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第54話 処分後の朝、王宮はまだ動く

判決が下った翌朝、王宮の鐘はいつも通りに鳴った。


 重々しい余韻に合わせて、ゆっくり鳴るわけではない。


 王妃の名を汚した事件に決着がついたからといって、特別に澄んだ音になるわけでもない。


 朝の鐘は、朝の鐘だった。


 厨房では湯が沸き、馬丁は馬に飼葉をやり、女官は廊下の花瓶を替え、近衛は交代の時刻に詰所へ向かう。


 法廷でどれほど大きな判決が下っても、王宮の一日は止まらない。


 むしろ、止めてはいけない。


 そのことを、エレノアは朝一番の報告書を開いた瞬間に思い知った。


 机の上には、昨日の判決記録ではなく、今日処理すべき書類が積まれていた。


 南区孤児院、屋根修繕追加費の正式支払い確認。

 救貧院冬季支援、麦と薪の第一便搬出許可。

 薬草品質確認人登録候補者の名簿。

 夫人会活動一時制限中の臨時窓口案。

 ヴァレンシュタイン公爵家監督官からの財産目録中間報告。

 ベルナール分家の使用人給金凍結解除申請。

 保護証言室への新規相談三件。

 王太子府再教育計画の初回日程案。

 リリアナ・ヴァレンシュタイン嬢基礎実務教育予定表。


 判決は終わった。


 だから仕事が減る、ということはなかった。


 むしろ、増えた。


「……なるほど」


 エレノアは、小さく呟いた。


 裁くまでは、過去を追えばよかった。


 だが裁いた後は、処分の影響を受ける人たちの生活を止めないようにしなければならない。


 オルガは幽閉される。

 アルマンは家令職を失う。

 グレゴールは当主権限を停止される。

 セレスティアは社交主催権を失う。

 夫人会は活動制限下に入る。


 その結果として、雇われていた使用人、針子、配達人、下働き、臨時書記、孤児院や救貧院への支援経路まで影響を受ける。


 罪は人に下った。


 だが、罪人の周囲にも生活がある。


 そこを見落とせば、再建は別の形の乱暴になる。


 扉が叩かれた。


 返事をする前に、リリアナの声がした。


「入ってもいい?」


「どうぞ」


 リリアナは、朝食の盆を持って入ってきた。


 最近、彼女はすっかりこの役目に慣れている。


 盆には、薄切りのパン、柔らかい卵、温かい茶、果物が載っていた。


 以前の彼女なら、菓子や甘い果実ばかり選んだだろう。


 今は、マルタに相談して「仕事前に倒れにくい朝食」を選んでいるらしい。


「お姉様、食べながら読まないで」


「まだ何も言っていないわ」


「目がもう書類を読んでる」


 リリアナは盆を机の端ではなく、わざわざ別の小卓に置いた。


 逃げ道を塞ぐ配置だった。


「判決の次の日なのに、もうこんなに書類があるの?」


「ええ」


「裁判が終わったら少し落ち着くのかと思っていた」


「私も少しだけそう思っていたわ」


「お姉様でも読み違えることがあるんだ」


「あるわ」


 エレノアは素直に認めた。


 リリアナは少し驚いた顔をした後、なぜか嬉しそうにした。


「それ、記録していい?」


「しなくていい」


「お姉様も読み違える。大事」


「リリアナ」


「分かった、心の中に記録する」


 あまり変わっていない気もしたが、エレノアはそれ以上追及しなかった。


 リリアナは椅子に座り、机の上の書類を覗き込む。


「私の教育予定表ってある」


「あるわ」


「怖い」


「理由欄に書く?」


「書く。『怖いけど、逃げたくない』って」


「よい書き方ね」


