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第53話 判決──罪は家名ではなく人に下る

 判決の日、法廷には昨日より重い沈黙が落ちていた。


 証言の日には、まだ言葉が動いていた。


 誰が何をしたのか。

 いつ知ったのか。

 どこで見逃したのか。

 なぜ止めなかったのか。


 問いがあり、答えがあり、沈黙があり、時には涙もあった。


 だが、今日は違う。


 今日は、答えが返ってくる日だった。


 法が、人へ返す日。


 だからこそ、誰も軽々しく喋らなかった。


 エレノアは証人席ではなく、王妃基金臨時長として記録官席の近くに座っていた。


 昨日の審理で、彼女の報告はすでに提出されている。


 今日は聞く日だ。


 そして受け取る日でもある。


 隣にはリリアナがいた。


 昨日と同じく、手帳を持っている。だが今日は開いていない。


 膝の上で両手を重ね、まっすぐ前を見ていた。


 父グレゴールと母セレスティアは、関係被告席にいる。


 オルガ・ベルナールは、主たる被告席の中央。


 リゼット・グラン、ドロテア・ランズ、アルマン・ロベル、ダリウス・モーンも並んでいる。


 ユリウスは王族席にいた。


 顔色は良くない。


 だが、昨日と同じく逃げる様子はなかった。


 国王アレクシスが入廷すると、全員が立ち上がった。


 国王はゆっくりと席についた。


 その横顔は、夫としての苦悩を奥へ押し込み、王として法の前に座る者の顔になっていた。


 王家法務官が立ち上がる。


「王国法廷は、昨日までの証拠、証言、鑑定報告および王妃陛下の最後の条項を踏まえ、各人の罪責を個別に判断する」


 個別に。


 その言葉が、今日の法廷の芯だった。


 家ごとではない。


 夫人会ごとではない。


 王太子府ごとでもない。


 罪は、名前を持つ人に下る。


 ただし、仕組みの罪は仕組みとして直す。


 それを同時にしなければならない。


「まず、オルガ・ベルナール」


 法務官が名を呼んだ。


 オルガは立ち上がった。


 黒に近い緑のドレス。


 背筋は伸びている。


 けれど昨日よりも、さらに疲れて見えた。


「あなたは、青い祈りの糸を慈善活動として発案しながら、これを王宮内外の裏連絡網として転用した。王妃陛下の私的紋章を模した印、偽王妃書簡の原案および封蝋の用意、夫人会別口資金の指示、ベルナール分家への資金流入、王妃療養薬の不適切な静穏化への関与を認めている」


 オルガは何も言わない。


「また、王妃陛下の死期が早まる可能性を認識しながら、これを止めなかったことを認めた」


 法廷内に、かすかな緊張が走った。


 王妃の死期。


 その言葉は、何度聞いても重い。


「本法廷は、あなたを王妃基金不正の主導者、偽書簡工作の主導者、王宮連絡網不正利用の主導者、王妃療養妨害の認識ある関与者と認定する」


 エレノアは、膝の上の指を静かに握った。


 毒殺ではない。


 しかし、療養妨害。


 それが法の言葉だった。


「処分を言い渡す。オルガ・ベルナール。貴族夫人としての社交権を終身剥奪。夫人会および慈善団体への関与を永久禁止。王都外の王家監督修道院に終身幽閉。ただし、宗教的名誉職、教育職、会計職、書簡管理職に就くことを禁ずる。財産のうち不正に関わる分は没収し、王妃基金再建費へ充てる」


 法廷は静まり返っていた。


 死罪ではなかった。


 だが、オルガにとってそれは、社交界と家の未来を完全に奪われる判決だった。


 終身幽閉。


 しかも、彼女が得意とした言葉、会計、書簡、人の配置、そのすべてから切り離される。


 オルガは、少しだけ目を閉じた。


 そして、静かに礼をした。


「承りました」


 声は乱れなかった。


 だが、その声には、もう微笑みはなかった。


 次に呼ばれたのは、リゼット・グランだった。


 彼女は立ち上がる時、少しふらついた。


「リゼット・グラン。あなたは、青い指輪を用いた連絡、王宮南回廊布置き場の不正利用、偽女官服準備、洗濯室および慈善衣料会を通じた工作、ベアタおよびネル・ファランへの圧力に関与した」


