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第61話 王妃基金、最初の三か月評価へ

 三か月評価。


 その言葉が王妃基金評議会の予定表に書き込まれた時、リリアナは思わず声を出した。


「もう三か月?」


 北翼の小会議室で、彼女は手帳を抱えたまま固まっていた。


 窓の外では、庭師が冬前の枝払いをしている。ほんの少し前まで、南区孤児院の窓布が湿気で重くなっただの、洗濯籠に引っかかるだのと言っていたはずなのに、いつの間にか暦は進んでいた。


 三か月。


 王妃基金臨時長としての最初の評価時期。


 王妃の最後の条項に従い、エレノア本人の意思も確認される日が近づいている。


 リリアナにとって、それは少し奇妙な響きだった。


 三か月前の自分は、まだ「知らないこと」を怖がる以前に、知らないことがどれほどあるのかも分かっていなかった。


 署名の意味も、帳簿の空欄も、救貧院で名前を書く重さも、孤児院の窓布が湿気で傷むことも、薬草に匂い欄が必要なことも、何も知らなかった。


 今は知っている。


 少なくとも、知らないことが山ほどあると知っている。


 それだけでも、三か月は長かった。


 エレノアは、机の上に積まれた報告書を分類していた。


「もう三か月、ではなく、まだ三か月よ」


「まだ?」


「制度としては、ほとんど始まったばかり。初回評価は、成功を褒め合う場ではなく、どこが動き、どこが詰まり、どこに空欄が残っているかを見る場よ」


「……重い」


「ええ」


 エレノアは平然と頷いた。


 リリアナは報告書の山を見た。


 南区孤児院関連。

 救貧院冬季支援。

 薬草園品質確認。

 夫人会臨時活動。

 王太子府再教育。

 ヴァレンシュタイン公爵家監督。

 ベルナール分家補填金。

 保護証言室相談記録。

 リリアナ自身の教育進捗。


 最後の束を見て、リリアナは眉を寄せた。


「私のも評価されるの?」


「当然よ」


「当然なんだ……」


「判決で、あなたの基礎実務教育も命じられているもの。三か月時点の進捗は確認されるわ」


「成績みたい」


「成績より実務寄りね」


「もっと怖い」


 リリアナは手帳を開き、空欄理由欄を見た。


 この三か月で、彼女の手帳はずいぶん厚くなっていた。


 最初の頃は、反省と怖さばかりだった。


 ――帳簿が怖い。

 ――名前を間違えるのが怖い。

 ――お母様の手紙を読むのが怖い。

 ――救貧院で役に立たないのが怖い。


 それが最近は少し変わってきた。


 ――仮名記録の次回確認が遅れている。理由:担当者が救貧院第二便対応で手一杯。次に確認する人:ルイス。期限:三日後。

 ――窓布説明文が子供には少し長い。理由:私が丁寧に書きすぎた。ロウ夫人に短くしてもらう。

 ――薬草の匂い欄は、私には判別できない。理由:経験不足。ガスパルさんに良品と悪品をもう一度教わる。


 怖い、で止まらなくなった。


 怖い理由を書き、次に誰へ聞くかを書けるようになった。


 それは小さな進歩だと思う。


 ただ、評価となると途端に胃が重くなる。


「お姉様は怖くないの?」


 リリアナが聞くと、エレノアは書類を揃える手を止めた。


「怖いわ」


「本当に?」


「ええ。評価は、制度だけでなく私自身の継続意思も確認されるから」


 リリアナは、少しだけ息を呑んだ。


 本人意思。


 王妃の最後の条項。


 三か月後に、エレノアが王妃基金臨時長を続けるかどうかを確認する。


 それはリリアナも知っていた。


 だが、忙しさの中で少し忘れていた。


 お姉様は当然続ける。


 どこかでそう思っていた。


 でも、それは危ない考え方だ。


 当然、ではない。


 エレノアが選ぶことだ。


「お姉様、続けるの?」


 リリアナが問うと、エレノアはすぐには答えなかった。


 沈黙が落ちる。


 書類の紙が、窓から入る風でわずかに揺れた。


「まだ、最終的には決めていないわ」


 エレノアは言った。


「え」


「続ける方向で考えている。でも、評価を受け、自分の状態も見てから答える」


「自分の状態?」


