六話 偽
キーンコーンカーンコーン――。
始業を告げる鐘の音が、先ほどまでの澱んだ空気を切り裂くように、軽やかに教室へ響き渡った。
「おはよー! 桜、今日も早いね!」
「おはよう、みんな! 今日は日直だから、ちょっと張り切っちゃった」
そこには、クラスの「華」として慕われる、明るく快活な桜の姿があった。
ボタンを一番上まで完璧に留めたブラウス。シワひとつないスカート。彼女はテキパキと黒板を拭き上げ、クラスメイトたちと屈託のない笑顔で言葉を交わしていく。
その視線の先、教室の隅で、湊が数人の男子生徒に囲まれていた。
「湊、昨日の模試の結果見たぞ。お前、また学年トップだろ? 少しは手加減しろよなー」
「あはは、運が良かっただけだよ。今度、わからなかったところ教えるからさ」
湊は少し困ったように眉を下げ、いかにも「人当たりの良い優等生」らしい柔らかな笑みを浮かべている。
誰からも信頼され、誰からも愛される、清潔感に溢れた少年。
つい数十分前、この場所で、ひとりの少女の肌を狂おしく貪っていた影など、微塵も感じさせない。
「……湊くん、おはよ」
桜が、日誌を片手に湊のデスクの横を通りかかる。
その瞬間、二人の視線がわずか1秒だけ交差した。
「おはよう、桜さん。今日も日直、お疲れ様」
湊の声は涼やかで、一点の曇りもない。
だが、その視線は、桜のブラウスの襟元に隠された、自分が刻んだばかりの「赤紫色の痕」がある位置を正確に射抜いていた。
桜の頬が、一瞬だけ、朝の陽光よりも熱く上気する。
彼女はわざとらしく、自分の鎖骨あたりを指先でなぞってみせた。
「ううん、全然! 湊くんこそ、また夜遅くまで勉強してたんでしょ? あんまり無理しちゃダメだよ?」
「……ありがとう。君にそう言ってもらえると、力が湧くよ」
湊の微笑みが、わずかに深くなる。
周囲の生徒たちは、「仲の良いクラスメイトの微笑ましいやり取り」に目を細めた。誰も、その笑顔の裏側に潜む、どろりとした執着と共犯関係に気づく者はいない。
「あ、チャイム鳴るよ。みんな席について!」
桜の声が、弾けるように教室に響く。
彼女が前を向いて歩き出す際、湊の机の端を、指先で愛おしそうに、けれど鋭く爪を立てるようにしてなぞっていった。
完璧な「聖域」としての教室。
その明るい光の下で、二人は完璧な「よいこ」を演じ続ける。
放課後、またあの密室で、お互いを泥濘の中へと引きずり戻す瞬間が訪れるのを、皮膚の奥の疼きと共に待ちわびながら。




