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レイバの表情が、驚きに染まるのは珍しい。そう思ったのは今日だけで二回目だった。意外とこの男は、認識していたよりも隙だらけなのかもしれない。
そうでなければ、こんな事態が起こるものか。スティアは機嫌の悪さを隠さずに、リリィ・ブルーノの通信機を見つめるレイバを見ていた。『ガイル』からの通書。その全てを目の当たりにした、ガイルの弟を。
「気づけよ」
言っても仕方のないことは言わない主義だったが、こればかりは言わずにはいられなかった。
「あんたはガイルさんが死んだことを知っていたのに、あの子だけ知らずにメールのやりとりを続けてたなんて、そんな話があるかよ」
「本当だなー。驚いた」
他人事のように言うレイバの態度に、スティアは苛立っていた。
〈教区〉から帰宅して、拾った通信機をレイバに突きつけた、その反応は予想通りにこんな具合だった。茫然自失と言うには平熱の驚きで、眉をひそめている。
「メールは大部分が消えてるけど、保存されている一番古いものは去年の三月。だいたい一年半前で、その時点で〈セカンド・グランドクロス〉の話題に触れてる。三年前から続いてたってことだ。ガイルさんが死んだとほぼ同時に、偽者と入れ替わったんだよ」
「確かになー。〈セカンド〉の時は、兄さんの生死に関する話はしないようにしたな。〈グランド〉の時はリリィから報告があったんだけど」
レイバは今以上に感情を動かす様子もなかったが、不思議に感じてはいるようだ。
「報告?」
「リリィの母親に兄さんから生存確認の電報が届いたってことを、別居してた俺にも伝えてきたんだよ。どうリアクションしたかは覚えてないけど」
「覚えてろよ」
スティアは深くため息をついた。
「あんたの性格が冷淡だとか、他人に関心がなさすぎるとか、俺が説教するのも変だけどさ。この事態を招いた原因のひとつはあんたの無関心だろ。一度でも、あの子にガイルさんの思い出話でもしてれば、その時点でこんなアホな事件は起こらなかったはずなんだよ」
「しかし、リリィは部外者だしなぁ。父親が死んだ理由を説明するのも、それこそ面倒事に巻き込むことになるだけだったから、俺からその話題は避けてたんだよね」
レイバは頭を掻いた。
「まさかこんなご時世に、生存を信じ続けてるとも思えなかったし」
「言い訳はいいよ。部外者だったら誘拐なんかされない」
スティアは話を切った。
「これからどうするかを考えないと」
「……その通りだけどな」
レイバは息をついて、通信機をまじまじと見つめた。
「俺には、リリィが誘拐される理由が何も思いつかないんだけど」
「メールを見て分からない?」
苛立ちを通り越して呆れた。レイバは研究と技術の両分野においては天才的な才覚を示すが、他人の感情の機微にはきわめて鈍い。
「最後に届いてる誘いのメール。『お守り』を持ってこいって書いてある。わざわざ強調してるなら、目的はそれだよ」
「お守り?」
どうやらレイバは、その一文をキーワードとして認識していなかったらしい。呆れるのも馬鹿馬鹿しくなって、スティアはマイペースに推測を告げることにした。
「誘拐犯はレアリス・カンパニーだ。ガイルさんの死に関係している組織は、俺たちを除いたらそこしかない」
「そうだな、それは分かるけど」
「三年間も放置してたくせに、今になっていきなり動き出すほどの重要な〈モノ〉……って考えると、答えはひとつしかないだろ」
レイバもピンと来たようだった。納得して、口にする。
「〈カラーストーン〉か?」
「たぶん行方不明だった〈イエロー〉だ。ガイルさんが持ち逃げした秘密なんてそれくらいだ。きっとあの子が持っていたんだ」
「しかし、レーダーにはずっと映らなかったし、兄さんもそんなことは教えてくれなかったぜ」
「兄弟だからって、なんでもかんでも話すわけじゃないだろ」
スティアは吐き捨てた。
「今日、いきなり動き出した理由も、なんとなく見当がつくよ。あの子の周りで起きた変わった出来事ってのは、俺とロールの登場くらいなもんだし」
「お前が現れたことで、カンパニーが焦ってる?」
「二十番地区で買い物をした時に、あの子のクラスメイトだっていう学生二人に会った。妙に観察してくるとは思っていたけど、やっぱりこっちの理由だったんだ。もう俺の存在は気づかれてる。……だからロールがこの街にいることも、きっと気づいてる」
「早いな」
レイバは眉根を寄せた。「思っていたより、影響が出るのが早い」
「だから今すぐ動かないと。この街の地図を見せて」
レイバは奥の机からごそごそと地図帳を取り出した。
受け取って、スティアは街全体をざっと確認した。〈教区〉、〈居住区〉、〈生産区〉、〈中枢区〉……
「やっぱりな。このあたりでレアリス・カンパニーグループの施設は、ガードアカデミーしかない」
スティアは皮肉な思いで、苦笑した。
「念のためって、今日の昼間に見学に行ったんだけど、その日のうちに役立つとは思わなかった」
「そこにリリィがいるわけか」
レイバの声は疑問よりも納得に近かった。スティアは頷く。
「まさか他の組織を頼ることはしないだろうし、デカルト支部のオフィスは街の反対側だから車で飛ばしても時間がかかるよ。彼女を呼び出した手段がこうも悪趣味じゃ抵抗されるだろうし、たぶん遠くまでは行けない。通信機も変な場所に落ちてたし」