 リゼットは俯いている。


「ただし、主導者ではなく実務実行者であり、証言によって一部真相解明に協力したことを考慮する」


 リゼットの肩が震えた。


「処分。王宮および王都内慈善団体への就労永久禁止。五年間の強制労役。ただし労役先は王家監督下の布類修繕施設とし、賃金の一部を王妃基金へ返納する。保護証言者への報復を禁じ、違反時は刑を加重する」


 リゼットは唇を噛み、深く頭を下げた。


「……承りました」


 ネルの名は、ここでも守られた。


 証言者本人は法廷にいない。


 けれど、彼女を潰そうとした行為は、正式に処分理由に入った。


 エレノアはそれを確認し、静かに息を吐いた。


 次は、ドロテア・ランズ。


「ドロテア・ランズ。あなたは、青い祈りの糸および夫人会慈善活動に関する別口資金を管理し、正式帳簿から隠した。運営調整費の名で不正支出を整え、後にその用途が王宮工作、社交工作、布経路不正に関わることを認識しながら継続した」


 ドロテアは、顔を上げて聞いていた。


 目元に疲れはあるが、昨日よりは落ち着いている。


「ただし、補助簿および地下食品庫の記録を提出し、真相解明に大きく寄与した。王妃療養薬への直接関与については、認識の範囲が限定的である」


 法務官は淡々と続けた。


「処分。貴族社交会計職への就任永久禁止。夫人会および慈善団体の会計職禁止。爵位家名に伴う管理財産の一部没収。三年間、王家監督下で不正会計調査補助として労務を行うこと。ただし単独で帳簿を管理することは禁ずる」


 ドロテアは、一瞬だけ目を閉じた。


 会計を奪われる。


 彼女にとって、それは居場所を失うに等しい。


 だが、同時に、完全に捨てられるのではない。


 不正会計調査補助。


 自分の罪を、自分の技術で償う道が残された。


「承ります」


 ドロテアの声は、小さかった。


 けれど、はっきりしていた。


 次に、アルマン・ロベル。


 彼は家令としての姿勢を崩さず立った。


「アルマン・ロベル。あなたは、ロベール・アルマン名義で夫人会別口資金を受領し、ベルナール分家相続準備、王宮布経路維持、王妃布箱関連工作に使用した。病弱な当主ベルナール卿に詳細を知らせず、家令として分家の将来を独断で進めた」


 アルマンは表情を変えなかった。


「あなたは、本家ヴァレンシュタインの失脚を見越し、ベルナール分家が公爵家を支える計画を作成した。ただし、王妃療養薬への具体的指示については、オルガ・ベルナールに比べ関与が限定的である」


 アルマンの目が一瞬だけオルガへ向いた。


 オルガは見返さなかった。


「処分。家令職および貴族家家政職への就任永久禁止。ベルナール分家財産管理権を剥奪。六年間の強制労役。ベルナール家別口資金に関わる不正財産は没収。加えて、ベルナール分家は王家監督下に置く」


 アルマンは、深く頭を下げた。


「承りました」


 その声には、悔いよりも、敗北を受け入れた家臣のような硬さがあった。


 彼は最後まで、個人というより家令だった。


 けれど、判決は彼を家令ではなく、アルマン・ロベルという人間として裁いた。


 次に、ダリウス・モーン。


 彼は震えながら立ち上がった。


「ダリウス・モーン。あなたは王太子府に仕えながら、王太子殿下の弱さと信頼を利用し、サルヴィ商会推薦状、王妃療養薬関連手続き、リリアナ・ヴァレンシュタイン嬢への偽署名誘導、王太子府内情報の流出に関与した」


