第26話 鉱石採掘と、理不尽な鞭
魔法のタガネが岩盤を穿つたび、硬い岩がまるで乾いた土のようにパラパラと崩れ落ちていく。
エフェスがリズム良く岩肌を削り落としていると、ふいにカキッと違う手応えがあり、くすんだ灰色の岩壁の中から、淡い緑色をした半透明の石が顔を出した。
「ボルムのおっちゃん。これ、周りの石と色が違うけど、何の石かな?」
エフェスが指差すと、ボルムは作業の手を止めて壁に顔を近づけ、目を細めた。
「お、こりゃあ『緑蛍石』の原石だな。周りの石英の混じり具合と、この八面体に割れる結晶の形からして十中八九間違いない。属性で言うなら、風や水系の魔法機器によく使われる中級の魔法石だ」
「へー! 魔法石って、色で属性が違うんやね」
「まぁな。だが、その属性を表す色でも、石の純度やクラス次第では色々な属性の魔法機器に転用できるから、あくまでも目安だぞ」
ボルムの職人らしい解説を聞きながら、エフェスはふと何かを思い出したように、岩陰に隠していた自分の荷物袋をごそごそと漁り、一つの石を取り出した。
「ボルムのおっちゃん、じゃあ、この石は何の石か分かる?」
「ん? どれ……って、こりゃあたまげた!」
ボルムは受け取った石を見るなり、目を丸くして息を呑んだ。
「見事な『ピンクトルマリン』の原石じゃねえか……! 白い花崗岩が端に残っちゃいるが、角がこれほど丸く滑らかに削られてるってことは……お前さん、これ、川で見つけたな?」
「えっ、すげぇ! 石を見ただけで、どこにあったかまで分かるん!?」
「そりゃあ、石の擦れ方を見れば自然と分かるが……わしも、こんな見事な石は初めて見たぞ」
「へへへ。じゃあ、こっちは?」
自分の見つけた石を褒められ、少し得意になったエフェスは、次にエセルから首飾りのようにもらっていた『角の石』を見せた。
「なんだ、一見ただの石ころのようだが……」
ボルムは真剣な眼差しで、その石の表面や質感を指でなぞる。しかし、やがて確信が持てないように首を振った。
「いや、これは石じゃない。魔獣か何かの『角』の化石だ……。わしは鉱山の石が専門だから角には詳しくないが、魔法石の専門家なら価値が分かるだろうな」
「ふーん、残念」
「それより、そのピンクトルマリンの原石は絶対に隠しておきなさい。ここの野盗どもに奪われるには勿体なさすぎる。わしは実物を見るのは初めてだが、雷の魔法に使われる魔法石で、アルケテロス教圏じゃあ飛び上がるほどの高値で取引される上物だ。もし上手くここを脱出できたら、わしが綺麗に研磨して加工してやろう」
ドワーフの血が騒いだのか、ボルムは少し興奮気味に鼻息を荒くした。
「うひひ、じゃあその時はよろしくばい!」
エフェスは嬉しそうに笑い、二つの石を再び荷物袋の奥深くへと隠した。
そうこうしていると、後ろから足音が近づき、ガルドが誰かと喋る声が聞こえてきた。
「あ、ジークの兄貴だべ」
「親父は一番奥か?」
「んだべ」
エフェスが振り返ると、そこにはボルムやガルドと同じドワーフの青年が立っていた。
横幅が広く、まるで岩そのものが歩いているかのような隆々たる筋肉質の体。顔の半分を覆う髭は煤で真っ黒に汚れ、鋭い眼光だけが暗闇の中で光っている。
「親父。幹部のポルが、親父を連れ戻して『魔法石の加工をさせろ』ってさ。おそらく、上の坑道で何か原石が手に入ったんだろう」
「こっちでも緑蛍石の原石が出たところだ、ジーク。研磨が必要なら行くしかないな」
ジークは深く頷き、エフェスへ鋭い視線を向けた。
「親父、そいつは誰だ?」
「おいはエフェス。今、ボルムのおっちゃんに色々採掘のことば教えてもらっとるところばい」
「……ふん。そうか。とにかく親父はその原石を持って研磨場へ向かってくれ。あとは、俺がここを担当する」
「分かった」
ボルムはジークにエフェスの素性と状況を小声でざっと説明すると、道具を片付けて入り口の方向へと向かっていった。
◇
ジークは、父親や弟と違って一切の無駄口を叩かず、ただひたすら黙々とツルハシを振るって岩を砕いていた。
エフェスやジークが掘り出したただの石片が足元に溜まってくると、ガルドがそれを背負い籠に入れて運び出そうとした。そこで、ジークがピタリと手を止め、ガルドに声をかけた。
「ガルド。そいつを『廃棄用の崖穴』まで連れて行け。坑道の入り口から外に出られるだろう。外の様子……シギロア村の連中の配置を確認してこい」
「なるほど、さすが兄貴だべ! じゃあエフェス、俺について来るんだべ」
「よかけど……ジークは一人で大丈夫と?」
エフェスが気遣うように尋ねるが、ジークは「俺のことは気にするな。いいから行け」と短く返し、再びツルハシを振るい始めた。
振り返らないその広い背中には、過去に見張りに打たれたであろう無数の痛々しい鞭の傷跡が刻まれていたが、それすらも物ともしない鋼のような筋肉が、不思議な頼もしさを感じさせた。
エフェスは、ガルドが持ってきた死人の足枷を両足に仮留めし、入り口へと歩き出した。
実際に足枷をつけて歩いてみると、ズシリと重い鉄の感触と、歩幅を強制的に制限される不自由さが直接足に伝わってくる。チャキッ、チャキッという鉄の鳴る音が坑道に響くたび、エフェスは奴隷たちの気が滅入る理由を肌で理解した。
(何日も、何週間も……この生活が一生続くと考えたら、そりゃあ皆、声も出せんくなるばい……)
そんなことを考えながら重い石を運んでいると、前を歩くガルドが恐怖を滲ませた声で囁いた。
「エ、エフェス……見張りのギィが来たべ……バレないように、下を向いてるんだべ……!」
前方から、松明の明かりを揺らしながら一人の男が歩いてくる。
少し背が高く、ぼさぼさの髭。奴隷ほどではないが薄汚れたトーブとシュマッグ(頭巾)を身にまとい、腰に革の鞭を下げた、いかにも野盗という風貌の男――ギィだ。
エフェスは、朝に見た奴隷たちの様子を思い出し、できるだけ無気力で生気のない顔を作りながら、ギィの横を通り過ぎようとした。
「おうおう、運べ運べお前ら。俺たちのためにたんまり働けよ!」
ギィは機嫌悪そうに怒鳴ったが、とくにエフェスが新顔であることには気づいていないようだった。
上手くやり過ごせた――そう思い、そのまま入り口へ向かおうとした、その直後。
バチィィインッ!
