革命前夜
岩田聡と歩く道
革命前夜
2003年、競馬ではミルコ・デムーロが外国人ジョッキーとして初めて日本ダービーを勝ち、社会ではイラク情勢が緊迫化していた時代。
宮本が愛想よく注文する。
「僕はパスタのCセットで」
岩田もにこやかに
「それなら僕はハンバーグにしようかな」
岩田と宮本は任天堂本社の近くのゴルフクラブ、その二階にあるイタリアンレストラン「CHIASSO」でランチをとっていた。
話は社長になってからの岩田の行動を肴にし、最近のゲームについて語られることが多かった。
宮本は食べ放題のサラダをぱくつきながら言う。
「岩田さん、そう言えば任天堂でもHAL研のように面接を続けてるんだってね」
岩田は両手をもみもみして
「そうだね、ほんとは全社員と面談したいんだけど、身体が持たなくて。でも側近の80人くらいは欠かさずやろうと思ってる」
宮本は驚いて
「全社員? 岩田さん、幾らなんでも洒落になんないよ」
岩田は軽く伸びをする。
「それにしても、岩田クンじゃなくて岩田さんですか。ちょっと距離が出来たみたいで寂しいな」
すかさず陽気な返事が返ってくる。
「何をおっしゃる。社長になるってそういうことやで。だから僕は社長に出世するなんて気はないんやけど」
岩田はうつむいて
「うーん」
宮本はにははと笑い、それから真剣な顔に戻り
「それにしても任天堂は変わり目やなぁ。64の失敗に続いてゲームキューブでの苦戦。そんで得意の携帯機もなにやらソニー陣営から新型の噂がなんとやら。面談の目的も社員の意識改革だったり?」
岩田はにこやかに、でもクレバーに
「改革って……。そうですね。任天堂は長いこと成功していた経験があるから。時代が変わってその成功体験から自らが変わることって勇気が要るんだよね。でも、なんというか、これはイカンと否定するのは楽。そうやって切るのは楽。だけど昔はこうだったけど、今はこうだ、だから昔のようにはいかない、変わっていこうよ、というのは難しい。でも、それをやらなきゃ未来がない」
宮本はどこか憧れたトーンで言う。
「ほんとに必要以上に真面目に難しく考えるね、岩田さんは」
岩田も応える。
「僕は宮本さんみたいに直感で斬るセンスがないから。泥臭く理論を積み重ねるだけですよ」
宮本は出てきたパスタを一口すすり、満足げな顔をして
「さて、新ハードの件だけど」
岩田もスープを飲みながら
「ええ、それこそ成功体験を捨てて、変わらなきゃね」
宮本は宙に指を回しながら
「手がかりがあるとすれば山内社長の……」
岩田は人差し指を垂直に立て
「【ゲームウォッチみたいに2画面にせい!】 って言葉ですね」
宮本は半ばあきれ顔で
「山内社長もとんだ置き土産を残したもんだ」
岩田はちょっとたじろぎながら
「そういう風にインパクトがあることをしなさいってことなんだろうけど、二画面はねぇ」
宮本は岩田の代わりに言う。
「僕らの目指している方向と真逆のギミックやな」
確かに二画面になるとゲームはより複雑な方向になってしまう。岩田の目指す「誰もがわかる。ゲームにふれたことが無い人を呼び込むゲーム」というものと相矛盾してしまう。
岩田は言う。
「僕としてはスリープ機能が欲しいところだけど」
宮本が応える。
「そやな」
ここで岩田はトーンダウンしてしまう。
「それ以外は決まってないという」
二人の、それが意味するところの任天堂全体の悩みは尽きない。だが、岩田は宮本とやっと同志の様になってご飯を食べていることに、ある種の喜びや誇りを覚えていた。
*
岩田は早朝飼い犬を散歩させる。早朝と言っても、数人は会う人がいるので、これまた普通の散歩友だちの様に時候の挨拶をする。
「おはようございます、今日は涼しいですね」
「ほんと、最近の初夏の暑さにはまいっちゃいますね」
「ほんとにねぇ」
その散歩の帰り道。記者たちが数人待ち構えていた。メディアスクラム、パパラッチ程ではないにしても、行儀の良いことではない。岩田はきっと顔を結び、犬を宥めながら家に向かう。
