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第24話 慈善衣料会の保管庫

 慈善衣料会の保管庫は、王都南区の外れにあった。


 サルヴィ商会の旧倉庫から、細い水路を挟んで二筋ほど離れた場所である。倉庫街の中では比較的小さく、白く塗られた木の扉には、古びた看板が掛かっていた。


 ――王都慈善衣料会 南区保管所


 看板の下には、小さな百合の絵が描かれている。


 王妃エレオノーラが支援していた慈善団体であることを示す印だ。


 冬服を持たない孤児へ上着を配る。

 戦没騎士の遺児へ靴下や肌着を届ける。

 貧民街の産婦へ布を分ける。

 災害時には毛布を運ぶ。


 そうした活動のための保管庫だった。


 少なくとも、表向きは。


 馬車を降りたエレノアは、扉に掛けられた百合の印をしばらく見つめた。


 王妃の印は、どこにでもあった。


 孤児院の帳簿にも。

 薬草園の支出記録にも。

 衣料会の寄付台帳にも。

 そして今、疑惑の倉庫の扉にも。


 善意の印ほど、悪意に利用されやすいものはない。


 それを思うと、胸の奥が冷えた。


「開ける」


 カインが言った。


 近衛騎士が扉へ近づき、錠前を確認する。


 封鎖命令が出てから、保管庫には誰も入れていないはずだった。だが、錠前には新しい傷がついていた。


 エレノアは、それを見逃さなかった。


「この傷は」


「最近のものだな」


 近衛騎士が低く答える。


 カインの目が細くなる。


「誰かが先に入ったか」


「あるいは、入ろうとしたか」


 エレノアは扉の下を見た。


 細かな糸くずが落ちている。


 白い糸と、濃い青の糸。


 衣料保管庫なら糸くずくらい珍しくない。


 だが、扉の隙間から外へ出たように散っているのが気になった。


「開錠前に、扉周辺の状態を記録してください」


 オスカーがすぐに書き留める。


 近衛が錠を外し、扉を開いた。


 中から、布と埃の匂いが流れ出した。


 最初に見えたのは、積み上げられた木箱だった。


 冬用外套。

 子供用靴。

 古布。

 包帯用生成布。

 毛布。


 箱には丁寧に札が貼られている。


 一見、きちんと管理された慈善団体の保管庫だった。


 だが、エレノアは入り口に立っただけで違和感を覚えた。


 箱の置き方が整いすぎている。


 表から見える部分だけが美しく並べられ、奥へ行く通路が妙に狭い。


 まるで、誰かに見せるための正面だけを整えたようだった。


「表の箱から確認します」


 エレノアは言った。


「札、内容、数量を照合してください」


 文書官が頷き、箱をひとつ開けた。


 中には、子供用の上着が整然と入っている。


 十着。


 札にも十着とある。


 次の箱。


 毛布二十枚。


 中身も二十枚。


 さらに次。


 包帯用生成布。


 数量は合っている。


 同行していた慈善衣料会の事務係が、少しほっとしたような顔をした。


「ご覧の通り、私どもはきちんと管理しております」


 中年の女性で、名をパメラと言った。オルガ夫人の下で衣料会の実務を手伝っているらしい。


 彼女は気丈に振る舞っているが、頬は引きつっていた。


「奥も確認します」


 エレノアが言うと、パメラの顔がわずかに曇った。


「奥は、古布や傷みのある衣料が多く、まだ整理が」


「未整理品も確認対象です」


「ですが、寄付品には個人の思い出の品もありまして、あまり乱暴に扱われては」


「乱暴には扱いません」


 エレノアは静かに返した。


「ただ、確認はします」


 カインが一歩進む。


 それだけで、パメラはそれ以上反論できなくなった。


 奥へ進むと、空気が変わった。


 埃っぽさが強くなり、湿った布の匂いが混じる。


 壁際には、札のない箱がいくつも積まれていた。


 表の箱とは違い、置き方も雑だ。


 エレノアは、その中の一つに目を止めた。


 蓋の端に、青い布が挟まっている。


 濃い藍色。


 王宮女官服の袖口に使われる色に近かった。


「この箱を」


 近衛が蓋を開ける。


 中には、畳まれた衣服が入っていた。


 粗末な外套。


 古いワンピース。


 補修途中の前掛け。


