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妹に婚約者も家名も奪われましたが、私は王妃の遺言状を握っています 〜虐げられた公爵令嬢を捨てた王宮が、三日後に血塗れの相続争いで崩壊しました〜  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第6話 三日目、王妃の遺産目録が合わない

 王妃エレオノーラの遺品整理は、本来なら厳粛に進められるべきものだった。


 王族の死後、身の回りの品は三つに分けられる。


 王家へ戻すもの。

 遺言に従って譲られるもの。

 慈善事業や基金の担保として管理されるもの。


 特にエレオノーラ王妃は、生前から慈善事業に熱心だった。王都の孤児院、地方の診療所、戦没騎士の遺児支援、薬草園の維持。そうした事業の一部は、王妃個人の宝飾品や所領収入を担保として成り立っていた。


 だからこそ、遺品目録は単なる形見分けではない。


 王妃の死後、この国の弱い者たちを支えるための土台だった。


 だが、三日目の朝。


 王妃の私室に集められた者たちは、その土台がすでにひび割れていることを知ることになった。


「もう一度、読み上げてください」


 女官長マルタの声は、いつもより硬かった。


 王妃の私室は、数日前までエレノアが整理を進めていた場所である。白百合の香りがまだかすかに残っているものの、部屋の主を失った空間はひどく広く感じられた。


 中央の大机には、王妃の遺産目録が広げられている。


 革表紙の台帳。

 封蝋つきの確認書。

 宝飾品の写し絵。

 所領収入の記録。

 王妃基金と紐づけられた担保証明。


 その周囲には、王宮財務官、文書官、数名の女官、そしてリリアナがいた。


 王太子ユリウスは、セルベリア大使帰国の件で国王への報告に呼ばれている。代わりに、リリアナが王太子妃候補として遺品整理に立ち会うことになった。


 彼女は淡い藤色のドレスを着ていた。


 王妃の喪に配慮した落ち着いた色合いではあるが、胸元には小さな真珠の飾りが縫い込まれ、袖口には繊細なレースが揺れている。


 彼女なりに慎ましくしたつもりなのだろう。


 だが、その装いは、この場の重さを理解している者のそれではなかった。


「はい」


 若い文書官が緊張した声で台帳を読み上げる。


「王妃陛下所有、月涙石の首飾り。一点。孤児院基金、冬季修繕費の担保登録あり。保管場所、王妃私室北側宝飾箱、第一段」


 マルタは、机上の宝飾箱を確認した。


 第一段には、空の絹布だけがある。


「現物なし」


 財務官が短く言った。


 その言い方に、マルタはわずかに眉を寄せた。


 現物なし。


 まるで、棚卸しの木箱が一つ足りない程度の響きだった。


「次を」


「はい。王妃陛下所有、金細工の百合簪。一点。王都南区診療所、薬草乾燥室改修費の担保登録あり。保管場所、同宝飾箱、第二段」


 宝飾箱の第二段も、空だった。


「現物なし」


「次」


 マルタの声はさらに低くなる。


「王妃陛下所有、青玉の腕輪。一対。戦没騎士遺児支援基金、臨時支出保証品として登録。保管場所、王妃私室金庫、内箱」


 金庫は開けられた。


 内箱には、片方の腕輪しか入っていない。


 文書官が息を呑む。


「一対のうち、一点不足」


「……もう一度確認を」


「はい」


 文書官が慌てて箱の中を探る。


 だが、ないものはない。


 王妃の宝飾品が三点、目録と合わなかった。


 部屋の空気が変わる。


 リリアナは、不安そうに周囲を見た。


「何かの間違いではありませんの?」


 財務官がすぐに頷く。


「おそらく記録上の誤差でしょう。王妃陛下は晩年、多くの品を慈善事業へお回しになりました。目録更新が追いついていなかった可能性があります」


「そうですわよね」


 リリアナはほっとしたように微笑んだ。


