(16)完璧じゃないですか奥さん!!
今日の夢は最高だった。
『今日は李子のためにね、いーっぱいお菓子作ったの』
語尾にハートがつきそうなくらい愛らしく光はあたしを上目遣いで見つめると、抱きしめたいくらいの可愛らしい笑顔で苦手なお菓子作りをあたしのためだけに頑張ってくれたことを話してくれた。
モンブラン、チョコレートケーキ、バナナシュークリーム。
あたしの目の前には、デザートというデザートが選り取りみどりと並んでいる。
美味しい美味しいすっごい美味しい!
しかもそれが極上のお味で、とっても美味しかったんだ。
『この日のためにね、すっごく練習したんだよ?』
あたしが大絶賛するとすぐにそんな答えが返ってきた。なんて幸せなんだろうあたしは、としみじみ感じつつ何十個とお腹に入れていくあたし。
パクり、パクり。
でも、大量のお菓子があたしの胃袋に敷き詰められていくのに、何故かお腹が満足しそうにないことに気付いたわけ。それで、あ、これってもしかして夢? なんてことを今更ながら理解したあたしといえば、それからは欲望全開に行動し始めたのだった。
現実では絶対逃げられる背後からの抱擁だとか、膝枕してもらったりだとか、頭撫でたり、頬擦りあわせたり。
『も、もぅ。駄目だよそんな。でも、李子になら……』
うん、ほんと自分で言うのもなんだけどどんだけ光に飢えてるんだと思ってしまうくらい色々とした。それこそ産まれたばっかりの仔猫を可愛がるくらいに。だって、物凄く可愛いんだもん、光。恥じらって逃げる光ももちろん可愛いけど、無防備な光も新鮮ですっごく可愛い。
頬を染めてぱっちりとした瞳であたしを見つめてくる光は、胸が苦しくなるほどに愛おしくて。もしもこれが夢じゃなかったら鼻血でも出しちゃってたかもしれないほど。
『美味しい? 李子』
それで、最終的に光を膝の上に抱っこしながら俗にいう『あーん』をしあっていたわけだけど。幸せの限りを尽くしていたわけだけど。
残念なことに夢でもお菓子はなくなってしまっていくようで、あたしは最後の一つを食べ終わってしまっていたところだった。分かってはいたことだけど、しょぼーんなあたし。でも、ま、まだ光がいるしとあたしは思いながらまた幸せ心地で光の柔らかく雪のように白い頬を撫でていた。
そんなとき、光からやっぱり頬を染めながらニッコリ満面の笑みを見せられて、もう一つあるよ、なんて言ってくれて。
目の前に出てきたが、イチゴとか、バナナとか、果物のたくさん挟まったクレープだった。
『李子、はい。……あーん』
で、こんな可愛らしい光から『あーん』されたら、そりゃあもう思いきり勢いよく噛みついちゃうわけ。
もぐもぐ。もぐもぐ。
でも、何故かそこで、突然のボーイソプラノのような悲鳴が聞こえたんだよね。
それで、残念なことにあたしは最後のクレープを食べ終わる前に運悪く夢が覚めてしまったんだった。まだまだ、味を確かめてなかったのになぁ。まぁ、あそこまで出来たらもう満足なんだけど。
――で。
今は現実。目の前にはつい先ほどまでの幸せすぎる光景なんて広がっちゃいない。未だ胸はポカポカ暖かいけど、視界には光の姿なんてなかった。
周りには、なんと、何故か人だかり。
「んーっと」
な、ななな何ナニなにぃ!?
