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その村から発せられた報は周辺国を駆け巡った。
最初にそれを耳にした時は殆どの人間が信じなかった。
まさか、と。 そんな恐ろしい事を考えた事もない、と。
だが、すぐに思い至る。 そうであるなら誰の消息も掴めないのも、当然だと。
すぐにその国の人間を捕らえて尋問なりを行おうとした各国だったが、その暫く前から誰も、商人すらも国へと引き上げて外へ出てきていない。
そして、事の真偽を問うべく送った使者は入国したが戻ってこない。
流民も既にその国には流れなくなっており、そういった人々に手の者を紛れ込ませると言った手段も取れなくなっていた。
事が露見せず秘密裏に、などと最早そんな悠長な事を言っていられなくなった各国は、最早躊躇無く持て得る限りの人員を投入して半ば強引に手の者を送り込んだ。
そうやって送り込んだ者達は予想外の速さで戻ってきた。
決死の覚悟を貌に張り付かせその国へと向かった彼らは、その数を大きく減らし、容貌を恐慌へと変じさせて戻って、いや、逃げ帰って来た。
その口から出た報告は求めていた情報とは全く違うが驚くべき物だった。
売られ、流れていった者達の消息、安否の確認以前の問題である。
その国は、明らかに国家・国民が総動員の有事体制に入っている。
騒乱などの内向きの備えではなく、外へと向けた力の行使の気配あり。
商人達が国外に居ないのも、人の流入が止まったのも偶然ではなく、そして先日の村に辿り着いた男の話も、恐らく動員により国境の封鎖体制に綻びが出たためと思われる。
いや、綻びではなく我々の侵入も予想より容易かった事を考えるに、既に隠すつもりも無いと思われる。
真に信じがたいが、彼の国に外征・侵略の意図あり、と。
そして間も無く、その報告に驚愕しそれから立ち直り対策を練るべく各国が動き出す間も無く、その国の侵攻は突如として開始された。
当時の各国は、長い期間に渡り対外戦争を経験せず、国内の治安維持に、国民の慰撫に焦点を当てた政策を取ってきた。
当然の如く軍備は縮小、下手をすれば存在せず、あって国境警備隊や警察軍のような治安組織の色合いが強い物ばかりだった。
それであっても民を刺激しないように出来うるだけ荒事を避ける傾向が強く、簡単に言って喧嘩馴れしていない組織ばかりだった。
施政者達は常に足元への不安、民への根強い恐怖と疑心を未だに拭いきれずに抱えたまま、他国に手を出すような当時で言う『物好き』は居らず。
慎重すぎるほどに、正に『石橋を叩いて渡る』べく、足元をおっかなびっくりに撫でる様に恐る恐る叩きに叩いて、固めに固めていた。
それだからこそ物資の欠乏による混乱で国家が崩壊するという事態を免れえたのだが、それが裏目に出た。
心構えは薄く、錬度は低く、そして物資欠乏の煽りを受けて元から軍事組織としては多くもなかった人員と備えは更に少なく、それを補充なり増強する時間は全く存在せず。
そうして開かれた戦端、突然の侵攻に隣接する数カ国は成すすべも無かった。
まともな抵抗を出来ずに蹴散らされ、国土は無残に蹂躙され、瞬く間に隣接する国々はその存在を過去のものとされていった。
そして、そこから逃げ遂せた人間は恐ろしく少なかった。
他国へと命辛々逃れたその僅かな生き残りは泣き叫んだ。
奴らは皆を生きていようが死んでいようが『炉』にくべていった。
逃げて来れなかった人々はきっと誰も生きていない。
あいつらは私達を同じ人間だとか、生き物とすら思っていない、と。
大陸全土の国家がその所業に戦慄した。
そして、辛うじて生き延びた亡国の兵士達より齎された情報によってそれは加速した。
