タダより高いものはない
噂が広がるのは、あっという間だった。
火付け役は、あのおばちゃん。商店街で魚屋をやってる、クミさんだ。
ナベさんの若返った顔を見たクミさんは、その日のうちに、商店街じゅうに言いふらした。
曰く、「わたなべのナベちゃんが、急に10歳若返った」。
曰く、「やったのは、あの青柳んとこのドラ息子らしい」。
曰く、「手をかざすだけで治るんだって。魔法みたいに」。
……ドラ息子は、余計だ。
翌日から、俺のスマホが鳴り止まなくなった。
知らない番号。知らないLINE。ぜんぶ、「紹介で」。
「シミを消してほしい」
「白髪をなんとかして」
「五十肩が、もう何年も」
「老眼で、新聞が読めなくて」
「うちのポチも、最近、足腰が……」
いや、ポチは専門外だ。たぶん。試したこと、ねえし。
最初のうちは、ノリでタダでやった。
シミが消えたおばさんは、鏡の前で十分くらい固まってたし。
白髪が黒くなったおっさんは、握手を求めてきた。
みんな、想像の何倍も、喜んだ。
……ただ、その日の、三人目。
ちょっと、勝手が違った。
来たのは、腰の曲がった、小柄なおじいさんだった。
歳は、80手前くらいか。
ぶ厚い眼鏡の奥で、目が、白く濁りかけている。
「すまんねえ。噂を聞いて……わしの、目を、なんとか、できんかと思って」
鑑定を、かける。
【田村作造/78歳・男】
体調:両目に白内障(進行)、ほかは年相応
性格:穏やか、我慢強い、ちょっと寂しがり
本当の願い:亡くなった妻の写真を、もう一度、はっきり見たい
……あー。
なんか、見ちゃいけないもん、見た気がする。
おじいさんは、震える手で、財布から、すり切れた一枚の写真を取り出した。
「去年、婆さんが、逝ってねえ。……この写真しか、残っとらんのに、最近、ぼやけて、よう見えんのよ」
俺は、何も言わずに、おじいさんの目元に、そっと手をかざした。
念じる。濁った水晶体を、澄んだ、若い頃のものに。
光が、引いていく。
おじいさんが、眼鏡を、ゆっくり外した。
そして、写真を、顔の前に、近づけた。
……固まった。
しばらく、ひと言も、しゃべらなかった。
やがて、皺だらけの頬を、つうっと、涙が伝った。
「……見える。婆さんが、笑っとる。……ああ、こんな顔、しとったなあ」
俺は、なんも、言えなかった。
金がどうとか、ビジネスがどうとか、さっきまで頭の大半を占めてたことが、全部、すうっと、どっかに行った。
ただ、胸の奥が、変な感じに、あったかかった。
こんな感覚、いつぶりだろう。思い出せないくらい、久しぶりだ。
おじいさんは、何度も何度も頭を下げて、帰っていった。
ドアが閉まって、店に一人になって、俺はしばらく、ぼーっとしてた。
……いや。
待て待て。流されんな、俺。
情に厚いのは、まあ、認める。さっきのは、ちょっと、来た。
でも、それとこれとは、話が別だ。
全員にこのノリでタダ働きしてたら、俺が干上がる。働かずに遊んで暮らす夢は、いったいどこへ行った。
俺は、頬を両手でぱちんと叩いて、頭を切り替えた。
冷静に考える。
俺がいまタダで配ってるのは、世界中の美容クリニックが、何十万も取ってるサービスだ。
しかも、向こうより上等で、痛くなくて、一生モノ。
それを、無料。
……バカか、俺は。
よし、値段をつけよう。
でも、いくらだ。
ペンとノート(また登場した)を前に、腕を組む。
原価は、ほぼゼロ。減るのは俺の体力だけ。ってことは、いくらに設定しようが、まるっと儲けになる。
だったら馬鹿高くしてもいいんだが……いきなりぼったくると、客が逃げる。
最初は入りやすい値段にして、リピーターと口コミを取りにいく。値上げは、行列ができてからでいい。
……我ながら、この手の計算だけは、ほんとによく回る。
俺は、ざっくり“メニュー”を組んでみた。
【お試し若返りコース】
シミ・シワ・白髪・薄毛など、見た目のお悩み……1回 9,800円
【お悩み回復コース】
老眼・関節痛・五十肩など、体の不調……1回 19,800円
【応相談コース】
その他、重めのやつ……要見積もり
末尾を「800」にしたのは、なんとなく、安く見えるからだ。スーパーのチラシで学んだ、庶民の知恵である。
ただ、ひとつだけ。
値段表を眺めながら、自分の中で、こっそりルールを決めた。
ふんぞり返った金持ちや、見栄っ張りからは、きっちり、いただく。むしろ、ガッポリもらう。
でも、さっきのじいさんみたいに、本当に困ってる相手から、足元を見て、ぼったくるのだけは、やめておく。
そういうのは、なんつーか、品がない。
……柄にもなく、そんなことを思った。
たぶん、あのじいさんの涙のせいだ。明日には、忘れてるかもしれんけど。
翌日、俺は初めて、人から金を受け取った。
一万円札が、二枚。
受け取った瞬間の、あの、ずしっとくる感覚。
……やべえ。これは、クセになるやつだ。
俺は、その二枚を、机の引き出しに、ぽいっと放り込んだ。
領収書も、帳簿も、なんもなし。
……まあ、いいだろ。たかが、小遣いみたいなもんだ。
(この「まあいいだろ」が、ずっと先で、とんでもないことになる。けど、今の俺は、まだ知らない)
問題は、別のところにあった。
予約だ。
ひっきりなしに鳴るスマホ。ダブルブッキング。日時の聞き間違い。
正直、施術そのものより、その“管理”のほうが、よっぽど疲れる。
なにせ俺は、ADHD全開で、平気で予定をすっ飛ばす男だ。手帳をつけても、その手帳をどこに置いたか忘れる。
「……これ、一人じゃ、無理だわ」
誰か、いる。
俺の代わりに、ぜんぶ仕切ってくれる、しっかり者が。
——そう思った時にはもう、俺はスマホで、求人サイトを開いていた。
その夜。
引き出しを開けると、一日でそこそこの厚みになった札束が、入っていた。
夢にまで見た、不労所得。……いや、ちょっとは労働してるけど。
ニヤニヤ、できると思った。
でも、不思議と、思い描いてたほどには、ニヤつけなかった。
頭のどこかに、まだ、あのじいさんの「見える」っていう、震えた声が、残ってる。
俺がもらったこの力は、たぶん、最初に思ってたより、ずっとデカい。
遊んで暮らすのにも、人を救うのにも、人を騙すのにも、使える。
どう使うかは、ぜんぶ、俺次第ってことだ。
「……神様も、面倒なもん、寄越したよなあ」
俺は、引き出しを、ぱたんと閉めた。
まあ、難しいことは、明日の俺が考える。今日の俺は、もう、眠い。
とりあえず、明後日。
面接の予定を、ひとつ、入れた。
どんな物好きが、来るのやら。




