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第60話 七日後の小窓

 七日後、南区孤児院の洗濯場の小窓を見に行く日が来た。


 予定表には、たった一行で書かれていた。


 ――南区孤児院、洗濯場小窓再確認。


 それだけである。


 王宮の大きな予定表の中では、あまりにも小さい。


 同じ日には、王太子府の再教育報告、ベルナール分家の補填金処理、夫人会臨時窓口の新様式確認、救貧院の冬季支援第二便、薬草園の匂い欄付き記録試行も入っていた。


 それらに比べれば、小窓ひとつの確認など、些細に見える。


 けれど、エレノアはその一行に赤ではなく、青の印をつけていた。


 青は継続確認。


 重要度ではなく、忘れてはいけない約束の印だ。


 最初に窓布を掛けた日、ロウ夫人は言った。


 洗濯場は湿気が多く、布が傷みやすい。


 だから七日後に見る。


 その約束を守る日だった。


 王妃基金臨時長が自ら行く必要があるかと問われれば、必ずしもそうではない。


 記録係と夫人会代表代行だけでも足りる。


 けれど、エレノアは行くことにした。


 最初の再確認は、制度の癖を決める。


 約束した再確認が、本当に行われるのか。


 現場はそれを見ている。


 王宮側も、それを見ている。


 ここで「小窓だから」と後回しにすれば、次も後回しになる。


 後回しは、やがて空欄になる。


 空欄は、誰かの夜に風を入れる。


 だから、行く。


 朝の北翼執務室で、リリアナは小窓再確認の記録紙を何度も見直していた。


「洗濯場小窓、前回確認者、デリア様。作業者、ミリアム様、メイベル様、ニナさん。次に見る日、七日後。確認項目、湿気、布端ほつれ、留め具、風の入り方、洗濯時の邪魔にならないか」


 声に出して読んでから、彼女は顔を上げた。


「洗濯時の邪魔、という項目もいるのね」


「いるわ」


 エレノアは別の書類に署名しながら答えた。


「布が風を防いでも、洗濯作業の邪魔になれば別の問題になる」


「支援って、つければ終わりじゃないのね」


「ええ」


「次に見る日があるから、支援が続く」


「よい理解ね」


 リリアナは、少しだけ嬉しそうにした。


 最近、褒められた時に過剰に浮かれなくなった。


 ただ、ちゃんと受け取る。


 それも変化だった。


「今日、デリア様も来るの?」


「来るわ。前回の確認署名者だから」


「ミリアム様も?」


「ええ。夫人会代表代行として」


「メイベル様は?」


「希望があったけれど、今日は別の作業があるそうよ。代わりに、前回の報告書を読んで追記を出している」


「追記?」


 リリアナが首を傾げる。


 エレノアは紙を一枚渡した。


 そこには、メイベル夫人の柔らかい字で書かれていた。


 ――七日後確認時、玉結び部分がほどけていないか見てください。私が縫った箇所は三番留め具の下です。ニナさんに教わりながら縫いましたが、まだ自信がありません。必要なら直してください。

