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ガード養成学校は、その敷地を、高い外壁と有刺鉄線で囲っていた。
加えて、受付で身分証明を提示せずには、奥に進めないシステムになっている。本人認証はシェルターの開閉と同じ技術に基づいた最新鋭の技術で成立しており、当然、レアリス・カンパニーの提供するものだった。
ジャンは、警戒が敷かれる理由は、銃器の保管があるためだと思っていた。実際に、施設説明としてはそう習う。だが。
(……それだけじゃ、なさそうだな)
学校に通い始めて一年半。意見が変わるのが、今日になりそうだった。
四角い敷地の角、外壁の隅に立ちながら、ジャンは空を見ていた。夕刻の赤い日差しが紺に呑まれ、夜が訪れようとしている。試験期間も終わり、講義が開かれていない学校ならば、人気があるはずもない時間だった。
ジャンは、壁に右肩を預けるようにして、右方――正門の方角に視線を投げる。
出入りをする人間はほとんど見えないにも関わらず、私服の男が数名、見張りのように立っている。ように、とは不適切な表現であることは自覚していた。顔合わせをしたわけではないが、自分も含めて、外壁の警備に回された私服警備のアルバイトが何人かいるはずだった。
(何の侵入に備えてるんだか)
これから学校に入る人間など、ほとんどいないに決まっている。だが、レアリス・カンパニーの人間が特務で入り込んだ途端にこの警戒だ。毎日通っていたただの学校が、要塞にでも様変わりした風だった。ビーストが街に現れた際は、校舎を砦にする用意もあるとは聞いていたが。それは管理者側の都合でも成立する使用法のようだ。
この施設の中で、今、何が起こっているかを知る人間はほとんどいない。
ジャンもこれに関しては多数派だった。分かるのは、この大仰な警備の中心に、クラスメイトである女生徒が関わっていると言うこと。そして、彼女が閉じこめられる原因を作ったのは、自分たちであるということだった。
――ふわり。
柔らかな風の気配が足下をくすぐった。
ジャンはきょとんとする。今日は朝から天気がよく、風なんか吹いていなかったはずだ。そして。
一瞬の油断をついて、人の気配が急速に接近した。振り返る暇もなく、背中に固い何かが押し当てられて、戦慄する。
肋骨のあたりに突きつけられた銃口を通じて、撃鉄を起こす音が伝わってきた。
「振り返るなよ」
聞いたことのある声が、すぐ後ろから聞こえた。ほんの少しだけ、言葉を交わした昼間とはまったく雰囲気が違う。
「時間がないから手短に聞くよ。――罪悪感はある?」
****
レアリス・カンパニーの社名は、レアリスム――現実主義に由来する。〈グランドクロス〉の対策が遅れ世界中が混乱するさなか、社長であるドーン・リアスが改名を発表した。
ビーストの発生も森の増殖も絶対に原因を解明する。悲嘆にくれる暇などない。人類が生き延びる手段を考えて、尽力する。我々は現実を見据える。必要とされるものをひとつでも多く、開発してみせる――と。
宣言を皮切りに、事業の幅を広げ、やがて圧倒的な成功を掴んだ。〈シェルター〉を開発し、多くの人間の命を救った。
その会社が、組織ぐるみで『嘘』を生み出していたのなら、現実とはなんだ。
「あったかいうちに食べた方が、美味しいよ」
横からかけられた声に返事もできず、リリィはただ黙って、ソファに座り込んでいた。いつのまにか窓の外は夜だった。レイバに連絡をする気力も湧かない。
目の前のテーブルには、簡素な食事が並べられている。大きな平皿に載せられたパン。小さな深皿に注がれたスープ。その全てに、手をつける気になれない。
部屋はあれから移動していない。出て行ってしまったセイや、テッドが戻ってくる気配もない。共に部屋にいるのは、先ほどセイと共に現れた若者ひとりだった。