そう、幸せすぎる夢から起きたら、よく分からない状況に陥っていたのだった。
「み、みんな一体」
目の前には顔を歪めて手を抑えるケンちゃんの姿と、あたしとケンちゃんの周りを囲みながら呆けた瞳であたし達を見つめるクラスの皆さん。
当然、あたしは状況なんて飲み込めないわけで。今まで幸せの絶頂期だったわけで。
「えと、んっと……ありゃ」
とりあえず目を擦りながら目の前のケンちゃんに視線を戻すと、代わりにとあることに気が付いてしまった。
「わ! ケンちゃんどうしたの? それ。すっごく痛そうだよ……!?」
それはケンちゃんの手の甲に物凄く痛そうな歯形がついていたからなわけで。ギザギザの形に白くなっていて、すごく痛々しい。
「早く手当しないと!」
「ぷ……」
「へ?」
「くくっ、あははははははっ!!」
えええええ?
でも、あたしがそう問いかけると、何故か周りのみんなは笑い出した。ケンちゃんの身体が、ぷるぷると震えている。
どうしたんだろう? 痛みでかな。
「大丈夫? ケンちゃん」
「……う、うるせぇッ!」
お、怒ってる!?
突然、親の敵を見るような目であたしを睨んできたケンちゃん。
い、一体何で……!?
あたし何もしてないのに。だって今まで寝てたんだもの。
「ちょ、もしかして俺なんかした!?」
あたし、まさか寝ている間にもみんなに迷惑かけちゃったんだろうか。寝相とか寝言とかその他もろもろとか! ……消えたい。
「け、ケンちゃん……?」
あたしは、おそるおそる問いかける。
てゆか、周りが何故こんな笑ってるのかが気になるんですけど。相良も口に手を添えて笑ってるし。
「お前ら……」
そして、顔を赤くケンちゃんは可愛らしい顔を歪めると、何やら周りを一睨みして、あたしに視線を戻す。
「……もういい」
「そ、そう?」
ぷいっとそっぽ向くケンちゃん。あたしが問いかけると仏頂面で視線をそらしたままケンちゃんは頷いた。とりあえず、一件落着らしい。よく分からないけど。ほんとよく分かんないけど、ごめんね? ケンちゃん。
「ええっと、ところで」
それで、ちょっと周りの謎な笑いに疑問に思いつつ、さらに疑問に思ったことを問いかけた。
「……揃いも揃ってみなさんなんなんでしょうか? なんで、俺の周りに集まってんの?」
まさかよだれついてないよね、と右手で口元を確認しながら。
あたしの周りに集まる理由が分からない。だってあたし寝てたのにさ。
「あぁ、実は、さ」
あたしが問いかけると、目が一瞬相良と合う。相良は、これ、と一枚の用紙を差し出した。
――ベルサイユのばら。配役表。
そこには、そう書かれている。
「あ、ベルばらっ」
「え? 知ってんのか? 李緒」
「うんー、漫画見てたからさ」
あたしがそう答えるとへぇ、と意外そうに隣にいたトモダチが声をあげた。
そんな様子に、男の子は見ないもんなんだろうか、ベルばらとか、と首を捻る。あたしの元中の女の子の中じゃ結構流行ってたんだけどなー。やっぱり少女漫画は男の子には遠い存在らしい。
「で、これ……って!? てゆか、今まさかHRの時間!!?」
「今更かよッ」
それまであたしから視線を逸らしていたケンちゃんからのナイス突っ込み。
「ぷっ……」
周りで吹き出す声がする。そしてそんなことはお構いなしにあたしは教室内にある掛け時計に目を移した。
なんと、HRはあと十分ほどで終わろうとしていた。
「って俺何分寝てたんだよ……」
英語の授業から換算すれば、軽く一時間近く寝ている計算になる寝てたんだあたし……。どおりで、眠気がもうほとんど吹っ飛んでいるわけだ。
ていうか、寝てたんなら起こしてほしいんですけど。特に先生。そう思って教卓に座っている担任の先生のほうをちらりと見ると、様子をうかがっていた彼は笑って「よく眠れたかー」とあたしに問いかけた。「眠れたけど、微妙に置いてけぼりされた気分ですーっ!」。
そんな風に、あたしと先生がちょっとした談笑を交わし終えると、相良が口を開いた。