「疲労、判断の偏り、公爵家監督との距離、王太子府再教育への関わり、リリアナの教育、王妃基金の実務。全部が重なっている。続けたいから続ける、だけでは危ない」


 リリアナは、手帳を握った。


「お姉様がいなくなったら、困る」


 口から出てしまってから、リリアナは少し後悔した。


 それではまた、姉を役割で縛ってしまう。


 案の定、エレノアは何も言わなかった。


 リリアナは慌てて言い直す。


「違う。困るのは本当だけど、それだけで続けてほしいって言っちゃ駄目よね」


「駄目ではないわ。気持ちとしては自然よ」


「でも、お姉様の意思も見ないといけない」


「そうね」


 エレノアの声は柔らかかった。


 リリアナは手帳に書いた。


 ――誰かがいなくなると困る、だけでその人を役目に縛らない。

 ――でも、困るという気持ちはあっていい。伝え方に気をつける。


「難しい……」


「三か月評価に入れる?」


「入れないで」


 リリアナは即答した。


 エレノアが少し笑う。


 その笑いを見て、リリアナは少し安心した。


 三か月評価の準備は、まず各部門の報告を一冊にまとめるところから始まった。


 最初の報告は、南区孤児院。


 ロウ夫人から届いた紙は、相変わらず余計な飾りがない。


 ――北側寝室雨漏りなし。

 ――窓布番号管理継続。

 ――洗濯場小窓は三度再確認。湿気対策として替え布二組を追加。

 ――子供向け説明文を短縮。「布を引っぱると夜に風が入ります。確認したい時は大人と一緒に」

 ――窓際の席を嫌がる子が減少。

 ――次の課題、食堂入口の隙間風。


「また隙間風」


 リリアナが呟いた。


「建物が古いから」


「終わらないのね」


「終わらないわ」


「でも、終わらないから無駄、ではない」


「ええ」


 リリアナは、自分で言って、自分で頷いた。


 少し前なら、ひとつ直してもまた次が出るなら、きりがないと思ったかもしれない。


 今は、違う。


 次が出たなら、次に見る日を決める。


 それだけだ。


 次は救貧院。


 フィオナ司祭の報告は、静かだが重かった。


 冬季支援第一便、第二便は予定通り配布。

 麦と薪の受領記録は空欄理由欄付きで安定。

 仮名記録は八件。うち二件は本名申告へ移行。三件は継続仮名。三件は再来なし。

 灰色という仮名の少年について、妹の医療支援へ接続済み。本人はまだ本名を名乗らず。ただし、臨時雇用の木箱修繕作業に一度参加。


 リリアナは、その一文で手を止めた。


「灰色さん、仕事に来たんだ」


「ええ」


「本名はまだ言っていない」


「でも、次につながった」


「うん」


 リリアナは少しだけ目を細めた。


 あの日、名前を無理に聞かなかった。


 仮名で記録した。


 その記録が、次につながった。


 それが報告書の中にある。


 胸の奥が、静かに温かくなった。


「この部分、評価会で言ってもいい?」


「もちろん。仮名記録制度の有効例として」


「有効例……」


「嫌?」


「ううん。ただ、灰色さんって、人なのに例になるのが少し変な気持ち」


 エレノアは頷いた。


「大事な感覚ね。制度評価では事例として扱うけれど、相手は人だと忘れないこと」


「はい」


 リリアナは書いた。


 ――事例は人。忘れない。


 次は薬草園。


 ガスパルの報告は、いつも通り字が大きく、遠慮がなかった。


 匂い欄は有効。

 ただし書く者によって表現がばらばら。

 「少し変」「嫌な感じ」では使えない。

 良品、湿り、黴臭、香り弱、茎多、使用不可、要再乾燥など、選択語を作れ。

 品質確認者三名制は機能しているが、確認者が遠慮して商会に強く言えない場面あり。

 王太子殿下は二度来園。二度目は泥で滑らなかった。歩き方少し改善。


 最後の一文で、リリアナは吹き出しかけた。


「評価に入れるの、そこ?」


「ガスパル様にとっては重要なのでしょう」


「泥で滑らなかったこと?」


「土の上を見るようになった、という意味かもしれないわ」


 エレノアは真面目に言った。


 リリアナは少し考えた。


 確かに、足元を見ること。


 気持ちで泥は避けられない。