彼が残ったのは監視のためだろう。そう考えるとカンパニー関係者なのだろうが、華美なセイとも典型的な会社員スタイルのテッドともまったく雰囲気が違う。年齢はリリィより少し上に見えるので、二十歳くらいだろうか。だが、ラフに立てた短髪や、動きやすさを重視した服装などからは、活発なアウトドア派の休日ファッションとでもいった軽やかさがある。ポケットが非常に多い古着のジャケットなどは、その最たる例だ。
「食欲がないなら、飲み物を頼もうか。紅茶とコーヒーだったらどっち派かな」
何も言わないリリィに向けて、若者は友好的に提案をしてきた。話しながら立ち位置を変えて、ほんの少しだけ近づいてくる。
どちらと言えば小柄な男だが、体つきは鍛え上げられているようだった。セイやテッドなどよりずっと隙のない、重心の均整がとれた歩き方をする。
「さっきの男の言動は、うちの会社としても論外だから厳罰を与えられるはずだ。君には申し訳なかったけれど、セイさんは見た目より真面目だし、悪い人じゃないから。これから不当な要求をしたりしない」
「……これから?」
返事をしたというつもりではなかったが、聞き逃せなかった単語を思わず反復していた。
「『これまで』が嘘だったのに、『これから』なんてあるのかな」
若者が返答に困ったことは理解した。会話が成立するような配慮など、考えていられなかった。
つぶやくことにも疲れて、リリィは項垂れた。
電子音が部屋に響いた。若者が、機敏な動作で懐の通信機を取り出した。
「エルクです。セイさん?」
無造作に電話をとった後に、発信者を意識して彼は口調を改めた。だがすぐに「え⁉︎」と驚いたその声は素に戻った。
「小火ぁ⁉︎」
不穏な単語が聞こえて、さすがにリリィは目を見開いた。
「入り口の植木が……って。火種は? ってそんなことどうでもいい、消火できたんっすか?」
畳みかけるように疑問を並べる若者――エルクの言葉は、そこで一旦止まった。受話器の向こうのセイの話を聞いている。
「……了解しました」
エルクは通話を切った。リリィの方を振り返って、やけくそのように笑ってみせる。
「入り口で、ちょっくら放火があったらしくて、火が出てるってさ」
「!」
「でも大丈夫。規模は小さいらしいし、すぐに始末できるから。火の手が延びることはまずないって前提の、待機命令だった。あの人は――」
その瞬間。
聴覚をつんざく高い音が重なって、建物全体を震わせた。
反射的に身を竦ませる。閉ざされた密室の中から聞いてなお、頭の芯に響くような音だった。食器棚をまるごと勢いよく倒せば、こんな音になるだろうか。
「なんだ?」
動揺をかき消すように、もう一度、同じような音が床を伝う。リリィは片目をすがめた。ガラスが割れたような音だ。それも、とても派手に。
エルクは、むしろ耳を澄ませていた。
「小火騒ぎに便乗してなんか事件でも起きてんのかな……でも方角が逆だ」
彼は密室の中で、全ての事象の方角に見当をつけた。立ち上がり、部屋の入り口の扉を開けて周囲の状況を確認する。
扉の隙間から見える廊下の景色を見て、リリィは瞠目した。
――見たことがある。
天井に開けた大きな窓。空洞を囲うような、吹き抜けの廊下……
小火。
異常事態。
帰ってこないセイ。
リリィは即座に、パンを載せた皿を握った。外の騒ぎに気を取られて、唖然としているエルクに背後から忍び寄る。
彼がリリィの動きに気づいて振り返るのは、想定していたよりずっと早かった。だが、ぎりぎりでリリィは開き直った。大きく体を振りかぶる。
「!」
エルクの後頭部に、皿の角を一気に振りおろした。
鈍い手応えと共に、リリィは扉から廊下に躍り出た。エルクがくずおれる音を背後に聞いた。
(学校……!)