「李緒、投票で決まったんだけど、別にベルばらでいいよな? 今更変えれないだろうけど」
「あ、うん。もちろんっ。俺この話好きだしー」
「そっか。なら良かった。お前寝てたからちょっと心配だったからさ」
「いいよ、そんなのー」
苦笑して問いかける相良に喜んで頷くあたし。
昔ハマったお話なのでとっても懐かしいのも確かだし、去年は合唱だけだったので、みんなで力を合わせてやる劇なんてほんとに楽しそうだったからだった。今なら、男の子たちとも友達関係だから、一緒に楽しめるしね。
「結構前に見たからあんまり覚えてないけど、盛り上がりそうな内容だよね」
男装の麗人に、昼ドラ展開に、熱い決闘! そして悲しい悲しい別れ。
あたしが見たのは漫画だけだったけど、なんとも言えない面白さだった。
そんな風に、ちょっとうきうきとした気分になりながら手元の配役表を見ていると、今更ながらあることに気づいてしまった。
「……あれ」
「どうした?」
あたしがぽつりと疑問を口にすると、相良がそれを拾う。
「ねね、まだ配役決まってないんだ?」
手元の用紙には、相良の名前が一つだけ。それ以外は空欄なわけで。
「それとももう決まっちゃってたりする? 書いてないだけで。主役とか」
「あぁ、女子のほうは」
相良はそう言いかけ、視線をあたしの席の後ろ側に移す。
あたしもそれに釣られて席の後ろ側を振り返ると――。
「あ、千代」
ボーイッシュな短めな髪形の、可愛いというより綺麗という言葉の似合う女の子が立っていた。背後にいたから全然気付かなかったらしい。
「こっちは、決まってるわよ」
千代は何故だか頬を赤らめながら頷く。千代ももしかして笑ってたのかな?
あたしは千代の話に耳を傾ける。
「オスカル役は私で、アントワネット役が光」
「へーっ」
綺麗な子と可愛いらしい子。
感覚的にオスカルは美女でアントワネットは美少女ってイメージがあるから、ちょうどいいんじゃないかな、と思う。しかも光と千代は学園の中でも物凄く人気があるから、これは大成功しそうだった。メンバーだけでもお客が来る気がする。
「それで、男役の主役さんのほうは?」
あたしは気軽に問いかける。こんなにヒロインが目立っているんだから、相良は確定かな、なんて。だって、うちのクラスで一番かっこいいのは断然相良だし。男の子で可愛いのはケンちゃんだけど。
すると案の定相良は「俺と……」と言って、あたしを見つめた。
そして、何故かあたしから目を離そうとしない。
「え、何??」
ま、まさか……!?
なんだか嫌な予感が出て、問いかけた。相良は言い淀んでいるようで、頬を二度掻くと、
「あのさ、李緒。悪いんだけ」
「李緒、お前だよ。お・ま・え」
相良が申し訳なさそうにいうのに対し、あたしの目の前の席に座るケンちゃんはぶっきらぼうにそう言い切った。
「へっ……!?」
誰が主役って!? あたしが!!?
予想していたけど、的中して欲しくなかった予感。
まさか……冗談だよね? よね?
きょろきょろと周りを見るけれど、うんうんと頷くみんな。相良まで困ったように頷くから手に負えない。
「いや、止めはしたんだけど、さ……」
相良が苦笑を交えつつ、悪いな、止め切れなかったと最後に言った。相良が言うからには、本気の本気みたいだった。
「ま、マジで……」
やっぱり、寝てたからその罰として決定しちゃったんだろうなぁ。
クラスのみんな、先生。よく寝かせてくれてありがとう。感謝します。でも、ちょっと恨みます。
っていうか。
(……これ、い、いぢめですか?)
心中で軽く泣きそうになりながら思う。
せめてさ、やる人がいないなら投票とかあるじゃん! それで人気のある人が選ばれたりするもんでしょ? カッコいい人とか、面白い人とか、リーダーシップのある人とかっ! 全部ないあたしなんかがなんで。……うぅっ。
目立つのは嫌いじゃないよ。劇をするのも嫌いじゃない。楽しいしね?