 ――次は私も直せるよう練習します。


 リリアナは、それを読んで小さく笑った。


「正直」


「ええ。とてもよい追記だと思うわ」


「自信がありませんって、書いていいのね」


「書いた方がいい時もある」


「『大丈夫です』って書くより?」


「本当に大丈夫ならいいけれど、自信がないなら、その方が次の人が注意して見られる」


 リリアナは、手帳へ書いた。


 ――自信がないところを書くと、次の人が注意して見られる。


「これ、私の勉強にも使えそう」


「そうね」


「『この計算、自信がありません』って書いてもいい?」


「もちろん。ただし、どこが自信ないかも書くこと」


「そこまで?」


「そこまで」


 リリアナは少しだけ頬を膨らませたが、すぐに頷いた。


「分かりました」


 そこへカインが入ってきた。


 今日も黒に近い上着で、手には王弟府の書類を持っている。


「小窓へ行くのか」


「はい」


 エレノアが答えると、カインは机の上の予定表を見た。


「午後には王太子府の再教育進捗確認がある」


「それまでに戻ります」


「昼食を抜くな」


 リリアナがすぐに頷く。


「私が見ています」


「頼む」


「任されました」


 なぜかリリアナが誇らしげだった。


 エレノアは少しだけ困った顔をした。


「私はそこまで信用がないのですか」


 カインとリリアナが同時に沈黙した。


 その沈黙が答えだった。


「……分かりました。食べます」


「よろしいと思います」


 リリアナの口調が少しマルタに似てきた。


 南区孤児院へ向かう馬車には、エレノア、リリアナ、デリア夫人、ミリアム夫人、オスカー、そして女官二名が乗った。


 デリア夫人は、前回よりさらに実用的な服装をしていた。


 手袋も最初から作業用である。


 ミリアム夫人がそれを見て、満足げに頷いた。


「今日は替えなくてよろしいのね」


「はい。前回、学びましたので」


 デリア夫人は少しだけ苦笑した。


「ただ、家を出る時に侍女が非常に心配そうな顔をしました」


「侯爵夫人が作業用手袋で外出するのは、まだ珍しいですもの」


「珍しいままで終わらせたくありませんわね」


 その言葉に、エレノアは視線を向けた。


 デリア夫人は、馬車の窓の外を見ながら続けた。


「夫人会で前回の作業報告を読み上げました。最初は皆、戸惑っていました。窓布の番号や、湿気や、玉結びの話など、夫人会の報告らしくありませんから」


「反応は?」


「半分は退屈そうでした。もう半分は、妙に真剣でした」


 ミリアム夫人が補足する。


「特に若い方々は、思ったより食いつきましたわ。『茶会より役に立ちそう』と小声で言った方もいました」


「それはよい兆しですね」


 エレノアが言うと、デリア夫人は頷いた。


「ええ。ただ、良いことをした気分に酔わないようにしなければなりません」


 その言い方に、リリアナが顔を上げた。


「酔う?」


「ええ。反省している自分、現場へ行く自分、質素な服を着る自分。それに酔うこともあります」


 デリア夫人の声は静かだった。


「私自身も、気をつけなければならないと思っています」


 リリアナは少し考え、手帳に書いた。


 ――反省している自分に酔わない。


「また難しいことが増えました」


 リリアナが呟くと、ミリアム夫人が笑った。


「増えますわよ。大人になると、難しいことばかりです」


「大人になりたくなくなります」


「でも、知らないまま子供でいる方が危ないと、もう知ってしまったでしょう?」


 リリアナは、少しだけ唇を結んだ。


「はい」


 ミリアム夫人は優しく頷いた。


「なら、大丈夫です。難しいと思えるうちは、まだ見ています」


 馬車が孤児院に着くと、ロウ夫人が門の前で待っていた。


 今日は小さな子供が二人、彼女の後ろからこちらを覗いている。


 リリアナを見ると、そのうち一人が小さく手を振った。


 リリアナも、少し照れながら手を振り返す。


 以前なら、可愛らしく微笑むだけだったかもしれない。


 今日は、その子の顔を覚えようとしていた。


 名前はまだ分からない。


 でも、次に聞けるかもしれない。


「お待ちしていました」


 ロウ夫人は、いつものように簡潔だった。


「洗濯場の小窓ですが、やはり湿気が出ています」


 いきなり本題。