すかさず、とある記者が質問を浴びせる。大手経済誌の名前をちらつかせているが、恐らくフリーだろうと岩田は思う。
「ゲーム脳について様々な議論が行われていますが、任天堂としてどう思いますか?」
岩田は深く頭を下げ
「ごめんなさい、ノーコメントで」
もう一人の記者が、あらかじめ予想していた道を塞ぐように意気満々に言う。
「まるで逃げているかのようですね。山内社長だったらそうじゃなかった。もっと堂々とすればどうですか」
岩田は頭を下げ繰り返す。
「ごめんなさい、ノーコメントで」
しつこく付きまとう記者二人に岩田が困った顔をしていると、三番目の記者が助け舟を出した。
「はいはい。任天堂社長は、我々の質問に全く答えようとしなかった。この新参の社長がどう動くか、これからのお楽しみだ。とかで良いでしょ? これ以上のもの書けないんだからあんたがた」
「なにを!」
と言いつつ、しぶしぶ帰っていく記者二人だった。
岩田は髭面の記者に礼を言う。大河内という記者だ。幾つかの経済誌に鋭い論評をしているのを岩田は読んだことがあった。
大河内は憮然とする。
「私もゲーム脳について取材して来いって言われたから来たんですけどね。失礼ですが、岩田さん、調べました? ゲーム脳? 書籍とか学術的にどう扱われているかとか?」
岩田は正直に答える。
「幾つか調べました。脳科学の人にも伺いました」
大河内は言う。
「じゃあ、話が早い。ゲーム脳なんてオカルトですよ。ゲームをやると前頭葉だかなんだかが可笑しくなる? そんなことはない。何処も実証していない。実証していないことをさも真実のように言う。視聴率目当てのワイドショーのような詐欺ですよ」
岩田は言う。
「それでも、ゲーム会社はそう言っちゃいけないと僕は思います」
大河内は言う。
「じゃあ、何か? 何かほかに手段でも?」
岩田は深く息を吸って
「今は言えません。でも、待っててください」
ひとまず落ち着いたところで岩田が切り出す。
「ところで、最近どんなゲームやってます?」
大河内は不意を打たれて
「うーん、やってないなぁ。プレステ2でDVDのタイタニックは観ましたけどね」
岩田は愛犬を家に入れながら暗澹たる気持ちと強い危機感に駆られていた。
「ゲーム離れ……こんなにも足音が迫ってる」
*
それから岩田は様々なインターネットメディアに露出して、ゲーム離れへの警鐘を鳴らし続けはじめた。
「我々は声が大きくてゲームをいっぱい買ってくれる人の姿をつい見てしまう。そこに合わせたモノづくりをどんどんした結果、ゲームをやっている人が減っているのではないか。」
「いろいろなことを考え、調べていくと、どの角度から見てもゲームをする人が減っていた。子供たちのゲーム参加率が減っているという意識は、そんなにない。だけど、ゲームを卒業するタイミングは早まっていた。僕らがもっと素晴らしいゲームをと頑張った結果、時間やエネルギーをゲームに割けない人たちが『もういいや』と、静かに立ち去っていたのです」
「以前は、シューティングゲームも格闘ゲームも非常に人気のあるジャンルでした。ですが、それらはだんだん複雑化し、いつのまにか普通の人には遊べないものになってしまいました。そしてそのまま衰退の一途をたどり、現在は壊滅状態にあります。いまおこっている日本のゲーム産業全体の縮小はそれと同じようなものであると私は考えています」
*
その裏には岩田が見てしまった絶望のシミュレートがあった。
ゲームをする層を広げなければいけない。そうしないと、おそらく我々はゆっくり死ぬんだ。パイがどんどん小さくなっているとしたら、業界で一番になっても死ぬのが先延ばしになるだけ。死ぬのを延ばすために社長をするのはイヤだ。
ゲーム離れとは任天堂の死であって、岩田が高校の電卓ゲームから愛していたゲームの死そのものに他ならない。
岩田は誰よりもそれに早く気づき、そして誰よりもそれに立ち向かおうと動いた人達の一人だった。
