影
鷹司さんから、電話が来たのは、夜だった。
「青柳くん。ひとつ、聞いていいか」
「どうぞ」
「最近、税の申告、しているか」
俺は、一瞬、固まった。
「……してないです。今、進めているところで」
「そうか」
鷹司さんが、少し、間を置いた。
「実は、知人から聞いた話なんだが」
「はい」
「国税局の人間が、最近、動いているらしい。……具体的な話じゃない。ただ、うちの周辺について、何か調べているという話が、耳に入った」
俺は、何も言えなかった。
「急いだ方がいいかもしれん。自主的に申告すれば、話が違ってくる。……余計なことを言うようだが、気になったので」
「ありがとうございます」
「うん。頑張りなさい」
電話が、切れた。
俺は、しばらく、スマホを持ったまま、動かなかった。
七海に、内容を伝えた。
七海の顔が、少し、変わった。
「……矢島さんに連絡します」
「今夜か」
「明日の朝、一番で」
「わかった」
七海が、帳簿を開いた。
それから、閉じた。
また、開いた。
手が、止まっていた。
「七海」
「はい」
「大丈夫か」
「……大丈夫です」
「大丈夫じゃない顔をしてる」
七海が、帳簿を、ゆっくり閉じた。
「……怖いです。正直に言うと」
「そうだな」
「私は、ずっと早く申告してほしいと言ってきましたが……本当にそういう動きが来ると、やっぱり、怖い」
「俺のせいだなそれは」
「……青柳さんのせいです」
「そうだな」
「でも」
七海が、ちょっとだけ、息を整えた。
「矢島さんと澪さんがいます。今から動けば、まだ間に合うと、信じています」
「信じてる、か」
「信じます。信じないと動けないので」
翌朝。
矢島さんから、折り返しの電話が来た。
「七海さんから伺いました。状況はわかりました。急ぎましょう」
「急ぎましょう、というのは」
「国税が動く前に、自主的に申告を済ませることが、今できる最善です。完璧じゃなくていい。とにかく申告の意思を示すことが大事です」
「間に合いますか」
「澪さんのデータ整理が、どこまで進んでいますか」
澪に聞くと、「七割くらい」と言った。
「七割です」
「では、残りを急いでもらえれば、申告書の作成に入れます。一週間、いただけますか」
「わかりました」
電話を切った。
澪が、既にモニターに向かっていた。
「聞いてた」
「そうか」
「一週間で終わらせる。三日あれば、終わる」
「三日か」
「うん。数字の整理は、あたしの得意なやつだから」
澪が、エナドリを開けた。
今日は、いつもより、速い動きだった。
地上のボロ屋で、俺は、久しぶりに少し、焦っていた。
正直に言うと、今まで、どこかで、「まあ、なんとかなる」と思っていた部分があった。
でも、鷹司さんの電話を聞いて、初めて、リアルになった。
国税が動く、というのは、鑑定で弾けるやつじゃない。
七海が言っていた通りだ。「制度・法律・国家は、鑑定では弾けない」。
……あの時、七海が言ってたのは、そういうことだったんだ、と、今更、思った。
「……青柳さん」
七海が、お茶を持ってきた。
「ありがとう」
「飲んでください」
「うん」
七海が、隣に座った。
「怖いですか」
「……少し」
「私も、少し」
「そうか」
「でも、澪さんが三日で終わらせると言っています。矢島さんが動いてくれています。一人じゃないです」
俺は、お茶を、一口飲んだ。
「……お前、いつからそんなに力強いこと言うようになったんだ」
「ずっとこうです」
「そんなことはなかった」
「……青柳さんがそう感じるようになっただけです」
俺は、それを聞いて、少し、笑った。
七海も、ほんの少し、笑った。
「大丈夫です。きっと」
「……たぶん」
「たぶん、で十分です。今日は」
面白いと思っていただけたら、★評価や♡フォローをしていただけると更新の励みになります!




