3話:渡川
春がやってきた。
アールヴィではよく見かける熊や狼は家畜を襲うから怖いし、この時期は渡り龍が頭上を飛んでいるのが一番怖い。
「ぴぴ、ぴよぴよ」
(ヒバリだ)
今日は四度目の移動の日。目指すのは山だ。
最初は怖かったタランドゥスも。一年経てば背中に乗って揺られるのに慣れてしまった。
話によれば、これから向かう場所は先遣隊がいるらしい。
先遣隊というのは三、四人の小規模で村より数日早く行動することで脅威を排除してくれる人達のことだ。
魔法や武器の扱いに長けた、少数精鋭部隊である。
野生のタランドゥスが群れを成して、川を渡っていく。
「渡り龍の影響で川の流れが早いですね」
一見普通に見える川でも水深が深いらしく、タランドゥスたちは背中まで浸かっている。
村も群れに紛れて渡ることで少しでも危険を減らそうと、タイミングを見計らっている。
「気をつけろ!子供が流されないように!」
「べリス、しっかり掴まっていなさい」
アルマの腕がお腹に回された。
少し前に渡り龍の嵐が来たせいで馬もタランドゥスもかなり疲弊してる。龍災を恐れて一刻も早く移動をしたいのか、川幅が狭くて水深の深い所を渡ろうとしている。
ぐらりと揺れると、腰までが水に浸かった。アルマの腕が一層強く私を抱きしめた。
(にしても川の流れ早いな)
人や荷物を乗せたタランドゥスと馬の体がずんっ、ともう一度揺れると今度は胸あたりまで浸かる。
「ごほっ」
「べリス!」
口に水が入って溺れそう。いや、もう溺れているのか。
幸い、縄のおかげで流されてないけど、水圧で押されてお腹の結び目が痛い。
「べリス、しっかり!」
アルマの焦る表情。
あ——これヤバいやつだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「……なかったんだ!」
「……を言う! 一刻も……」
誰かが言い争ってる。うるさい、寝かしてくれ。
「……ぁ」
ゆっくりと瞼を開けると、じわじわとピントが合い始めた。銀糸の束がサラリと垂れてる。
「べリス、苦しいところはないか?」
(あれ、下からアングルのアルマじゃん。
――え、膝枕されてる??)
ズキン!
(痛い!)
喉が焼けるように痛い。周りもよく見えないし、とにかく苦しい。
「う、うわぁぁん!!!!」
「べリス!?」
あれ、なんでこんなに泣いてるの?
心まで子供になっちゃった?
身体中が熱くて痛くて、とにかく水を求めている。
「ベリス……! ベリス……!!」
アルマが見たことのない表情で私を覗き込む。そこで、私の意識は途絶えた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
高熱で朦朧とする意識の中、誰かの手が私の後頭部をそっと支えた。ぐったりとしていた私は、その手つきは、アルマのものではなかった。重たい瞼を持ち上げ、その人の顔を見た。
頭が元の位置に戻されると、冷たいもので冷やされる。
ミルクコーヒーをこぼしたような長い髪と優しげな目元。硬い手のひらが私の頭を撫でる。
(男の人?)
綺麗な人が、私の看病をしている。
「疲れただろう。もう寝なさい」
その声を聞いているうちに、重たかった瞼はゆっくりと落ちていった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「ベル〜、あーん♡」
こちら、少々気味の悪い話し方をする男は私の実父、ジェラルド。
そして、さっき看病してくれた男の正体でもある。
ミルクコーヒー色のさらりとした髪と青緑色の瞳でとんだ美男だが、私にこの話しかけ方はやめて欲しい。
ジェラルドはスプーンでお粥を掬って私の口に運ぶ。それに応えるように、されるがまま口を開けて飲み込む作業を繰り返した。
(なんで今になって父親が現れたんだ?)
色々話を聞いていると、ジェラルドこそが先遣隊の隊長を務めているらしい。
私が溺れたあと、先遣隊と村人は合流。
しかし、ずぶ濡れで気絶している私を見たジェラルドが激怒
至急テントを広げて村長と話し合い、というより怒鳴り合いしているところで私が目覚め、まさかのギャン泣き。
話し合いは中断、熱を出した私の看病で予定より四日も潰れたらしい。
村の足を引っ張ってしまって本当に申し訳ないし、ギャン泣きしてしまったのも恥ずかしい!!
「魔力暴走するとは思わなかったけど、幸いすぐに納まったし。子どもは時々やっちゃうものだからね」
そう、私は熱で意識を失っていた間に魔力暴走していた。
魔力暴走は子供には珍しくないらしい。無差別に攻撃してしまったり、あるいは誰も近づけない防御壁を作ったり。
私の場合、魔力が外へ向かず私自身に向かってしまったらしく、熱が長引いた。
そのせいで村は一時その場に留まることとなった。
(しかし、本当にアルマの隣に立っても差し支えないイケメンだな)
眼福、眼福。
まさか父親が、私の予想していたイケメンを越えてくるとは。このままでは私の目が肥えてしまう。
私は両手を合わせた。
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「う、うわぁああぁぁぁん!!!!」
べリスが泣いた。
産声以降、初めてだった。
天幕の中に、子どもの泣き声が響く。
「べリス!?」
ジェラルドが慌てて覗き込む。
熱い。
小さな身体が汗ばんでいる。
苦しそうに、浅く呼吸を繰り返していた。
川を渡った時のことだった。
一刻も早く安全な草原へ向かいたい。
嵐が来る前に天幕を張りたい。
焦りが、皆にあった。
だから先遣隊の忠告を無視して進んだ。
その結果がこれだ。
「なぜ忠告を聞かなかった!」
ジェラルドの怒声が、外で響いている。
川の流れが早く、急ぐ必要はないという忠告を、村長たちは無視した。
長く先遣隊に所属するジェラルドが怒るのも当然だ。
焦るべきではなかった。子供たちの、べリスの身の安全を思うなら、あの場で止めるべきだったのかもしれない。
「何を言う! あの川を越えねば──」
村長の誰かと言い争っているのだろう。
アルマは黙ったまま、べリスの額に触れる。
熱い。
あまりにも。
「情けない」
誰に向けた言葉だったのか、自分でも分からなかった。
もっと早く気づけたかもしれない。
腕の中で、娘の身体が水に沈んでいく感触が残っている。
「……ぁ」
その時だった。
べリスが目を開けた。
紫の瞳が、不安そうに揺れている。
「べリス、苦しいところはないか?」
違う。
聞きたいのはそんなことじゃない。
怖かっただろう。
苦しかっただろう。
そう言いたいのに、言葉が出てこない。
べリスの喉が、小さく震えた。
「ゔっ……」
次の瞬間。
「う、うわぁああぁぁぁん!!!!」
大きな泣き声だった。
アルマは目を見開いた。
いつも妙に落ち着いていて、大人びていて、泣きもしない子だった。
そのべリスが、声を上げて泣いている。
『アルマのとこ、転んでも泣きもしないわ』
『病気なんじゃないの?やぁね』
『違うわよ、きっと泣く度に口でも押えてたのよ。じゃなきゃ、あんな子供が泣かないわけないじゃない』
『まぁ、なんにせよ……』
不吉よねぇ――
――ああ。
ようやく。
ようやく、この子は。
アルマは、娘の小さな身体を強く抱き締めた。