 デリア夫人は少し表情を引き締めた。


「傷みましたか」


「大きな傷みではありません。ただ、布端が少し重くなっています。洗濯の湯気で湿るようです」


「では、確認しましょう」


 ロウ夫人は、一瞬だけデリア夫人を見た。


 前回より、ほんの少しだけ柔らかい目だった。


 孤児院の中は、前より暖かかった。


 食堂の窓布はきちんと掛かっている。


 子供たちが触ったのか、番号札の位置が少し曲がっているものもあるが、布自体は問題なさそうだった。


 リリアナは思わず足を止める。


「食堂、前より風が少ないですね」


「はい」


 ロウ夫人は短く答えた。


「子供たちは、窓際の席を嫌がらなくなりました」


 その一言に、夫人たちの表情が変わった。


 窓際の席を嫌がらない。


 それだけ。


 でも、支援が届いた証拠としては十分だった。


 ミリアム夫人が小声で言った。


「報告書に入れましょう」


 オスカーがすでに筆を動かしている。


 洗濯場は建物の奥にあった。


 近づくにつれ、湿った布と石鹸の匂いが強くなる。


 湯を使うため、他の部屋より空気が重い。


 小窓は高い位置にあり、前回掛けた布が揺れていた。


 見た目には問題なさそうだ。


 だが、近づいて触ると、布端が少し湿っている。


「確かに重いですね」


 デリア夫人が手袋越しに確認する。


「三番留め具の下、メイベル様が気にしていた箇所です」


 リリアナが管理表を見ながら言う。


 布の端をめくると、玉結びはほどけていなかった。


 ただ、湿気で糸が少し締まり、布が引きつっている。


 ニナが横から言った。


「そこ、ほどけてないけど、ちょっと固くなってます」


 今日も彼女は当然のように参加している。


 ロウ夫人が許可したらしい。


 メイベル夫人の追記を聞いて、本人が気にしていたのかもしれない。


 デリア夫人は、ニナの言葉を聞いてすぐに頷いた。


「固くなっている、ですね。記録します」


 リリアナが確認する。


「傷み欄に?」


「傷みというより、状態欄かしら」


 ミリアム夫人が言う。


「状態欄……増やしますか?」


 リリアナは少し悩んだ。


 欄を増やしすぎると、ロウ夫人に怒られる。


 でも必要な情報もある。


「状態欄ではなく、備考でどうでしょう。『湿気により糸締まりあり』」


 ロウ夫人が頷いた。


「それで十分です」


 リリアナはほっとした。


 欄を増やさず、備考で足りる。


 ひとつ学んだ。


 布を外して詳しく見ると、問題は二つあった。


 一つは湿気。


 もう一つは、洗濯物を干す時に布の端が邪魔になること。


 洗濯場の職員が、少し申し訳なさそうに言った。


「布を掛けていただいてありがたいのですが、背の低い子が洗濯籠を運ぶ時に、端に引っかかることがあります」


 デリア夫人の顔が緊張した。


「怪我は?」


「ありません。ただ、籠を落としかけました」


 ミリアム夫人がすぐに言った。


「それは問題ですわね」


 リリアナは管理表を見る。


 前回の確認項目に「洗濯時の邪魔にならないか」は入っていた。


 しかし、設置当日はまだ実際の洗濯作業を十分見ていなかった。


 つまり、再確認で初めて見えた問題だ。


「このための七日後だったのですね」


 リリアナが言うと、ロウ夫人は頷いた。


「はい。使ってみなければ分からないことがあります」


 使ってみなければ分からない。


 王宮の制度も同じだ。


 作って終わりではない。


 使ってみて、引っかかるところを見る。


 エレノアは言った。


「布の長さを少し調整しましょう。風を防ぐために下げすぎたのかもしれません」


 ニナがすぐに言う。


「下を少し折ればいいです。でも、折りすぎると風が入ります」


「どのくらい?」


 デリア夫人が尋ねると、ニナは指で示した。


「これくらい。指二本分」


 ミリアム夫人が笑みを浮かべる。


「今日も先生はニナさんですわね」


 ニナは少し赤くなった。


「先生じゃないです」


「でも、助かります」


 デリア夫人が真面目に言うと、ニナはさらに赤くなった。


 作業はすぐに始まった。


 布を一度外す。


 湿った部分を確認する。


 端を指二本分折る。


 仮縫いする。


 もう一度掛ける。


