一目惚れは軽自動車から
七海が来てから、俺の生活は、一変した。
いい意味で、半分。残りの半分は……まあ、地獄だ。
初日から、容赦が、なかった。
まず、床を埋めてた段ボールが、消えた。
予約は、ノートとアプリで、二重に管理。聞き間違いも、ダブルブッキングも、ゼロになった。
一日の動き、客の入れ方、休憩のタイミング。ぜんぶ、七海が、きっちり、組んでくれる。
現場を回す段取りに関して、こいつは、まさに天才だった。
そして——例の、引き出し。
現金を放り込むのは、その日のうちに禁止された。
「お金が動いたら、最低限、いくら入ったか、ノートに書いてください。これくらいは、私のほうでも、つけておきます」
「うへぇ……めんどくせ」
「青柳さん」
「はい」
「その『めんどくせ』が、いつか、人を、破滅させるんです」
……なんか、妙に、実感のこもった言い方だった。
こいつ、前の職場で、何を見てきたんだ。
もっとも——その七海ですら、税金まわりの小難しいやつは、専門外。
俺たちは二人とも、「とりあえず、ざっくり記録だけ」で、止まっていた。
そのへんの”ちゃんと”は、いつか、誰か詳しい人に。……追々で、いいだろ、と。
業務が整うと、不思議なもんで、商売のほうも、ちゃんと回り出した。
とはいえ、派手なもんじゃない。
客は、相変わらず、ナベさんやクミさん経由の、商店街の口コミがほとんどだ。
ただ、若返ったばあちゃんを見た娘が来て、その娘の友達が来て……って感じで、輪が、じわじわ、外へ、広がっていく。
バズったわけでも、行列ができたわけでも、ない。
地味に、でも確実に、客は、増えていった。
そうして、迎えた、月末。
七海が、きっちりつけた帳簿を、俺の前に、すっと置いた。
「今月、手元に残る利益です。経費を引いた、本当の儲け」
数字を見て、俺は、しみじみ、した。
会社員時代の給料より、ちょっといい。くらい。
大金持ち、には、程遠い。
でも——汗もかかず、痛い思いもせず、これだけ残る。
それは、俺の二十六年の人生で、初めての、感覚だった。
「……俺、生まれて初めて、金が、ちゃんと手元にあるわ」
「では、貯金、しましょうね」
「やだ」
「は?」
「使う。せっかく稼いだんだから」
貯金なんて、つまらない。
金は、天下の回りもの。使ってこそ、なんぼだ。
……まあ、この考え方が、後で、ちょっと効いてくるんだけど。
その日の、仕事終わり。
俺は、ひとり、商店街を、ぶらついていた。
なんか、買うか。記念に。デカいやつを。
そう思って、歩いてた、その足が——ふと、止まった。
中古車屋の、店先。
そこにいた。
ちょっと色褪せた、ミントグリーンの、軽自動車。
年式は、古い。傷も、ちょいちょいある。
でも。
その、まるい目みたいなヘッドライトと、気の抜けたみたいな色を見た瞬間、俺の胸が、ぎゅっと鳴った。
「……こいつだ」
一目惚れ、だった。
理屈じゃ、ない。ビビッと、来ちまった。
「店員さん。これ、これ、ください。今日。今すぐ」
「えっ、あ、はい。試乗とか、されなくて……?」
「いらない。決めた。こいつと帰る」
俺の悪い癖が、思いっきり、出ていた。
ビビッと来たら、即決。値段とか、燃費とか、そういう冷静なやつは、ぜんぶ、後回し。
ケチる気は、ない。むしろ、金は出す。
ただ——惚れたものに理由を、つけたくないだけだ。
幸い中古の軽だ。人生初の利益で、ちゃんと手が届いた。
翌日。
ミントグリーンの相棒に乗って、ご機嫌で出勤した俺を、七海が、玄関先で、待ち構えていた。
「……青柳さん。あれは」
「おう。昨日、買った。かわいいだろ。名前、つけようと思っててさ。ミントだから……ミンティー、とか」
「いくらでした」
「……まあ、諭吉さんが、何人か、旅立ったな」
「領収書は」
……出た。
その、四文字。
「車、買ったんですよね。仕事の移動に使うなら、それ、経費に、できる可能性があります」
「けいひ?」
七海が、こめかみを、軽く押さえた。
「経費。仕事のために使ったお金のことです。ざっくり言うと、売上から引けるので、その分だけ、払う税金が、安くなる。……まあ、正しい線引きとか、細かいやり方になると私も、自信ないですけどね」
「……へえ」
ん。待てよ。
俺の、こういう時だけよく回る頭が、変な方向に、動きだした。
「じゃあ、俺。いろいろ買えば買うほど、税金、安くなんの? それ、最高じゃん。今日から、爆買いするわ」
「なりません」
ぴしゃり、だった。
「仕事に関係ないものは、経費に、できません。あと、買えば買うほど、手元のお金は、普通に、減ります。当たり前です」
「あ、そっか」
「それと。その車の、領収書。……ちゃんともらってきましたか」
「……りょうしゅう、しょ」
「もらって、ないんですね」
七海が、深い深いため息を、ついた。
出来の悪い弟を見るような目だった。
「……記録は、その都度。あれだけ、言いましたよね」
「ごめんて」
でも、まあ。
その日。ミンティーの助手席に七海を乗せて、近所のうまい定食屋まで、走った時。
窓の外を、流れていく景色を見ながら。
七海が、ちょっとだけ、口元を、ゆるめてたのを。
俺は、見逃さなかった。
「なんだよ。やっぱ、かわいいだろ、こいつ」
「……べつに。色は、悪くないと思っただけです」
ふいと、そっぽを向く。
うん。なんだかんだ、こいつとは、うまくやっていけそうだ。
金は、ちょっとずつ、入るようになった。
そして、入った先から、俺は、気持ちよく使っていく。
車は、その、ほんの、第一歩。
……まあ、デカい金が動くのは、もうちょっと先の話。
今はとりあえず、ミンティーと、七海と。
ぼちぼち、楽しく、やっていくさ。




