第24話 ウィグル鉱山の朝
星霊暦五〇四年二月一日、金曜日。早朝。
「おい! お前ら、仕事の時間だ! さっさと起きやがれ!」
鉄格子のドアをガンガンと乱暴に叩き鳴らす音と、野盗の野卑な怒声。それが、奴隷たちの過酷な一日を強制的に幕開けさせる合図だった。
太陽が昇る前の薄明かりの中、収容施設からゾロゾロと足枷を引きずった奴隷たちが這い出してくる。鎖の重みで足取りは泥のように重く、走ることができないよう歩幅も狭く制限されている。徹底した管理体制が、彼らから逃走の気力すら奪っていた。
奴隷たちはそれぞれ各坑道の入り口へと向かい、前日の採掘作業で出た土砂の廃棄や、運搬用具の片付けを黙々と始めた。
重い土砂を運びながら、若きドワーフのガルドが、隣で働く父親のボルムに小声で囁いた。
「父ちゃん。この様子だと、昨晩やってきたエフェスって坊主……うまく逃げられたってことかな」
「かもな。あの後、野盗どもが騒ぐようなこともなかった。無事に逃げおおせたんだろうよ」
「たく、まさかこんな所に一人で来るなんて、とんでもなく無茶な野郎だべ」
「ガルド、無駄口を叩くな。見張りに目をつけられたら、また鞭で打たれるぞ」
「……んだべ」
自分たちもそうだが、ここにいる奴隷全員は朝から晩まで過酷な肉体労働を強いられているため、基本的に無駄話をする気力など残っていない。
特に、体が頑強にできているドワーフ族は、鉱山の奥深くに入り、硬い岩盤を砕いて鉱脈を掘り進めるという最も過酷で危険な仕事を割り当てられている。
ここ最近増えてきたエルフなどの植物民族の奴隷たちは、坑道内ではすぐに倒れて使い物にならないとされ、主に鉱山外での作業をやらされていた。ドワーフの奴隷たちから見れば、まだいくらか手加減された作業に思えた。
なんにせよ、この鉱山で、しかも早朝から私語を交わす行為はひどく目立つ。無気力に従順なふりをしていなければ、容赦のない暴力が飛んでくるのだ。
そんなことを思いながら、ボルムたちは土砂を『廃棄用の崖穴』へと捨てる作業を続けた。
誰もが一度は「ここから逃げられないか」と考える。しかし、足枷の重さと、目の前にぽっかりと口を開けるこの崖穴の絶望的な深さが、その希望を幾度となく打ち砕いてきた。
残飯、不要物、そして死体。すべての廃棄物がこの穴に捨てられてきたが、底がどこまであるのか分からないほど反響音すら返ってこない。絶望した奴隷たちが、自ら命を絶とうと何度も身を投げた場所でもある。
労働力が減るのを許さない野盗たちの監視の目も常に光っており、ボルムもまた「無駄なことを考えるのはやめよう」と、自分自身に言い聞かせていた。
やがて太陽がウィグル一帯を照らし始めた頃には、長時間の空腹と疲労で全身から力が抜け、フラフラとその場に倒れ込む者が数名現れた。
しかし、誰も助け起こすことはできない。倒れた者に容赦なく鞭が打ち下ろされる乾いた音を聞きながら、皆、感情を殺してただ作業を続けた。
ある程度片付けが終わった八時頃。鉱山に近いウィグル村の食堂の裏手で、ようやく奴隷たちへの朝食が配給された。
冷え切った薄い麦粥と、石のように硬い一切れの黒パン、そして泥水のようなお茶。
「味わう」という感覚をとうに忘れそうになるほど繰り返された粗末な食事を、誰も一言も発することなくただ貪る。
空になった麦粥の器とコップは、エルフの奴隷たちによって回収され、洗われることもなく乱雑に戸棚へと収められた。
ピシャァァンッ!