 洗濯籠を持って通ってみる。


 風の入り方を見る。


 記録する。


 途中、リリアナも籠を持って通る役をした。


 洗濯場の子供たちが見ている。


「お嬢様、籠が斜めです」


 一人に言われた。


 リリアナは慌てて持ち直す。


「こう?」


「もっと腰で持つ」


「腰……?」


 洗濯場の職員が笑いながら教えた。


 リリアナはぎこちなく籠を抱え、布端の下を通る。


 今度は引っかからない。


「通れました」


 思わず少し嬉しそうに言うと、子供たちが拍手した。


 リリアナは顔を真っ赤にした。


「拍手するほどでは……」


「初めてなら上出来です」


 ロウ夫人が言った。


 その言葉は、いつもの厳しさより少し柔らかかった。


 リリアナは、照れながらも頷いた。


 デリア夫人が記録する。


 ――布端を指二本分折り上げ。洗濯籠通行確認済み。リリアナ様、職員、児童一名にて確認。風の入り大きな変化なし。三日後、湿気再確認。


「三日後?」


 エレノアが聞くと、デリア夫人は少し緊張しながら答えた。


「七日では長い気がします。湿気の問題があるので、次は三日後に」


 ロウ夫人が頷いた。


「よいと思います」


 デリア夫人は、小さく息を吐いた。


 自分で次に見る日を決めた。


 それは、夫人会にとって大きな一歩だった。


 エレノアは静かに記録へ加えた。


 ――夫人会側より、三日後再確認提案あり。現場承認。


 小窓の作業が終わった後、食堂で短い休憩が取られた。


 今日は子供たちが、前回の夫人会訪問について描いた絵を持ってきた。


 花ではない。


 菓子でもない。


 窓布を掛けている大人たちの絵だった。


 デリア夫人は、その一枚を見て黙った。


 絵の中の彼女は、実物より少し背が高く、手には大きな紙を持っている。


 窓の横に「ばんごう」と書かれていた。


 リリアナは、思わず笑った。


「デリア様、記録係ですね」


「ええ」


 デリア夫人の声は少し詰まっていた。


「子供の絵に、記録係として描かれる日が来るとは思いませんでした」


「嫌ですか?」


 ニナが尋ねる。


 デリア夫人は、首を横に振った。


「いいえ。とても光栄です」


 その言い方があまりに真面目だったので、ニナは少し照れた。


 ミリアム夫人の絵もあった。


 彼女は布を持っている。


 なぜか実物より腕がたくましい。


 ミリアム夫人はそれを見て、楽しそうに笑った。


「まあ、強そうですこと」


 子供たちが笑う。


 エレノアの絵もあった。


 彼女は紙とペンを持っている。


 リリアナの絵は、洗濯籠を持っているところだった。


「私、籠の人になってる」


「今日の活躍ですね」


 ミリアム夫人が言うと、リリアナはむずがゆそうに笑った。


 昔なら、お姫様のように描かれたかった。


 今は、洗濯籠を持つ自分の絵を見て、少し嬉しい。


 不思議だった。


 休憩後、ロウ夫人がエレノアに小さな紙を渡した。


「窓布の件で、子供たちから意見を集めました」


「意見?」


「はい。食堂が暖かくなったか、邪魔なところはないか、触ってはいけない理由が分かるか」


 紙には、子供たちの短い意見が並んでいた。


 ――窓際が寒くなくなった。

 ――番号札が気になる。触りたくなる。

 ――洗濯場の布は長かった。

 ――布の下に虫がいないか見たい。

 ――食堂の布、風でふくらむのがおもしろい。

 ――でも引っぱると怒られる。


 リリアナはそれを読んで、少し笑った。


「正直ですね」


「正直です」


 ロウ夫人は真顔で言った。


「番号札が気になるなら、触ってはいけない理由を説明する必要があります。引っぱると怒られる、だけでは足りません」


「どう説明しますか?」


 リリアナが尋ねると、ロウ夫人は少し考えた。


「布が外れると、夜に風が入る。だから触る時は大人と一緒に確認する」


 リリアナはすぐに書いた。


 ――触るな、ではなく、なぜ触ると困るかを伝える。


「これは、私にも必要かもしれません」


 彼女が言うと、エレノアが首を傾げた。


「何に?」


「昔、お母様に『触ってはいけません』って言われたものがたくさんありました。でも理由を聞かなかったし、聞いても『危ないから』で終わっていたから。理由が分かれば、少し違ったのかなって」


