1話
放課後の図書室は、西日に焼かれた埃がダンスを踊る、静かな檻のようだった。
「……ねえ、湊。この『綺麗なだけの薔薇は、根元から腐っていく』っていう一節。どういうつもりで書いたの?」
桜の声は、いつも通りの鈴が鳴るようなトーンだった。けれど、その指先が湊のタブレットを強く押さえつけている。画面に表示されているのは、湊が執筆中の匿名投稿サイトの執筆画面。高校生が書くにはあまりに毒々しく、執着と裏切りに満ちた恋愛小説の断片だ。
窓際で椅子を傾けていた湊は、顔を上げずに薄く笑った。
「読んだんだ。悪趣味だね、桜。明るいクラスのアイドルが、他人の執筆データ覗き見なんて」
「……たまたま、開いたまま置いてあったから」
「嘘だね。君は『たまたま』なんて言わない。いつも周囲の顔色を窺って、地雷を避けて歩いてるくせに」
湊がゆっくりと立ち上がり、桜の顔を覗き込む。桜の整った顔立ちが、わずかに強張った。
中学時代、いじめという名の泥沼に突き落とされた彼女にとって、端正な顔も明るい性格も、すべては「標的にならないため」の防弾チョッキだった。
「この小説のヒロイン、私でしょ」
桜の問いに、湊は斜に構えた態度を崩さない。
「まさか。君はもっと『お利口さん』じゃないか。僕が書いてるのは、もっと心の底が真っ黒で、愛されたくて、でも愛を信じられなくて、自分を壊してでも誰かを繋ぎ止めたがってる……醜くて、最高に魅力的な女の子だよ」
湊の言葉が、桜の隠してきた「闇」を正確に抉る。
「……湊くんこそ。いつもふざけてるくせに、本当はこんなこと考えてるんだ。世界を全部、斜めから見下して、嘲笑って」
「嘲笑ってなんかないよ。僕は、真実が知りたいだけだ。その綺麗な仮面が剥がれた後の、ぐちゃぐちゃな顔がね」
湊の手が、桜の頬に伸びる。桜は逃げなかった。いや、逃げられなかった。
湊の冷めた瞳の中に、初めて自分を「正しく」見ている人間を見つけてしまったから。
「……書けばいいじゃん。好きに」
桜が震える声で呟き、湊の胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「その代わり、最後まで書き切ってよ。私の、一番汚いところまで」
図書室の冷房の音が、二人を飲み込むように大きくなった。
それは恋と呼ぶにはあまりに危うく、物語と呼ぶにはあまりに生々しい、共犯関係の始まりだった。




