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スマイルアンドティアーズ

   岩田聡と歩く道


   スマイルアンドティアーズ


 1994年、競馬ではナリタブライアンが三冠を獲り、消費税が5%になった時代。


 東京は赤坂、ビル群とは離れた風流ある下町のウナギ屋で、岩田と糸井は顔を合わせていた。

 糸井重里、コピーライターとして「おいしい生活」など名フレーズを送り出した流行作家は、テレビゲーム開発にも貪欲だった。そして「MOTHER」という作品を世に送り出した。しかし問題はその続編「MOTHER2」だった。

 

 木目の整ったお座席で、岩田よりも一世代上の糸井が平身低頭で泣きつくように言う。

「いやぁ、ウナギ、来ませんねぇ。申し訳ない」

 岩田はぶんぶんと手を振る。

「いえ……先にお話を伺いましょう」


 糸井は申し訳そうな顔を、更に申し訳なさそうにして

「泥沼でね」


 岩田は勇気づけるように。

「どうぞお顔をお上げになって。話は山内社長から伺ってます。開発に4年かけているとか」


 糸井は意を決して切り出す。

「山内社長からは僕も岩田さんに会うように勧められました。面白いやつがいるぞって。なのに、このような出会いになってすいません。某大作RPGなんて2年半でリリースなのにね。ぜんぜん形にならなくて。たぶんプログラムの問題かなって思ってるんですが。今度はメインプログラマーまで夜逃げしちゃって」


 お座席に不釣り合いなほどの暖かな午後の陽光が差し込んでいる。


 岩田はお手拭きをさすりながら

「なんというか。くらくらする話ですねぇ」


 糸井は思わず言う。

「あれ?」


 岩田は不思議そうに

「どうしたんです?」


 糸井は思ったことをそのまま口にする。

「その割には表情が穏やかだなって」


 岩田はそれを崩さないまま。

「これでも悩んでるんですよ。でも悲壮的になっちゃぁいけない。それに火事場にはこれでも慣れていて……おや、うなぎが来ましたよ。いただきましょう」 


 着物のおかみによって、鮮やかな重箱と澄んだ肝吸いが運ばれてきた。

 ふたを開けると、艶と焦げのあるブラウンの蒲焼からふわっと匂いが流れる。岩田は思う。

(最高の贅沢だ。そしてそれが糸井さんの見栄も遠慮もない最高のおもてなしなんだな。精をつけて頑張らねば)


   *


 東京は株式会社エイプ。雑然とした事務所で、岩田と糸井、そしてMOTHER2の開発会社エイプの代表、石原恒和の会談が行われようとしていた。しかし、石原の眼には浮かない想いが滲んでいた。


 製作期間の遅延。それは糸井の遊び心をなんとか形にしようとする模索期間でもあった。

 たとえばでっかい恐竜をマップに表示したい。どうしよう。どうしようと悩む糸井。

 そして閃いたぞ! と突然会社に駆けこんでいく糸井。

 そのアイデアとはマップ上で操作する主人公キャラクターの方をミニマムに縮小することで、恐竜の巨大さを対照的に表現する。

 今までのゲームにはなかったアイデアだ。

 だが、それを実現するには、マップのグラフィックを新たに作りあげる必要がある。


 他にも消費アイテムの食べ物を使ったら、調味料のアイテムを持っているとヒットポイントがより回復する。ダンジョンそのものを人の体内にするというダンジョン男のアイデアなど、奇抜なアイデアが溢れている。


 だからこそそれを実現するのに困難な壁があって、でもそのアイデアこそが石原の求めていた面白さでもあったのだった。自分の力不足、それ以外に何を言えよう。


 だが、この堅物のような折り目正しいスーツの男がそれを解せるとは思えない。なんとなく普通のゲームにして無理やり完成させるのが関の山ではないか。違うんだ。僕たちが賭けた四年間はそんなものではないんだ。わかってくれ。だが、何も言えない。石原は任天堂本社から派遣された彼に、要望を突き出すには、既に疲弊しきっていた。


(糸井さんのアイデアは僕たちに面白さを軽やかに駆り立てる。だが、同時に僕たちの心も折る重みになっている)


   *


 岩田はしかし、その眼の奥の炎を見逃してはいなかった。面白そうになりそう、という気配はした。いや、面白いものに出来る、という確信のようなものさえ。二つの案が浮かんだ。一方も無茶だが、もう一方も無茶だ。だが、どちらを選んでも叶えようという決意を秘めて、糸井に尋ねる。


「現在のこのプログラムを活かして直すには2年かかります。でも、いちからつくり直していいのでしたら半年でやります」


 その挑戦的な発言は、しかし極めて丁寧にゆっくりと述べられた。


 今度、ショックを受けるのは糸井だ。

 まずやって来たのは絶望感だった。何度も伸ばしに伸ばしてきていた発売日。今日か明日かのように急ぎ続けてたところに、「最短でも半年かかる」と言われたのだ。


 糸井はただ黙している。


 だがその沈黙の間にも、「どんと半年かければできる」という、喜びがふつふつと沸いて来た。


 糸井は真っすぐに岩田へと頭を下げて

「いちから作り直すことが出来れば。半年なら。ぜひともお願いします!