 ダリウスは、顔を上げられない。


「あなたの行為は、王太子府への重大な背信である。ただし、ベアトリス・モーン夫人の手帳提出後、追加証言に応じ、複数の経路解明に寄与したことを考慮する」


 法務官の声は変わらない。


「処分。王宮出仕権永久剥奪。爵位継承権の一時停止。五年間の謹慎および王都外居住命令。財産の一部没収。王太子府に関する職務、教育、助言、書簡管理への関与を永久禁止」


 ユリウスが目を伏せた。


 ダリウスは、深く頭を下げた。


「承りました」


 かつて王太子の耳元で甘い言葉を囁いた男は、もう王太子府へ戻れない。


 それは当然だった。


 だが、ユリウスの顔には怒りだけではなく、自分の弱さを突きつけられた痛みもあった。


 そして、次に呼ばれたのはグレゴールだった。


 法廷の空気が変わる。


 リリアナの手が、膝の上で小さく震えた。


 エレノアは、その手を見た。


 触れはしなかった。


 だが、気づいていることだけは伝わったのか、リリアナは小さく息を整えた。


「グレゴール・ヴァレンシュタイン」


 父は立った。


 公爵としてではなく、関係被告として。


「あなたは、王太子妃候補教育支援寄付の名目で夫人会へ銀貨八百枚を支出し、その一部が別口資金へ流れたことについて管理責任を負う。また、リリアナ・ヴァレンシュタイン嬢を王太子妃候補へ押し上げるための社交工作費を認識し、エレノア・ヴァレンシュタイン嬢を慈善院へ送る案を指示した」


 法廷は静かだった。


「あなたは王妃療養薬不正の具体的指示者ではない。ただし、王妃基金担保品である月涙石の首飾りを公爵家に取り込み、これを社交の場に用いることを許し、王妃基金の信頼を傷つけた。家門維持を理由に娘たちを政略の駒とし、王妃基金不正に権威と資金を与えた」


 グレゴールの顔に、苦さが浮かんだ。


 家を守るため。


 その言葉は、今日は通じない。


「処分。ヴァレンシュタイン公爵家当主権限を停止。王家監督下での財産整理および相続再審査を命じる。王宮出仕権を十年間停止。王妃基金および慈善事業への関与永久禁止。不正資金に関わる財産の一部没収。正式な爵位剥奪については、家門継承と領地統治への影響を踏まえ、王家監督期間終了後に再審査する」


 ざわめきが起きかけた。


 公爵位即時剥奪ではない。


 だが、当主権限停止。


 王家監督下。


 財産整理。


 それは実質的に、グレゴールが家を動かす力を失うことを意味していた。


 法務官は、さらに続けた。


「なお、ヴァレンシュタイン公爵家そのものは解体しない。領地民、使用人、無関係の分家、支援先に過度な被害を及ぼすことを避けるためである。ただし、同家の運営は王家監督下に置き、今後の当主および家政体制を再構築する」


 罪は家名ではなく人に下る。


 しかし、家の仕組みは正される。


 その判決だった。


 グレゴールは、しばらく何も言わなかった。


 やがて、深く頭を下げた。


「承ります」


 その声は、公爵としての威厳を保とうとしていた。


 だが、そこにかつての支配の響きはもうなかった。


 次はセレスティア。


 母は立ち上がるだけで精一杯のように見えた。


 それでも、手元のハンカチで涙を隠さなかった。


 泣いているなら、泣いているまま立つ。


 その覚悟が見えた。


「セレスティア・ヴァレンシュタイン」


 法務官の声が少しだけ低くなる。


「あなたは、月涙石代替首飾りの宝物庫持ち込みを許可し、王妃基金担保品が公爵家に流入した事実を隠そうとした。また、リリアナ・ヴァレンシュタイン嬢の社交界デビュー支出を過大化し、夫人会への過剰な謝礼を通じて別口資金を助長した。これらを、リリアナ嬢保護および公爵家体面維持の名で行った」


