岩と糸
岩田聡と歩く道
岩と糸を繋ぐもの
1998年、武豊がスペシャルウィークを駆り日本ダービーを征した年、長野五輪で原田雅彦が大ジャンプをした時代。
東京は深夜。それでもネオン華やぐ繁華街に糸井と岩田は並んで歩いていた。二人ともいささか酒を帯びた赤い頬をしていた。三次会の帰りの二人だけの道。少し路地をビル裏に折れる。闇が濃くなる。
岩田は当たり前すぎて少し恥ずかしい誉め言葉を、酒の勢いでやっと言う。
「子供も大人もおねーさんも。良いキャッチコピーですね」
MOTHER2のキャッチコピーだった。それは木村拓哉のCMと一緒に流れた会心の言葉だった。同時に万人に開かれたゲームの広さへの糸井の自信の現れでもあった。
しかし糸井は黙している。何時もなら「そう、岩田さん、僕としては」なんてつらつら饒舌になるはずなのに。
岩田は糸井の異変を察して、察したからこそ、岩田も沈黙する。
しばらくの歩み。オカマのホステスから「寄ってかなーい」なんて勧誘をあしらって、しばらく。糸井は口を開いた。
「岩田さん、僕はコピーライターという職業に限界を感じているんだ」
岩田は言葉を失った。第一線で活躍し続ける彼がそんなことを言うとは。
つらつらと話が続く。
糸井は広告業界に限界を感じていること。自分の力が衰えて馬鹿にされる未来が耐えられないこと。
岩田は聞き続ける。
聞き続けながら、少しずつ少しずつ糸井を陽の方向に誘おうと相づちを打つ。
糸井は言う。
「秋葉原でMacを購入してさ、仲間たちと昼間会ったときには話さないことを、夜中にメールでいっぱい出して、みんなが相手をしてくれるのが面白くてたまらなくて」
岩田も言う。
「僕もアップル派だから分かりますよ。HAL研でマックのような機器を作ったんですけどね、これが売れなくて売れなくて。何せ起動するのに何分もかかる代物で」
糸井はまたMOTHERの続編みたいなゲームも作りたいなんて言って、岩田も是非是非と言って、しかしその後思ってもみないことを言った。
「ぼくはインターネットを使って、あたらしい自前のメディアをつくってみたいんだよ。
僕だけじゃなくてみんなの遊び場になるような」
糸井は思い切って吐き出した。今まで誰にも言えなかった、取って置きのプランだった。
ヘビースモーカーだった彼は、ピースライトに火を点けた。ふぅと煙を吐く。
「でも、うるさい人たちが集まって、石を投げ合ってつぶれていくのは、ぜったいに嫌だ!
ことばの編集権はこちらに置いたまま、みんなが自由に遊べる場をつくる。コミュニケーションできる場を作る!」
それがどれほど難しいか。
1998年当時、隆盛を誇っていたのが匿名掲示板「あめぞう」。
翌年に便所の掃きだめとも呼ばれる極めてネットモラルが自由な、それ故に荒れに荒れる2chが創設される時代。
「責任を負って自由に遊べるコミュニティを作る」
という言葉がどれほど虚しく響くかは糸井が一番知っていた。思わず煙を吸い過ぎてむせてしまう。
「そんなこと考えてるんだけどね。出来るわけないよなぁ、無理だよなぁ」
しかし岩田は断言した。
「出来ますよ!」
糸井は岩田の方を振り向く。
「難しくない……?」
岩田は応える。
「難しくないですよ!」
糸井の「難しい」には場所を維持する収益を果たすことが可能か、それこそ最も困難に思えたものだったが、岩田はそれでも大丈夫だと糸井を信じていた。コピーライター業を置いて、転身する糸井にエールを置きたかった。
「出来ますよ!」
「人がたくさんいるでしょ?」
「極端なことを言えば、僕と糸井さん2人で出来ますよ! あとアルバイトを雇ったりすれば」
何時の間にか大通りに戻っていた。でも引っ切り無しに交差する車も、飲みの会も、二人にはお構いなしになっていた。
糸井は星の見えない東京の空で、それでも一番星に誓うように宣言した。
「おれ、それやるよ。いつになるかわからないけど、ぜったいやるよ」
*
駅から離れた不便な場所にある一軒家を借りて、糸井の新しい挑戦、ほぼ日刊糸井新聞、通称「ほぼ日」は始動しようとしていた。
糸井はふふんと
「ここを鼠穴と名付けよう」
アルバイトは不思議そうに
「なんです? それ?」
糸井は言う。
「狸穴町のすぐ近くだから。それに古典落語も知らないの? 新人君」
アルバイトは首をひねり
「窮鼠猫を噛むなら知ってますけど」
糸井はがははと笑い。
「それも良いね。巨大な虎を噛んでびっくりさせてやろうじゃないかっ」
「うーん」
とアルバイトは首をひねりつつ
「ところで、このケーブルどこに接続するんです?」
なんてやっていたらその先には、床を這いずりまわってLANの配線しているおっさんがいた。
「ねぇ、おじさん、これどこに繋げばいいの?」
「あっ、はい、それはですねぇ」
糸井は慌てて
「こらっ! おじさんって! 仮にもHAL研の社長さんだぞ!」
アルバイトは信じられない顔で
「えー! 社長さん? ないない! そんなんあり得ませんって」
岩田は頭をかきながらぼやく。
「ないかもしれませんねぇ」
糸井は言う。
「ならいっそ、岩田さんをほぼ日の【電脳部長】と名付けようか」
岩田は満更でもない顔で笑う。
アルバイトは面白おかしく
「いよっ! 部長!」
糸井はあきれ顔で
「いや、君は自重して」
糸井はある日を思い出す。単身、糸井の事務所に押しかけて来たあの岩田との忘れえぬ想い出を。
「お願いします! HAL研究所の顧問になってください」
岩田の顔は真剣だった。
糸井がどんなことがあっても「YES」と応えるだろう願い。その「YES」を簡単に言うことを躊躇わせるぐらいの真剣さ。糸井はそれに押され、少しむせてしまっていた。
岩田は勢いのまま
「まず僕の仕事観を全部お話ししますから、それを聞いたうえで、判断してください」
そのまま
「自分は、他の人が喜んでくれるのがうれしくて仕事をしている。それはお客さんかもしれないし、仲間かもしれないし、仕事の発注者かもしれないけど、とにかく僕はまわりの人が喜んでくれるのが好きなんです。まわりの人が幸せそうになるのが自分のエネルギーなんです」
岩田は止まらない。
「みんながハッピーであることを実現したい。自分がハッピーであること、仲間がハッピーであること、お客さんがハッピーであること」
ハッピーと言う度に岩田の両手がパーに開かれた。真剣な岩田には悪いが、どこかユーモラスで糸井に軽い笑みがこぼれた。
糸井はその表情のまま。
「俺もそうだぜ」
これ以上ない「YES」の表明だった。次いで糸井が続ける。
「ハッピーってカタカナなのがイイネ」
*
糸井は「ほぼ日」の立ち上げを手伝う岩田を見て思う。
僕も岩田さんのお陰でハッピーになっている一人だよ。
だからこそ思う。
このホームページで岩田さんにもらったものを何か返したい。
と同時に商売っ気も混じる。
このユーモアある天才を紹介すれば、ホームページの目玉企画になってお客さんを呼べるんじゃないだろうか。
だけどそんなことは置いといて。
糸井は呼びかける。
「取りあえずパン食べようよ、パン。ここの卵サンドかなりおいしくてさ」
岩田も笑って応える。
「良いですね。ちょうどお腹ぺこぺこでした」




