間、自分で自分の言葉にぞっとした。
今までも我慢していたから。
なんて言葉だろう。
ヘルマンは表情を変えずに記録した。
エレノアは静かに目を伏せた。
マルタの顔には、ほんのわずかに痛みが浮かんだ。
セレスティアは、手で口元を押さえた。
「今の言葉を、取り消したいです」
ヘルマンは首を横に振った。
「記録はします。ただし、所見を追加できます」
「……お願いします」
「所見を」
セレスティアは、しばらく呼吸を整えた。
そして、絞り出すように言った。
「私は、使用人の我慢を、家の都合に使いました。寒さを知りながら、慣れているだろうと思いました。私が間違っていました」
ヘルマンは記録した。
冷たい紙の上に、セレスティアの最も醜い言葉と、それに対する所見が並ぶ。
逃げられない。
でも、これで初めて見たことになる。
昼食休憩が入った。
セレスティアは、ほとんど食欲がなかった。
だが、マルタに「少しでも召し上がってください」と言われ、薄いスープを飲んだ。
エレノアも同じ部屋にいたが、会話はほとんどなかった。
沈黙の中で、セレスティアは思った。
以前なら、自分は泣き、エレノアは困り、リリアナは慰めようとしただろう。
今日は違う。
誰も慰めの役割を自動で引き受けない。
そのことが苦しく、同時に正しい。
午後は、セレスティア自身の社交費と夫人会謝礼に入った。
ここは、リリアナのドレス帳以上に厳しかった。
茶会の花代。
菓子代。
夫人会への謝礼。
非公式贈答。
別口資金に流れた可能性がある支出。
オルガ・ベルナールへ渡した品。
リゼット・グラン経由の布代。
セレスティアは、そのすべてに直接関わっていたわけではない。
けれど、いくつかは自分の印があった。
特に、夫人会への過剰謝礼。
それは「関係維持費」として処理されている。
関係維持。
便利な言葉だ。
それがどこへ流れるか、深く見なかった。
見たくなかった。
「私は、オルガ様を信じていました」
セレスティアは言った。
「信じることで、見ない理由にしていました」
ヘルマンは記録する。
「所見として記載します」
エレノアが、そこで初めて口を開いた。
「母上」
その呼び方に、セレスティアは顔を上げた。
エレノアが自分を「母上」と呼んだ。
それだけで泣きそうになる。
だが、エレノアの目は甘くなかった。
「信じていたことと、確認しなかったことは分けてください」
セレスティアは、息を呑んだ。
「はい」
「信じたから悪い、ではありません。信じたことを理由に確認しなかったことが問題です」
「……はい」
セレスティアは、手元の紙を見た。
そこに新しい言葉を書き加えた。
――信じていた。ただし、確認しなかった。
それが痛かった。
でも、正しかった。
夕方近くになり、ようやく初日の確認は終わった。
全体の三分の一にも満たない。
それでも、セレスティアは一日分の人生を削られたように疲れていた。
ヘルマンは書類を整えた。
「本日の確認内容は、監督記録へ反映します。奥様の所見も添付します。次回は三日後、夫人会謝礼支出の続きです」
「三日後……」
「はい。連続して行うと、判断に感情疲労が出ます」
感情疲労。
リリアナの分類作業でも出た言葉だ。
母娘で同じ疲労を経験しているのかと思うと、セレスティアは胸が詰まった。
「分かりました」
ヘルマンとマルタが退室した後、部屋にはエレノアとセレスティアだけが残った。
夕暮れの光が、机の上の帳簿を薄く照らしている。
かつて茶会に使った部屋。
今は帳簿がある。
「エレノア」
セレスティアは、今度はゆっくり呼んだ。
「はい」
「私は、あなたに謝りたいことがたくさんあります」
エレノアは何も言わない。
セレスティアは、続けた。
「でも、今日は謝るより先に、見たことを言います」
エレノアの目が、ほんの少し動いた。
「私は、リリアナを飾ることに夢中でした。あなたを頼ることに慣れていました。使用人たちの寒さを、慣れているだろうと思いました。夫人会を信じることで、確認しませんでした」
声が震える。
それでも、言った。