 その下。


 丁寧に布で包まれたものがあった。


 マルタが近づき、包みを開く。


 中から出てきたのは、王宮下級女官の制服だった。


 マルタの顔が変わる。


「これは……」


「本物ですか」


 エレノアが尋ねる。


 マルタは制服を広げ、縫い目と袖口、胸元の小さな印を確認した。


「王宮支給品です。ただし、現行のものより一つ前の型。洗濯係や下働きの者が使っていた形式です」


「元王宮洗濯係、ミラ・ハーディ」


 オスカーが名簿を確認しながら言った。


「彼女なら、この型の制服を扱えた可能性があります」


 パメラが顔を青くした。


「そんなものが、どうしてここに」


「こちらが聞いています」


 カインの声が冷たい。


 箱の中をさらに探ると、制服は一着ではなかった。


 三着。


 うち一着は、袖口が少し改造されている。


 女官服としては不自然な位置に、小さな内ポケットが縫い込まれていた。


 エレノアは指で示す。


「このポケットを開けてください」


 マルタがそっと開く。


 中から、小さな紙片が出てきた。


 短い筆跡。


 ――東翼執務室、花瓶の交換時刻。

 ――リリアナ様一人の時を狙う。

 ――署名練習の紙を持参。

 ――泣かれた場合は「姉上も最初はそうでした」と慰める。


 リリアナの名前が、そこにあった。


 エレノアは、紙片から目を離さなかった。


 怒りは、もう鋭い炎ではなかった。


 もっと冷たいものだった。


 リリアナは確かに愚かだった。


 無知で、甘えが強く、欲しいものを欲しいと言ってきた。


 けれど、その弱さをここまで丁寧に利用した者がいる。


 泣かれた場合の慰め方まで書いて。


「この筆跡に見覚えは?」


 カインがパメラへ問う。


 パメラは震えながら首を横に振った。


「存じません。本当に……私は、箱の中身までは」


「この保管庫の管理責任者は誰だ」


「名義上は私です。ただ、奥の未整理品についてはオルガ様が直接」


 言ってから、パメラは青ざめた。


 自分が何を口にしたか分かったのだろう。


 カインは短く言った。


「続けろ」


「オルガ様が、慈善衣料会の特殊寄付品として管理されていました。元王宮関係者からの寄付だと伺って……中を勝手に見るなと」


「元王宮関係者とは、ミラ・ハーディか」


「おそらく」


「彼女はどこにいる」


「分かりません。昨日から姿を見せず……」


 パメラの声は小さくなった。


 エレノアは、制服の内ポケットから出た紙片を記録用の封筒に入れさせた。


「この書き方は、ミラ本人への指示のようですね」


「そうだな」


 カインは頷く。


「偽女官として東翼執務室へ入ったのはミラ。だが、指示を書いたのは別人だ」


「オルガ夫人の筆跡と照合が必要です」


「すぐにやる」


 さらに奥の箱を開ける。


 そこには、慈善衣料会の配布予定表が入っていた。


 だが、奇妙な点があった。


 配布先として記載されている孤児院のうち、いくつかは実在しない。


 住所も、代表者名も、どこか曖昧だ。


 にもかかわらず、衣料費の支出記録だけはある。


「架空の配布先ですね」


 エレノアは言った。


 パメラが首を振る。


「そんな、まさか」


「王都西区聖ハンナ孤児院。西区にその名の孤児院はありません」


「え?」


「王都北区祈りの家。これは十年前に閉鎖されています」


 エレノアは、次々と指摘していく。


 王妃基金後援会で孤児院名簿を見ていたことが、今になって役立っていた。


 リリアナが偽署名させられそうになった慈善衣料費。


 その名目の先には、架空の配布先が含まれている。


 つまり、偽署名が通れば、銀貨三百枚は衣料費として流れ、実在しない孤児院への配布に消えるはずだった。


 その金はどこへ行くのか。


 サルヴィ商会か。


 分家か。


 ダリウスか。


 オルガか。


 あるいは、まだ見えていない誰かか。


「この保管庫、表向きの数量は合っています」


 エレノアは言った。


「けれど、奥の未整理品と特殊寄付品が、別の用途に使われています。王宮制服、架空配布先、偽署名の指示書。慈善衣料会は、リリアナへの接触と資金移動の経路として使われた可能性が高いです」