 デリア夫人が静かに言った。


「貴族の家では、理由を省くことが多いですわ。礼儀だから、伝統だから、危ないから、みっともないから」


「それで済ませると、空欄になる」


 リリアナが言う。


 エレノアは頷いた。


「ええ」


 また一つ、窓布から別の制度が見えてきた。


 触るな、ではなく理由を伝える。


 禁止だけではなく、意味を伝える。


 それは子供だけでなく、リリアナの教育にも、王太子府の再教育にも、夫人会の改革にも必要なことだった。


 帰り際、デリア夫人はロウ夫人へ言った。


「三日後、同じ時間でよろしいでしょうか」


「はい。ただし、雨が強い場合は翌日に」


「その場合は、誰に連絡すれば?」


「孤児院の受付に。伝言を残してください」


「分かりました」


 デリア夫人は、その場で記録した。


 次に見る日。

 三日後。

 雨天時翌日。

 連絡先、孤児院受付。


 ロウ夫人がその紙を確認し、頷いた。


「これなら忘れません」


 デリア夫人は、少しだけ微笑んだ。


「忘れないために書くのですね」


「はい」


「以前は、覚えているふりをするために書いていた気がします」


 ロウ夫人は、少しだけ目を細めた。


「今後は、忘れないためにお願いします」


「はい」


 それは、短いが確かな合意だった。


 王宮へ戻る馬車の中で、リリアナは今日の記録をまとめ始めた。


 揺れる中で字を書くのは難しいが、忘れないうちに書きたいらしい。


 ――七日後の小窓確認。湿気あり。玉結びはほどけていないが、糸締まりあり。洗濯籠に布端が引っかかる問題発見。指二本分折り上げ。通行確認済み。三日後再確認。

 ――分かったこと。使ってみなければ分からない問題がある。次に見る日は、約束ではなく支援の一部。

 ――子供たちの意見。番号札が気になる。引っぱると怒られる。理由説明が必要。


 書き終えてから、彼女は顔を上げた。


「お姉様」


「何?」


「今日、行ってよかったですね」


「ええ」


「もし行かなかったら、布が引っかかるままだった」


「そうね」


「怪我はなかったけど、籠を落としかけた」


「それも記録するわ」


「怪我がなかったならいい、じゃないのね」


「怪我がなかったうちに直すのが再確認よ」


 リリアナは、少し深く頷いた。


「怪我がなかったうちに直す……」


 また手帳に書く。


 デリア夫人がその様子を見て、静かに言った。


「夫人会にも必要ですわね」


「何がですか?」


 リリアナが尋ねる。


「大きな罪になる前に、引っかかりを直すことです。怪我がなかったうちに」


 馬車の中が、少し静かになった。


 夫人会は、それができなかった。


 青い祈りの糸も、別口資金も、最初は小さな引っかかりだったのかもしれない。


 その時に見ていれば、王妃の死へつながる前に止められた可能性があった。


 デリア夫人は、その後悔を抱えている。


「三日後も、見に行きます」


 彼女は言った。


「小窓も、夫人会も」


 エレノアは、静かに頷いた。


 王宮へ戻ると、午後の王太子府再教育進捗確認が待っていた。


 ユリウスは机の上に書類を並べていた。


 今日は人事記録の洗い出しらしい。


 顔に疲れが出ているが、逃げてはいない。


 リリアナが入るなり言った。


「ユリウス殿下、怪我がなかったうちに直すのが再確認です」


 ユリウスは、一瞬何の話か分からず瞬いた。


「……小窓か?」


「はい。でも王太子府もそうだと思います」


 ユリウスは、その意味を理解したのだろう。


 手元の人事記録に目を落とした。


「確かに。まだ怪我が出ていない引っかかりを見つけるべきだな」


「印あり未確認疑いも?」


「まさにそれだ」


 エレノアは、二人の会話を聞きながら思った。


 孤児院の小窓から、王太子府の人事記録へ話がつながる。


 洗濯場の布端から、制度の引っかかりへ。


 これが再建なのかもしれない。


 一見関係のない小さな確認が、別の場所の見方を変える。


 その夜、エレノアは小窓再確認報告を正式にまとめた。


 ――南区孤児院洗濯場小窓、七日後確認実施。湿気による布端の重み、糸締まりあり。洗濯籠通行時に布端が干渉する問題を確認。布端を指二本分折り上げ、通行確認済み。風防効果、大きな低下なし。三日後再確認。

 ――児童意見により、番号札および布への接触理由説明が必要と判明。説明文作成予定。

 ――夫人会側、再確認日の必要性を理解し、自発的に次回確認を設定。


 付記。


 ――支援は設置で終わらず、使用後確認によって初めて定着する。怪我がなかったうちに直すこと。


 筆を置いた。


 窓の外は暗い。


 王宮の灯りが遠く揺れている。


 大きな裁判から、まだそれほど日が経っていない。


 だが今、エレノアの机には、小窓の湿気と布端の記録がある。


 それが、少しだけ誇らしかった。


 王妃基金は、王妃の死の真相を暴くためだけにあるのではない。


 誰かが籠を落としかけた時、怪我をする前に直すためにもある。


 それは小さい。


 けれど、確かだ。


 リリアナが部屋の入口から顔を出した。


「エレノアお姉様、今日の休憩は?」


「取りました」


「本当に?」


「小窓の休憩中にスープを飲んだわ」


「それは食事で、休憩ですか?」


 鋭い。


 エレノアは少し考えた。


「……微妙ね」


「追加で十五分」


「今から?」


「はい。怪我がなかったうちに直すのが再確認です」


 その言葉をここで使われるとは思わなかった。


 エレノアは、しばらくリリアナを見た。


 リリアナは真剣だった。


 エレノアは諦めて、書類を閉じた。


「十五分だけ」


「三十分」


「十五分」


「間を取って二十分」


「あなた、交渉が上手くなったわね」


「学びました」


 リリアナは少し得意そうに言った。


 エレノアは小さく笑い、立ち上がった。


 七日後の小窓は、完璧ではなかった。


 湿気があり、布端が引っかかり、三日後にまた見る必要がある。


 それでも、失敗ではない。


 見に行ったから分かった。


 分かったから直せた。


 直したから、また次に見られる。


 再建とは、きっとその繰り返しなのだ。

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