桁が、違う
黒田の一件があった、数日後。
七海が、めずらしく、改まった顔で、俺の前に、座った。
「青柳さん。ひとつ、ご提案が」
「ん?」
「今のやり方、そろそろ、限界です」
七海いわく、こうだ。
今の俺たちは、一般のお客さんを、ほぼ、来る者拒まずで、受けてる。
でも、噂が広がりすぎれば、無免許の件で、また黒田みたいなのが、湧いてくる。
そのうえ——施術するのは、俺、一人。
体は一つしかないのに、客だけ増え続けたら、いつか、確実に、パンクする。
「だから。一般の受付は、絞ります」
「絞る? せっかく、流行ってんのに?」
「ええ。表向きは、縮小。実態は——切り替えます」
七海の、目が、すっと、鋭くなった。
「これからは、完全な、紹介制。信用できる相手からの、紹介だけ。そして、単価を、大幅に、上げます」
……なるほど。
俺の、よく回る頭が、すぐに、その絵を、理解した。
客を、減らす。代わりに、一人あたりから、がっつり、もらう。
目立たなくなって、無免許リスクも、下がる。体も、楽になる。なのに、稼ぎは、むしろ、増える。
「……七海。お前、天才か?」
「ようやく、気づきましたか」
しれっと、言いやがる。
でも、その通りだ。9,800円で、行列をさばく商売は——もう、卒業だ。
路線を切り替えて、すぐ。
その、最初の客は、向こうから、やってきた。
店の前に、見たこともない、黒塗りの車が、停まった。
降りてきたのは、上等なスーツの男たちと——その真ん中の、一人の、老人。
歳は、70は、超えてる。
でも、背筋は、ぴんと、伸びてる。まとってる空気が、明らかに、“こっち側”の人間じゃ、なかった。
「……青柳さん、というのは、君かね」
「えーと。どちらさん、でしょう」
老人は、静かに、名乗った。
「鷹司源一郎。……君の噂を、人づてに、聞いてね」
七海が、横で、ぴくりと、反応した。
たぶん、名の知れた、相当な、大物だ。
その鷹司さんが、深く、頭を、下げた。
……企業のトップみたいな人間が、無名の若造に、頭を下げる。
それだけで、ただ事じゃないって、わかった。
「頼みがある。……金なら、いくらでも、出す。どうか、孫を、診てやってくれ」
車の後部座席から、付き添いに連れられて、小さな女の子が、降りてきた。
歳は、7つか、8つくらい。
うつむいて、左腕を、そっと、後ろに、隠している。
「美咲、といいます」
鷹司さんの声が、わずかに、震えた。
「去年、事故で……左の、手首から先を、失った」
女の子が、おずおずと、左腕を、前に、出す。
手首から先が、なかった。
俺は、しゃがんで、その子と、目線を、合わせた。
そして、鑑定。
【美咲/7歳・女】
体の状態:左手首から先を欠損(事故による)。ほかは健康
心の状態:手を、ずっと、隠している。お友達の前に、出られない
いちばんの願い:また、両手で、おじいちゃんと、手をつなぎたい
……あー、もう。
なんで、こう、まっすぐな願いを、見せてくるかなあ。
胸の、奥が、また、きゅっと、なる。
「会長さん。病院は」
「あらゆる、名医に、診せた。海外にも、行った。義手も、最新のものを。……だが、“元に戻す”ことだけは、誰にも、できなかった」
鷹司さんの、握りしめた、拳が、白い。
「金は、どれだけ、かかっても、構わん。世界中の、医者が、無理だと言った。それでも……君なら、と」
正直に、言う。
俺も、自信は、なかった。
シミやシワ、膝の軟骨くらいは、何度もやった。でも——失くした体の一部を、ゼロから、生やす。
そんなの、試したこと、ない。
でも。
その子の、隠してた左腕と、まっすぐな願いを、見ちまった以上。
やらない、って選択肢は、俺の中に、なかった。
「……美咲ちゃん。ちょっとだけ、おじさんに、その腕、貸してくれる? 痛いことは、しないから」
美咲ちゃんは、おじいちゃんを、見上げて。
こくり、と、小さく、頷いた。
俺は、その、手首の先に、両手を、そっと、添えた。
目を、閉じる。
念じる。今までで、いちばん、深く。
ここに、あったはずの、骨。血管。神経。皮膚。ぜんぶを、思い描いて——もう一度、その細胞を、ゼロから、芽吹かせる、イメージで。
手のひらの中が、じわっと、熱くなった。
今までとは、比べものにならない、ほどの、熱。
淡い光が、美咲ちゃんの、手首の先で、ふくらんでいく。