 セレスティアは涙を落とした。


 けれど、声は出さない。


「ただし、王妃療養薬不正、偽書簡、青い祈りの糸連絡網についての直接関与は認められない。母として娘を守るという名目で記録を歪めた責任を負うものとする」


 母として娘を守るという名目で記録を歪めた責任。


 それは、セレスティアの罪をもっとも正確に言い表していた。


「処分。公爵夫人としての社交主催権を五年間停止。王妃基金および夫人会への関与永久禁止。王家監督下での生活。月涙石代替首飾り隠蔽に関わる財産補填義務を負う。なお、娘リリアナ・ヴァレンシュタイン嬢への面会は、本人の意思と王家教育係の判断を前提とし、強制を禁ずる」


 リリアナが息を呑んだ。


 母との面会。


 本人の意思。


 強制を禁ずる。


 それは、王妃の最後の条項が反映された判決だった。


 セレスティアは、涙を流しながら頷いた。


「承ります」


 その声は震えていたが、逃げていなかった。


 そして、法務官は一度、書類を置いた。


 次の言葉を前に、法廷の空気がわずかに変わる。


「次に、リリアナ・ヴァレンシュタイン嬢について」


 リリアナの体が硬くなった。


 エレノアも顔を上げる。


 リリアナは被告ではない。


 だが、事件の中心に名前があった。


 判決の中で、彼女の扱いを明確にしなければならない。


「リリアナ・ヴァレンシュタイン嬢は、偽署名に巻き込まれかけ、王太子妃候補交代工作の中心に置かれた。しかし、偽署名は未遂に終わり、本人は大裁定の間および調査過程において、自らの無知と未熟、責任ある地位への理解不足を認めた」


 リリアナは、手帳を握りしめている。


「本法廷は、リリアナ嬢を不正の主導者または共犯者とは認定しない。ただし、王太子妃候補としての資格は当面停止し、王家教育係および王妃基金臨時長の監督下で、基礎実務、署名責任、財務、慈善現場理解に関する教育を受けることを命じる」


 リリアナの目に涙が浮かんだ。


 罪人ではない。


 しかし、無罪放免でもない。


 学ぶこと。


 責任を知ること。


 それが彼女への裁きであり、保護だった。


「また、リリアナ嬢を婚姻、王太子妃候補、家門継承、夫人会活動に利用することを禁じる。今後の身分および婚姻については、本人の意思確認を必須とする」


 リリアナは、深く頭を下げた。


 声は出さなかった。


 だが、その肩は震えていた。


 エレノアは、胸の奥で静かに思った。


 よかった、とは簡単に言えない。


 それでも、リリアナは役割の中へ戻されなかった。


 可愛い娘として箱に戻されるのでも、罪の付属物として潰されるのでもない。


 リリアナとして、学ぶ道が残された。


 次に、ユリウス王太子の名が呼ばれた。


 ユリウスは立ち上がった。


「王太子ユリウス殿下について。本法廷は、王太子殿下を本件の被告とはしない。ただし、王太子府における確認責任の不履行、ダリウス・モーンへの過度な委任、王妃基金および療養薬関連書類への理解不足を重く見る」


 法務官は、国王の前で王太子を裁くように言った。


 法廷内に緊張が走る。


「王太子殿下は、当面、王妃基金および慈善財務に関する承認権を持たない。王家教育評議会の監督下で、財務、記録、現場確認、王族署名責任に関する再教育を受けること。三か月ごとに進捗報告を提出し、一年後に王太子府実務権限の一部回復について再審査する」