「私は、母としても、公爵夫人としても、見なかったことが多すぎました」
エレノアは、静かに聞いていた。
セレスティアは、涙をこぼした。
けれど、泣きながら手を伸ばすことはしなかった。
抱きしめてほしいとも言わなかった。
許してほしいとも。
「今日、それを帳簿で見ました」
エレノアは、長く黙っていた。
そして言った。
「記録に残します」
それは、慰めではなかった。
許しでもなかった。
だが、セレスティアには十分だった。
「お願いします」
エレノアは、机の上の赤札を見た。
「リリアナへは、今日の内容を要約して伝えます。母上が見たこと、認めたこと。ただし、詳細をどこまで知るかはリリアナが選びます」
「はい」
「母上から直接伝えたいことがあれば、監督官を通してください」
「……分かりました」
セレスティアは、少しだけ微笑んだ。
寂しい微笑みだった。
「今すぐ会いたいと言わない練習をしています」
エレノアは、少しだけ目を伏せた。
「リリアナも、今すぐ会わない練習をしています」
「そうですね」
母と娘が、会わない練習をしている。
なんて不器用な家族だろう。
それでも、以前よりはましなのかもしれない。
以前は、距離を取ることさえできなかった。
夜、エレノアは王宮へ戻り、リリアナへ報告した。
全部ではない。
本人が知るべき範囲だけ。
リリアナは手帳を開き、真剣に聞いた。
母が刺繍追加を教育費ではないと認めたこと。
真珠髪飾りは贈り物だったが、帳簿上は不適切だったこと。
水色ドレスの追加装飾は王太子への印象強化だったこと。
使用人宿舎の修繕を知りながら、優先しなかったこと。
そして、母が「使用人の我慢を家の都合に使った」と所見を書いたこと。
リリアナは、途中で何度も涙をこらえた。
最後まで聞いてから、ぽつりと言った。
「お母様、ちゃんと嫌なところを見たのね」
「ええ」
「泣いた?」
「泣いたわ」
「でも、途中でやめなかった?」
「やめなかった」
リリアナは、手帳に書いた。
――お母様、帳簿を見る。刺繍追加、教育費ではない。真珠髪飾り、贈り物だけど帳簿は不適切。使用人の我慢を家の都合に使った、と認める。
――泣いても、途中でやめなかった。
書き終えると、リリアナは少し黙った。
「私、お母様を少し見直したかもしれない」
「ええ」
「でも、許したわけじゃない」
「それでいいわ」
「両方あっていい?」
「ええ」
リリアナは頷いた。
「両方本当」
それは、ドレス帳を開いた日に学んだ言葉だった。
記憶と数字。
母への怒りと、少しの見直し。
会いたい気持ちと、まだ怖い気持ち。
全部、同じ心の中にある。
どれか一つにしなくていい。
「お姉様」
「何?」
「いつか、お母様と一緒にドレス帳を見る日が来るかな」
「来るかもしれないわ」
「今はまだ無理」
「ええ」
「でも、いつか」
「次に見る日を、まだ決めなくてもいいわ」
リリアナは少し笑った。
「珍しい。お姉様がそう言うなんて」
「人の心には、まだ次に見る日を書けないものもあるから」
リリアナは、その言葉を手帳に書いた。
――人の心には、まだ次に見る日を書けないものもある。
その夜、エレノアは自分の記録をまとめた。
――セレスティア、公爵家帳簿初回確認。リリアナ関連支出の一部について、教育費名目の不適切使用、過剰装飾、私的贈答費混入を認める。使用人宿舎修繕延期を知りながら優先しなかったことを認め、「使用人の我慢を家の都合に使った」と所見。
――泣いたが、確認を中断せず。謝罪より先に、見たことを述べた。
付記。
――涙で帳簿は変わらない。しかし、涙を流しながらでも帳簿を見ることはできる。
――母の愛情と帳簿の不適切さは、同じ物の中に両方存在しうる。どちらか一方にしてはならない。
書き終えた後、エレノアはしばらくペンを置けなかった。
母もまた、少しずつ変わろうとしている。
それを喜びたい自分がいる。
遅すぎると怒る自分もいる。
どちらも本当だ。
エレノアは、最後にもう一行だけ書いた。
――私も、両方本当として記録する。