空気を裂くような鋭い鞭の音が、短い朝食の終わりを告げた。
坑道の入り口に太陽の光が差し込む頃、ボルムたちドワーフや、まだ足に力が入る者たちが、ツルハシとタガネを手にそれぞれの坑道へと飲み込まれていった。
坑道の奥に日の光は届かない。ボルムは一足先に、等間隔に設置されている『鉱山用ランプの魔法機器』と『空調用の魔法機器』のスイッチを入れながら、暗闇の奥へ奥へと進んでいった。
入り口から百五十メートルほど進んだところに、アリの巣のように枝分かれした横穴が二箇所ほどある。ボルムがそこを通り過ぎ、自身の担当である最深部へ向かおうとした、その時だった。
「えらい遅かったね。おい、腹が減ってきたばい」
「ウワァァァァッ!!?」
横穴の暗がりから不意に何者かが飛び出してきて、ボルムは心臓が止まるかと思うほどの絶叫を上げてしまった。
その声は、静まり返った坑道全体にビリビリと反響した。
「しーッ! しーッ! ボルムのおっちゃん、うるさいよ! おいがここに入ったことがバレるやん!」
「エ……エフェスくん!? なんで君がここにいるんだね!? 昨日のうちに逃げたんじゃなかったのかい!?」
暗闇から顔を出したのは、紛れもなく昨晩出会った少年、エフェスだった。
しかし、よく見ると昨晩着ていた赤い服ではなく、ボルムが渡した毛布の切れ端のようなものを腰に巻き、全身を薄汚く土で汚した格好になっていた。
「親父ーッ! なんかあったんだべ! 大丈夫かーッ!」
入り口の方から、ガルドの焦ったような声が響いてきた。
「だ……大丈夫だ! いきなりデカいコウモリが飛び出してきて驚いただけだ! 見張りの連中に聞かれたら、問題ねえと伝えてくれ!」
「了解だべー!」
普段は絶対に出さないような大声を出し、ボルムは久しぶりに喉を掠れさせた。
この子どもは、一体どうやって、何のためにこんな真似をしているのか。全く理解が追いつかなかったが、とにかく見張りの野盗に気づかれないよう、ボルムはエフェスを急いで坑道のさらに奥へと連れ込むことにした。
◇
「エフェスくん。君の服や木剣はどうしたんだ? 荷物があっただろう」
エフェスを伴って坑道の奥へ歩きながら、ボルムは一番気になった簡単な疑問からぶつけた。何故ここにいるのかという根本的な問いは、落ち着いてからにするしかなかった。
「あ、そいなら、この横穴の奥に隠してあるけど……どっかに置いておいた方が良かかね?」
「とりあえず、私と一緒に坑道の奥まで持ってきなさい。手前の横穴は私の担当場所じゃないから見つかるかもしれん。奥なら、道具を隠す場所はどうとでも作れるからな」
「うん、わかった。ありがと」
エフェスは、命の危険がある奴隷鉱山の中だというのに、まるで近所の裏山を探検でもしているかのような軽い足取りで、ボルムに連れられて歩いていた。
そして、壁に等間隔で設置されている魔石の光を見るなり、目を輝かせて尋ねてきた。
「ボルムのおっちゃん。この火って、どうやって点いとると? もしかして、魔法機器ってやつ?」
「あぁ、そうだ。鉱山用ランプの魔法機器なんだが、このスイッチを右にカチッと音が鳴るまで回すと、ほら、こうして中の魔法石が光を発するんだ」
「おー、スゲー! ……って、なんで普通の松明じゃダメなん? 魔法機器なんて、なんか凄いものやろうけん、なんか勿体ない感じがするばい」
エフェスの素朴な疑問に、ボルムは坑道の壁を軽く叩いて答えた。
「鉱山ってのはな、深く掘り進めると、火に引火しやすい『ガス』が発生することが多いんだよ。だから、普通の火は絶対に厳禁だ。少しでも火の気があれば、一瞬で坑道全体が大爆発を起こす。だからこうして、火を使わない専用の魔法機器を明かりにしているってわけだ」
「へー! 鉱山では火は禁止なんだな。じゃあ、こっちの風が出とる魔法機器は何?」
「それも鉱山用の『送風機』だ。坑道みたいな密閉空間じゃあ、新しい空気が循環しない。そうなると、息をするための空気がなくなって、奥深くじゃ窒息して死んじまうんだ。だから、外から空気を送り込むこの魔法機器は、命綱とも言える一番大事な道具だな」
「はーっ! 奴隷鉱山っていっても、野盗の連中も一応、こんなに魔法機器を使って管理しとるんだな。全然知らんかったばい!」
「正確には、野盗は管理してるわけじゃないぞ。我々ドワーフ族の知識を利用して作らせたもので、奴らはただ強制的に私たちを働かせているだけだ」
「……やっぱり、そうよね。ごめん。って、ボルムのおっちゃんたちが凄いんやね」
エフェスは怯えるどころか、感心しきった様子で坑道を眺め、壁の魔法機器をペタペタと触っている。
この少年に別に何かを見出しているわけではないし、何を考えているのかも分からないが、心なしか、絶望で沈みきっていたボルムの胸の内に、小さな明かりが灯ったような気がした。
エフェスと遭遇した場所から、さらに三百メートルほど奥へ進んだ頃。
後ろから足枷つけながらも小走りで追いかけてきたガルドが、暗闇の中にいる見慣れない少年の後ろ姿に気づき――。
「ウワァァァァァァァッ!! 出たぁぁッ!!」
再び、ドワーフの野太い絶叫が、静かな坑道内に虚しく木霊したのだった。