 カインはオスカーへ視線を向ける。


「記録したか」


「はい」


「保管庫全体を封鎖。会員名簿、配布先台帳、寄付者名簿、倉庫出入り記録を押収」


「承知しました」


 パメラが慌てて言った。


「お待ちください! 衣料会の活動が止まれば、本当に困る人が出ます。冬服を待っている子供たちも」


 その声には、初めて本物の焦りがあった。


 エレノアは彼女を見た。


「活動は止めません」


 パメラは目を見開く。


「え?」


「不正経路を止めるだけです。実在する配布先への支援は、王弟府の監督下で継続します」


 カインが頷いた。


「衣料品のうち、確認済みで問題のないものは臨時管理へ移す。王妃基金の正規支援として、マルタ女官長と王弟府文書官が配布を確認する」


 パメラの目に涙が浮かんだ。


「本当に……止めないのですか」


「王妃様が望まれません」


 エレノアは答えた。


「不正を調べるために、本当に支援を必要とする方を困らせるわけにはいきません」


 パメラはその場で深く頭を下げた。


「ありがとうございます。私……本当に知らなかったのです。奥の箱は、オルガ様から預かっただけで」


「知らなかったことは、記録します」


 エレノアは言った。


「ですが、管理責任もあります。知っていることはすべて話してください」


「はい」


 パメラは涙を拭った。


「お話しします。ミラが来た日も、オルガ様がいらした日も、全部」


 その返答を聞き、エレノアはほんの少しだけ息を吐いた。


 また一人、黙っていた者が話し始めた。


 それは、小さな崩落だった。


 保管庫のさらに奥には、小さな作業部屋があった。


 針と糸。


 補修途中の衣料。


 帳簿棚。


 壁には、古い女官服の型紙が貼られている。


 マルタがそれを見て、顔をしかめた。


「これは王宮外へ出てよいものではありません」


「洗濯係だったミラが持ち出したのでしょうか」


「可能性はあります。ただ、型紙そのものは管理室に保管されているはずです。退職者が持ち出せるものではありません」


 つまり、王宮内にも協力者がいる。


 ミラだけでなく、女官服の型紙を渡した者。


 洗濯室か、衣装管理室か。


 エレノアは壁の型紙を見つめた。


「王宮衣装管理室の記録も確認しましょう」


「はい」


 オスカーが書き留める。


 作業台の引き出しからは、さらに小さな帳面が見つかった。


 表紙には何も書かれていない。


 中には、短い名前と数字が並んでいる。


 M.H.

 P.

 O.B.

 D.M.

 S.


