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リリィは呆然としてしまった。
スティアは、こちらがそう反応するとことは見通していたようだった。皮肉に笑う。
「女の子一人片腕にかかえて、凱旋できるほど頑健に見える?」
問いかけの体でそう言って、今度は苦笑いを浮かべた。
「てなわけで、申し訳ないけど頑張って欲しいんだ。さっきも言ったように俺は喧嘩ができないから、取っ組み合いになったら、相手が誰でもまず勝てない」
彼の言葉は、リリィが一番聞きたい箇所とはずれていた。それが顔に出たのだろうか。スティアは分かっているとでも言いたげに、リリィが口を挟むのを手で制した。
「このまま、こっそり脱出することが出来れば一番いいけど、もうずいぶんな騒ぎになったし、そう甘くもいかないと思う。俺が侵入する前からすでに出入り口の警備がすごいことになってた。私服の警備員だったけど、もしも候補生のバイトだったなら、大半が君の顔を知ってる。これ以上の騒ぎにならずにってのは、無理だ」
(……見張り)
そこにどれだけの級友が含まれるのかが気になったが、彼に問いただしても仕方がないことは分かった。
「どうせ脱出できないなら、敵をいなしながら時間を稼いで、ついでに〈イエロー〉の奪還をする。レイバが救援を呼んでくれるまでの、耐久レースだね。そのためには君の力が必要なんだ。一緒に戦ってほしい」
――君を助けに来た。
――そのためには君の力が必要なんだ。
大いなる倒錯を意識しながら、リリィは声を押し殺して、言った。
「私は、ビーストとの戦闘を凌ぐやり方しか知らないよ」
〈ガード〉とは確かに護衛だが、リリィにとっての狭義は外界を渡り歩く専門家だ。
「猛獣から人を守るための勉強はしたけど、人と人の喧嘩の手助けなんてできない。だいたい、銃なんて持ち出したら、喧嘩なんかじゃ済まないでしょう……?」
町中での銃器の使用は、法律で固く禁じられている。殺戮兵器なのだから当然だ。生き物を傷つけるためだけに生み出された道具を、居住地区に持ち込む意味がどこにあるだろう。
リリィは射撃の腕には自信があった。すべての成績が偽りだったかもしれないとテッドに言い含められたが、これだけは関係ない。体感覚のひとつとして、絶対の実感がある。定められた的を撃ち抜くのに、必要な感覚を知っている。動体視力と空間把握、体幹のバランスや手首や指先の動きの加減。それは愚直に繰り返した訓練が、体に染み込ませたものだ。人間相手に同じ武器を使って戦えと言われた所で、手加減など出来やしない。
銃撃は、格闘技とは違う。怪我の最小単位が、あまりにも大きい。たとえ相手を殺すにはいたらずとも、後の生活には大なり小なりの支障をきたすだろう。
どれだけ憎い敵だとしても、人を相手にこの武器を振りかざすことなんて、出来るわけがなかった。それはもはや、原始的な恐怖に近い。善悪の概念は、理屈を通り越して、生理的な感覚としてリリィの体に染み着いている。
(……この人は)
平気なのだろうか? 問いかけを口にすることはできず、リリィはスティアの顔を見る。
殺人も辞さない喧嘩など、少なくともリリィは知らない。戦争なんて遠い歴史だった。共和国としての基盤が安定してから、ずっと長い時間、法律によって治安が保たれていた。
彼は、何なのだ。
「別に人を撃ったりしなくていいよ」
スティアは当たり前だろうとでも言わないばかりに、両手を広げてみせる。
リリィが顔をあげると、安心させるようにだろうか。彼は軽く笑った。
「むしろ間違って誰かを殺されたら困る。俺も殺人犯にはなりたくない。ただ、銃を持つことはハッタリになる。向こうにしてみれば、君がキレてることに疑いはないんだし」
表情や声から嘘は見えないが、それはこの男のことなので、どうだか知れない。なにより、リュックの中には、ご丁寧に弾薬まで入っていた。どこから仕入れたのかは知らないが、普通に暮らしていて手に入るものではない。