「あーッ!」
背後から突然放たれた鞭が、ガルドの背中を容赦なく叩き据えた。
思わず膝から崩れ落ちたガルドは、背負っていた籠を傾け、運んでいた石片を地面にぶちまけてしまった。
「ひゃははは!」
それを見たギィは、嗜虐的な笑い声を上げながら、倒れたガルドに向けて何度も鞭を振り下ろした。
「おら! おら! 何を落としてんだ! 石をこぼして仕事サボろうと考えてるんじゃねぇぞ、給料泥棒が!」
「ウッ! 痛ッ! 勘弁してくだ……アッ!」
理由のない、ただの憂さ晴らしの暴力。
それを見たエフェスの目に、瞬時に殺気が宿った。
(この野郎……ッ!)
エフェスがギィに向かって振り返り、飛びかかろうとした瞬間――地面に這いつくばるガルドが、涙を浮かべながらも強い目でエフェスを睨みつけた。
(やめるんだべ! 今は歯向かっちゃだめだべ!)
その無言の叫びに、エフェスはギリッと奥歯を噛み締め、踏み出しかけた足を止めた。
すると、ガルドを殴るのに飽きたのか、ギィの矛先が立ち尽くすエフェスへと変わった。
「おら! お前も突っ立ってねぇで、早く拾って手伝ってやるんだよ! このグズがッ!」
バチィィインッ!
空気を裂く音とともに、ギィの鞭がエフェスの背中を強打した。
「……」
しかし、エフェスは微動だにしなかった。
「この給料泥棒! 給料泥棒め!」
バチィンッ! バチィィンッ!
何度も鞭が打ち下ろされるが、エフェスは無言のまま、全く表情を変えずに地面の石を拾おうとしている。
ギィからはエフェスの顔は見えていなかったが、下からその様子を見ていたガルドは、涼しい顔で鞭を浴び続けるエフェスの異常さに血の気が引いた。
(エ、エフェス! 倒れるんだべ! 俺と同じように、痛がって倒れるんだべ!)
ガルドが必死の形相で小声で叫ぶと、エフェスはハッとして(あっ、倒れんばか!)と目配せを返し、わざとらしくヨロヨロとよろめいて地面に倒れ込んだ。
「……あー」
ひどく間の抜けた、感情の一切こもっていない棒読みの悲鳴だった。
しかし、奴隷が倒れ伏した姿を見て満足したのか、ギィは鼻を鳴らした。
「たく、ちゃんと見てないとすぐサボる給料泥棒めが……俺の目を誤魔化せると思うなよ……」
そう吐き捨てると、ギィは鞭をしならせながら、ジークのいる最奥部へと歩き去っていった。
◇
ギィの足音が完全に消えたのを確認し、二人は起き上がって石を再び籠に入れ直した。
「大丈夫か、ガルド? 立てるか?」
「いてて……まぁ、なんとかだべ。勝手な言いがかりをつけてくるのは分かってるんだけど、毎回意味が分からないんだべ」
「確かにな。『きゅうりょうどろぼう』って、どういう意味だ? って思ったばい」
エフェスが首を傾げると、ガルドは痛む背中をさすりながらため息をついた。
「そもそも俺たち奴隷は給料なんてもらってねえべさ。言葉の意味も知らねえで使ってるんだべ」
ガルドはそこまで言って、信じられないという目でエフェスを見つめた。
「それよりお前……なんで無表情で鞭を受けられるんだべ! 逆に怖かったんだべ! 痛くなかったのか!?」
「ん? 少しは痛かったけど……」
エフェスは背中をポリポリと掻きながら、あっけらかんと答えた。
「母ちゃんの毎日の稽古とか、こないだの『森の主(鎧猪)』と戦った時に喰らった一撃に比べたら、こんなの蚊に刺されたみたいに痒か程度ばい」
「…………そ、そうか」
ガルドは引きつった笑いを浮かべ、それ以上追求するのを諦めた。
非情な見張りであるギィの言動が、ただの憂さ晴らしの八つ当たりであることは理解できる。しかし、目の前にいる少年の「母の稽古」や「鎧猪の一撃」という、鞭の痛みを無効化するほどの異常な比較基準については、ドワーフの常識をもってしても全く理解が及ばなかったのだ。
そんなことを思いながら、二人は足枷を引きずり、光の差し込む坑道の入り口へと向かっていった。