 あの日のガスパルの言葉を思い出す。


「ユリウス殿下、喜ぶかな」


「喜ぶというより、複雑な顔をしそうね」


「見たい」


「リリアナ」


「すみません」


 次は王太子府再教育報告。


 ローレンと王家教育官の共同報告だった。


 空欄確認訓練は継続。

 印あり未確認疑い、初月二十七件、二か月目十二件、三か月目五件。

 減少傾向あり。

 王太子本人による差し戻し増加。

 「支援後確認なし」の茶会支出について、過去分の追跡調査実施。

 新規承認書類には、本人理解欄を追加。

 課題、確認に時間をかけすぎて処理停滞が一部発生。任せる範囲の再設計が必要。


「確認しすぎても止まるのね」


 リリアナが言うと、エレノアは頷いた。


「ええ。見ないのは危険だけれど、全部を自分で見ようとしても動かない」


「難しい」


「任せることと見ないことの違い。三か月経って、次はその段階に入ったということね」


 ユリウスは、確かに変わっていた。


 だが、変わったことで新しい問題も出てきた。


 何でも自分で確認しようとして、処理が遅れる。


 それは真面目になったからこその詰まりだ。


 再教育は、反省で終わらない。


 実務として動く形へ整えなければならない。


 夫人会の報告は、デリア夫人とミリアム夫人の連名だった。


 派手な茶会はまだ再開していない。


 代わりに、作業支援班、記録補助班、物品仕分け班の三つが試験的に動いている。


 孤児院窓布。

 救貧院古着仕分け。

 療養施設寝具確認。

 聖クララ縫製所の臨時雇用。

 夫人会内部の失敗報告会。


 失敗報告会、という文字を見て、リリアナは目を丸くした。


「本当にやったの?」


「やったようね」


 報告書には、初回失敗報告会の内容が簡潔に書かれていた。


 ――支援先に必要数を確認せず、余った布紐を送ろうとした。用途なしのため保留。

 ――古着仕分けで、見栄えの良い服を優先し、実用的な厚手服を後回しにしかけた。現場指摘により修正。

 ――報告書に「大変喜ばれた」と書きそうになったが、実際の確認がないため削除。


「夫人会、すごい……」


 リリアナは素直に言った。


「失敗を書けるようになったのですね」


「大きな変化ね」


 エレノアも頷いた。


 夫人会はまだ信用を取り戻していない。


 取り戻すには長い時間がかかる。


 だが、失敗を美談で隠さず書き始めた。


 それは確かな前進だった。


 最後に、リリアナ自身の教育報告。


 マルタ、フィオナ司祭、ロウ夫人、エレノアの短評がついていた。


 マルタ。


 ――基礎署名責任、受領記録の理解は進展。感情が揺れた時に一度筆を止める習慣がつきつつある。


 フィオナ司祭。


 ――名前の聞き取りに慎重さあり。仮名記録を急いで本名へ移そうとしない点は評価。ただし、相談者の感情に引きずられやすい。


 ロウ夫人。


 ――説明文は長くなりがち。だが、最近は短く直す意思あり。現場で分からないことを聞けるようになった。


 エレノア。


 ――未熟さを隠す傾向が減少。空欄理由欄の使用は安定。ただし、褒められた時に少し浮かれる。


「最後!」


 リリアナが叫んだ。


 エレノアは涼しい顔をしている。


「事実よ」


「評価報告に書くことですか?」


「重要な観察です」


「お姉様!」


「大丈夫。短評には入れても、正式評価文では少し柔らかくするわ」


「どう柔らかく?」


「肯定的反応が行動意欲に直結しやすい」


「余計に難しくなってる!」


 リリアナが真っ赤になると、エレノアは少しだけ笑った。


 その笑いを見て、リリアナもつられて笑ってしまう。


 悔しいが、確かに自分は褒められると浮かれる。


 でも今は、浮かれた後に戻ってこられる。


 それなら少しは成長している、と思いたい。


 三か月評価の前日、王妃基金評議会の準備会が開かれた。


 出席者は、エレノア、カイン、ユリウス、リリアナ、マルタ、オスカー、ローレン、デリア夫人、ミリアム夫人。


 正式評価会には国王も出るが、今日は資料の最終確認である。


 ユリウスは王太子府再教育報告を読み、例の一文で案の定、微妙な顔をした。


「二度目は泥で滑らなかった……」