 ユリウスは、深く頭を下げた。


「承ります」


 その声は静かだった。


 屈辱もあるだろう。


 だが、彼は受けた。


 王太子としてではなく、ユリウスとして。


 そして最後に、エレノア自身の名が呼ばれた。


「エレノア・ヴァレンシュタイン」


 エレノアは立ち上がった。


 思っていた以上に、法廷の視線が重かった。


「王妃エレオノーラ陛下の最後の条項に基づき、あなたの身分および職務について確認する」


 国王が、ここで口を開いた。


 法務官ではなく、国王自身の声だった。


「エレノア。そなたは、王妃基金臨時長として職務継続を望むと、昨日確認した。その意思に変わりはないか」


「ありません」


「よろしい」


 国王は頷いた。


「王国法廷は、エレノア・ヴァレンシュタインを王妃基金臨時長として正式に承認する。任期は暫定一年。ただし三か月後、半年後、一年後に本人意思を確認すること。王家、公爵家、王太子府は、本人同意なく婚姻、修道院、慈善院、家門処分、王家役職へ拘束してはならない」


 法廷に静かな波紋が広がった。


 王の口から、エレノアの自由が法として宣言された。


 父が送ろうとした慈善院。

 王太子との婚約。

 公爵家の処分。

 王家の役職。


 それらが、本人の同意なしには彼女を縛れない。


 エレノアは、深く礼をした。


「承ります」


 声が震えなかったことに、自分で少し驚いた。


 最後に、国王は法廷全体へ向けて言った。


「本件において、王妃エレオノーラの名は、幾度も利用された。慈善の名も、家の名も、愛の名も、守るという言葉も、利用された」


 国王の声は低かった。


 だが、法廷の隅まで届いた。


「ゆえに、ここに明言する。罪は家名ではなく人に下る。だが、人の罪を許した仕組みは、仕組みとして改める。王妃基金、王太子府、夫人会、ヴァレンシュタイン公爵家、ベルナール分家は、王家監督および評議会制度のもとで再建される」


