スーツのいい笑顔
ミンティーが来てから、半月ほど。
商売は、相変わらず、地味に、でも着実に、回っていた。
そんなある日の昼下がり。
その男は、アポも取らずにふらりとやってきた。
「やあ。こちらが、噂の”若返りの先生”のお店かな」
仕立てのいい、グレーのスーツ。値の張りそうな腕時計。
口元には、ずっと笑みが貼りついている。
ただ——その笑顔が、どうにも、いけ好かない。
目だけが、まるで、笑っていなかった。
「黒田と申します。同業、と言いますか……この近くで、美容クリニックを、やっておりまして」
差し出された名刺には、確かに、それらしい肩書きが、並んでいた。
「先生のお噂はね、私どもの界隈でも、ちょっとした、話題でしてね」
「はあ。どうも」
俺は、適当に、相槌を打った。
横で、七海が、すっと警戒の色を浮かべる。こいつのこういう勘は、たいてい当たる。
とりあえず、いつものを、やる。
鑑定。
【黒田利一郎/46歳・男】
表向き:美容クリニック経営者。スーツ、時計、すべて見栄
体調:胃が荒れている(ストレス性)、高血圧
性格:見栄っ張り、短気、すぐ人を見下す。プライドだけは高い
本当の状況:経営、火の車。患者が、激減している
減った理由:客が、まるごと「若返りの先生」に流れた(=俺のことだ)
腹の中:逆恨み。「あいつのせいで潰れる」。ゆすって金を取るか、店を畳ませる気
弱み①:自分のクリニックで、無資格のスタッフに、医療行為をさせている
弱み②:効果を盛った、誇大広告で、行政指導を一度受けている
弱み③:上記がバレるのを、何より、恐れている
……うわあ。
出るわ、出るわ。
要するにこいつ。俺に客を取られて、店が傾いて。その腹いせに来やがったわけだ。
しかも、自分の脛は、傷だらけのまま。
「いやあ、しかし。資格も、お持ちでないのに人様の体に、手を加えてらっしゃる。……これ、立派な医師法違反では?」
黒田は、笑顔のまま、すうっと声を低くした。
「無免許で、医療行為。バレたら、どうなるか。先生、ご存知ないわけじゃ、ないでしょう?」
そら、来た。
脅し、だ。
「私はね、別に、事を荒立てたいわけじゃ、ないんですよ。むしろ、穏便に、と思っている。……ええ。たとえば、月々、いくらか。“協力金”として、いただければ。私も、見て見ぬふりが、できる」
「……協力金」
「ええ。お互い大人ですから。ね?」
笑顔。どこまでも、笑顔。
その裏で、目だけが、ぎらついていた。
俺は、ふう、と、ひとつ、息を吐いた。
なるほどな。
こういう手合いか。
——だったら、こっちにも、考えがある。
「黒田さん、っつったっけ。あんたさ」
俺は、にっこり、笑い返してやった。
向こうに負けないくらいいい笑顔で。
「胃、痛いだろ。今も。ストレスで、キリキリ、きてんじゃねえの」
黒田の、笑みが、わずかに固まった。
「血圧も高え。短気だもんなあ、あんた。すぐ、カッとなるだろ」
「……何の、話を」
「あんたのクリニック。患者、ごっそり減ってるよな。火の車だ。……まあ、その減った客、だいたいうちに来てんだけど」
黒田の、こめかみが、ぴくりと動いた。
図星だ。
「で、本題。あんた、人の無免許がどうこう、言ってたけどさ」
俺は、一歩、踏み込んだ。
「あんたんとこ。資格のねえスタッフに、医療行為、やらせてるだろ」
黒田の顔から、すうっと血の気が、引いた。
「しかも、効果を盛った、誇大広告。それで、行政指導、一回、食らってる。違うか?」
「な……っ、なんで、それを」
「人の脛のことつつく前に。自分の脛、見たほうがいいんじゃねえの。傷だらけだぜ、あんた」
しん、と、なった。
黒田の額に、じわりと汗がにじむ。
さっきまでの、余裕の笑顔は、どこにも、なかった。
「……は、はったりだ。そんなもの、証拠が」
「証拠ねえ。じゃあ、こうしよう」
俺は、スマホを、ひらひら、させた。
別に、何も、入っちゃいない。ただの、ブラフだ。
でも——脛に傷がある奴ほど、こういうのに弱い。
「あんたのクリニックの”やってること”、どっかに、タレ込まれたら。困るの、どっちかな?」
「っ……」
「こっちは、せいぜい無資格の若返り屋だ。失うもん、そんなにねえ。でも、あんたは? クリニック、スタッフ、肩書き、その時計。……ぜんぶ、なくなるぜ」
黒田は、わなわなと震えていた。
口を、何度か、開きかけて。
結局、何も、言えなかった。
「協力金、だっけ。悪いけど、お断りだ。っつーか」
俺は、ドアを、指差した。
「二度と、来んな。次、来たら——今度は、本当に、タレ込むぞ」
黒田は、真っ赤な顔で、俺を、睨みつけた。
が、それ以上は、何も、できなかった。
捨て台詞の、ひとつも、吐けないまま。
逃げるように店を、出ていった。
ドアが、乱暴に、閉まる。
……ふう。
「……青柳さん」
ずっと黙っていた七海が、ぽつりと口を開いた。
「今の、ぜんぶ、鑑定、ですね」
「おう。丸見えだったわ。あいつの、腹ん中」
「証拠がある、みたいに言ってましたけど」
「あんなの、はったりだよ。スマホ、メモ帳しか入ってねえ」
七海が、めずらしくふっと口元を、ゆるめた。
「……えげつないですね」
「褒め言葉として、受け取っとくわ」
でも、と、七海が、表情を、引き締めた。
「あの手の人間は、これで、終わりとは、限りません。逆恨みを、こじらせて、また、来るかも」
「だろうな」
俺も、それは、わかっていた。
今日は、追い返した。けど、ああいうのは、湧いて出る。一人、潰したところで、また、別の黒田が、現れる。
「なあ、七海」
「はい」
「うちさ。そろそろ、ちゃんと守り、固めたほうが、いいかもな」
「守り、ですか」
「ああ。客は、鑑定で選べる。悪意のある奴は、弾ける。でも——場所が、ここだと。誰でも、ふらっと来れちまう。さっきの、黒田みたいに」
七海は、少し、考えて、頷いた。
「……一理、ありますね。商売の規模が、大きくなれば、なるほど。狙ってくる人間も、増える」
「だな」
その時の俺は、まだ、軽い気持ちで、言っていた。
「守り」なんて言っても、せいぜい鍵を増やすとか、その程度の、つもりだった。
——まさか、このあと地下三階建ての要塞を、掘ることになるとは。
この時は、まだ、知る由も、なかった。
ともあれ。
黒田の、いけ好かないあの笑顔を思い出して。
俺は、ひとつ、学んだ。
笑顔ってのは、便利だ。
人を、安心させることも、できるし。
——人を、追い詰めることも、できる。
俺は、自分が浮かべた”いい笑顔”の感触を、ちょっとだけ、気に入っていた。