こちらの疑念に気づいていないわけではないのだろうが、スティアは淡々と続けた。
「君には、俺のことを守ってほしいんだ。俺はマニュアル的な戦い方を知らない。だけど、敵をビックリさせるだけの特技を搭載してる」
奇妙な言い回しだった。
疑問を投げる暇も与えてくれずに、彼は、右手の甲を見せつけるように、差し出してきた。
手袋がはめられていることは変わらない。ジャケットの袖口と、その手袋が重なっていて、肌は一切見えない。そして。
手の甲の、中指の付け根。
その一点が、手袋ごしに、澄んだグリーンの光を淡く放っていた。
親指の先ほどの大きさの、緑色の宝石でも張り付けたようだった。薄暗い部屋の中で、焼き付くような存在感があった。
「ここが緑に光ってる時は、風が出る」
そう言った。
彼は、差し出したばかりの手をひっこめて、今度は光っている場所を額にかざした。先ほども見せた、検温のような動作だ。そのまま精神集中でもするかのように、目を閉じる。
ゆっくりと目を開いて、手をもとの位置に戻した。すると――
緑だった光が、赤くなっていた。
燃えるように赤々とした、レッドの光。
「赤いときは、熱が出せる」
あっさりとそう言い放ちながら、スティアはもう一度手を額に翳し、目を閉じた。同じプロセスを経て手を下ろした時には、もとのグリーンに戻っていた。
「他にもできることは色々あるけど、安定して使えるのはこれだけだから覚えておいて。でも色を変えるには、今みたいに手を額に当てなきゃいけないから、隙ができる。違う色を好き放題に連発することは出来ないから、風を出してる時に、熱の追撃は期待しないで」
「…………」
うまい言葉が見つからなかった。
「あとでちゃんと説明するから、今は最低限で勘弁してくれると助かる。あ、そうだ。緑色のものとか、赤いものとか発見したら、その時は俺に教えて。ある程度は自由にできるから。混色もできなくはないけど、疲れるし、この二色じゃオリーブ色っぽくなって使い勝手が悪いんだよな」
「…………」
「効果の範囲は、右手をかざした方角で視線の届くところまで。なんでもかんでも好き放題にできるわけじゃないし、あんまり使いすぎても、体が衰弱する」
「……えっと」
とりあえず、すらすらと続いていく台詞を遮った。漠然とした問いを、漠然としたままで伝える。
「それは、何なの?」
――風が出るとか、熱が出るとか。そもそもそれらの現象の源は、なんだ。
スティアは、そのあたりの説明を全てすっ飛ばしてきたことにようやく気づいたようだった。なにごともきっぱりと断言する彼にしては珍しく、少しだけ躊躇してから、渋々、といった口調で答えをくれる。
「……魔法」
「え?」
「だから、魔法」
同じ言葉を反復した二言目には、強調というよりは、やけくそといった心地の感情が見受けられた。
リリィが追求を深めようとした。その時だった。
チャイムが鳴った。
夜の学校全体に、授業の開始を意味する音が、重々しく響く。
教室に取り付けられたスピーカーが、振動する。
『リリィ』
そのスピーカーから聞き覚えのある声が放送されたのは、すぐだった。
『まだ中にいるんだな。どうせ出られないんだ。隠れないでくれると助かるなぁ』
無機質な放送音声が、テッドの声を真似て、気色の悪い愛情を再現していく。
『ああ、俺がこんな放送をしてるのが不思議かな。セイが外に出てずいぶん経ったが、まだ手が離せないみたいだ。詳しい事情を知る社員はあとは俺だけだし、おかげで一時的に指揮権が戻ったんだ』
笑みを思わせる吐息が、マイクにかする音がした。
『せっかくのラッキーだ。俺はお前にまた会いたいよ。俺は放送室にいるから一階だ。〈イエロー〉も持ってる』
〈イエロー〉。
執拗に繰り返されるその言葉が、例のお守りを指すことを察せないほどに鈍くはなかった。
『お前はどこにいるんだ? さっき騒ぎがあったのは六階だよな。……待ち合わせは中間を取って三階にしよう。三階のロビーで、待ってるよ』
ブツリ、と放送が遮断される。