でもでも、正直、ネタならいいけどこの主役陣を見て、うんとはちょっと言いにくい状況だった。
「えーっと、その。もしかして、みんなの総意だったりするのかな」
「あー……うん。まぁ、一応、そうだな」
相良がやっぱり困ったように小さく頷く。もしかして、というか絶対優しい相良のことだから、頑張って止めてくれたんだろうなぁ。寝てる人間に押し付けちゃ駄目っていう。
でも、やっぱりみんなの総意なら、やるべきなのかな……でもなぁ。
けどけど、ここで断って空気を悪くする嫌だなぁ、とも思う。性格が悪いとか思われたら、本気で嫌だ。
「んー……」
「李緒、嫌なら別に断ってもいいんだぞ?」
気遣ったようにあたしに言ってくれる相良。やっぱり相良は優しいなぁ。
悩むあたしは、視線を手元の移す。アンドレ、フェルゼン、そこにはそれ以外にも脇役がたくさん載っていて。
(……うー、あたしも脇役がいいなー。脇役ならそんなに目立たない役割だから適材適所だし。それに別に裏方でも――あっ)
その時、とあることに気づく。
相良の名前はアンドレとフェルゼンの欄の隣に書かれているだけ。と、いうことは、まだ相良もこの二つは選んでいないというわけで。たぶん、今言ったらアンドレかフェルゼンかは選べるのではなかろうか。
脳裏に、世界で一番親愛なる友人の姿が浮ぶ。
「あ、あのさ、みんな」
「ん。やっぱり辞めるか?」
相良が苦笑して問いかけるのに対して、あたしは首を横に振った。
「ううん。……あのさ、俺。やってもいい? アンドレ役」
ごくり、と喉を鳴らす。
おお、と周りのみんなが楽しそうにどよめいた。
「李緒、本当にいいのか? 嫌だったら抽選にでもしようかと思っていたんだけど」
「そりゃああんまりやりたくはないとは初め思ったけど」
驚いたように相良が問いかけるのに対して、少し笑って返す。
だってあたしは別に、目立つこと自体は嫌じゃないから。ただ、自分には不釣合いな気がしているだけで。それがなければ、むしろ主役なんて本当に楽しそう。
それに、やらなくちゃいけないことも、出来たしね?
「でも。よく考えたら楽しそうだし。みんながいいなら、やりたい、かな」
「マジ?」
「マジ!!」
ケンちゃんの声に元気よくあたしは返す。いっぱい練習して、絶対みんなで成功させるようにしよう。あたしはそう胸に誓った。やっぱり、やるからには楽しくやらないとね。
……で。
あたしは『光と相良、らぶらぶ大作戦っ!』のことを念頭に置き計画を立てることができた。相良と光が主役格で、これで接点作りは成功。文化祭は夏休み中も学校に出てこなきゃなんないから、遊びの話なんていくらでもできる。
しかも、しかもだよ?
これで、二人は劇中では恋人役! 完璧じゃないですか奥さん!!
そう、これで目標に一気に近づけたのだった。
――あたしは、その時、希望が出てきたことによって気分が高揚していた。
だからこそ、余計に、遠くからあたし達の動向を見守っていた、少女の小さな呟きなんて聞こえるはずもなかったのだろう。耳を澄ましても、聞こえないくらい小さな呟きを。
「……どういう、こと?」
今は学校から帰宅中。夕方だというのに周りはまだまだ明るく、昼のよう。本格的に夏に入る手前のような感じだった。
歩道を歩くあたしの隣には天使のように可愛らしい少女、光がいる。
あたし達は歩きながら、昔のことを話していた。
「ほんと昔流行ったよねー、ベルばら。みんなで回し読みしたりして」
「うん、そうだね」
すると光は頷き、あたしに笑みをやった。
「そういえば、あの時――」
あたしは、それに続く会話を出しながら、思っていた。
(……っかしいなぁ?)