「王妃様はお優しい方でしたもの。きっと、どなたかのためにお使いになったのですわ」


 その言葉に、マルタの目が細くなった。


「リリアナ様」


「はい?」


「担保登録された宝飾品は、勝手に動かせません。使用、譲渡、売却、いずれの場合も解除記録が必要でございます」


「解除記録……」


「それがない以上、現物がないことは重大な問題です」


 リリアナの笑顔が曇る。


 財務官が咳払いをした。


「女官長。若いリリアナ様を不安にさせる必要はありません。こちらで確認いたします」


「王妃陛下の遺品でございます」


「承知しております」


「基金の担保品でもございます」


「それも承知しております」


 財務官は笑っていた。


 しかし、その目は笑っていなかった。


 年の頃は五十前後。柔らかな物腰で、社交界では人当たりのよい官吏として知られている。だが、マルタは彼が王妃基金の支出承認を幾度も遅らせたことを覚えていた。


 そして、そのたびにエレノアが記録を揃え、理由を問い、支出を前へ進めていたことも。


「こちらは、いったん財務局で精査いたしましょう」


 財務官が台帳へ手を伸ばす。


 マルタはその手を止めた。


「お待ちください」


「何か?」


「遺品目録原本は、この部屋から動かせません」


「財務局で照合する必要がある」


「写しをお取りください」


「時間がかかります」


「原本を動かす方が問題です」


 空気がさらに硬くなる。


 リリアナは二人のやり取りに困ったような顔をした。


「マルタ、財務官様がおっしゃるなら、お任せしてもよいのではないかしら」


「リリアナ様」


「だって、専門の方なのでしょう?」


「専門の方であっても、手続きは必要です」


「でも……」


 リリアナは財務官を見た。


 財務官は穏やかに微笑む。


「ご安心ください、リリアナ様。王妃陛下の名誉に傷がつかぬよう、内々に確認いたします」


「内々に」


 マルタはその言葉を繰り返した。


「なぜ、内々にする必要があるのでしょう」


「騒ぎ立てるようなことではないからです。王妃陛下のご逝去直後に、宝飾品が足りないなどと外へ漏れれば、あらぬ噂を呼びます」


「事実確認を曖昧にする方が、噂を呼びます」


「女官長」


 財務官の声に、かすかな苛立ちが混じった。


「あなたは女官であって、財務官ではない」


「ええ。私は女官です」


 マルタは静かに頭を下げた。


「ですから、王妃陛下の私室と遺品を守る責務があります」


 財務官の表情が冷える。


 その時、リリアナが小さく声を上げた。


「あら」


 彼女は宝飾箱の近くに置かれていた小さな箱を手にしていた。


 中には、見事な青玉の耳飾りが入っている。


「綺麗……」


「リリアナ様、お手を触れないでください」


 マルタが即座に言った。


 しかし、遅かった。


 リリアナは片方を持ち上げ、窓から入る光にかざしていた。


「王妃様は、こういうお色がお好きだったのね」


「それは確認前の遺品です。置いてくださいませ」


 マルタの声は厳しかった。


 リリアナは驚いたように振り向く。


「そんなに怒らなくても」


「怒っているのではありません。手続きです」


「また手続き」


 リリアナの唇がかすかに尖る。


 昨日から何度も聞いた言葉だった。


 手続き。

 責任。

 権限。

 記録。


 どれも、彼女には姉の冷たさを思い出させる言葉だった。


「私、王妃様のものを大切に見ていただけなのに」


「大切に扱うことと、許可なく触れることは違います」


「マルタ、あなたまでお姉様みたいなことを言うのね」


 マルタは答えなかった。


 答えれば、余計な感情が出ると分かっていたからだ。


 リリアナは耳飾りを箱に戻した。


 だが、その手つきは少し乱れていた。


 箱の中の絹布がずれ、底に挟まっていた小さな紙片が落ちる。


 文書官がそれを拾った。


「これは……」


