秘密は誰のもの
蕗田修一先生の担当編集者が来た。
名前は久野剛。三十五歳。ぱりっとしたスーツ。いかにも「できる編集者」という雰囲気だった。
ただ、目の下にクマがあった。
「青柳先生でいらっしゃいますか。……実は、お願いがあって伺いました」
「先生はやめてください。どうぞ」
応接に通した。
鑑定をかけながら、話を聞いた。
【久野剛/35歳・男】
職業:大手出版社の編集者。蕗田修一の担当を十年務めている
状態:睡眠不足、強いストレス。仕事への責任感が非常に強い
腹の中:悪意はゼロ。純粋に蕗田先生を心配している
本当の悩み:先生の体調が悪いという噂を聞いた。でも先生は何も言わない。真実を知りたい
心配からきてる人だ、と思った。
久野が、少し前のめりになって言った。
「蕗田先生の状態を、教えていただけないでしょうか。……先生を診ていただいたと伺いまして」
「何を聞きましたか」
「手が治ったと。ですが、他にも何か体に……という噂があって。先生は私には、何もおっしゃらなくて。もし深刻な状態なら、スケジュールも変えないといけない。それに私は先生のことが」
久野が、少し、口を結んだ。
「……心配なんです。十年、担当しています。先生の原稿を世に出すことが、私の仕事で。もし先生に何かあったら。最後の一冊を、ちゃんと出したいんです」
俺は、久野を、しばらく見た。
嘘は、ない。
本当に、心配している。
でも。
「久野さん」
「はい」
「俺は、お教えできないです」
久野が、わずかに眉をひそめた。
「……なぜですか。先生が心配で来ているのに」
「先生の体の状態は、先生のものです。先生が話していないなら、俺が代わりに話すことじゃない」
「でも——」
「久野さんが心配してるのは、鑑定でわかります。本当のことだと思います。でも、患者さんの情報を、本人の許可なく話すことは、できないです」
久野が、しばらく黙った。
「……規則、ですか」
「規則というより、当たり前のことかなと思っています」
久野が、また、黙った。
それから、立ち上がった。
「……わかりました。失礼しました」
久野が、頭を下げた。
「先生に……直接、聞いてみます。ずっと聞けずにいたので」
「そうしてください。先生、きっとちゃんと答えてくれると思います」
久野が、出ていった。
その夜。
スマホが鳴った。
蕗田修一先生からだった。
「青柳さん。久野が伺ったそうですね」
「……来ていただきました」
「そうですか。彼は、心配性で。……私が何も言わないから、勝手に動いてしまった。申し訳ない」
「いえ、久野さんは本当に先生のことを思って来てくれていました。悪意は、ひとつもなかったです」
「そうですか」蕗田先生が、少し、笑った声になった。「あなたには、そういうことも、見えるんですね」
「見えます」
「……では、聞いていいですか。私の状態は、今、どうですか」
「問題ないですよ。手の震えは戻っていません。体全体も、年齢の割には、いい状態です」
「そうですか。それはよかった」
少し、間があった。
「実は」先生が、言った。「本が、もうすぐ完成します」
「……本当ですか」
「もう少しで。……あなたに手を治していただいて、書けました。ありがとうございます」
「こちらこそ」
「発売されたら、送ります。読んでください」
「必ず」
また、間があった。
「……実は、もう一つ、あなたに診ていただきたいことが、あるんです」
「何でしょうか」
「……それは、直接伺った時に。近いうちにまた行きます」
「お待ちしています」
電話が、切れた。
俺は、スマホを置いて、しばらく天井を見た。
先生が診てほしいもの。
体のことじゃないかもしれないと思った。
根拠はない。
でも、なんとなくそんな気がした。
「どうでしたか」
七海が、お茶を持ってきた。
「蕗田先生から電話。本が完成しそうだって」
「……それはよかったです」七海が、少し、目を細めた。「澪さんに教えてあげましょう」
「あいつ、本、買いに行ったのか」
「行きました。昨日。一人で」
「……本当に行ったのか」
「帰ってきた時、袋を持っていました。ちゃんと紙の本で」
俺は、それを聞いて、なんか、嬉しくなった。
澪が本屋に行った。それだけで、なんか、いい一日だった。
「先生、また来てくれるって。診てほしいものがある、と」
「体ですか」
「たぶん、違う気がする」
「……何だと思いますか」
「わからない。でも、気になる」
七海が、お茶を一口飲んだ。
「……続きが、あるんですね」
「そうみたいだな」