 リリアナは照れたように笑った。


「昨日の判決、まだ夢みたい」


「ええ」


「お父様も、お母様も、オルガ様も……全部本当に起きたのよね」


「起きたわ」


「でも、朝は普通に来るのね」


 リリアナは窓の外を見た。


 中庭では、庭師が落ち葉を掃いている。


 何も知らないように。


 いや、知っていても仕事をしているのだろう。


「普通に来るから、直せるのだと思うわ」


 エレノアが言うと、リリアナは少し考えた。


「どういうこと?」


「すべてが止まってしまえば、再建もできない。厨房が動き、馬車が出て、孤児院に麦が届き、薬草園で草が乾く。そういう普通の動きの中で、少しずつ直していくしかない」


「判決より、そっちの方が長い?」


「ずっと長いわ」


 リリアナは、少しだけ顔を引き締めた。


「私、今日は何をすればいい?」


「午前は基礎実務教育の初回説明。午後は救貧院支援の受領記録様式をマルタと確認。夕方に、空欄理由欄の説明書の書き直し」


「……多い」


「多いわね」


「でも、できないとは言わない」


「休憩は入っているわ」


「お姉様の予定にも?」


 鋭い。


 エレノアが目を逸らすと、リリアナはすっと目を細めた。


「お姉様」


「入れる予定だったわ」


「予定だった、は空欄です」


 言い方が上手くなっている。


 エレノアは小さく息を吐いた。


「昼食後に三十分」


「一時間」


「三十分」


「殿下に言います」


「四十五分」


「一時間」


「……一時間」


 リリアナは満足そうに頷いた。


「記録します」


「そこは本当に記録するのね」


「必要なので」


 エレノアは、とうとう少し笑った。


 リリアナも笑った。


 判決後の朝に、こうして笑えるとは思っていなかった。


 だが、笑えるからこそ、今日の書類を処理できるのかもしれない。


 朝食後、最初に来たのは王家監督官だった。


 ヴァレンシュタイン公爵家へ派遣されている監督官で、名をヘルマンという。中年の実務官で、余計な言葉を好まない。


 彼は分厚い目録を机に置いた。


「公爵家財産目録の中間報告です」


「ありがとうございます」


「宝物庫、財務室、書庫、侍女長室は封印継続中。生活に必要な支出のみ、監督官承認で動かしています。使用人給金については、未払いを避けるため仮払いを許可しました」


「よい判断です」


「ただし、問題があります」


 ヘルマンは別紙を出した。


「グレゴール公爵の当主権限停止により、領地側への指示系統が混乱しています。代行者を早急に決めなければ、税収報告、冬前の穀物管理、橋の修繕が遅れます」


 家を裁けば、領地が揺れる。


 分かっていたが、もう出てきた。


「候補は?」


「現地代官は有能ですが、本家の親族ではありません。分家筋はベルナール家の件で不安定。公爵家内で血筋と実務の両方を満たす者は、現時点では不在です」


 エレノアは、少しだけ目を伏せた。


 自分の名が候補に出る可能性もある。


 だが、王妃の最後の条項がある。


 本人同意なく家門処分へ拘束してはならない。


「臨時領地監督団を組みます。王家監督官、現地代官、財務官、農務官の四者で。血筋による代行ではなく、王家監督下の実務代行とする」


 ヘルマンはすぐに頷いた。


「妥当です。ただ、公爵家側の承認形式が必要です」


「グレゴール公爵の当主権限は停止中。代わりに王家命令で足ります。ただし、領地民へは混乱を避けるため説明文を出してください。『公爵家の処分』ではなく『冬季管理を止めないための臨時監督』と」