そして。
光の中で——ゆっくりと。
なかったはずの、小さな手が、形を、取り戻していった。
手のひらが。指が。ちっちゃな、爪の、一枚一枚までが。
光が、引いていく。
そこには。
血の通った、あたたかそうな、小さな、左手が、あった。
しん、と、なった。
誰も、ひと言も、しゃべらない。
美咲ちゃんが、おそるおそる、その左手を、握って、開いて、握って、開いて。
……ちゃんと、動く。
「……できた」
ぽつりと、こぼれた、その子の声。
「できたよ、おじいちゃん。て、ある。りょうて、ある……っ」
美咲ちゃんが、その、戻ってきた左手で。
鷹司さんの、大きな手を、ぎゅっと、握った。
鷹司源一郎という、いかにも、人生で泣いたことなんかなさそうな、老人が。
声も、なく。
ぼろぼろと、涙を、こぼしていた。
……俺も、正直、やばかった。
平気な顔、してたけど。鼻の奥が、つんつんしてた。
しばらくして。
落ち着いた鷹司さんが、震える手で、懐から、何かを、取り出そうとした。
たぶん、小切手帳か、何か、だ。
「いくら、だ。言い値で、払う。本当に……本当に、礼の、しようもない」
「うちの、特別枠は……3,000万円から、です」
すかさず、七海が、横から、しれっと、口を挟んだ。
……は?
さんぜんまん。
一般コースが、9,800円なのに。その、三千倍。
俺ですら、聞いて、思わず、むせかけた。
でも、鷹司さんは。
ふっ、と、笑って、首を、横に、振った。
「……安すぎる。桁が、二つ、足りん」
……は?
「孫の、手だぞ。これが、戻ったんだ。それに比べたら、そんなものは、はした金だ」
鷹司さんは、その場で、さらりと——30億円を、払うと、言った。
さんじゅう、おく。
俺の頭ん中で、ゼロが、ずらーっと、並んで、桁が、わからなくなった。
そして、こう、続けた。
「それと。……青柳くん。私のような悩みを抱えた人間は、表には、決して出てこない。だが、この世界に、いくらでも、いる。金なら、唸るほど、持っている連中だ」
「はあ」
「紹介させて、くれんか。君を。……もちろん、口の堅い相手だけ、だ」
俺と、七海の、目が、合った。
七海が、ほんの少し、頷く。
——ゴーサイン、だ。
「……ぜひ、お願いします」
こうして、俺の商売は。
商店街の、9,800円から。
一気に、誰も知らない、桁違いの世界へと、扉を、開けた。
鷹司さんたちの車を、見送って。
店に、二人、残されて。
俺は、ソファに、沈みながら、ぽつりと、言った。
「……七海。俺さ。とんでもない金、入ってくるよな、これ」
「入ってきますね」
「何に、使おっかな」
「……まず、税金の心配を、してください」
塩、だった。
でも、その前に。
俺には、ひとつ、やっておきたいことが、あった。
スマホを、取り出して、七海に、振込先を、聞いた。
「……は? 急に、なんですか」
「いいから。口座番号、教えて」
七海が、不思議そうな顔をしながらも、番号を教えてくれた。
俺は、その場で、指を動かして。
3,000万円を——七海の口座へ、振り込んだ。
通知が届いた瞬間。
七海の手の中で、スマホが、震えた。
彼女は、その画面を、見た。
見て——固まった。
「……青柳さん。これ」
「給料とは、別。ボーナス、みたいなもんだよ」
「こんな、額じゃ」
「お前さ」
俺は、ソファに深く、もたれたまま、言った。
「採用した日に、鑑定、かけたじゃん。お前のこと」
「……ええ」
「家族のために、金が要るって。早急に、って。……俺、ずっと、覚えてたんだよ。でも、あの頃は、持ってなかったから」
七海が、黙った。
「今は、持ってる。だから、渡す。それだけだ」
「……でも、これは」
「受け取れとか、受け取るなとか、言わない。お前が決めろ」
しばらく。
七海は、画面を、見つめていた。
それから——静かに、深く、頭を、下げた。
「……ありがとうございます」
声が、かすかに、震えていた。
塩対応の、完璧な秘書が。
それだけを、言った。
俺は、照れくさくて、わざと、ぞんざいに、答えた。
「お前が倒れたら、俺が困る。そんだけだよ」
窓の外。
商店街が、夕暮れに、染まっていく。
俺の頭は、もう、まったく別の方向で、わくわく、しはじめていた。
——こんだけ、稼げるなら。
いっちょ、すげえもん、作れるんじゃねえか、って。