成すすべも無く蹂躙された彼らだが、流石に捕虜の一人も取れないなどという事態にはなっていなかった。
宣戦布告も無く、対話など一切応じる事無く襲い掛かってきたからこそ、圧倒的劣勢にあっても一部の部隊は必死になって情報を得ようと捕らえた敵兵を尋問した。
敵兵は、須らく訛りが酷く話の聞き取りに困難し、そして驚くほどの速さで戦線が崩壊していったために情報は少なく、その敗残兵たちが連れてこれた捕虜は更に少なかったが、その証言の全てが恐ろしいものだった。
捕らえた敵兵達は、その敵国の国民達はただ一人の例外なくこちらを同じ人間だと思っていなかった。
彼らは口々に他の国の民達を『劣等』と呼び、罵ったらしい。
それぞれが聞き取れぬほどの訛りを交えて吐き散らすその言葉には、恨みと憎しみと蔑みとありとあらゆる負の感情が塗りこめられていた。
誰一人として軍機に関する情報は一切口を割らず、ただただこちらへの侮蔑と嫌悪を口から吐き散らした。
それら全てを取り纏めた内容に各国は愕然とした。
そこにはこの大陸で共通すると思われた価値観が、倫理観が、道徳観が、全てが違う自国以外の大陸に住まう全てを呪う存在が記されていた。
始まりはその国を王族が見捨てて逃げ出した時から始まった。
統治者達が疑心暗鬼に駆られ、特に問題も無かった筈の国を捨てて逃げ出し、その国は混乱に見舞われた。
周辺国は混乱の波及を恐れて国境を閉鎖し、民達はその国土に逃げ場無く取り残された。
見捨てられ、救いの手など一切差し伸べられず、まるで汚物に触れるのを忌諱するかのように扱われ隔離された。
民達に教育を施す試みがなされ始めた当時において、未だ十分なそれを施されていなかった彼らは、その中で足掻きながら長い時間をかけて辛うじて国を建て直した。
足掻いて、足掻いて、足掻き続けて、ようやく周りを見る事ができるようになり目に映ったものは、彼らから見て平和と繁栄を謳歌し、自分達を見捨てた王族を頭上に戴いて、何も考えずに安穏と過ごす国々の民の姿だった。
そして振り返って自分達を見れば、そこはそれらに大きく溝を開けられて捨て置かれた落ちぶれた自国の姿があった。
己らだけ綺麗な場所で春を謳歌し、自分達を汚泥へと押し込めてさも幸せそうに笑うそれらを、彼らは激しく憎悪した。
自分達で考える事をせず、いつ見捨てて逃げ出すかも知れぬ王族どもに自らの同胞を捧げて媚を売るその姿を激しく嫌悪した。
何が平和だ、何が幸せだ、何が繁栄だ、笑わせるなよ。
己の主人たる事を放棄した家畜風情が、その安寧、その生き様は豚にも劣ると憤った。
我らは違う、貴様らとは違う、絶対に違う、同じであってたまるものか・・・!
そうして彼らは誓ったのだ、貧しさの中で爪を研ぎ、飢えに乾いた牙をいつかその身に突き立てんと。
今に見ているがいいと、その家畜の如き泰平を、その畜舎の柵をいつか我らがこの爪牙を以って打ち壊してくれる、と。
そうして耐えて耐えて耐えて耐えて耐え続けた。
更に豊かになっていく周辺国を見ながら、更に開いていく差に焦る事無く耐え続けた。
幾らでも肥え太るがいい、そうやって爪を研ぐことを忘れ、牙を失って行く様は正に野山を駆けた猪が豚へと堕するが如きそれだ。
そうやって醜く太り、遂には己が体を支える事すらできぬようになった時、それこそが貴様らの血でこの乾いた牙を潤す収奪の日となるだろう。
それまでは精々が我らを哀れんで見るといい、豚から何を思われようとも毛ほどの痛痒も感じぬわ、と。
そうして爪を研ぎ、笑みの中に牙を隠し、憎悪を煮詰め続けた日々を越え、遂にその兆しが現れた。
『炉』の発明、その普及、それを見た彼らは約束の日が近い事を感じ取った。