どうも、今日の光が大人しい。なんだか変な感じだ。なんだか、光には失礼だけど、作り物の笑みのような。心からの笑みじゃないというか。
あたしも朝変だったけど、光も寝不足だったりするのだろうか。でも、今朝は普通だったはず。いつものように心からの胸躍る笑みをあたしに見せてくれていたし、今みたいな雰囲気ではなかった。
でも、思い返しても原因は分からないし……。
そんな風に思案していると、とある結論に思い至った。
まさか……?
「ねぇ、光」
あたしはまさか、と思うと光の手を引き、胸の中に収めた。
胸に収めるのは、彼女の体温も知りたかったから。
「り、李緒……?」
戸惑いの瞳であたしを見つめてくる光。少しいい匂いがして癒されつつ、可愛いと思いながらもぴったりと光の染み一つない綺麗なおでこに手を当てた。
「ん……」
光はきゅっと目を瞑る。
「んー……」
あたしは唸った。
おでこはたぶん、平熱。だんだん熱くなっていっている気がするけれど、たぶんあたしの勘違いだろうか。
あたしは光から手を離すと。
「熱は、ないよね……良かった」
そう小さく呟いた。ほんと、ほっとした。
「突然どうしたの? 李緒」
「いや、ちょっと今日は何ていうか……こんなこと言ってもいいのか分かんないけど、おかしい感じがしたからさ」
光が少しいつもの彼女ではないことなんて鈍感なあたしでもすぐに感づけた。
だって、少し態度がおかしいから。
笑い方もぎこちないし、雰囲気もいつもと違う。
もしかして熱でもあるのかと思ったのだけど、違う様子。
じゃあ、どうして?
ほっと思う反面、もしかして悩み事でもあるのだろうかと思ってしまう。
「ねぇ、悩んでることって、ある?」
あたしは光から手を離すと、また歩きつつ問いかけた。
もし悩みでもあるのなら、あたしの家はもう見えるような位置にあるから家で相談に乗ろう。それで、悩みが解決するまで光が嫌って言ってもずっと一緒にいよう。そう決意する。
すると。
「李緒」
あたしを呼ぶ光の声。光は、小さく下を向いていた。
だから、その時、光はどんな表情をしていたのかはよく分からない。
「うん?」
「……ねぇ、李緒? どうして、フェルゼン役、じゃないの?」
光が、何かあたしの真意を探るように問いかけてくる。
「どうしてって、選ばれたらやっぱりやっといたほうがいいかなって。よく考えたら楽しそうだしね。と、家だ」
そこで、あたしは自宅の前についたことに気づいた。後は、あたしの家で話したほうがいいかもしれない。
中に入ろっか、とあたしが誘おうとしたその時、また光が問いかけてきた。今度は、あたしの目を見て。
「……じゃあ、どうしてアンドレ役にしたの?」
「え? や、アンドレ役のほうが純粋に楽しそうだと思って」
本当は、アンドレよりもフェルゼンのほうがやりたい。でも、フェルゼン役は相良じゃないと、アントワネット役の光と接点を合わせにくいからなんだよね。
でも、そんなことはまだ言えない。だって、あたしは光の好きな人を知らない設定だから。
「ふぅん……」
あたしが返事をすると、光は感情の見えない透き通った瞳であたしを見つめた。
表情も全く作っておらず、無表情。何とも言えず、ごくりと唾を飲み込んでしまう。
「光……?」
やっと喉から出てきたのは、彼女の名前。小さく、不安になって光の名前を呼んだのだった。光、今何を思っているの?
あたしは、こんな光を一度も見た覚えがない。長年付き合っているのに、ただの一度も。
そう。まるで、睨んでるような、そんな見つめ方だった。
――え? 光があたしを。
睨ん、で?
「嘘つき」
「――!?」
はっと思った時には、光は背中を向けて家の門の前で立ち止まるあたしから視線を外し、あたしが想像すらしていなかった言葉を放つと、足早にこの場所から歩き去っていく。
「ひか……り?」
あたしは、その後ろ姿をじっと見つめることしかできなかったのだった。