 金額。


 日付。


 受取印のような小さな記号。


「頭文字ですね」


 エレノアは言った。


「M.H.はミラ・ハーディ。O.B.はオルガ・ベルナール。D.M.はダリウス・モーン。Sはサルヴィ商会でしょうか」


「Pはパメラか?」


 カインが問う。


 パメラは顔を青くした。


「私は、そのような帳面は」


「落ち着いて」


 エレノアは彼女を制した。


「Pがあなたとは限りません。パメラ、あなたの姓は?」


「パウエルです」


「Pではありますね」


 パメラは震えた。


「でも、私はお金など受け取っていません!」


「記録を確認します」


 エレノアは帳面の該当日を見た。


 Pの欄にある金額は、小さい。


 他の者と比べて少なすぎる。


 これは報酬というより、経費か、あるいは名前を利用した記録の可能性もある。


「この日は何がありましたか」


 日付を示すと、パメラは必死に思い出そうとした。


「その日は……西区への衣料配布の準備をしていました。私が王都外れの修繕院へ布を取りに行った日です」


「不在だった?」


「はい。半日ほど」


「その不在を利用して、P名義で倉庫を開けた可能性があります」


 パメラの顔に、驚きと恐怖が浮かんだ。


「私の名前で?」


「鍵は誰が持っていましたか」


「私と、オルガ様です。あと、予備鍵がひとつ」


「予備鍵はどこに?」


 パメラは顔を強張らせた。


「……事務室の鍵箱に」


「確認を」


 近衛がすぐに動く。


 事務室の鍵箱は、表向き施錠されていた。


 だが、中にある予備鍵は、保管庫の鍵ではなかった。


 似せて作られた別の鍵。


 本物はない。


「入れ替えられていますね」


 エレノアが言うと、パメラは椅子に座り込みそうになった。


「そんな……」


「あなたの不在時に、誰かが保管庫を開けていた。あなたを管理責任者にしたまま、奥の箱を出し入れできるように」


「私、私は……」


「利用されていた可能性があります」


 エレノアは、淡々と言った。


「ただし、管理不備は別です」


 パメラは泣きそうになりながら頷いた。


「はい……」


 その返事に、エレノアは少しだけ胸が痛んだ。


 最近、何度この言葉を口にしただろう。


 利用されていた可能性があります。

 ただし、責任はあります。


 リリアナにも。

 王太子にも。

 パメラにも。


 自分自身にも。


 誰かが完全な悪人で、誰かが完全な被害者なら楽だった。


 でも現実は、そうではない。


 弱さを利用された者にも、見なかった責任が残る。


 その線引きを誤れば、また誰かが泣いて許され、誰かが黙って背負うことになる。


 保管庫の押収作業が終わる頃には、昼近くになっていた。


 入口には王弟府の封印が施され、問題のない衣料だけが別の馬車へ移される。


 実在する孤児院へ配布する分だ。


 エレノアは、その箱を見送った。


 毛布。


 子供用の上着。


 靴下。


 それらは、本来なら何も疑われずに誰かへ届くはずだった。


 王妃は、こういうものを守りたかったのだ。


 大きな政治ではなく。


 誰かが寒さで震えないための一枚の布。


 そのために、王妃基金はあった。


 それを食い物にした者たちを、許すわけにはいかない。


 王宮へ戻る馬車の中で、カインは押収品一覧に目を通していた。


「オルガは、これでも認めないだろうな」


「認めないでしょう」


「だが、逃げ道は狭くなった」


「はい。偽女官の制服、ミラの名、架空配布先、帳面、型紙、予備鍵の入れ替え。十分に聴取対象です」


「ミラ・ハーディを探す必要がある」


「生きていれば、ですが」


 言ってから、エレノアは唇を引き結んだ。


 ダリウスと同じだ。


 使われた者は、不要になれば消される。


 ミラも危ない。


 カインも同じことを考えていたのだろう。


「ミラの住居へ近衛を向かわせている。間に合えばいいが」


「はい」


 馬車が橋を渡る。


 水路の上を、冬の冷たい風が吹き抜けた。


 エレノアは窓の外を見た。


 南区の町並みは、王宮から見るものと違う。


 壁の漆喰は剥がれ、路地には洗濯物が干され、子供たちが古い上着を着て走っている。


 彼らのための衣料が、不正の経路にされていた。


 王宮の中で数字として見ていたものが、ここでは生活そのものとして見える。


「殿下」


「何だ」


「王妃基金の監査が終わったら、慈善団体の管理方法そのものを変える必要があります」


「今、それを考えるのか」


「今だからです」


 エレノアは窓から目を離さないまま答えた。


「不正を暴くだけでは、また同じことが起きます。善意に頼りすぎる仕組みは危うい。夫人たちの茶会任せではなく、実地確認、配布先照合、支出と現物の連動記録を義務づけるべきです」


 カインは、ほんの少しだけ目を細めた。


「王妃が聞いたら喜ぶだろうな」


「怒られる気もします」


「なぜ」


「もっと早くやりなさい、と」


 カインは小さく息を吐いた。


 笑ったのかもしれなかった。


「そうだな。王妃なら言う」


 その短いやり取りのあと、馬車の中に静かな空気が戻った。


 王宮へ着くと、すぐに報告が待っていた。


 ミラ・ハーディの住居が空だった。


 荷物の一部は残されている。


 だが、本人はいない。


 机の上には、針仕事の道具と、破り捨てられた手紙の一部。


 破片に残っていた文字は、たった一行だった。


 ――役目は終わりました。祈りの家へ。


 祈りの家。


 慈善衣料会の架空配布先のひとつ。


 十年前に閉鎖されたはずの施設名。


 エレノアは、その報告を聞いた瞬間、保管庫の配布先台帳を思い出した。


 王都北区祈りの家。


 閉鎖済み。


 だが、名前だけが使われていた。


「祈りの家は、今どうなっていますか」


 エレノアが問うと、オスカーがすぐに確認する。


「建物は残っています。所有者は教会系財団でしたが、現在は管理放棄状態。北区の外れです」


「ミラはそこへ向かった?」


「あるいは、向かわされた」


 カインが言った。


 エレノアは頷く。


「祈りの家を押さえてください。ミラが生きているなら、そこにいる可能性があります」


「すぐに動く」


 カインは近衛へ命じる。


 王宮の廊下に、再び足音が走った。


 慈善衣料会の保管庫から、祈りの家へ。


 偽女官。


 リリアナの偽署名。


 オルガの微笑み。


 そして、消えたミラ。


 エレノアは、保管庫で見つかった女官服の指示書を見た。


 ――泣かれた場合は「姉上も最初はそうでした」と慰める。


 人の弱さを、ここまで細かく書き留める者がいる。


 その冷たさに、怒りが静かに燃えた。


 オルガ・ベルナールは、まだ微笑んでいるだろう。


 自分は何もしていない、と。


 でも、記録は少しずつ彼女の足元へ伸びている。


 次は、祈りの家。


 閉ざされたはずの場所で、誰かがまだ何かを隠している。

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