Episode 2 一日目 奥飛騨
—カフェ探しの結果は惨敗だった。
見つけてもランチ営業が終わっていたり、そもそも定休日だったりで、なかなか営業中のお店が見つからない。
雪も降ってきて、その時傘を持っていないことにも気がついた。そう、雪が積もるということは雪が降るという当たり前のことが、雪なし県民には理解できていなかったのだ。駅に戻って雨宿りならぬ、雪宿りをしようか。
その時、営業中の看板がかかった喫茶店を見つけた。私の好きな、昭和の空気が感じられる、地元民に愛されてそうな、出入り口も小さい喫茶店。
迷わずドアを開けて店に入ると、案の定、カウンター席は常連さんが並んでいた。
「ごめんねぇ、お昼に出せるようなものがなくなっちゃったの。」
常連さんに声をかけられて私の存在に気がついた、店主と思われるおば様が私を席に案内しながら声をかけてくれた。
「大丈夫です。」
特急列車の中で軽食は済ませてあるし、宿の夜ごはんもおいしいだろうから、空腹にしておきたい。
私はホットココアをお願いした。
出てきたホットココアは、生クリームが切れ切れになった、いかにも手作りなもので、少しにやけてしまう。
一口飲むと、冷たい生クリームの後から、アツアツのココアが流れ込んできた。思わず、慌てて口からカップを離す。旅の序盤で火傷したら、その後ずっとひりひりしてしまう。そうならないように、添えてあったスプーンで、生クリームをしっかり溶かした。
少し経つと、カウンターにいた常連さんの何人かが帰り、すぐに常連らしい家族が入ってきた。
カウンターに座り、残った常連さんと会話が始まる。
聞くのは申し訳ないなと思いながらも、小さい店内で一番カウンターに近い席。聞こえてきてしまう。しかも、その内容が、一時間程度気を失っていて、目を覚ましたら子どもがお母さん、お母さんと言って泣いていた、というもの。こんなの医療従事者の私にとっては心配が勝ってしまうに決まってる。常連さんと話し込んでいたため、声をかける勇気はなかったが、その代わり、すぐに脳内会議が始まった。
脳血管系?でも麻痺や言語障害はなさそう。となると一過性?
そんなことを考えていたら、常連さんの一人が、低血糖じゃない?と。その後も話を聞いていると、以前低血糖で倒れたことがあったでしょ、とお母さんに指摘していた。地元コミュニティーはすごい。その常連さんは低血糖予防の具体的なアドバイスまでしていたため、隠れて勉強させてもらい、バス停に向かう時間になったので、後ろ髪を引かれながら会計をさせてもらった。
「騒がしくてごめんね。」
店主のおば様には気を使わせてしまったが、私としてはすごく収穫のあった三十分だった。
スーツケースを受け取り、バス停に向かうと少し列ができていた。少し混んでいるらしい。バスの定員に近くなってしまい、もしかしたらバスに乗れないかもと添乗員に言われてしまったが、無事バスに乗り込むことができた。
スーツケースはトランクルームに乗せてもらい、空いている席に座る。隣は男性で、私が座ると少し身を縮めてくれた。これから一時間半程度バスに揺られることになるのだが、その間ずっと身を縮めてもらうのはさすがに申し訳ない。しかし、向こうも気を使ってくれているわけだから、指摘するのも、と思い、バスの揺れに乗じて少し通路側に身体をずらした。
案の定、いつの間にか寝ていて、目を覚ますと雪で覆われた道を走っていた。道幅も当たり前のように狭い。
こんな道は運転したくないなぁと思っていると、前からバスが来た。すれ違えるほどの道幅があるとは思えない。すると、バスはバックを始め、少し道幅の広い崖ですれ違った。これが雪山を運転するバスの運転手というものか。やはりプロは違う。
奥飛騨温泉郷の入り口である平湯温泉に着いたとき、半分程度の乗客が降りた。隣の男性も降りたので、窓側に移動し、もともと座っていた場所に荷物を置かせてもらう。
ここからいくつかの停留所で一組ずつ乗客を降ろし、最後に残った私は、場所としては新穂高温泉の最奥にあたる停留所でバスを降りた。
歩道であろう場所に降りると、足首まで雪に埋もれた。スノーブーツを買って正解だった。バスの中ではスニーカーの旅行客も見かけたが、私は冷たくて凍傷になってしまう気がする。