無音に戻った空間で、リリィは怒りを殺すことができずに、リュックサックの持ち手を握りつぶした。
「今のが、例の偽者?」
スティアが冷静に聞いてくる。リリィは即座に顔をあげた。
目があったその瞬間に、彼の表情が変わった。――しまった、とでも言わないばかりに。冷静さを保てていないことをそれで自覚しながら、リリィは虚しくなった。どんなに騙されても、自分は嘘をつくことが出来ないのだ。
「……知ってたんだ」
スティアは申し訳無さそうに、だがきっぱりと肯定した。
「ごめん。メール関連の事情はだいたい分かる。詳しい経緯はあとで説明するよ」
リリィは頷くことも出来ずに、俯いてしまった。ここに助けに来ている時点で、彼が何の事情も知らないことを期待していたわけではないが、それでも他者の口から触れられたくない傷に触れられることは、気分を暗くさせる。
スティアが軽蔑のニュアンスを含んだ声で呟いた。
「あんな頭おかしい放送を、全体に流し始めたってことは、もう事務員も追い出されたんだろうな。……それは逆に好都合か」
「私は」
リリィは、声を吐き出した。
たくさんの情報が頭を回る。三年間続けたメール。数刻前に明かされた真実。スティアが持ってきた荷物の中にある、拳銃。
昨日ビーストを仕留めた、リリィと毎日訓練を共にし、毎日きちんと整備した、他の何よりも掌に馴染む、リリィののための武器。
俺を守ってほしいと、スティアは言った。そのために渡されたこの銃は、それ以外の用途に使うことも可能だ。
殺してしまいたい存在がすぐ近くにいる。
それを殺せるだけの力が、ここにある。
テッド・リオ。
「私は……」
彼が憎い。
また目の前にすれば、何をするか分からない。そんな自分が、怖い。
あいつなんか死んでしまえと、そう思う感情を止められない。
だけど、人を撃つことは――怖い。したくない。してはいけない。
自分が何をしたいのかを、再び見失っていると、続けようとした言葉が心の中でバラバラになっていく。
しっかりしなければ、と、思えば思うほど、分からなくなる。
「リリィ」
ものすごく不意打ちで名前を呼ばれて、うつむきながら目を見開いた。驚いた表情をそのままに、顔を上げる。
スティアは、照れくさがる気持ちを特に隠さないまま、苦笑いを浮かべていた。
まったく場違いな感情であるとは自覚しつつも、リリィはその造作を見つめながら、奇妙な懐かしさを感じていた。同級生の男子と、喫茶店にでも入った時のように。日常の中で見えるべき、ごく普通の光景が見えた気がしたのだ。
この人はすごく綺麗な顔をしているけど、整っている顔立ちを、大げさに崩すような笑い方をする。
だからこそ、笑った時の方がいい顔だと、そう思った。
「……なんでもない。びっくりさせてみたかっただけ」
スティアはそう言って、瞳をこちらに向けた。スイッチを切り替えた眼差しだ。
「大丈夫?」
リリィは、目を閉じた。
鼻から大きく息を吸い込んで、肺を満たして、ゆっくりと吐く。体の中身が循環するような感覚を意識する。
「……うん」
深呼吸を終えて頷くと、スティアは少しほっとしたようだった。
「さっきの話の続きは、実戦で覚えてほしい」
言いながら、彼は立ち上がった。この場に似つかわしくない薄っぺらな身体に、武器の一つも持っていない。手袋に包まれた右手の光だけが、異彩を放っている。
「協力してくれる?」
リリィは、リュックサックから拳銃を取り出して握った。自分の銃に触れて、これほど重く、ずしりとした感触を味わったのは、初めてだった。
頷く。ホルスターも引っ張りだして、装着した。太股に一丁、腰の後ろに一丁。銃弾を装填してから、いつものようにリボルバーを収納する。
他の装備は、履いていたブーツくらいしかない。滑り止めのグローブも、敵の攻撃を受け止める特殊な衣服も、髪を束ねるゴムすらもない。戦いの装備としては、ひどく中途半端ではある。
不安は強かったはずだ。だがそれもどうでもよかった。
自暴自棄な気持ちで、リリィもまた立ち上がった。