「承知しました」


 ヘルマンは、もう一枚の紙を出した。


「公爵夫人セレスティア様から、リリアナ様へ手紙を出したいとの申し出があります」


 エレノアの手が止まった。


「内容は?」


「まだ未開封です。監督官立会いで作成され、封印前に確認許可を求められています」


 リリアナの意思。


 本人が読むかどうか。


 昨日の判決で明文化されたばかりだ。


「手紙は一度保管してください。リリアナには、手紙があることだけ伝えます。読むかどうかは本人が決める。読む場合は、マルタか教育係同席で」


「承知しました」


 ヘルマンは淡々と記録した。


 母からの手紙。


 それだけで、リリアナの心は揺れるだろう。


 だが、隠してはいけない。


 押しつけてもいけない。


 本人が選ぶ。


 簡単なようで、ひどく難しい。


 次に来たのは、ベルナール分家の監督報告だった。


 こちらはさらに実務的だった。


 アルマン・ロベルが拘束され、家令職を失ったことで、分家の家政がほとんど止まっていた。


 病床のベルナール卿には判断能力があるが、体力がない。


 使用人たちは給金が支払われるか不安がっている。


 療養薬の支払い、暖房用の薪、食材の発注、領地からの小収入の受け取り。


 すべて、家令アルマン一人に依存していた。


「依存しすぎです」


 エレノアは報告書を見て呟いた。


 来訪した監督補佐官は頷いた。


「はい。家令が倒れれば家が倒れる状態でした」


「オルガ夫人も、そこを利用したのでしょうね」


「おそらく」


 エレノアはすぐに指示を書いた。


 ベルナール分家には暫定家政補助官を派遣。

 使用人給金は王家監督下で仮払い。

 療養費は凍結対象から除外し、医師確認のもと支出。

 家政帳簿は一人管理を禁じ、最低二名確認。

 ベルナール卿への報告は簡易版を作成し、本人が確認可能な範囲で署名。


 書きながら、昨日の判決を思い出す。


 ベルナール卿もまた、知らないまま守られる側にいた。


 今後は、病弱だからといって何も知らせないのではなく、本人が理解できる形で知らせる必要がある。


 それもまた、王妃の条項に沿うことだった。


 午前の三件目は、夫人会だった。


 デリア・ラングフォード侯爵夫人とミリアム・ローゼン侯爵夫人が揃って現れた。


 デリア夫人は、昨日の判決を受けた後とは思えないほど整っていた。


 ただ、目元には疲れが濃い。


 ミリアム夫人は、普段通りに見えるが、手に持つ書類の量が尋常ではなかった。


「夫人会の臨時活動案です」


 ミリアム夫人が机に置いた。


 エレノアは目を通す。


 派手な茶会は全面停止。

 慈善販売は新様式が承認されるまで停止。

 ただし、継続支援が必要な孤児院、救貧院、療養施設への物資仕分けは王家監督下で継続。

 夫人会所属針子の雇用維持のため、聖クララ縫製所を臨時登録先とする。

 資金ではなく現物支援を優先し、物品ごとに受領記録を作る。


「よく整理されています」


 エレノアが言うと、デリア夫人は静かに頭を下げた。


「ミリアム様が、夜半まで詰めてくださいました」


「デリア様も逃げずに印を押されましたわ」


 ミリアム夫人が返す。


 デリア夫人は苦笑した。


「印の重さを、今さら学んでおります」


 その言葉は、王太子にもリリアナにも通じるものだった。


 エレノアは書類の一箇所に目を留めた。


「夫人会代表職について。デリア様は調査終了後に退任予定、とありますね」


「はい」


「後任は?」


「未定です」


 デリア夫人は、正直に答えた。


「以前なら、家格と社交力で選んだでしょう。ですが今は、それだけではいけません。実務を理解し、記録を嫌がらず、現場へ足を運べる者。そう考えると、候補が急に少なくなります」