*
イタリアンレストラン「CHIASSO」にて今日も二人のランチがはじまる。
近頃のゲーム機は、ボタンが何個もついていて複雑すぎる。ソフトにしても高度な技術を要するものが増え、上手い人と初心者とのギャップが広がり過ぎた。
だから、人は怖がって後ずさりしてしまう。あるいは、敵視してしまうのではないか。
2人はそんな議論をしていた。
岩田はブラックコーヒーを空にして
「なんで人はゲーム機にさわらないのかな、なんで人は逃げちゃうのかな」
正にそんな時、宮本のアイデアがどかんと沸いて来た。
宮本が突然、メニュー表を見て大声で言う。「これだ!」
岩田は驚きながら
「あっ、追加の注文?」
宮本はあのチャーミングな笑顔で、メニュー表を折りたたむ。
「岩田さん。メニューを折るみたいにゲーム機も折りたためればええんや。上画面と下画面に分けて、それを折り畳み式で持ち運ぶ」
岩田は思わず
「おお!」
宮本のアイデアはそこに留まらなかった。
「そんでな、こっからが大事なんやけど」
*
その夏のE3で、ソニー陣営はプレイステーションポータブル(PSP)を発表した。
「PSPは、ゲーム、ミュージック、ムービー、全てのエンターテイメントを融合させた新しいエンターテイメントをこの世界にもたらすだろう」
華やかなその発表にメディアは沸きに沸いた。流暢な英語で紹介されるそれは、最先端のハイブリッド機器のように見えた。
記者たちの「ブラボー」という歓声が聞こえてくるようだった。
誰もが「こっち」に未来を観ようとしていた。
PSPの圧倒的スペックの前に、任天堂の紫色のゲームボーイアドバンスはまるでオモチャのようだった。
*
PSPは独占的な任天堂携帯機へのシェアを崩す挑戦と同時に、岩田の危惧する映像特化、クオリティ追及路線をひた走るハードだった。岩田がどうしても立ち向かわないといけない進化の方向でもあった。だが、既に岩田にはそれに対抗する光明が見えていた。
*
宮本があの時続けて言った言葉。
「2つの画面の内、1枚をタッチパネルにして組み合わせたら面白いよね」
それは要するに、上画面はメイン画面として使用。下画面は直感的なインターフェイスとしてタッチスクリーンを採用すること。
画面をタッチして操作するという「直感的な操作」を実現したのだった。
そしてそのアイデアは文字通り複数の問題を解決する力があった。
岩田は開発陣の前で、一つ一つ挙げる。
人差し指を上げる。
「ペンで書くという、誰もが馴染みのある操作で初心者や新しいユーザーを獲得できる。それがまず一つ」
中指を上げる。
「新しい入力デバイスである画面をタッチすることによって、ゲーム熟練者と初心者が同じスタートラインに立てる。ユーザーの断絶を防ぐ」
薬指を上げる。
「上画面で状況を説明。下画面で入力。というのは分かりやすい操作体系だよね」
小指を上げる。
「今までマンネリだったシリーズにも新しい操作で、新しい息吹を入れることができる」
親指を上げる。
「斬新な発想で、マスコミにもユーザーにも口コミ効果を期待できる」
片手の指がパッと開いた。まるで岩田が「ハッピー」という時の癖のように。
*
夏の昼下がりのある社長室。岩田の前で宮本はあるものを見せる。
風変わりな携帯端末。
タッチペンで操作する「ポケットPC」を改造したものだ。
宮本はポケットPCの縦長の画面の真ん中にテープのようなものを張り付け、疑似的に2画面でタッチペンで操作する端末を作ったのだった。
テープで無理やりくっつけられたのが分かるほど、素朴なものだった。
上から落ちてきたマリオを、タッチペンでつつくとマリオがジャンプする。
そんなシンプルな原始的なプログラムに、岩田も宮本も可能性を感じていた。
「これはイケる」
岩田の頬は緩み、眼は闘志に満ちていた。
*
こうして任天堂陣営VSソニー陣営をある意味超えた、岩田聡たちVSゲーム離れという大きな闘いの幕が開こうとしていた。