 一方、石原には不信が芽生えていた。一から作り直して? そんなことが可能なのか? 確かに現状のままでは2年かかるのは予想できるが。かといってそんな無謀なことをして本当に製作期間は劇的に減るのか……?


 岩田は前を向き

「では。そういうことで。今日はこのデータを持って帰らせていただきます。また次の機会で」


 その夜、石原は、一人、カラオケボックスに入り、「君がいるだけで」を自己洗脳するように何回もリクエストした。


   *


 一か月後。石原の「君がいるだけで」のカラオケ採点が90点を超え始めたころ、また岩田が株式会社エイプを訪れた。

 岩田はごく自然に言う。

「マップがスクロールして動くようなところまで組みました」


 観ると主人公の少年ネスが、フィールドを自由に行き来している。


 糸井は思わず

「う、動いてるぅっ!」

 なんて叫んでしまう。野暮ったいほどオーバーアクションの糸井だったが、はじめてキャラクターが自在に動かせることにただ感動していた。


 岩田はぽつんと思う。

(普通のことをしただけなんだけどな。そこまで開発が行き詰ってたのかな)


 そして石原もまた。

「キミ、スゴイじゃないか!」

 「君がいるだけで」はしばらく石原の持ち歌となった。


   *


 その後岩田が真っ先に取り組んだのが,メールシステムの構築だった。メールソフトを社員一人ひとりのパソコンに入れ、スタッフの一人ひとりに使い方を丁寧に丁寧に教えていった。メールというのは今では当たり前だが、まだインターネット黎明期の1994年ではさほど注目されていなかった。アメリカの有名な映画「ユー・ガット・メール」が上映されたのは1998年にまで月日が過ぎなければいけない。


 岩田は石原に問う。

「北海道の伝説の魚と言えば?」


 石原は唖然として

「えっ? なんです?」


 岩田は応える。

「いえね、【トキシラズ】というのがいるらしくてですね。刺身にすると美味しい鮭の一種らしいですよ。道民出身の僕でも食べたことないんですけどね」


 石原はますます動揺して

「いやっ! だから、なんでそんなこと聞くんですか?」


 岩田は言う。

「先日、メールで投稿しましたよ。このプチ情報。返信が無いので案の定。見てないんですね。メール。メールチェックはこれから常識にしてください。これが鮭の名前じゃなくて、重要なバグの件だったら洒落にならないから」


 なんて岩田の熱心なメール布教もあって、社内のコミュニケーションはより潤滑なものになっていった。


   *


 他にも岩田のやったことはCVSの導入、これによって皆でテキストの管理をしやすくする。テキストの間違いも改稿も皆で共有することが出来るようになった。ISDNの導入、これによって山梨のHAL研と東京の糸井事務所をネットで繋ぐ。当時はバイク便で交流していたことを思えば、画期的だった。


 このように岩田はプログラミングだけでなく、組織のリーダーとしてシステムを構築、普及させることによってMOTHERの開発現場を劇的に改良していった。


   *


 歯車がかみ合い、加速していく。

 後のインタビューにはこのような言葉が残されている。


 石原の談。

「岩田さんが来るなり、いきなりシステムが整備され、豊富な汎用ライブラリが用意されてと、最先端の開発環境に様変わりしましたよね。科学の力ってすげーって」


 糸井の談。

「プログラムなんでしょうね。特に岩田さんは、手分けして作業を進められる方法を作るのが得意なんで、手を動かせる人の数を増やしていくんですよ。

 みんながシャベルで穴を掘っているときに、「削岩機をぼくが作って、みんなに渡しますから。この削岩機で穴を開けちゃってください」という仕組みを作ってくれる人なんです。

 シャベルで掘っているときに比べると、圧倒的に速くなりますよね」


 石原の談。

「バトルエフェクトと背景は私の担当だったのですが、そのツールや背景のラスタの仕組みは、すべて岩田さんがツールを用意してくれていました。 その上、欲しいものがあれば言ってくださいとおっしゃる」