「少なくてよいと思います」


 エレノアは言った。


「多く見える候補の中から誤って選ぶより、少ない候補を慎重に見る方がいい」


 ミリアム夫人が頷いた。


「その間、代表代行は?」


「ミリアム様に」


 デリア夫人が言うと、ミリアム夫人はわざとらしくため息をついた。


「逃げられませんでした」


「適任です」


 エレノアが言うと、ミリアム夫人は少しだけ眉を上げる。


「臨時長にそう言われると、断りづらいですわね」


「記録しますか?」


「しなくて結構です」


 初めて、三人の間に小さな笑いが生まれた。


 笑えるほど軽い話ではない。


 だが、笑える程度には、前を向いている。


 その直後、保護証言室からの新規相談三件が届いた。


 笑いはすぐに消えた。


 一件目。


 夫人会の臨時針子が、青い祈りの糸以外にも未記録の販売品があったと相談。


 二件目。


 王太子府の下級書記が、ダリウス以外にも未確認の推薦状を処理した記憶があると仮申告。


 三件目。


 ベルナール分家の元下男が、アルマンが燃やした書類の一部を庭の灰捨て場に運んだと証言希望。


 判決が下ったからこそ、声が出始めた。


 怖くて黙っていた者たちが、少しずつ動き出している。


 デリア夫人は一件目を見て、顔を曇らせた。


「まだ、出ますわね」


「出るでしょう」


 エレノアは答えた。


「判決は終わりではありません。空欄が見えるようになっただけです」


 ミリアム夫人が、静かに頷いた。


「では、見ましょう。今度は見なかったことにしないために」


 その言葉を、エレノアは記録した。


 昼食の時間になった。


 リリアナは宣言通り、エレノアを迎えに来た。


「一時間休憩です」


「あと一枚だけ」


「空欄理由欄に『あと一枚だけと言って休まない』って書きます」


「それは理由ではなく観察記録よ」


「どちらでもいいです」


 そこへカインが通りかかった。


「休め」


「殿下まで」


「命令にするか」


「……休みます」


 リリアナは勝ち誇った顔をした。


 エレノアは少し悔しかったが、確かに頭が重かった。


 休まなければ、午後の判断が鈍る。


 それもまた、確認不足につながる。


 食堂ではなく、北翼の小さな休憩室で三人は簡単な昼食を取った。


 途中でユリウスも来た。


 手には、王太子府再教育計画の写しがある。


「昼食中に読むなと言われた」


「誰に?」


 リリアナが尋ねる。


「ローレンに」


「正しいです」


 リリアナはすぐに頷いた。


 ユリウスは苦笑した。


「君はすっかり休憩管理側だな」


「エレノアお姉様で練習しています」


「私で練習しないで」


 エレノアが言うと、カインが淡々と返した。


「効果はある」


「殿下」


「事実だ」


 短い会話だったが、空気は少しだけ柔らかかった。


 判決の翌日に、皆で昼食を取っている。


 それは奇妙な光景だった。


 元婚約者。

 妹。

 王弟。

 王妃基金臨時長。


 それぞれに罪や責任や空欄を抱えながら、それでも同じ卓に座っている。


 リリアナが、ふと呟いた。


「昨日までは、判決が出たら全部終わる気がしていました」


 ユリウスが頷いた。


「私もだ」


「でも、今日の方が大変かもしれない」


「そうだな。何をすればよいかが具体的になった分、逃げにくい」


 リリアナは手帳を開きかけて、エレノアに見られて閉じた。


「休憩中だった」


「よい判断よ」


 カインが茶を置きながら言った。


「判決は区切りだ。終点ではない」


 その声は、いつも通り短い。


 だが、今日は少しだけ重く聞こえた。


 カインもまた、この後の処理を背負っている。


 王家監督、裁判後処分、制度改正。


 休んでいるようには見えない。


 リリアナが彼を見た。


「殿下も休んでいますか?」


 エレノアは少し驚いた。


 カインも、わずかに目を瞬いた。


「私か」


「はい。エレノアお姉様を休ませる方が倒れたら困ります」


 ユリウスが小さく笑った。


「それは正しい」


 カインは数秒黙り、やがて言った。


「夕刻に三十分取る」


「一時間」


 リリアナが即答した。


 エレノアは思わず見た。


 自分にだけではなかったらしい。


 カインは表情を変えずに返す。


「三十分で十分だ」


「エレノアお姉様と同じことを言っています」


「……四十五分」


「一時間」


 ユリウスが横で肩を震わせている。


 カインは、非常に不本意そうに言った。


「一時間」


 リリアナは満足げに頷いた。


「記録します」


「するな」


 今度はカインが言った。


 エレノアは、少しだけ笑ってしまった。


 午後、王妃基金の臨時窓口が開かれた。


 判決後の混乱に対応するため、北翼の一室に小さな受付が設けられたのだ。


 看板にはこう書かれている。