やはり、間違いない。
部屋から逃げ出して身を投じた廊下は、一階から吹き抜けになった縦長の建築物の、かなり高所にあった。ここから見下ろせる各階の床は、ロの字型、あるいはコの字型をとって、壁に張り付いているように見える。部屋はきっと、外側に配置されている。
要所に橋のような渡り廊下や階段を貫きながら、ひたすら下に積み重なっていて、最下層には一階の床が広がっている。毎日見ていた、だが、いつもはほとんど下から見上げていた建物だった。
リリィを拉致した、彼ら組織がレアリス・カンパニーであるのなら、ありえない展開ではなかった。天窓が夜に染まっていることもあり、普段リリィが通う昼間とは大きく雰囲気が違ったが、間取りはだいたい分かる。
きっと、ここは八階だ。八階のスタッフルームは、生徒は原則として立ち入り禁止だ。普段使うような階段は繋がっていない。専用の昇降機が一階と直通だが、それを使えば確実に待ち伏せを受ける。
(出られない……?)
非常階段はどこだろう。来たこともないフロアの構造を必死に考える。
昇降機の近くにでも行けば、フロアガイドのひとつもあるはずだ。やぶれかぶれにそんなことを思いながら、リリィは再び走り出した。
走りながら、吹き抜けになっている部分から、下の階を見下ろす。いざとなれば一階分くらい飛び降りる覚悟だったが、さすがにそのあたりは建築技師の腕か、軽々しくジャンプができるような構造にはなっていない。渡り廊下や階段には不用意な落下を防ぐために、柵を担う壁が設えられている。配置も厳密に計算され、飛び降りようという気を起こさせるような手ごろな間隔は存在していなかった。
一番下の階の様子も見た。受付はまだ明るい。制服を着た事務員が、仕事で残っていた。小火騒ぎや、騒音に驚いてか、何人かで固まってきょろきょろとしている。
(あの人たちに向けて叫んで、助けてもらえばいい)
誘拐されて閉じこめられていたのだ。他人にすがって悪い状況ではない。
(でも……)
判断に迷う自分が歯がゆくて、奥歯を噛んだ。
不快な男の不快な声が、胸に蘇るのを抑えられない。――教員や事務員を抱き込むのも簡単さ。〈ガード〉のシステムをスポンサードしているのが俺たちなんだから、学校のすべてはレアリス・カンパニーの手のひらの上だ。
(ジャンやリックですら私を売るのに、誰が助けてくれるんだろう)
エミリやシモンすら味方とは限らない。レイバもまた、関係者であるようなことを言われていた。
何も知らないのはリリィだけだ。見知った学校の中にいて、世界中にあざ笑われているような気分だった。
(なにを信じればいい)
父に家庭を見放され、ひとりで生きてきた。父に会うために、父に負けないくらいに強くなりたかった。
そんな出発点すらも嘘ならば。己を励ましてきたあのメールが、くだらない男のくだらない趣味で生み出された、虚構だと言うのなら。
(ここで過ごした私の今までは、なんだったの)
階段は昇降機のすぐそばにあった。段を飛ばしながら一気に駆け降りる。リリィが普段生徒として利用している五階までのエリアには、こんな位置に階段はなかった。これは非常階段ではなく、教員フロアとスタッフルームだけを結ぶ連絡通路なのだろう。
六階にたどり着いた。今は試験の採点期間なので、教員専用のこのフロアには人が残っていると思っていたが、実際には誰もいなかった。職員室も、上位教員にあつらえられた個室のひとつひとつも、すべて明かりが消えている。今の正確な時刻は分からないが、締め出されるにはまだ早いように見えた。何らかの圧力で、強制的に追い出されたのか……?
リリィは不安を無視しながら、下へ続く階段を再び探そうとした。――だが、すぐに異変に気付いた。
「え……?」
床に、ガラスの破片が大量に散らばっていた。
顔を上げると、冷たい空気が外から流れ込んでいた。吹き抜けの内側に設置されている昇降機の反対方向、つまり建物の壁側を改めて見る。
教室はもう少し奥にあり、そこまでの廊下には窓が開けている。こちら側はグラウンドとは反対で、街の景色や、外壁のきわに植えられた木が、近くで望める場所だった。その窓ガラスが、外側から粉々にされていた。
破片は、吹き飛ばされでもしたかのように、内側に流れている。単に外から叩き割られたにしては、破片の一つ一つの粒が小さく、砂利のように見えた。その破片にまぎれて、緑色の物体が大量に転がっていた。……木の葉だ。外に植えられた木の葉っぱが、一枚一枚バラバラに飛んできたように、散らばっていた。
わけがわからないが、無惨な光景だった。試験の日程を掲げて、廊下に放置されていたキャスター付きのホワイトボードは、ガラスまみれになって床に倒れてしまっている。
(さっきの物音……?)