 財務官の表情がわずかに変わる。


「見せなさい」


 文書官は紙片を開いた。


 そこには、エレノアの整った字が記されていた。


 青玉耳飾り。王妃基金予備担保。

 同系統装身具との混同注意。

 現物確認時、財務官立ち会い不要。

 王妃陛下より、直接確認のご指示あり。


 部屋に沈黙が落ちた。


 財務官立ち会い不要。


 その一文は、あまりに露骨だった。


 マルタが紙片を受け取り、目を通す。


「エレノア様の覚え書きです」


 財務官は乾いた笑みを浮かべた。


「ずいぶん失礼な覚え書きですな」


「王妃陛下のご指示とあります」


「本当に王妃陛下のご指示か、確認が必要です」


「では、王妃陛下の署名入り記録を探します」


 マルタがそう言うと、財務官の目が一瞬だけ鋭くなった。


 リリアナは、その変化に気づいていない。


「エレノアお姉様は、どうしてこんな書き方をするのかしら」


 彼女は困ったように言った。


「まるで、誰かを疑っているみたい」


「疑う必要がある時は、疑うのが記録管理です」


 マルタの返答は短かった。


 財務官は咳払いをする。


「本日は、これ以上進めるのは難しいでしょう。王妃陛下の遺品は多い。混乱の中で確認しても、誤解が増えるだけです」


「いいえ」


 マルタは首を横に振った。


「不足が確認された以上、続けます」


「女官長」


「続けます」


 その声に、財務官はわずかに顔を歪めた。


 だが、正面から止めることはできない。


 王妃の遺品整理で、女官長の権限は強い。


 特に、王妃が亡くなる直前まで側に仕えていたマルタには、侍女たちの信頼もある。


 財務官はリリアナへ視線を向けた。


 助けを求めるように。


 リリアナは困惑した。


 昨日から、彼女は何度もこの目を向けられている。


 決めてください。

 承認してください。

 責任を持ってください。


 しかし、彼女は決め方を知らない。


 誰を信じればいいのかも分からない。


 姉なら、こういう時どうしただろう。


 そう考えた瞬間、リリアナは自分に腹が立った。


 なぜ、いつもお姉様なの。


 なぜ、皆、困った時だけお姉様を思い出すの。


「……続けましょう」


 リリアナは言った。


 自分でも少し驚くほど、声が硬かった。


 財務官の目が細くなる。


「リリアナ様」


「王妃様のものなのでしょう? きちんと確認した方がいいわ」


 それは、彼女なりに王太子妃候補として正しいことを言おうとした結果だった。


 だが、その言葉を聞いた財務官は、あからさまに不快そうな顔をした。


 リリアナの胸がざわつく。


 今、自分は何かを間違えたのだろうか。


 それとも、正しいことを言ったから嫌がられたのだろうか。


 正しいことを言うと嫌がられる。


 それは、姉の姿と重なった。


 リリアナはすぐにその考えを振り払った。


 違う。


 お姉様は冷たかっただけ。


 私は違う。


 私は皆を傷つけたくない。


 けれど、部屋の空気は、彼女の願いだけでは柔らかくならなかった。


 確認は続いた。


 王妃所有、白真珠の礼装用首飾り。現物あり。

 王妃所有、赤珊瑚の祈祷珠。現物あり。

 王妃所有、小粒金貨入り慈善箱。封破損。中身不足。

 王妃所有、薬草園管理印章。所在不明。

 王妃所有、南区孤児院宛て寄付証明書。写しのみ。原本なし。


 一つ見つかるたび、部屋の空気は重くなった。


 単なる宝飾品の紛失ではない。


 慈善箱の封が破られている。


 薬草園管理印章が消えている。


 寄付証明の原本がない。


 それは王妃の遺産だけでなく、王妃基金の動きそのものが誰かに触れられていた可能性を示していた。


「これは、いつから……」


 文書官が震える声で呟いた。


 マルタは答えなかった。


 だが、彼女の脳裏には、何度かエレノアが王妃の私室で遅くまで帳簿を確認していた姿が浮かんでいた。