 リリアナは口元を押さえた。


 ユリウスは彼女を見る。


「笑っているね」


「笑っていません」


「かなり笑っている」


「でも、良い評価です」


「そうなのか?」


 エレノアが答えた。


「はい。土の上を歩く時に足元を見るようになった、ということです」


 ユリウスは少し考えた。


「なら、受け取ろう」


「それから、処理停滞について」


 エレノアが続けると、ユリウスの表情が引き締まった。


「そこは課題だ。確認しようとすると、すべて自分の手元に置きたくなる」


「任せる範囲の再設計が必要です」


「分かっている。ローレンとも話している。次の三か月は、任せた上で見る仕組みを作る」


 その言葉には、逃げがなかった。


 以前のユリウスなら、「信頼する」と言ったかもしれない。


 今は、仕組みを作ると言っている。


 大きな違いだ。


 デリア夫人の夫人会報告についても、カインから厳しい質問が飛んだ。


「失敗報告会はよい。だが、失敗を報告した者が不利益を受けない保証は?」


 デリア夫人は、すぐには答えなかった。


 少し考え、正直に言う。


「まだ不十分です。発言者が誰か分かる形で記録しているため、後で気まずくなる可能性があります」


「対策は」


 ミリアム夫人が引き取った。


「次回から、初期報告は匿名でも可能とします。ただし、改善に実務確認が必要な場合は、本人同意の上で担当者を明かす形に」


「よい。記録しろ」


 オスカーが筆を走らせる。


 リリアナはそのやり取りを聞いて、自分の手帳に書いた。


 ――失敗を言える場には、言った後に不利益がない仕組みが必要。


 また難しいことが増えた。


 だが、必要な難しさだ。


 準備会の最後に、カインがエレノアを見た。


「本人意思確認についてだ」


 部屋の空気が少し変わった。


 リリアナは手帳を閉じる。


 ユリウスも顔を上げた。


 デリア夫人とミリアム夫人は、口を挟まず静かにしている。


「明日の正式評価で、国王陛下から問われる。続けるか、辞退するか、条件を変更するか」


「はい」


 エレノアの声は落ち着いていた。


「現時点の意思は?」


 カインは、あえてここで聞いた。


 明日の前に、彼自身も確認したかったのだろう。


 エレノアは、机の上の報告書を見た。


 孤児院の小窓。


 救貧院の仮名記録。


 薬草の匂い欄。


 夫人会の失敗報告。


 王太子府の印あり未確認。


 リリアナの教育短評。


 すべてが、ここにある。


 この三か月で、少し動いた。


 だが、まだ始まったばかりだ。


「続ける意思があります」


 エレノアは言った。


 リリアナの肩が、ほんの少し緩んだ。


 ユリウスも、静かに息を吐いた。


 しかし、エレノアは続けた。


「ただし、条件を追加したいと考えています」


「条件?」


 カインが問う。


「王妃基金臨時長の職務範囲を整理します。現在、王妃基金、夫人会改革、リリアナ教育、公爵家監督、王太子府再教育への立会いが重なりすぎています。私一人が結節点になり続けるのは危険です」


 部屋が静かになる。


 エレノアは淡々と続けた。


「王妃基金の再建は続けます。ただし、各部門に副責任者を置き、判断が私に集中しない形へ移行したい。孤児院・救貧院関連は現場代表と基金事務官。薬草関連は品質確認評議。夫人会改革はデリア様とミリアム様。王太子府再教育はローレン様と王家教育官。リリアナ教育はマルタと教育係。私は全体監督と重大案件判断に集中します」


 リリアナは、最初少し寂しさを感じた。


 お姉様が離れる。


 そう思いかけた。


 でもすぐに、自分でその感情を見つけた。


 困るから縛りたい。


 それは危ない。


 姉が全部を抱える方が危ない。


「いいと思います」


 リリアナは、自分でも驚くほど自然に言った。


 エレノアが彼女を見る。


「寂しいけど」


 リリアナは正直に足した。


「でも、お姉様が全部見るのは危ないです。私も、マルタから学べることがあるし、フィオナ司祭やロウ夫人からも学べます。お姉様に全部見てもらわないと不安、という理由で続けるのは違うと思う」