なんとかスーツケースを雪が少ない場所に置き、宿に電話をかける。予約の時に、バス停に迎えに行くので電話をくださいと言ってくれていたのだ。その時は申し訳ないなと思っていたが、実際に来てみたらそんなことを思える雪の量ではなく、潔く電話をさせてもらう。
電話をして、雪で遊びながらお迎えを待つ。何年かに一度、住んでいる場所で降る濡れた雪ではなく、さらさらしていて粉砂糖のような雪だ。
すぐに車が到着し、スーツケースとともに乗り込む。
今年は雪が少ない、普段は膝くらいまで雪が積もる、などと話をしているうちに、ものの数分で宿についた。
宿は木のぬくもりが感じられる、小さな暖かい宿だった。ここならのんびり過ごせそうだ。
チェックインを行い、宿の説明を聞いて、部屋に案内してもらう。説明中にマフラーを椅子に置いて忘れてきてしまい、部屋まで届けてもらったのは余談だ。
部屋も畳に布団が敷いてある、暖かな和室だった。障子や畳を傷つけないよう、細心の注意を払って荷解きを行う。そして、お風呂の準備が済んだら、さっそく内風呂に向かう。
お風呂は全て貸し切りだった。大きな旅館の大浴場も様々な種類のお風呂が一つの場所にあって面白いが、他の人に気を遣うことなく入れる広いお風呂は最高だ。
今回入ったお風呂はガラス張りになっており、お風呂の中から雪山を見られた。日が落ちて少しうす暗くなった、山の静けさを感じられる最高のお風呂だ。お風呂はあまり好きなタイプではなく、普段はシャワーで済ませることが多いが、時々ゆっくり入るのもいいかもしれない。
あまり長く入っていると夜ごはんに遅れてしまうため、そこそこで出る。夜ごはんの後は露天風呂に行く予定なので、湯船に入る楽しみはとっておいた方がいい。
支度が終わってゆっくりしていると、夜ごはんの時間になった。
食堂へ向かうと、いい匂いがしてくる。
旅館の料理は品数も多く、いつも食べきれないのだが、今回はおいしすぎて全て食べきってしまった。特に、飛騨牛のローストビーフは柔らかく、今まで食べたどの牛肉より好きになった。また、ご飯もふわふわで甘く、お腹に余白があればおかわりしてしまいそうなほどだった。
「この後はどうされますか?この天候では露天風呂はおすすめできませんが…。」
食事中、そう言いながら宿の方が話しかけてくれた。
「強行突破する予定でした。」
つい、素で返事をしてしまう。
「そうですか。以前、吹雪の中露天風呂に入られたお客様が、髪の毛が凍ったとおっしゃっていたのでお気を付けください。あと、冷気でお湯の温度が下がりやすいので、こちらもお気を付けくださいね。」
私の返事に笑いながら送り出してくれて、その後、明日の予定などの相談もさせてもらった。
夜ごはんが終わり、お腹が満たされたところで、外にある露天風呂に向かうためにコートを着て部屋を出た。
ちょうど隣の部屋の一人旅のおじ様とすれ違う。
「いってらっしゃい。」
全然知らない人だが、人に「いってらっしゃい」と言ってもらえるのは心が暖かくなる。幸せな気持ちで長靴を履いて、外に出た。
雪が降っていて、すぐに黒いコートが白くなる。なんとか露天風呂まで向かい、コートを脱いではたくと、雪がさらさらと落ちた。湿った雪ではないので、すぐに落ちるらしい。
露天風呂はというと、お湯はぬるくなっていたが、雪見温泉が目的の今回の旅としては、最高だった。野生動物が出てきたらどうしようかなぁ、とのんきに入っていると、髪の毛の毛先が凍ってきたので、諦めて宿に戻ることにした。本当は星も見たかったが、この天候では仕方がない。
その後、祖母には風邪をひいたらどうするのと怒られたが、仕方がない。何事も経験、とりあえずやっておけ派の祖父と母に育てられたのだ。親子三代、似た者同士。旦那と娘がそうなら孫もそうだと思って諦めてもらおう。
しかし、やはり吹雪の中の露天風呂は寒かったので、宿に帰ってもう一度内風呂に入った。
心も体も温まって、ほかほかで部屋に戻る途中、漫画コーナーを見つけた。そして、その中に母親が絶賛していた漫画があることに気づき、一巻と二巻の合計二冊を拝借する。明日もあるので何冊もとはいかないが、少しは読み進めたい。部屋に戻って寝る準備を済まし、漫画の世界に入り込んだ。
結局、二巻読んだところで寝る時間になり、漫画コーナーに戻してから布団に入った。