 進捗が把握できて残りの作業が見えてくると、周りの雰囲気も良くなるし、やる気が出てくる。


   *


 石原はふぅと息をつく。

「終わりまでとうとう見通しが立ちましたね」

 岩田は笑う。

「はい、長いようで短かったですね。半年と言ったところが、そこから更なるブラッシュアップに半年。一年かー、ちょっと約束を破っちゃいましたが、許してくださいね」


 石原もまた笑う。

「いえいえ許すも何も」


 それから溜め息をついて

「ほんと、10代ならもっと一日が長かったのに。20代になると直ぐに過ぎちゃう。30になるとあっという間ですね」


 石原は改めて頭を下げて

「すいません、このような体たらくで。僕の力不足を拭ってくれて。僕だけでは作れませんでした」


 岩田は少しも媚びた様子を見せず言い切る。

「いえ、この作品は半年の即席では作れませんよ。4年かけて作ったマップデータ、シナリオ、音楽、そういう悪戦苦闘の出汁があるから深みがあるんです。僕もこんな大作に関われて幸せですよ」


 石原は誓うように言う。

「岩田さん……。僕にとってこのプロジェクトは成功ではないのかもしれない。でも次こそは岩田さんとの学びも含めてきっと!」


 岩田は何も知らず応える。

「出来ますよ! きっと!」


 石原の喉に熱いものがこみ上げた。


   *


 任天堂の神田支店のビル。その社長室。ピカピカと黒張りの椅子が光っているスペース。

 二人はずけずけと遠慮もなく入る。

 山内社長は神田にそれほど来ないので、二人ふざけ合って利用していたのだ。


「トイレもあるし」

 なんて糸井がおどける。


「ソファもあるし」

 なんて茶目っ気を出す岩田だった。ソファは岩田と糸井、二人の寝床となっていた。


 岩田は笑う。

「しょうがないですね。今日もホテルプレジデント泊まりですかぁ」


 二人で深夜の社長室。いっぱい話をした。これからはネットの時代だ。バス釣りってほんとにおもしろいんですか? 他愛もない話から真剣な話まで、沢山の話が二人の間をキャッチボールされた。


 岩田にはHAL研にも山ほどの仕事が残っている。

 寝泊まりした後の翌朝。

 「特急あずさ」に乗って、早朝から山登りする予定の登山家たちと一緒に、岩田は山梨に旅立つ。

 糸井は新宿駅南口で岩田を送ったら、10分もすれば自宅に着いて寝られる。だけど、岩田は山梨に帰るまでまだ何時間とかかる。中央線の夜行電車で登山家集団に交じって揺られながら、パソコンをたたいて仕事をしている岩田を思うと、糸井の目頭にじんとこみあがるものがあったのだった。


   *


 岩田は茶色い色が多くなった、それでも岩田の好みの味付けになった愛妻弁当を広げる。


 糸井は感慨深げに

「うらやましいなぁ、僕なんてもうパンだ」


 岩田は言う。

「糸井さん……」


 糸井は窓の向こうの空を見て

「良い奥様をお持ちで。ウチはねー、一回離婚してるし、子供につらい思いをさせちゃったな。家族の孤独感なんて味わわせたくなかったのに」


 岩田はふときいた話を思い出す。糸井の母に対するコンプレックスを。

 幼い時に家を出た実の母。

 再婚した母も、後に一流と呼ばれるコピーライター、言葉使いとなる糸井に忘れられない一言を残していた。

「あの子は、ことばにトゲがある」


 そんな母を思う糸井の題した「MOTHER」だった。


 岩田にはその真意はまだわからないが、しんみりとする。何時かもっと打ち解けて、本人の口から聞いてみたい。

 その代わり、岩田も母の言葉を思い出す。脈絡もないかもしれないがどうしても言いたい。

「僕の母がこんなことを言ってったっけ。

あんたも素直じゃないね。お父さんみたいな仕事するんだよ。苦しい人を救うような。こんぴゅーたーげーむなんて、そんな暇つぶしがそんなこと出来るかなんて、お母さん、よくわかんないけど、お前を信じてるからね。

そんなゲームがようやっと僕も作れそうです」


 糸井は笑う。

「うん、わかるよ、岩田さん……」


 MOTHER2、「母親」という作品の前で二人の父親が笑いあった。


   *


 完成直前のゲームデバッグをしている岩田の前に、エンディング曲とスタッフロールが流れる。自分で作ったにもかかわらず、いや、作ったからこそか胸に迫るものがあった。岩田は思う。

「そういやMOTHER1のキャッチコピーは「エンディングまで泣くんじゃない」だったな」


「2はどんなコピーになるのかな?」

 みんな楽しんでくれると良いな。


 エンディング曲は「スマイルアンドティアーズ」


 画面の向こうで、セピア色の主人公たちが笑っていた。

 岩田は、そっと目を閉じた。

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