 誰も動かなかった。


「王妃の死を、権力争いの道具にしてはならない。王妃の名で誰かを縛ってはならない。これは王妃の最後の願いであり、王としての命でもある」


 エレノアは目を伏せた。


 王妃の言葉が、法の言葉になった。


 それはきっと、王妃が望んだ形だったのだろう。


「判決を終える」


 槌が鳴った。


 乾いた音が、法廷に響いた。


 その瞬間、誰かが泣いた。


 誰かは分からない。


 セレスティアかもしれない。


 傍聴席の誰かかもしれない。


 あるいは、王妃を慕っていた女官の一人かもしれない。


 判決は下った。


 けれど、痛みは終わらない。


 ただ、痛みを隠す時期が終わっただけだ。


 被告たちが連れていかれる。


 オルガは最後まで背筋を伸ばしていた。


 通り過ぎる時、彼女は一度だけエレノアを見た。


 何も言わない。


 微笑みもしない。


 ただ、人として裁かれた者の目だった。


 エレノアも、何も言わなかった。


 リゼットは俯いたまま。


 ドロテアは静かに涙をこぼしていた。


 アルマンは、家令の顔を保っている。


 ダリウスは、ユリウスの方を見ようとしたが、最後には見られなかった。


 グレゴールが通る時、エレノアは立ち上がらなかった。


 父は一度足を止めた。


「エレノア」


 声は低かった。


 近衛が制止しようとしたが、カインが目で止めた。


 エレノアは父を見る。


「はい」


 グレゴールは、しばらく言葉を探していた。


 結局、言ったのは短い一言だった。


「家を、頼むとは言えぬな」


 エレノアは答えた。


「はい」


「……そうだな」


 グレゴールは、苦く笑った。


「お前の意思で、見届けよ」


 それだけ言って、彼は歩いていった。


 セレスティアは、リリアナの前で足を止めた。


 リリアナは立ち上がる。


 母娘はしばらく見つめ合った。


 セレスティアは泣いていた。


 けれど、手を伸ばさなかった。


 抱きしめようともしなかった。


 本人の意思。


 それを、母も覚えようとしているのだろう。


「リリアナ」


「はい、お母様」


「いつか、話を聞いてくれる?」


 リリアナの唇が震えた。


「今は、まだ無理です」


 セレスティアの顔が歪んだ。


 けれど、頷いた。


「分かったわ」


 リリアナは涙をこぼした。


「でも、いつかは話します。私が、自分で話せるようになったら」


 セレスティアは、泣きながら微笑んだ。


「待っています」


 それだけだった。


 母は近衛に付き添われ、法廷を出ていった。


 リリアナは、その背中を見送った後、椅子に座り込むように腰を下ろした。


「言えた……」


「ええ」


 エレノアは隣で静かに言った。


「言えたわ」


 ユリウスが近づいてきた。


 彼もまた、今日の判決を受けた一人だった。


「リリアナ」


 名前で呼ぶ。


 リリアナは顔を上げる。


「はい」


「今の言葉は、とても強かった」


 リリアナは、少し泣き笑いのような顔をした。


「怖かったです」


「それでも言えた」


「はい」


 ユリウスは、次にエレノアを見た。


「エレノア」


「はい」


「私は、一年後の再審査までに、今日の判決に耐えられる王太子になる」


 大きな言葉だった。


 以前の彼が言えば、少し危うく聞こえただろう。


 だが、今のユリウスは言い切るよりも、自分に課しているように見えた。


「まず三か月後の進捗報告です」


 エレノアが言うと、ユリウスは苦笑した。


「そうだった。君は長期目標より、最初の提出期限を言う」


「必要ですので」


「分かっている」


 その時、カインが近づいてきた。


「判決後処理が始まる。休む間は短いぞ」


 リリアナがすぐに反応した。


「でも、エレノアお姉様には休憩が必要です」


「それも処理に含める」


 カインが真顔で言う。


 ユリウスが少しだけ笑った。


「王妃基金臨時長休憩管理も、制度化される日が近いな」


「やめてください」


 エレノアは即座に言った。


 リリアナは真剣に手帳を開きかける。


「でも、空欄理由欄に睡眠不足って」


「書かなくていいわ」


「書いた方がいいと思う」


 判決直後とは思えないやり取りだった。


 だが、その小さな会話が、張り詰めていた心を少しだけ解いた。


 法廷の外へ出ると、空は少し明るくなっていた。


 曇りの切れ間から、薄い光が差している。


 劇的な晴天ではない。


 ただ、雲が少し薄くなっただけ。


 それで十分だった。


 判決は終わった。


 罪は人に下った。


 家名は監督下に置かれ、制度は再建へ向かう。


 だが、ここからが本当に難しい。


 罰を与えるより、直し続ける方がずっと長い。


 エレノアは、胸元の銀の百合に触れた。


 王妃の名で誰かを縛ってはならない。


 ならば、この先は、自分の意思で歩くしかない。


 リリアナが隣に立った。


「エレノアお姉様」


「何?」


「私、勉強します」


「知っているわ」


「逃げたくなると思う」


「その時は理由欄に書きなさい」


「うん」


 ユリウスも言った。


「私も、空欄を探す」


「三か月後に確認します」


「容赦ないな」


「必要ですので」


 カインが短く言う。


「全員、まず食事だ」


 その言葉に、リリアナが頷いた。


「賛成です」


 エレノアも、今日は反論しなかった。


 判決の日。


 王宮はまだ、痛みの中にある。


 けれど、痛みを隠すための静けさではなかった。


 これから直すために、傷口を見た後の静けさだった。


 エレノアは、法廷を振り返らなかった。


 前に、書くべき記録がある。


 動かすべき基金がある。


 直すべき屋根があり、嗅ぐべき薬草があり、理由を書くべき空欄がある。


 そして、名前で呼ぶべき人たちがいる。


 裁きは終わった。


 再建は、ここから続いていく。

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