2話:母アルマ
生まれてから半年たった。
最近、寝返りできるようになり、それがマイブームになった。というのも、赤ちゃんはとても暇なので床をゴロゴロして筋肉を鍛えていることにしたのだ。これもおむつ替えを自分でできるようになるための訓練である。
アルマは基本的に私を背負って作業する。自分で歩かなくても色々なものが見れるのは面白い。家畜の乳しぼりを間近で見られたのは新鮮だった。
(わっ、びっくりした)
背後からタランドゥスがのそりとやって来た。私の足を嗅いでいる。くすぐったくて、体をくねらせた。
(トナカイってこんなに大きいっけ?)
馬に近いサイズ感のトナカイなんて見たことがない。それに他の家畜もちょっと大きいように思う。
(私が赤ちゃんだから?それとも異世界特有のやつ?)
大きな影が頭の上を横切った。
ファンタジー異世界には当然、みんな憧れのあの魔物もいる。
(うわっ!今空飛んでたのってドラゴン!?)
例えば、渡り鳥ならぬ渡り龍とか。
季節に合わせて移動するのが渡り龍。そして、渡り龍がいるところは低確率で悪天候になるそう。
(他の異世界にも渡り龍はいるのかな?)
この世界は疑問が尽きない。
それから私たち親子が暮らす村。五つの家族が固まって暮らしている。母娘二人なのはうちだけみたい。
「ほら、あの子がアルマの赤ん坊よ」
「まぁ、アルマに瓜二つ。父親の面影が一つもないじゃない」
(時々私たちの悪口言ってるのは気になるけど)
私には父親がいないらしい。はっきりそう断言できるわけではないけど、生まれてこの方、一度も父親を見かけていない。多分、死んでるんじゃなかろうか。
(アルマが聖母みたいに一人で私を生んだわけじゃないだろうし)
(父親が生きてたとしても、妻子放っぽって何してんの?って感じだし)
父親がいないことで問題は起きている。
歩くことも出来ない赤ちゃんを抱えた母親が、一人で家畜の世話にも追われてる。それを助ける人はいないし、移動の時に遅れをとれば冷たい目線だけを向けてくる。
「……」
アルマは決して泣かない。泣きたいだろうに、表情はいつも固くて冷たい。
帰ってこない父親が、見たこともない父親が、こんなにも憎たらしいなんて。
赤ちゃんの私はアルマの背中から、冷たい村人たちを眺めることしかできなかった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「本当に泣かないな」
お乳の後。絨毯の上に下ろされ、アルマは向かいのソファーに座って見つめてきた。
もしや本当に赤ちゃんか疑われてる?
「産声を上げたきり、一度も泣かないなんてこと…」
(そりゃあ中身は成人してる大人だからね)
そうか、赤ちゃんはもっと泣くのか。しかし今更泣いたところで違和感しかないだろうし…。
(心配だろうけど、私はこのスタイルを貫かさせていただきます!)
私はアルマから目線を逸らすようにして、色とりどりの独特の模様の絨毯を見つめた。
中央に描かれているのは、炉を抱えた女神だった。
炉の神ヘスティア。この土地では家庭を守る神として信仰されているらしい。
ヘスティアを描いたものを家に飾れば、家に降かかる厄災から守ってくれるのだとか。
(この世界では神様がもっと身近にいるんだな)
見渡せば家具に掘られた模様や木の置物、布の柄などには人や動物が象られたものが多い。
多分、神様や神獣の類いだろう。
まじまじと観察していると、アルマはため息をついて立ち上がった。
「少し外の様子を見てくる」
(おや、疑いは晴れたのかな?)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「お前はジェラルドによく似ている」
最近、アルマは私の顔を見るとこんなことを言うようになった。
秋、三度目の移動が終わり、私は歩けるようになった。一歳ちょっとで歩けるようになるのはエルフも人間も同じらしい。
アルマは私が勝手にどこかへ行かないか心配していたが、中身は空気の読める大人の私は人に心配かけるようなことはしない。人目のあるところでウロチョロするのが鉄則だ。
さて、『ジェラルド』だが多分、父親の名前だ。
(ようやく父親らしき人物の名前が知れて、私は嬉しいよ。)
アルマはあまり父親の話はしないので、ジェラルドの情報は少ない。強いていえば弓術に長けているらしい。
だけど、私は父親に似ていないらしいし…。
遺伝子検査の概念があるかどうかは別としても、アルマの遺伝子が濃いことは水に反射した自分の顔で確信している。
そのせいか、一部の村人は『私がジェラルドの実の子ではない』なんて馬鹿なことを囁いているらしい。
もちろん、アルマは知らないと信じたい。
(ジェラルドはどんな人なんだろう?)
案外むさ苦しいおっさんだったり?
どうせならイケメンがいい。アルマと並んでも差し支えないような美貌の持ち主ならなお良い。
しかし、生まれてから一年経って未だに会ったことは無い。
アルマはあいつは遠くに行ったって言ってたけど。
(やっぱり死んでるのかな…)
「うぅ」
「べリス?どうした」
私の予想が正しければアルマは未亡人ってわけで…。
アルマが顔を覗き込みながら私を抱き上げた。普段からあまり変わらない表情だが、若干眉尻が下がって見えなくもない。
私のためにこんなに頑張っている人が、どうして村に馴染めないのか。
悔しいな。
アルマ、大丈夫だよ。私があの人たちの噂も払い除けるから、母娘の二人仲良くやっていこう!
「あうあー!」
「ほ、本当にどうしたんだ?」
太陽の光に照らされた銀髪へ手を伸ばす。
腕の中で激しく動く私を、アルマは落とさないように抱き直した。
私の小さな手が、その銀髪をそっと撫でる。
「あーま!(アルマ!)」
それが、アルマが初めて娘に呼ばれた瞬間だった。