「リリィが暴れることを見越して、待ち合わせ場所を人目のない〈教区〉したって話なら、近くにあるアカデミーの部屋を用意するのが楽だわな」
「今はね。カンパニー側で準備が整ったら、もうちょっとやっかいな場所に連行されるかもしれない。行方不明になったリリィ・ブルーノの身内へ、体のいい言い訳を引っ提げたりしてね」
「向こうが言い訳を考えてる間に、こっちから打って出て現場を押さえるしかない、か……確かにここで〈イエロー〉を失うのは得策じゃないしな」
冷静な声で、レイバは言った。得策とかそれ以前に、実の姪の無事は心配ではないのかと聞きたくなったが、やめた。この男相手に、この手の問答が意味をなさないことは、嫌と言うほどに知っている。
「しかしなんだって、カンパニーはこんなに面倒くさいことを……」
通信機を指先で弄びながら、レイバがつぶやく。
「ただ呼び出すだけなら、学校の教官を通じて正式に連絡をした方がてっとり早いだろ。『お守り』の要求にしろ、いくらでももっといい言い訳が作れそうなもんだけどな」
「あの子の同居人が、あんただったからじゃない」
スティアが答えると、レイバは視線で「?」と言った。
「リリィ・ブルーノの持つ情報を欲していてかつ、その同居人であり血縁者である、レイバ・グリーニッシュとの接触は絶対に避けたい。そう考えればどんな策があっても、動きは消極的になるよ。あんたの仕事を考えれば、警戒しすぎってほどでもない」
「そうならそうで、杜撰だな。俺がいつリリィに兄さんの話をするとも知れない状況で、メールで連絡なんてさ」
それについてはまったくの同感だったが、分からないことを気にしても仕方がない。
「内部でなんかあったんじゃないの。組織なら、有能な人間も無能な人間もいるだろうし」
スティアは毒づきながら、レイバの目を見つめなおした。
「どうする?」
「…………」
レイバは通信機から目をそらして、作業机の上に置く。
「リリィの学校の場所は分かるんだよな」
「今日確認したから、覚えてる。一般人でも入れるみたいだし、案内は問題ない」
「お前、助けられる?」
「無理だ」
確認は一瞬で終わった。
「あんたが一番知ってるだろ。強力なサポーターでも手配してくれるなら、事情が事情だから考えるけど」
「無茶言うなよ。今すぐカンパニーに殴り込みしてくれる便利な奴で、かつ機密を絶対に洩らさない助っ人だろ。都合よく転がってるもんじゃない」
「じゃあ、ここで手をこまねいてるのか?」
「……ちょっと待っててくれ」
レイバはおもむろに立ち上がった。そのまま、スティアの横をすり抜けて、部屋を出ていってしまう。
彼の姿を追うようにして、部屋の出口に視線をやると、ロールがそっと立っていた。話を外から聞いていたのだろう。レイバが階段を登る足音が聞こえていた。
「……入ってくれば?」
スティアがそう言うと、ロールはほんの少しだけ慌てた。声をかけられたのが予想外だったらしい。
「う、ううん。何を話してるのか、ちょっと気になっちゃっただけだから」
「近くの方がよく聞こえるだろ。別に遠慮するような話題じゃないし、もうお前も無関係ってわけじゃ……」
言いかけたところで、ドタドタと戻ってきたレイバがロールのそばを素通りした。びっくりしたロールは結局やってくるタイミングを見失って、その場に立ち尽くした。まあ、好きにすればいいことだが。
それよりもスティアにとっては、レイバが抱えてきた馬鹿でかい荷物が重要だった。
「……本気?」
口元がひきつったが、レイバはきっぱり頷いた。
「ああ。これでなんとかして」
「いや、無理だろ」
「時間を稼ぐだけでいい」
断言しながら、まっすぐに目を見つめてくる。
「お前の位置はピアスで正確に把握できる。だから、できるだけ早く、できるだけ強力な救援を送ることだって出来る。お前はリリィの身柄と〈イエロー〉を奪還して、あとは救助を待てばいいから。特濃の定着剤もちょうどさっき作ったし、一日くらいなら無理が利かないわけじゃないだろ?」
奥歯を噛む。
問答無用で断りたい所ではあったが、時間がないことは分かっていた。今すぐに動ける人間が自分の他にいないことも。
「報酬はいくらか、先に教えてよ」
レイバは、きょとんとした。
「金に困ってたっけ?」
「これが仕事だっていう実感が欲しいんだよ。検査に合格したのがついこの前だってのに、いきなり働かされても、気持ちが乗らない」
「まあ、分からんでもないな。なら……」
レイバが気楽な口調で告げた金額は、スティアの予想を大きく越えていた。
不覚にもまじまじとレイバの顔を見てしまった。彼はしごく当然とでもいった様子で、軽く笑った。
「それくらいの価値がなくちゃ困る。なにせお前のデビュー戦だからね」
態度のいい加減さとは裏腹に、瞳は真剣だった。発明家らしく、己の発明に注ぐ一途な情熱と自信を覗かせている。
「くそったれ」
何か侮蔑の言葉を口にしなければ気が済まず、スティアは小声でそれだけ言ってやった。
レイバは涼しく笑って受け流し、抱えていた荷物のすべてを、部屋に転がっていた古いリュックサックに詰め込んだ。ずっしりと重くなったそれを押し付けてくる。
睨んだところで、彼の優位が変わらないことは不愉快だった。




