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二話 傷

湊の自室は、彼の書く小説のイメージとは裏腹に、無機質で片付いていた。

ただ一点、机の上に置かれたデュアルモニターだけが、どろりとした青白い光を放って、二人の顔を照らしている。


「……これ、新作のプロット?」


桜は、湊に促されるままパイプ椅子に座り、画面を凝視した。

そこには、湊が今まで書いてきたどの作品よりも執拗で、生々しい「依存」の形が綴られていた。


「そう。タイトルはまだない。でも、ヒロインの『設定』だけは固まった」


湊は背後から身を乗り出し、マウスを操作して一つの箇条書きを指し示した。


> **【ヒロイン:ひじり】**

> **過去に受けた加害を『なかったこと』にするため、加害者以上に完璧な人間を演じ続けている。しかし、夜に一人になると、自分の肌を爪で掻きむしる癖がある。**


桜の肩が、びくりと跳ねた。

彼女のブラウスの下、左腕には、誰にも見せていない赤黒い掻き傷が幾筋も走っている。


「……湊くん、ストーカーなの? それとも、超能力者?」


「どっちでもないよ。僕も同じだから」


湊はあっけらかんと言って、自分の手首を軽く叩いた。

「僕だって、四六時中『面白いやつ』を演じるのに飽き飽きしてる。だから、君のその、今にも壊れそうな薄い膜みたいな笑顔が、愛しくて仕方ないんだ」


湊の細い指が、桜の首筋をなぞる。冷たい指先が、桜の体温を奪っていく。

普通なら恐怖を感じるはずのシチュエーション。けれど、桜の心を満たしたのは、言葉にできないほどの解放感だった。


「ねえ、湊くん。その小説、私が『主人公』を壊してあげようか」


桜は、モニターに映る文字を見つめたまま、声音をワントーン落とした。

明るく振る舞う「桜」ではない。闇を抱えたままの、本当の彼女の声。


「君に何ができるの?」


「もっとひどいことを教えてあげる。いじめられてた時、私が何を考えて、今、私をチヤホヤしてるクラスメイトたちをどう見下してるか。全部、湊くんの小説の『エサ』にしていいよ」


桜は湊の方を向き、ゾッとするほど美しい、それでいて虚ろな笑みを浮かべた。


「その代わり、私を一人にしないで。この地獄を、最高の傑作に仕上げて」


湊の瞳の奥に、初めて動揺に似た光が走った。

彼は歪な笑みを深くし、キーボードに指を置く。


「……最高だね、桜。君は、僕が想像していたよりもずっと、壊れてる」


深夜。

タイピング音が、冷たい部屋に銃声のように響き始める。

それは、二人がお互いの傷口を舐め合いながら、一つの物語という名の怪物を作り上げていく儀式だった。

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