自国にも遅まきながら入ってきた『炉』を見て、その大抵の物を材料としてくべる事ができるという特徴と周辺国への普及の速さから、これから起こるであろう事態を予測したからだ。
その新たなる利器に浮かれ騒ぐ周りを、その様を注意深く観察した彼らは嘲笑した。
間違いなくあの豚どもはこの『炉』によって道を踏み外すだろう。
精々逆上せ上がって何処となりへと登るがいい、その短い足で登った先から降りる事が適わなくなるまで。
そして転がり落ちるがいい、その醜く太った図体だ、さぞや勢い良く転がってくれる事だろう。
そうやって転がった先には、貴様らが大好きな『炉』が、そうら、口をあけて待っているぞ、と。
彼らは手に入れた『炉』の特性を、どの国の人間よりもある意味正確に理解していた。
そう、大抵の物をくべる事ができ、有機物が特に多くの魔石を抽出できるというのであるならば。
当然、人間を放り込んでも多くの魔石を抽出できるのだ、と言う事を。
彼らは『炉』の爆発的普及によって、無思慮かつ過剰な使用によって各国が物資不足に陥る事を予見し、それに備える事にしたのだ。
そう、約束の日は近い、それに備えた準備を兼ねてまずは物資の増産を、今まで取るに足らないと蔑んだ我らの品に、奴らは頭を垂れる事となるのだから。
それを持って奴らの頬っ面を引っ叩いて、そして魔石の『材料』を入荷しよう。
『豚』を買って、それをひき潰して魔石を得て、そしてそれによって生産した物資で更に『豚』を買い叩く、素晴らしい未来予想図だ。
そして、その後に遂に約束の時が訪れるのだ。
まずは最初に『豚』を買い叩くための元手がいる、それを生産するために魔石がいる。
だが、我々は奴らとは違う、無思慮に資源をくべる事によって浪費するなどと、そういった愚は犯さない。
なれば何をくべるか、決まっている、今までは目を瞑って生かしてきた敗北主義者ども、約束の日が近い今となっては、不安要素など不要、奴らには最後の役に立ってもらうべきだろう。
そうやって国内の不穏分子を魔石へと『変換』し、それを使って生産した物資を蓄積した。
そして、予想通りに各国で物資不足が巻き起こった。
彼らは嬉々として溜め込んだ物資を売りに出た。
今まで粗悪品と呼ばれたそれをもって大量の『材料』を買い叩き、それらを躊躇無く『炉』へと叩き込んで魔石を得る。
『材料』以外にも、今まで購入が敵わなかった様々な物を捨て値で買い叩き急速に国力を高めていった。
笑いが止まらないとはこの事だ、二束三文で買い叩いた『材料』で取れる魔石だけでも大きな黒字だというのに、それから更に倍々で利益が増えていく。
いつか必ず来るとは信じていたが、まさかここまであっさりと約束の時が、その日が目の前に来ようとは。
そう言いながら彼らは急速に国力の増強と軍備を整えていった。
買い叩けるだけの『材料』を仕入れ、流れてきた哀れな『豚』達共々『炉』へくべて、魔石を備蓄していった。
こうして、混乱する各国から、資源の量を鑑みて無理なく生産可能な物資をもって、搾り取れるだけ搾り取った彼らは、遂に行動を起こした。
捕虜達は皆が声高らかに自らの今までを、自国の歴史を振り返ってこう最後に締めくくって止める暇も無く自決したらしい。
さあ、約束の日、収奪の時は来たれり。
家畜の泰平を打ち砕かんと、磨いた爪が歓喜に震える。
我ら邪悪な狼は、肥え太ったその血肉で、乾いた牙を潤そう。
さあ逃げろ逃げろ、その醜く膨れた腹を引き摺り、哀れに惨めに逃げ散るがいい。
だが最早逃げる場所など、この世の何処にもありはしない。
刮目するがいい、我らが誓いの成就の時だ。
豚のような呻きを上げて、この祝いの日を讃えるがいい。
泣き叫べ劣等! 貴様ら畜生の安寧は今ここに崩れ落ちるのだ!