 王妃基金・臨時相談窓口

 支援、記録、未確認事項、報復不安について


 リリアナが説明文の分かりやすさを確認した。


 最初の案には「関連諸団体における不利益措置懸念」と書かれていた。


 リリアナは即座に赤を入れた。


 ――難しいです。「仕返しが怖い時」にしてください。


 法務官補佐は少し困った顔をしたが、最終的に説明書にはこう書かれた。


 「話したことで仕返しされるのが怖い時も、相談できます」


 エレノアは、その文を採用した。


 窓口初日の相談者は、多くはなかった。


 だが、一人目は夫人会の針子だった。


 小柄な中年女性で、両手に布包みを抱えている。


 彼女は受付で何度も周囲を見回した。


「ここで話して、本当に仕事を失いませんか」


 受付係は、用意された説明書を見せた。


「相談しただけで、あなたの名前を外へ出すことはありません。必要なら仮名で記録できます」


 針子は、少しだけ安心したように息を吐いた。


 その様子を、エレノアは離れた場所から見ていた。


 窓口は、派手ではない。


 誰かを劇的に救う場面ばかりでもない。


 まずは、扉を開けて入ってもらう。


 そのための言葉を作る。


 それが大事なのだと、改めて思う。


 夕方には、救貧院への麦と薪の搬出許可が下りた。


 フィオナ司祭から短い伝言が届く。


 ――冬は待ちません。初便、確かに受け取ります。


 相変わらず、余計な美辞麗句はない。


 だが、それで十分だった。


 薬草園からは、ガスパルが空欄理由欄の試作紙に赤を入れて返してきた。


 ――欄が小さい。

 ――乾燥日不明の理由に「雨続き」を追加。

 ――匂い欄が必要。

 ――悪い草を「不適」と書くと弱い。「使用不可」と書け。


 容赦がない。


 リリアナはそれを見て笑った。


「ガスパルさん、厳しい」


「正しい指摘が多いわ」


「匂い欄、作るの?」


「作ります」


「正式記録に匂い欄……」


「薬草では必要よ」


 リリアナは手帳に書いた。


 ――記録は対象によって必要な欄が違う。薬草には匂い欄。


 どんどん書くことが増えていく。


 けれど、彼女は嫌そうではなかった。


 夜になり、ようやく一日の処理が区切られた。


 終わったわけではない。


 区切っただけだ。


 エレノアは執務室の机に、今日の最終記録を書いた。


 ――判決翌日。王宮通常業務継続。ヴァレンシュタイン公爵家およびベルナール分家監督実務開始。夫人会臨時活動案受領。保護証言室新規相談三件。救貧院冬季支援初便承認。薬草記録様式改訂中。リリアナ教育開始準備。王太子府再教育日程調整。


 その下に、少し迷ってから付記した。


 ――判決後も生活は止まらない。止めないための処理こそ、再建の中心である。


 筆を置く。


 外はすでに暗かった。


 昨日の法廷の光景は、まだ胸に残っている。


 オルガの顔。

 父の声。

 母の涙。

 リリアナの「今はまだ無理です」という言葉。

 ユリウスの静かな承諾。


 そのすべての翌日に、麦を運び、給金を仮払いし、匂い欄を作り、休憩時間を記録する。


 それが現実だった。


 そして、たぶん、それが国を直すということなのだ。


 大きな裁きの後に、小さな手続きが続く。


 小さな手続きの積み重ねが、次の大きな罪を防ぐ。


 エレノアは、机の上に置かれたニナの礼状を見た。


 雨の日に、天井を見ないで眠れる。


 その夜を守るために、明日も書類を読む。


 そう考えると、積まれた書類の重さが少しだけ違って見えた。


 扉の向こうから、リリアナの声がした。


「エレノアお姉様、夕食です」


「今行くわ」


「本当に?」


「本当に」


「書類を一枚だけ読んでから、は駄目です」


 エレノアは、読もうとしていた一枚をそっと置いた。


 なぜ分かるのだろう。


 扉を開けると、リリアナが得意げに立っていた。


「顔に書いてあります」


「そんなに?」


「はい」


 廊下の向こうでは、カインがちょうど歩いてくるところだった。


 リリアナはすぐに言った。


「殿下、一時間休憩しましたか?」


 カインは、一瞬だけ無言になった。


「……四十五分」


「殿下」


「これから残り十五分を取る」


「足して一時間になるのですか?」


「なる」


 リリアナは疑わしそうだったが、エレノアは笑いを堪えた。


 王宮はまだ動く。


 判決の翌日も、食事をし、休憩を取り、書類を読み、誰かを叱り、誰かに叱られる。


 その普通の動きの中で、少しずつ傷を縫っていく。


 エレノアは、廊下を歩きながら思った。


 王妃の死は戻らない。


 失われた信頼も、すぐには戻らない。


 けれど、王宮はまだ動いている。


 だから、直せる。


 直し続けることができる。

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