 王妃の病状が悪化してから、エレノアはしばしば言っていた。


『マルタ。この支出記録、王妃陛下のご指示と日付が合いません』


『薬草園の印章が使われた記録があります。でも、王妃陛下はその日、印章をお持ちではなかったはずです』


『王妃基金に、誰かが触れています』


 あの時、マルタは背筋が冷えた。


 エレノアは騒がなかった。


 証拠が足りないからです、と言った。


 王妃陛下のお体に障ることはできません、とも。


 だから、静かに記録を集めていた。


 今、その静かな記録の一部が、ようやく表へ出始めている。


 だが、エレノアはいない。


 彼女を冷たいと責め、王宮から遠ざけたのは、この王宮自身だった。


「本日の確認は、ここまでにしましょう」


 財務官が再び言った。


 先ほどより、声には焦りがあった。


「これ以上は、王太子殿下のご判断を仰ぐべきです」


「そうですね」


 マルタは頷いた。


 財務官がわずかに安堵する。


 だが、マルタは続けた。


「確認された不足品と不審記録は、すべて書面にまとめ、王太子殿下および国王陛下へ提出します」


「国王陛下へ?」


「王妃陛下の遺品と基金に関わる問題です」


「そこまで大きくする必要はありません」


「大きい問題です」


 マルタの声は、揺れなかった。


 財務官の額に、うっすら汗が浮かぶ。


 リリアナは、それを見てしまった。


 見てしまったから、胸の奥が冷えた。


 もしかして、本当に何かあるのだろうか。


 ただの記録違いではないのだろうか。


「リリアナ様」


 財務官が彼女へ向き直る。


「どうかご理解ください。王妃陛下の名誉を守るためにも、軽々しく騒ぎ立てるべきではございません」


 名誉。


 その言葉は、リリアナにも分かりやすかった。


 王妃様の名誉を守る。


 美しい言葉。


 けれど、マルタが静かに返す。


「王妃陛下の名誉を守るとは、王妃陛下のお金と遺志を守ることです」


 リリアナは、二人を見比べた。


 どちらの言葉を選べばいいのか分からない。


 助けてほしい。


 誰かに、これが正しいと教えてほしい。


 だが、ユリウスはいない。


 父も母もいない。


 姉もいない。


 ここにいるのは、王太子妃候補として見られている自分だけ。


「……書面に、まとめてください」


 リリアナは、ようやくそう言った。


 マルタが静かに頭を下げる。


「かしこまりました」


 財務官の目が、ほんの一瞬、冷たく光った。


 その視線にリリアナは気づき、背筋を震わせた。


 自分は今、誰かを敵に回したのだろうか。


 お姉様は、いつもこんなものを見ていたのだろうか。


 その疑問が浮かんだ瞬間、彼女はまた悔しくなった。


 認めたくなかった。


 姉が耐えていたことを。


 姉が見ていたものを。


 姉が、ただ冷たいだけではなかったことを。


 その頃、王都外れの祖母の旧邸で、エレノアは古い書棚の整理をしていた。


 祖母が残した家計簿、古い薬草学の本、領地から届いた古い手紙。王宮の資料と比べれば、どれも私的で小さなものばかりだった。


 けれど、彼女にはその静けさがありがたかった。


 アニーが部屋へ入ってくる。


「エレノア様、王宮からまた使いが」


「マルタから?」


「はい」


 エレノアは手を止めた。


 昨日の茶会。


 今朝のセルベリア大使帰国。


 そして、今日の遺品整理。


 王宮で何が起きているか、おおよその流れは読めていた。


 手紙を受け取り、封を開ける。


 マルタの字は、普段よりわずかに乱れていた。


 王妃遺産目録、現物不一致。

 月涙石の首飾り、所在不明。

 百合簪、所在不明。

 青玉腕輪、一点不足。

 慈善箱、封破損。

 薬草園管理印章、所在不明。

 寄付証明書、原本なし。

 財務官、内々の処理を主張。

 リリアナ様、書面化を了承。