 自分で言って、胸が少し痛かった。


 でも、言えた。


 エレノアは、ほんの少し目を細めた。


「ありがとう、リリアナ」


 名前で呼ばれる。


 リリアナは、少しだけ泣きそうになった。


 でも泣かなかった。


 ユリウスも頷いた。


「王太子府再教育については、私も同意する。エレノアに見てもらうことが安心になりすぎるのは危険だ。ローレンと教育官の監督で進める。必要な節目に報告を上げる」


 ローレンも頭を下げた。


「責任を持って進めます」


 デリア夫人が静かに言った。


「夫人会改革も、いつまでも臨時長に寄りかかるわけにはまいりません。失敗報告も含め、私たち自身で回します」


 ミリアム夫人が続ける。


「ただし、危ない時は早めに相談しますわ。見栄を張って沈むのはもう懲りました」


 その言い方に、空気が少し和らいだ。


 カインは全員を見渡し、最後にエレノアへ視線を戻した。


「条件として妥当だ。明日、国王陛下へそのまま述べろ」


「はい」


「それと、休憩管理も副責任者を置け」


「それは不要です」


 エレノアが即答すると、リリアナ、ユリウス、マルタが同時に微妙な顔をした。


 カインは淡々と言った。


「必要だ」


「職務範囲の話に混ぜないでください」


「判断の質に関わる」


「……別紙で検討します」


「記録しろ」


 オスカーが本当に記録し始めたので、エレノアは少しだけ額を押さえた。


 リリアナは、笑わないように必死だった。


 翌日の正式評価会へ向けて、資料は整った。


 成功だけではない。


 失敗も、空欄も、次に見る日も、処理停滞も、匂い欄の表現ぶれも、全部入っている。


 それは美しい報告書ではなかった。


 しかし、王妃基金の三か月を正しく映していた。


 夜、エレノアは自室で最後に自分の手帳を開いた。


 ――三か月評価前夜。

 分からないこと。続けることが、本当に自分の意思なのか。それとも必要とされることへの応答なのか。

 理由。まだ完全には分けられない。ただ、制度を自分一人から離す条件をつけることで、意思として続けられる可能性がある。

 次に確認する時。明日の本人意思確認。


 書き終えた後、彼女はしばらくその文字を見ていた。


 完全に分かる日は、まだ来ないかもしれない。


 それでも、分からないまま役割に押し流されるのではなく、条件を言う。


 それが今の自分にできる選択だった。


 扉が小さく叩かれた。


「エレノアお姉様、入ってもいい?」


「どうぞ」


 リリアナが顔を出した。


 手には小さな包み。


「何?」


「焼き菓子。記録済みです」


「また?」


「明日の評価前だから。厨房から、正式に休憩用として受領しました」


 リリアナは誇らしげに言った。


「受領者は?」


「エレノアお姉様、私、マルタ。あと、もし通りかかったらカイン殿下」


「通りかかったら、まで記録したの?」


「予定外受領欄を作りました」


 エレノアは思わず笑ってしまった。


「あなた、本当に成長したわね」


「そこ?」


「ええ」


 リリアナも笑った。


 その笑いは、三か月前とは違っていた。


 少し疲れていて、少し大人びていて、それでもリリアナらしい明るさが残っている。


「お姉様」


「何?」


「明日、続けるって言っても、辞めるって言っても、条件をつけても、私はちゃんと聞きます」


「ありがとう」


「困るって気持ちはあるけど、それだけで言わない」


「ええ」


「でも、続けるって言ってくれたら、たぶん少し安心します」


「それは言っていいわ」


「うん」


 リリアナは焼き菓子を置いた。


「あと、明日は朝食を抜かないこと」


「分かっているわ」


「本当に?」


「本当に」


「評価前なので、確認が必要です」


 エレノアは降参するように頷いた。


「食べます」


「よろしいと思います」


 リリアナは満足そうに笑った。


 王妃基金、最初の三か月評価。


 明日、その場で何が問われるかは分かっている。


 制度の成果。


 残る課題。


 責任分担。


 そして、エレノア自身の意思。


 裁判の時ほど派手ではない。


 判決の時ほど劇的でもない。


 だが、再建にとっては同じくらい重要な日になる。


 エレノアは、机の上に積まれた報告書を見た。


 窓布の小窓から、王太子府の印まで。


 仮名の少年から、夫人会の失敗報告まで。


 すべてが、ここにある。


 王妃の基金は、まだ傷だらけだ。


 それでも、動いている。


 止まらず、見直しながら、少しずつ。


 明日は、その三か月を法と王家の前へ差し出す。


 美談ではなく、記録として。

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