日頃から鍛錬のために、戦闘用の特製ブーツを履くようにしていたから、ガラスの破片にまみれたこの床も歩けないことはない。だが、驚愕は確かにリリィの足取りを止めた。
それが、油断を生んだ。
「お願い、逃げないで。リリィさん」
後ろから声を掛けられて、肩がわずかに跳ねた。
振り返ると、階段の踊り場にエルクがいた。左手で、痛そうに頭を押さえてはいるが、それだけだった。脳震盪くらいは起こしてくれていると思っていた。とっさに身をねじって、衝撃を逃していたのか――?
「頼むよ。さっきの部屋に戻ってくれないか」
さきほどまでは丸腰だったエルクだが、今度は右手に警棒を持っていた。なにげなくそれを構えながら、重心をひとつも乱していない。先ほどから気になっていたが、彼はさりげない身のこなしに隙がなく、訓練された強靱さを感じられた。きっと、手にした警棒もこけおどしではない。
リリィは後退した。ガラスの破片を踏みつぶす、嫌な感触が靴底を鳴らす。
だが背中はすぐに行き止まりを探し当てる。吹き抜けの構造を採用しているこの学校は、基本的に通路が狭い。背後の昇降機に邪魔をされて、これ以上は動けそうにない。
「君みたいな子を、数人がかりで追いつめるのは趣味じゃない。大人しくしてくれれば、悪いようにはしないよ」
――数人がかり。
リリィが立つ場所から、左右に延びる廊下の両端から、ひとりずつ気配をとらえる。目はしで確認すると、見慣れた制服の警備員だった。エルクが呼んだのだろう。ひとりひとり顔を覚えているわけではないが、見かけたらいつも挨拶をしていた。それが今は敵として、リリィの行く手を阻んでいる。
もう、現実に対する絶望は通り越した。苛立ちが湧き上がる。
正面の階段にはエルク。左右には警備員。背後は閉ざされた昇降機と、吹き抜けになっているロの字の空洞。――昇降機の近くから後方に向けて、かろうじて、細い渡り廊下が伸びている。リリィの立つ位置から、右後ろに駆け込めばすぐだ。逃げるとしたらそこしかないが。
(挟み撃ちに遭う)
フロア全体の広さを考えれば、リリィが渡り切るより早く彼らは両側に回り込める。奇跡が起きて渡りきったところで、その後の展望がない。向こうは武装をしているが、こちらには武器がない。
「リリィさん」
エルクが通告するように言う。ここまで走って追って来ただろうに、たいして疲れた様子もなかった。
――唇を噛んだ。
そして。
室内で突風が起こる、という現象を、リリィは生まれて初めて目の当たりにした。
轟音が耳を駆け、目の前の光景が吹っ飛ばされる。嵐の日に傘を壊したあの感触を呼び起こすような風の奔流が、衝撃波となって背後から前方へと駆け抜けた。
「つぁ……⁉︎」
三人の男たちは、立ち続けることすら出来ずに、風に圧されてバランスを崩す。手のひらからこぼれたエルクの警棒が、勢いよく飛んで壁にぶつかった。床に散らばっていたガラスが、つぶてとなって踊り狂う。警備員が顔面を押さえて叫んでいた。
「え……」
リリィ自身は、背後の昇降機が風避けになってくれたため、まったくの無傷であった。だが、事態についていけるわけでもなく、立ち尽くしてしまう。――そして。
呆然としていた右腕を、横から強引に掴まれた。
ぐいと、身体を引かれて、渡り廊下の方角へ転がり込んだ。そこに人がいた。目が合った。深い碧のきれいな眼。
残り風が、彼の細い銀髪をなぶるように暴れていた。その隙間から見える耳たぶに、銀色のピアス。
――スティア・アリビート。
この場で出会うには似つかわしくない、細すぎる身体を目の前に、リリィは言葉を失った。