 エレノアは最後の一文で、少しだけ目を止めた。


 リリアナが書面化を了承した。


 意外だった。


 泣いて逃げるか、財務官の言葉に流されると思っていた。


 だが、彼女は少なくとも、その場では記録に残すことを選んだらしい。


「……そう」


「何か、大変なことが?」


 アニーが恐る恐る尋ねる。


 エレノアは手紙を畳んだ。


「王妃様の遺品が、目録と合わないそうです」


「それは……盗まれたということですか」


「まだ分かりません」


 そう答えながら、エレノアは胸の奥で別のことを考えていた。


 月涙石の首飾り。

 百合簪。

 青玉腕輪。

 慈善箱。

 薬草園管理印章。

 寄付証明書。


 どれも、彼女が過去に不審を覚えた品や記録と重なる。


 単なる紛失ではない。


 王妃基金に、誰かが長く手を入れていた。


 そして、その痕跡を消そうとしている。


 問題は、誰がどこまで関わっているか。


 財務官だけか。


 公爵家か。


 王太子の側近か。


 それとも、もっと王宮の深いところか。


 エレノアは机の引き出しを開けた。


 そこには、彼女が王宮を去る前に写しておいた数枚の控えがある。


 正式な機密文書ではない。


 自分の手控え。


 日付、金額、関係者の名前、不審な支出項目。


 その中に、見覚えのある名があった。


 グレゴール・ヴァレンシュタイン公爵。


 父の名だ。


 王妃基金から直接、公爵家へ金が流れた記録はない。


 だが、基金の支出先の一つである薬草商会。


 その商会の後援者に、父の名があった。


 さらに、リリアナの社交界デビューの時期と重なる、不自然な宝飾品流通記録。


 エレノアは、まだ断定しなかった。


 記録を見る者でいなさい。


 王妃の言葉が胸に蘇る。


 怒りではなく、記録。


 憎しみではなく、証拠。


 そうでなければ、父と同じ場所に堕ちる。


「アニー」


「はい」


「この屋敷に、祖母が使っていた古い金庫は残っていますか」


「地下の保管室にございます」


「使います。鍵を準備して」


「かしこまりました」


 アニーが出ていくと、エレノアは胸元の黒封蝋に触れた。


 王妃の遺言状。


 まだ開けていない。


 けれど、王宮の亀裂はもう三つ目に入った。


 茶会。

 隣国密約。

 王妃遺産。


 そのすべてが、自分が去った後に表へ出ている。


 偶然ではない。


 王妃は知っていたのだろう。


 エレノアがいなくなれば、この王宮は隠していたものを隠しきれなくなると。


 その日の夕刻、王宮では遺品目録不一致の報告が王太子ユリウスへ届いた。


 ユリウスは、報告書を読んで顔をしかめた。


「またか」


 その言葉に、マルタは深く頭を下げたまま動かなかった。


「茶会、セルベリア、今度は遺品目録。なぜ急に問題ばかり起きる」


 誰も答えなかった。


 急に起きたのではない。


 今まで、誰かが起きる前に止めていただけだ。


 その誰かの名前を、この場の誰もが知っている。


 だが、王太子の前で口にする者はいなかった。


 ユリウスは報告書の中の一点に目を止めた。


「月涙石の首飾り……」


 その名には覚えがあった。


 リリアナの社交界デビューの夜、彼女が似た石の首飾りをつけていた。


 父グレゴールが、娘のために用意したと誇らしげに語っていた。


 まさか。


 ユリウスは一瞬そう思い、すぐに打ち消した。


 そんなはずはない。


 公爵家が王妃の宝飾品に手を出すなど。


 だが、その考えは消えなかった。


 王宮のどこかで、またひとつ扉が開こうとしている。


 その向こうに何があるのか、ユリウスはまだ知らない。


 ただ、彼は初めて思った。


 エレノアなら、もう知っていたのではないか、と。

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